『鳩山法相の死生観』を真剣に読めば死刑問題がわかる その4

ドラゴンクエスト―ダイの大冒険 (33) (ジャンプ・コミックス)

「地獄の劫火」

 「だって正義のために死んでもらっているわけでしょ。他人を無残に殺して生き延びていてはいけない、というのが日本の法律であり、世論だ」。熱弁は続く。「遺族は極刑を望んでいる。大部分は1日も早い死刑執行を願っている。一生忘れることのできない傷であっても、正義の実現により、墓前に報告できる。うちの家族を殺したから報いを受けたんだよ、と。そういう気持ちになろうとしているときに、死に神が連れて行ったと言われたら、どう思うか

(特集ワイド:死刑執行13人 鳩山法相の死生観 – 毎日jp(毎日新聞))

 再び鳩山法相に戻って、さてどう思う? 「報復感情(・A・)イクナイ!」? はいはい、よくできました、えらいえらい。でも私が目を向けたいのはそこじゃなくて、今あなたが当たり前だと思ってスルーしてしまったところだ。この台詞は「死に神に連れて行かれると、報いを受けたことにはならない」という前提が自明のものとしてあらかじめ共有されていなければ、そもそも意味を成さないということに着目してほしい。

 死に神は今風に言えばゾンビみたいなもので(そういや黄泉の国のイザナミは見た目もゾンビだな)、近づく人間を襲って喰らったり感染したりするが、そこには「死とはそういうものだから」以上の理屈はない。何か理論や根拠があって、たとえば罰を与えようと思ってそうするわけではない。たとえ法相と違って死刑反対派であっても日本人はこの前提を共有できる。だからスルーした。

 だがしかし、それはちっとも当たり前のことではない。全く当たり前のことではないのだ。死神に連れていかれた者は、そうではない。死神に連れて行かれた者には、報いがある。それも、必ず。全知全能のGODが主宰する最後の審判だ。そこで全ての人間は善人と悪人に分けられる。善人は永遠の命を与えられ、悪人は永劫に地獄の火に焼かれる。

 もちろん日本にも地獄はある。しかし、日本の地獄は全然ぬるい。あくまで次の生まれ変わりまでの一時的な反省のための場所に過ぎない。所詮六道の1つで、人間界や天界とすら、変わらないとまでは言わないが、併置されうる程度の存在だ。*1

 これは一神教の地獄とは全く違う。現実の刑罰にたとえるなら、「市中引き回しの上打ち首獄門」と「自宅謹慎一週間」ぐらいの天地の差がある。おまけにヒンドゥー教のように功徳を積めば来世で高いカーストに、罪を重ねれば低いカーストに生まれるというような決まりすらない。「死ねばみな仏」であり生前の善悪は全て「水に流される」

 このような宗教感覚を前提とする日本文化では、凶悪犯罪者が刑務所で天寿を全うすればその罪は宇宙のいつどこでも償われず「殺り得」ということになってしまう。避けられない結論である。しかし、逆に言えば別の宗教感覚では避けうるかもしれないということだ。

 一神教文化における、殺人者に対する現世での寛容は、その犯罪者が無実でなく悔い改めもしていないなら、死後必ずや全知全能の神によって正しく裁かれ永劫に地獄の火で焼かれるのだという確信と表裏一体である。

 死刑があれば死刑となるべき凶悪犯罪者を、税金を使って一生刑務所で養い、衣食住になんの不自由もなく安楽に生活させて天寿を全うさせてやることをさしたる葛藤なく*2許容できる、EUの死刑廃止国の国民は、家族を殺されても少しも恨みに思わない仏様のような人間ばかりというわけではないのだ。*3

 これはまさしく妄想ではない宗教の御利益と言っていいところだろう。たとえば国家が死刑囚にガソリンをかけて焼き殺したらそれは「残酷な刑罰」とされ、許されないだろう。当たり前である。しかし神ならもっと残酷でも許される。なぜなら神だから。

 「個人よりも国家よりも当然道徳的であるべき神が国家より残酷な刑罰を加えても非難されないのは矛盾ではないか?」と、ドーキンスの兄貴のようなガチガチの無神論者なら言うかもしれない。(うろおぼえだが『神は妄想である』でそれに近いことを言っていた気がする。)

 しかし、兄貴が知らないか、たぶん知っていても不都合だから言わないことは、(無茶を承知で思いっきり要約すれば)そもそも一神教というのは社会のあらゆる矛盾をGODという無限遠の一点に集中させて一括管理する仕組みであり、神は矛盾してこそ価値があるのだということだ。矛盾していない神はゴミのないゴミ処理場と同じぐらい存在意義がない。

 私は今日の日本で復讐感情が野放しになっていることは、単純に日本の宗教者の怠慢であるとしか思っていない。坊主は何をしている? 坊主で連想してググったら「日本の政党で死刑制度廃止を公言しているのは公明党だけである。」らしい。曲がりなりにも仏教政党なだけのことはあるか、とちょっとだけ見直した。

 鳩山家の宗教は神道だ。だが、大臣は真言密教の鹿児島最福寺の総代でもある。居間には池口恵観大阿闍梨から贈られた不動明王の像が鎮座していた。「不動明王は地獄に落ちた人を救うそうです。執行した後は不動明王にお参りしてます」という。大臣は、ひょっとして地獄に落ちるかも、と怖いのだろうか。

 「失礼だな、私自身は地獄に落ちるとは全然思っていない。死刑囚は天国に行かず地獄に落ちるだろうから(死刑囚を)導いてくれ、ということだ」とむっとした。

(特集ワイド:死刑執行13人 鳩山法相の死生観 – 毎日jp(毎日新聞))

 さて翻ってまた鳩山法相。今回日本の多くの死刑反対論者は鳩山発言をひたすら嘲笑している。確かに法相は私から見ても笑われても仕方ないと思うが、この部分は本気でEU並の死刑全廃を目指しているなら、別に賛成しなくても、少なくとも

そりゃないな、と思ったのがこれ。(中略)そうか、死刑囚は地獄に落ちるのか。

(鳩山法相の死生観 – 週刊日記)

 みたいに鼻で笑って済ますことなど絶対にできんはずなのだ。やはりジレンマは深刻だ。ちっとやそっとで解消できるねじれではないのである。(つづく)

*1:ちなみに対置されるのは解脱。
*2:少なくとも死刑復活を主張したくならないぐらいには。
*3:そうだったら話は簡単で私は楽なのだが。

おまけ

 ┗(^o^ )┓三 公明党というとこれしか選択肢が……。

コメント

タイトルとURLをコピーしました