トム・カークウッド『生命の持ち時間は決まっているのか―「使い捨ての体」老化理論が開く希望の地平』

生命の持ち時間は決まっているのか―「使い捨ての体」老化理論が開く希望の地平

 『生と死の自然史―進化を統べる酸素』のための予備知識二冊目。

1.なぜ老いるのか

 人間の寿命の信頼できる最高記録は120年とちょっとである。不老不死は今も昔も究極の夢であるが、そもそも生物はなぜ老いるのか? 老化は極めてありふれた現象であるにもかかわらず、実はこの問いに完全な答えは未だ得られていない。

 「細胞は常に損傷に晒されているんだからいずれ劣化するのは当たり前じゃないの?」などと言ってみたところで、人間の限界寿命が120年程度であることも、種によって寿命が様々であることも何も説明できない。やはり老化には説明が必要なのである。

2.老化は必然でも必要でもない

摩耗説
生きることは摩耗する事に他ならず、老化は避けがたい必然である。
プログラム説
生殖を終えた個体は種の利益のため死んで若い個体に資源を譲るようプログラムされている。

 かつて老化の理論は大きく分けてふたつあった。が、どちらも間違いだ。老化は必然でも必要でもない。そもそも単細胞生物は不老である。子孫の単細胞生物は祖先の単細胞生物に比べ劣化しているところなどなにもない。

 実を言うと人間自身も生殖細胞(精子・卵子)に限っては不老である。「近頃の若いもんは」と太古の昔から言われてはいても、新しい世代が古い世代に比べて何か生物学的に「老化」したり「劣化」しているというわけではない。

 さらに単細胞でない生物も、たとえばヒドラは観察される限りまったく老化しないと見られている。全く摩耗しないことはあり得ないとしても、同じだけ修復されてはいけない理由もなく、実のところ老化が必然であるという証拠はない。

 種のための利益という考え方も今では葬られた考え方である。そもそも“種”というのは、生物学的にも何の意味もないというわけではないが、詰まるところ人間が設けたカテゴリに過ぎないのだから、その「ための」利益を守る仕組みが自然界に存在するわけがない。

 仮に老化が遺伝的にプログラムされていたとしよう。突然変異で老化のプログラムに異常が生じ、老いなくなった個体が生じたとする。その個体は、勝手に老いて死んで資源を譲ってくれる同種たちを尻目に、相対的に多くの子孫を残し、壊れた老化プログラムの遺伝子を伝えるだろう。じきに老化プログラムは壊れたものばかりになる。

 その後、個体数が増えすぎて資源の欠乏が生じたとする。そこに再度突然変異で老化プログラムの働きが復活した個体が現れたとする。老化プログラムは再び広まるだろうか? 否、資源が欠乏している上に老化もする個体が、資源が欠乏しているが老化しない周囲の個体を押しのけて繁殖に成功できる理由は何もない。

 つまり老化をプログラムする遺伝子が存在したとしても、それは遅かれ早かれ遺伝子プールから消滅し、二度と復活しない。つまり現在普遍的に存在する老化はプログラムされたものではありえない。

3.使い捨ての体

 少なくとも生殖細胞を「若い」ままに保つことは可能で、どのようなメカニズムであるかはともかく、実際にその通り行われている。でなければ我々は存在できない。老化がプログラムされていると考えることもできない。にも関わらず老化は存在する。と、なると従来とは違う説明が必要である。

 文明生活という極めて異常な生活環境に置かれている現代先進国の人間を基準に考えるのは適当ではない。ネズミになったつもりで考えよう。ネズミの生活は過酷だ。常に餌を探して動き回らねばならず、猫やら梟やら狐やら捕食者に四六時中喰われている。それでもネズミが地球からいなくならないのは、ネズミ算の名の通り、たくさんの子を四六時中産んでいるからだ。

 仮にいつまでも若々しい不老ネズミでいられたとしても、いつもいつも猫から逃げ切れるとは限らない。運悪く捕まって喰われる日が、遠くない年月のうちにやってくる。捕まって喰われる日に若々しいネズミでいることは、猫にとっては美味しいかもしれないがネズミの立場では無価値である。

 そこで体細胞つまり生殖細胞以外の体に蓄積する損傷を修復し新品同様に維持することをさぼり、浮いたエネルギーを繁殖に振り向ける、つまり多くの精子を作ったり・多くの雌と交尾したり・多くの子を産んだり・栄養分の高い乳を分泌したりするような老化ネズミを考える。

 細胞の維持にはかなりのエネルギーが使われている。ただ座ってぼーっとしていても腹が減る理由がそれだ。そのエネルギーを一部でも繁殖に振り向けられることは明らかに有利だ。そしてネズミが老衰が問題になるまで喰われずに済む可能性はあまりないのだから、老化のデメリットは限られている。

 老化ネズミは不老ネズミよりも多くの子孫を残せるだろう。そして「老化するがよりよく繁殖するための」(「老化するための」ではない!)遺伝子は集団に広まりうる。これが使い捨ての体説の骨子である。

 この説は飛んで逃げられる鳥や硬い甲羅に守られた亀のような殺されにくい動物の寿命が長く、殺されやすい動物の寿命は短いという傾向をうまく説明する。老化とは、ボルボックスのような動物が生まれた時代に、細胞が群体を作り多細胞生物が生まれ体細胞と生殖細胞が分化していく過程で生まれたと言えるのかもしれない。

4.繁殖と生存のトレードオフ

 一度だけ盛大に繁殖しその場で死んでしまう鮭。母親の体を喰って生まれ出てくるダニやクモ。繁殖と自分の生存のトレードオフという観点は自然界の様々な現象をうまく説明する。人間の閉経も、ただでさえ危険な出産を自分が高齢で行うよりも、たとえば娘の子育てを助けて孫を世話する方が最終的に自分の遺伝子を残せるという理由で発達したのではないかと思われる。

 ある条件ではカロリー制限は寿命を延ばすのに有効であるという結果が知られている。これは栄養状態が良ければ、

  • 「今は環境が良いようだ。少々寿命が縮んでもいいから盛大に繁殖せよ!」

 栄養状態が悪ければ、

  • 「今は環境が悪いようだ。後のシーズンに期待して子供を作るのはあきらめ、とりあえず自分の体を大事にして生き延びろ!」

 と反応するように肉体はプログラムされている、と捉えても大きな間違いはないだろう。逆にするような肉体を作る遺伝子は明らかに自然淘汰によって消滅するはずである。

 ハンチントン病のような高齢になってから発病する遺伝病がある。10歳で致命的な症状を発現する遺伝病は明らかに存在し続けられないが、このような遺伝病は淘汰を免れうる。一般に高齢になってから害をもたらすが若いうちには利益をもたらすような遺伝子は自然淘汰によって選択されるだろう。

 ゲノム全体がそのようなギリギリのトレードオフを選択した遺伝子の塊である、ということもありうることだ。その場合、残念ながらそう簡単に寿命を延ばしたり不老にしたりすることはできないだろう。

おまけ

 猫つながり。

コメント

  1. 木戸孝紀 より:

    >ダイワハウスさん
    霞は低カロリーですからねえ。
    凡人はあっという間に即身仏間違いなし。
    ……ってこらw

  2. ダイワハウス より:

    ある条件ではカロリー制限は寿命を延ばすのに有効であるという結果が知られている。これは栄養状態が良ければ「今は環境が良いようだ。少々寿命が縮んでもいいから盛大に繁殖せよ!」、栄養状態が悪ければ「今は環境が悪いようだ。後のシーズンに期待して今は子供を作るのはあきらめ、とりあえず自分の体を大事にして生き延びろ!」と反応するように肉体はプログラムされている、と捉えても大きな間違いはないだろう。<<<栄養状態がよろしいとはとても思えない仙人の中に、たまにとんでもなく長生きする人が現れる(仙人に対する漠然としたイメージ)
    のはこの理由なのかー

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