抜き打ちテストのパラドックスと核抑止ついでに原発事故

原子爆弾―その理論と歴史 (ブルーバックス)

 抜き打ちテストのパラドックスは、今週中に、という条件がなければ、推論の出発点がなくなり、そもそも発生しない。

  1. まず、金曜日にテストはできない。木曜の晩に金曜日にテストがあることがわかってしまうため。
  2. よって、木曜日にテストはできない。水曜の晩に木曜日にテストがあることがわかってしまうため。
  3. よって、水曜日にテストはできない。火曜の晩に水曜日にテストがあることがわかってしまうため。
  4. よって、火曜日にテストはできない。月曜の晩に火曜日にテストがあることがわかってしまうため。
  5. よって、月曜日にもテストはできない。最初から月曜日以外にはテストができないことがわかってしまうため。

 「週末」という期限さえなければ月曜日にも金曜日にもテストはできるのに、設定してしまったことによって、月曜日にさえもテストはできなくなってしまう。

  1. まず核による最終戦争は人類滅亡に等しく誰も得しない。
  2. 敵は全面戦争で敗北し自分だけ滅亡するぐらいなら核を使用するだろう。よって上記より全面戦争に勝利はありえない。
  3. 全面戦争が起こったら、仮にこちらが勝っても、上記の状態になる。よって全面戦争は誰も得しない。
  4. 限定戦争が起こったら、仮にこちらが勝てそうでも、相手が引かなければ全面戦争になる。よって上記より限定戦争は誰も得しない。
  5. 小競り合いが起こったら、仮にこちらが勝てそうでも、相手が引かなければ限定戦争になる。よって上記より小競り合いは誰も得しない。

 核兵器の発明は、全面核戦争による「終末」という限界を設定してしまったことによって、通常戦力による小競り合いすらも起こらなくなるという効果をもたらした。

 ついでだが、福島原発の事故に関して私が密かに懸念していることは、長年かけて築かれた、放射能の(負の)ブランドイメージを大幅に毀損したのではないかと思われることだ。

 ピンカーが「王様は裸だ」と表現している(らしい)核タブーへの挑戦が将来起きるとすれば、それへの意図せざる、しかし強力な足がかりの一歩になってしまったのではないかと思われることだ。杞憂だといいのだが。

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