どこでもドアを利用できる人と利用できない人の格差

 上の記事の内容とはほとんど関係ないが、どこでもドアで思い出した話。

 昔、おそらく南北問題とか先進国の飽食とかを扱った番組でも観ていた時だったと思うが、私の母が「どこでもドアがあれば貧しい国の人たちも(物資が行き渡って)助かるのにね」といったようなことを言った。

 私は子供心に「先進国に不法入国者が溢れてそれどころじゃなくなる気がするが」と思ったがせっかく慈悲深き空想に浸っている母にそんなツッコミを入れるのも野暮なので黙っていた。

 しかし、空想は時として現実以上に現実を理解するために有益なことがある。少しこの空想を弄んでみよう。

 仮にどこでもドアが発明されたとしよう。本当にドラえもんそのままのどこでもドアではあまりに万能過ぎてお話にならないのでいくつか制限を設けよう。

 とりあえず行ける範囲はせいぜい地球上に限定し、行ける場所にも何らかの制限がある事にしよう。たとえば勝手に銀行の金庫やしずかちゃんの風呂場に侵入したり、簡単に国境を破ったりはできないことにしよう。

 さて、それで世の中はどうなるか。とりあえず通勤通学は楽になるだろう。旅行も気軽に行けるようになるだろう。*1しかし、これらは世の中がどう変わるという程のことではなさそうだ。

 母の空想はどうだろう。先進国で余っている食糧や衣料品等を貧しい国々に送るということは可能だろうか。確かにできそうだ。なぜ現実にそのような活動が行われていないのかというと、もちろん輸送コストがかかりすぎるからだ。

 どこでもドアによってもっとも重要な影響は輸送コストが限りなく無料に近くなるということだ。もしどこでもドアの利用条件に差があり、利用できる人とできない人がいるとしたらそれは大変な問題となるだろう。

 輸送は決定的に重要なことである。どんな物質も適切な場所になければ役には立たない。

 経済における貿易の重要性は言うに及ばず、他の例が欲しければ鏡を見よう。あなたの身体に備わっているであろう心臓・肺・血管の最も重要な役割は全ての細胞に酸素を供給することだ。これらが止まってしまったら生きてはいられない。

 人のような比較的大きな生物は皆このような循環器系を必要とする。それは体積に比べて表面積が小さすぎて、自然な拡散だけでは酸素が行き渡らないからだ。

 ごく小さな単細胞生物や多細胞生物は身体(細胞)の表面から外界と交換されるのみでやっていけるから循環器系を必要としないのだ。

 知ってるって? なんのためにこんな空想の話をいつまでも続けているのかって?

  別に空想に深い意味などないが、この限定付きどこでもドアはすでに実在すると言ったらどうだろう。嘘だと思うだろうか。それは『船』と呼ばれていると言ったら?

 海運の輸送コストはもちろんゼロなどではないが、それ以外の手段による輸送コストに比べて圧倒的に安い。(ここまで書いたときいつぞやの日本郵船の広告を思い出して笑ってしまった。)

 これがどの大陸でも沿岸部が豊かで内陸部が貧しく、その逆ではないことの根源的な理由のひとつである。

*1:同時に行きたいと思わなくなくかもしれないが。

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