2010 10/25

(本文とは無関係)

 現在某所でトップになっている、痴漢冤罪対策と称するコピペ。数年ごとに流行するデマで、2004年からあるらしい。私もいつかは忘れたが、前回のブーム時には見た覚えがある。

 この現象は、昔の「悪魔を退散させる呪文」とか、子供に流行する「口裂け女に話しかけられた時のおまじない」といったものの、現代・大人版と言えるであろう。脅威を制御しうると信じて安心したい人間心理の発露である。

 何の本で得た知識か忘れたが、このようなまじないが発生し、流行するにはいくつかの条件があるようだ。下に適当に並べてみるが、こうして見ると、このコピペは実に良くできている。数年ごとに大流行するだけの理由はあると思える。

1「稀で深刻な脅威である」

 日々誰もが遭遇するような現実の脅威なら、いい加減な呪文やまじないに頼ってなどいられない。頼る必要もないだろう。まず経験者の話を聞きに行けばいい。

 噂には聞くが、自分や身近な人が実際に遭遇したことはないという程度の、稀な発生率である必要がある。おそらく痴漢冤罪の発生率はこの条件を満たす。

 次に、当然だが深刻でない脅威ならそもそも制御したいという心理もそれほど強くならない。痴漢冤罪によって被る被害は、間違いなく深刻と言ってよいだろう。

2「現実的で有効な対処法は存在しない」

 ホモ・サピエンスは、概ね現金で抜け目ない生きものだ。当たり前だが、そんなものがあれば、それで対処するのだ。*1

 そして、痴漢冤罪はこの条件も満たす。ブームの度に言われていることだが、現実的で有効な方法は、今のところ実在しないと思われる。日本の司法制度・風土および満員電車という現実は、どちらも個人が一朝一夕で変化させうるものではない。

3「まじないは適度なもっともらしさ・困難さを備えている」

 もっともらしくなければいけないのは当たり前と言えば当たり前だが、もっともらしければいいというものでもない。

 まず、実行可能でなければならない。誰も憶えられないような呪文や、誰も実行できないようなまじないが流行ることはありえない。実行可能でも現実生活の負担に感じるほど難しくては駄目だ。しかし、逆にあまり簡単すぎるのも、ありがたみが無くなるので駄目だ。

 昔だったら聖書の章句を暗唱するとか、今だったら法律の条文を二つや三つ暗記するとか「ちょっとやってみるか」と思えるほど簡単だが「ちょっと頑張ったな」と思えるほどには難しい、という絶妙な複雑さが要求される。

*1:「未開人はもっぱら呪術の世界に浸っていたのではなく、自然の力と超自然の力をともども認識し、普段は確実な知識に基づく合理的な手段で自然に対処していたが、あらゆる努力も知識も凌駕する不可知の影響力を統御するときに、呪術に頼った。文明社会も実は同様なのであり、理性と神秘の境界線の位置や知識の体系のあり方、それらと社会の仕組との関係が異なっているだけなのである。」などこの辺も参考。

おまけ

 電車で妖怪で脅威で卑猥というとこれか。

by 木戸孝紀 tags:


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