公理の話

ゲーデル、エッシャー、バッハ―あるいは不思議の環 20周年記念版

へのはてなブックマークに対して、

では、公理そのものの妥当性は何がどう担保しているわけですか? – BLOG15の日記

では聞きますが数学の演繹の出発点の公理系そのものの妥当性、正当性は何によってどう担保されているのでしょうか? 本質的に間主観性としての、つまり主観の寄せ集めの仮決めでしかないと思いますが。

 という質問が来たので、ちょうどいい機会だから公理について書いてみる。もともとの質問への回答でだいたい言い尽くされているような気もするが。

 数学の演繹の出発点の公理系そのものの妥当性、正当性は何によってどう担保されているのでしょうか?

 何によってもどうやっても担保されてなどいません。妥当性を担保されているものは公理ではありません。定理です。定理の妥当性を担保するのは公理です。で、じゃあ公理って何なんだということになるわけですが、

 本質的に間主観性としての、つまり主観の寄せ集めの仮決めでしかないと思いますが。

 その通りです。公理っていうのは主観であろうが何であろうが根拠のない仮決めなのです。もし根拠があったらそれは公理ではなく定理で、その根拠の方が公理です。

 なんでそうなのかというと、もし公理に根拠がなければいけないとすると、その根拠の根拠はなんだ? という疑問がただちに生じて、根拠の根拠の根拠の……(∞)……という無限退行に陥って、いつまで経っても何も言えなくなります。

 それでは何も面白くないので、根拠なしにある一連のことを勝手に正しいと決めて「公理」と呼ぶことに決めるのです。以降は仮想問答。

 勝手に正しいと決めるって……それでいいの?

 それでいいんです。

 だって勝手に決めたらそれが妥当かどうかわからないじゃん。

 と思うでしょうけど、公理には妥当も不当もありません(自己矛盾している場合以外)。たとえば「全ての数は0に等しい」というような公理を持つ公理系を作ることは可能です。その公理系が“普通の”数学の公理系に比べてどっちが妥当だとか妥当でないとかいうことはありません。

 んなアホな。どんな公理も等しく妥当だっていうならどれも無意味って事になるじゃん。

 そうじゃありません。公理系の価値は、そこから導きうる様々な定理や結論が豊かで興味深いかどうか、あるいは現実に応用可能か、平たく言えば面白いかどうかで決まります。「全ての数は0に等しい」というような公理系は何もかもが自明で面白くないから誰も研究しないし話題にしないだけのことです。

 要するに公理はゲームのルールみたいなものです。「オセロはどうして自分の色が多いと勝ちなの?」という問いは馬鹿げてます。「作者がルールをそう決めたから。」以上の答えはありません。

 「色の少ない方が勝ち。」とか「コマを指ではじいて回転させ、倒れたときに上になっている色を言い当てた方の勝ち。」とかいうルールを勝手に決めても別に悪いことはありません。

 そのルールが元のルールと比べて妥当であるとか妥当でないとか決める絶対の基準が宇宙のどこかにあるわけではありません。単にそれはオセロではなく、たぶんそんなに面白くないというだけのことです。

おまけ

コメント

  1. 匿名 より:

    > (自己矛盾している場合以外)
    サラっとかわしてますけど、勝手に決めたゲームのルール(公理)が自己矛盾していないことはどのように担保されているのですか?
    矛盾しているルール(公理系)からはどのプレーヤーも勝ちを主張できる(任意の命題を証明できる)ので「面白くない」、だから矛盾していると「わかっている」ルールは誰も研究しないですよね。よく仮定されているゲームのルール(たとえばZFC)を深く深く追いかけていくと実は矛盾していたという結末にならない保証はどこにあるのですか?

  2. 匿名 より:

    ↑おそらく根本の理解に至っていない。その上、論理を自分でわかりにくくしていると思う。
    あえてそのわかりにくい例でいうと、公理はそのゲームを形作るゲームソフトのプログラムやCG。もし「チート禁止」に数学の論理の言葉を当てはめるなら「仮定」。
    公理は無視するとかしないとかそういうものじゃない。そのHalfLifeっていうゲームが急にシムシティやセカンドライフになったりしないように。

  3. 匿名 より:

    なんか、わかったようなわからんような・・・
    オセロを引き合いに出すならコレもありなのか?
    HalfLifeでのチャレンジクエスト
    「屋上の敵を倒せるか?」(証明したい定理)
    『ただし、チート禁止』(公理)
    結果1:途中で道が切れてて絶対ムリぽ(証明できなかった)
    結果2:と思ったらヘタレプレイだったけど一応クリアできた(定理は正しいと証明できた)
    結果3:実は、下から飛び道具で秒殺できた(より洗練された公式が見つかった)
    ・・・ってことと同じでいいのかね?
    これなら・・・・
    クリアできる(証明できる)って事自体は覆されないが、もっと良い方法があったりする。また、チート使えば(公理を無視される)とクリアは簡単にできるが、チャレンジ自体が意味なくなる。
    ・・・ってことを自分なりに解りやすいように捉えたがワケだが・・・合ってる?
    つか、数学者がみんなゲーマーに思えてきた・・・

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