デビルマン・寄生獣・ネウロに共通する進化論へのまともな理解 前編

デビルマン (1) (講談社漫画文庫)

 現在少年ジャンプでほぼ唯一と言っていいぐらい着目している『魔人探偵脳噛ネウロ』であるが、最近の展開は単に面白いというのとは違う意味でちょっと興味がある。私が以前から持っている作業仮説を検証できる機会だからだ。それは、

  • 進化についてのまともな理解にヒントを得ているマンガは奇跡的な傑作になる可能性が高い

 というものである。少年漫画で進化について触れられる場合『オレが進化の頂点を極めた究極生物なのだッ!』とか『○○計画によって人類は新たな段階へと進化を遂げるのだ!』とか『おめでとう□□は△△にしんかした!』とか大抵ロクなもんではない。*1

 そういう状況が厳然として存在する中に、進化に対するまともな理解を示したように見える顕著な例外が二作品だけある。『デビルマン』と『寄生獣』である。いずれも言わずと知れた超傑作である。

 ちょっと待てと言われそうだ。いや、言ってもらわなければ困る。「本当に神がいて特定の種族(デーモン族)を滅ぼしたりしようとする『デビルマン』の世界でまともな進化の理解もクソもあるか!」と。確かにその通りだ。しかし、もう少し待って欲しい。

 デビルマンの世界設定では、人間が地球を我が物顔に支配しているのは、恐竜時代に神の軍団に滅ぼされそうになったデーモン族が必死の抵抗で勝利し、疲弊して眠りについている隙を上手く突いたというだけのことに過ぎない。

 生物進化が隕石衝突等の偶然の災害に強く左右されることがすでに当たり前になっている今日の視点では特になんてことはないように感じるが、漫画版デビルマンの連載は1972年から1973年にかけてである。

 これはK-T境界が知られるよりも前であり「図体ばかりでかくて冷血で脳が小さく愚鈍な恐竜は、温血ですばしこくて賢い哺乳類の祖先に卵を食われてしまったのだ」等の、今日の視点で見ればアホなとしか言えないような説明も、まだ普通に通用していた時代だ。時代を考慮に入れるとこの設定はかなり先見的である。予見的とさえ言える。

 もちろん永井豪がこのようなことを意識して設定を考えたと言っているわけではない。ほとんどは偶然によるものと思われる。それでも、当時としては珍しく進化上の人間の地位に対する自己中心的な偏見を持っていなかったということは言えよう。私にはそれだけでも特筆すべきことであると感じられる。(つづく)

*1:それで面白いかどうかは別の問題。

おまけ

コメント

  1. より:

    あらら…。そうなんですか!でも、そうかもしれないとも思ってはいました。自分が思ったのは、たとえて言うと背景が濃くなると本体が浮き彫りになるような感じで、エヴァによって本来の生命について色々考えたりしたんですが…。もっと勉強してきますね!ともかく続きが楽しみです!

  2. 木戸孝紀 より:

    >Vさん
    えーと、エヴァは今回の文脈で言うとはっきり悪い例なんですが……。わかって言ってるのかな。
    まあ色々考えるのはいいことですよ。
    >鯛
    俺も続き書くために読み直している。

  3. より:

    なんとなく昨日から寄生獣読んでます。

  4. より:

    はじめまして。進化!そうですよね!
    私はエヴァンゲリオンを見たときも生命について色々と考えさせられました。

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