2010 8/1

創造―生物多様性を守るためのアピール

 エドワード・オズボーン・ウィルソンが、科学とキリスト教が協力して生物多様性の保護に取り組もうと、仮想の南部バプティスト派牧師に対し訴えかける、という本。

 はっきり言って、試みそのものが成功しているとは全く思えない。当たり前だが、ウィルソンは神の創造は嘘で進化が事実であるということについては一歩も譲る気はないわけで、牧師にとっては、

「私たち科学者は、君たち牧師が一番大事だと信じていることが全くの間違いだということについては、一歩も譲るわけにはいかないけど、私たちが一番大事だと信じているものを護るために君たちが協力できることは、沢山あると思うよ?」

 と言われているようなものだと思うのだが。*1これで「はいわかりました是非協力しましょう」と言ってもらえると、少しでも本気で期待しているのなら、ちょっと人を舐めすぎではなかろうか。

 ただ、言うなれば宗教右派に対してすり寄る内容だけに、私がウィルソンに対して気にくわないと思っている点が濃縮されたような感じになっていて、個人的には、なかなか興味深かった。印象深かったところを数ヵ所抜粋する。

第二章 自然の位に上ること

 人工的な生態系の中だけの暮らしに満足する人々も多いことは事実でしょう。これは飼育動物たちも同じこと。飼育用のグロテスクに不自然な生息環境のもとで満足しています。私の気持ちをいえば、これは倒錯です。手の込んだ飼育場の牛となることは、人間の本性にかなうものではないでしょう。誰しもが、人を生み出した複雑で原生的な自然の世界を難なく旅することができてしかるべきです。私たちには、誰の所有地でもなくすべての人々によって保護される大地、私たちの太古の祖先たちの世界を境界付けていたのと同じ地平を変わらず維持しているような大地を、縦横に行く自由が必要です。人類誕生のころの人の心理を作り上げた驚異の感覚は、エデンの遺産ともいうべき、人の都合とは独立した、生きものたちの賑わいに満ちた世界の中でこそ、体験することが可能なものです。

 人間的でかつ適切に教育される科学的な知識は、我々の暮らしに永続的なバランスをもたらす鍵です。生物学者たちが、生命圏の豊穣についてより多くを学ぶほど、生物圏のイメージはより豊かで感動あるものになります。同様に、心理学者たちが人の心の発達についてより多くを学べば学ぶほど、自然の世界が私たちの精神と、魂に及ぼしている重力のような普遍的な力をさらによく理解することになるでしょう。

 この星との平和な暮らしを実現するために、そして人類相互の平和な暮らしを実現していくために、私たちはまだ長い時間を必要としています。私たちは、新石器革命を発動したおりに、道を誤りました。そのときから人間は、大自然の位置に上る(ascend to Nature)のではなく、自然の位置から離れ、上昇すること(ascend from Natrue)を目指してきました。しかし、自然遺産が与えてくれる深く満ち足りた恩恵を享受するために、これまでに手に入れた暮らしの質を失うことなく方向転換を果たすことは、まだ可能です。宗教の包容力、そして教導者たちの寛大さと想像力の豊かさは、聖書に十分に記されることのなかったこの大きな真実を理解する偉大さを、必ずや発揮してくださることでしょう。

 うーん、これだよこれ。人によっては「ポスト・キリスト教」と呼び、私がガイア教と呼ぶ、リベラル派と伝統的キリスト教的世界観のねじれた野合。素晴らしい考え方だ、間違っていることを除けば。

  祖先的進化環境へのESSとして適応してきたに過ぎないものを「人間の本性」などと呼んで善と同一視することがそもそもおかしい、ということをいったん脇に置いたとしても、ホモ・サピエンスという種は、すでに圧倒的に自己飼育化*2の産物である。

 今日、人々がアメリカで「手つかずの自然」と信じているものは、一万年数千年前に起きた人類の進出(参考)と、近代のヨーロッパからの大規模な生態系移植(参考)の結果である。

 そしてもちろん、アフリカ=ユーラシア大陸の「手つかずの自然」とは、人類とその他の生物の数百万年の共進化の結果でしかありえない。

 「人間の本性」とか「人間の都合とは独立した生きものたち」などというのは、ただ単に間違っているのではなく、間違うことすらできていない幻想である。

第三章 本来のいのちある自然とは何か

 ポストモダンの哲学者の中には、真実は個々人の世界観にのみ依存する相対的なものであり、大自然というような客観的な実在はないと主張する人々がいます。彼らは、自然という区分はある種の文化に発生した誤った二分法に基づくものであり、他の文化には存在しないものであると主張しています。私はそのような考え方を面白いとも感じますが、それも数分のこと。これまで私は、自然の生態系と人間の干渉を受けた生態系の非常に鮮明な境界を何度も横切ってきた経験をしており、生きた本来の大自然(Nature)の客観性を疑うことはできません。

 私は、いわゆるポストモダン哲学や極端な相対主義も嫌いだが、ここではそちら側に加担せざるをえない。

  • 「大自然というような客観的な実在はない」

 などということは、ポストモダン哲学者よりも、むしろ進化生物学者こそが、キリスト教者に対して訴えるべきことだろう。

 次の引用部分は、若干補足が必要だと思う。キリスト教の中には、

  • 自分たちが生きている間に今の世界には終末が訪れる、そして自分たちは素晴らしい天国に迎えられる

 という考え方が、今も根強く生きている。そのような考えの人は当然、持続可能性などには関心を持たない。ウィルソンは本全体を通してそれを危惧している。

第九章 否定とそのリスク

 パストール、私か最も恐れるのは、創造された生きた自然[the Creation 被造物]への破壊に、ほとんど何の危険も感じないような、宗教的・世俗的なイデオロギーの結びつきが蔓延していることです。以下は、生物多様性にほとんど重要性を認めず、人は大自然をますます離れてこそ益多い者なのであり、自然に向けて次元上昇[アセンド]するようなものではないとする意見を持つ牧師がいれば、こんなスピーチもするだろうと想像して、私か創作したものです。

 兄弟姉妹、やがて地上から消えていくものたちのために、嘆くことなかれ。生命は変化です。絶滅もまたときにはよきものです。私たちは生命の新たな次元として、人を祝福しましょう。「略取」された地球を、新しい生命圏として祝福しましょう。進歩の障害となる種は消滅するにまかせましょう。人の登場する以前も、生態系と種の変転は通常のことでした。人のさらなる利益のために、世界の生物多様性が貧しくなることがあるとしても、私たちヒトという種に危険はありません。資源が枯渇すれば、天才的な科学技術者たちが、新たな資源を見つけるでしょう。

 善き人々よ、宇宙に目を向けましょう。天国を見上げましょう。絶滅した動植物を、未来世代への苦き遺産と考えるのはやめましょう。わたしたちは、歴史的な建造物を保存するのと同じように、過去の形見として、自然公園を保存することができます。高度の生物工学的な技術によって新しい生態系を創造し、人の力で創造された生物種をそこに棲まわせることもできるでしょう。どんなにすばらしい生物が創造されていくか、まだ私たちは知りません。それはかつてないほど審美的な魅力に満ち、多方面で有用な、技芸の産物となることでしょう。古く、原始的な環境は、人の手によって作り出されるはるかに優れた環境に置き換えられていくのです。完全に人間化された環境、人間が自分自身で作り上げるパラダイスのもとで、かつてない繁栄を果たすこと。それは私たちの未来技術によって可能なことであり、神の摂理にもかなうことです。それが私たちの定めなのです。来たるべき世代、人々は在庫の化学物質を利用して薬剤を合成するようになるでしょう。遺伝的に改良された数十種の穀物種から食料を生産するようになるでしょう。持続可能なエネルギー資源をコンピューターで管理することによって、大気も、気候も制御されるようになることでしょう。この古き地球は、これまで数十億年(これは、六千年とするのが望ましいと言われるかもしれませんが)の間そうであったと同じように、自転を続けていくことでしょう。

 しかし、地球というこの惑星は、比喩ではなく、文字通りの存在として、宇宙船になっていくのです。宇宙船地球号の操縦室には、人類の最も優れた人材が配され、モニター画面を見つめ、ボタンを押し、私たちの航行を安全なものとしてくれることでしょう。

 ここにあるのは、地球で特別の位置を占める人間は、大自然の法則の外にあると考える、人間特例主義の哲学です。人間特例主義は、以下の二つの、いずれかの形をとります。第一の形は、先に例示したような、世俗的な形式です。コースを変える必要はない、人間の天才が解決策を見出していく、という考え方です。第二は宗教的な形です。コースを変える必要はない。何にせよ、私たちは神の手の中、あるいは神々の手の中、地球という業の中にあるのだと考える形式です。

 実を言うと、地球の未来に関する私自身の意見は、ここでウィルソンがあげている悪い例と、そう遠いものではない。もちろん、わざと馬鹿に見えるように書いてある部分を除けば、だが。

 第一、この本それ自体が、科学と宗教が協力して

  • 「宇宙船地球号の操縦室には、人類の最も優れた人材が配され、モニター画面を見つめ、ボタンを押し、私たちの航行を安全なものとしてくれる」

 ようにしよう、という訴え以外のなにものでもないではないか。

  • 「持続可能なエネルギー資源をコンピューターで管理することによって、大気も、気候も制御されるようになる」

 ことを敵視しながら、どうやって地球温暖化を解決しようというつもりなのか。

 ウィルソンがその程度のことも考えていないとは思わない。もしかしたら、これは宗教右派にすり寄るためのテクニックのつもりかもしれない。

 宗教右派自身の主張を、彼らが嫌っている「科学」の主張であるかのように見せかけて内部で離間させようとする、巧妙な藁人形論法のつもりなのかもしれない。

 しかし、実際にこの例のような考え方をする宗教者がいたとして、こんなレトリックで意見を変えるとは思わないし、変えたとしても別の馬鹿な考えに行き着くだけだろう。

 アメリカの現状を鑑みるに、宗教の力を借りたいという気持ちはわからなくはない。むしろ、大いにわかる。だからといって科学の方からこんなすり寄り方をするのは、元も子もなくす可能性が高い、危険すぎるテクニックに見える。

第十章 最後のゲーム

 人類のハンマーが振り下ろされ、第六の絶滅が始まってしまいました。人類によるこの破壊行為が停止されず継続すれば、回復不可能な激しい消失の過程は、今世紀末には中生代末の大絶滅のレベルに達すると予想されています。

(中略)

 先行する五回の大絶滅は、自然選択によって修復されるのに平均一〇〇〇万年を要しました。一〇〇〇万年のスランプをまた経験するというのは受け入れがたいものでしょう。人類は決断を必要としています。それもいますぐです。地球の自然遺産を保全しましょう。そうしなければ、未来の世代は生物学的な貧困の世界に適応していくしかありません。この選択を回避する道はありません。動物園や植物園に頼れないことはすでに説明したとおりです。空想的な著者の中には、最後の手段にかかわるアイデアをもてあそぶ人々がいることも承知しています。未来の再生を目指して、受精卵や組織を凍結する方法で数百万の現存種やさまざまな品種を保全しようなどと彼らは主張しています。あるいはすべての種の遺伝暗号を記録して、後日、そこから種の再生を目指そうなどとも主張しています。どちらの提案もリスクが高く、膨大な経費を必要とし、最終的には実のないものとなるでしょう。仮にそれらの方法によって、危機に瀕した地球の生物多様性がことごとく再生され、交配を通して集団としても再生され、二一世紀において「野生」と判定される領域への帰還を待つばかりになったとしても、その場において生存可能な個体群を個々に再構成していくことは、実行不可能というしかありません。生物学者は、複雑で自律的な生態系をゼロから組み立てる方法などまったく知らないからです。いずれ理解できる時が来るとしても、その時、人間による改造を強く受けてしまった地球の条件下では、もはやそのような再構成は不可能と判明するのではないでしょうか。

 人間特例主義者たちは、以上のオプションの先にさらに最後の提案を用意しています。いつの日か科学者たちは人工生物や種を創造し、それらを組み合わせて合成生態系を作り出すはずとの希望を持って、生命圏の貧困化など気にすることなくこのまま進もう、という主張です。未来の世代には、大自然の失われたニッチを再び人工生命で満たさせよう。たとえば人間を襲わないようにプログラムされたトラモドキ。トラモドキは人工的に輝き燃え、刺しも噛みもしないムシモドキたちの満ちる森林モドキの中を行く――というわけですね。仮にファンタジーの世界だけの話だとしても、人工的な生物多様性という発想には、以下の言葉が適切です。冒涜、堕落、嫌悪。

 以上に紹介した有効性のない諸提案は、残念ながらどれも実際に提案されたことのあるものばかりなのです。それらの夢はいずれも愚かなものです。いまという時代はサイエンス・フィクションの時代ではありません。常識をもって、以下のような処方に従うべき時代です。生態系と種を救うには、個々の種の独自の価値を一つ一つ理解し、それらの運命を左右することのできる人々を説得して、生態系と種のお世話役をつとめてもらうしかないのです。

 私は知らないが、科学者の誰かがそんな非現実的な提案をしたことはあるのかもしれない。だが、それが科学の世界で真剣に受け取られたり、ましてや広範な支持を受けたりしたことはないはずだ。

 これもまた前の引用部分と同じ、宗教右派自身の主張を、彼らの嫌う「科学」の主張と錯覚させようとする巧妙な藁人形論法にしか見えない。

  • 「人間を襲わないようにプログラムされたトラモドキ。トラモドキは人工的に輝き燃え、刺しも噛みもしないムシモドキたちの満ちる森林モドキの中を行く」

 という描写には、私はイザヤ書の一節を連想させられる。これはやはり、科学の言葉に置き換えられただけの、伝統的なキリスト教的自然観だ。

 今の世に「人間特例主義者」などと呼ぶべき人々がいるとすれば、それは、

  • 人間以外の自然は全て神に創造された完全なもので、悪や不完全さの全ては人間の罪に由来する

 という宗教的ドグマを無理矢理にでも維持しようとする宗教者と、それにすり寄る科学者であろう。

*1:まあ、もし自分が、確固たる信仰を持つアメリカ南部の牧師だったら……というのは、私に取ってあまりに大きすぎるif なので、まともな想像が可能とは思えないが。
*2:この単語でググってみたら何かトンデモくさいページばかり引っかかるが、最近『火の賜物』でも出たばかりの話だ。

おまけ

 この世はでっかい宝島♪

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2010 1/28

ニューエイジについてのキリスト教的考察

 ニューエイジが日本人にとって極めて理解しにくい理由は、それが基本的に西洋思想、とりわけキリスト教と近代科学に対するアンチテーゼだからだ。

 ある程度まで当たり前で、仕方のないことだが、日本人はキリスト教についてよく知らない。*1「○○」をろくに知らないのに「○○への反発」を正確に理解できるはずがない。

 そこを上手いこと補うために推薦できるいい本がないかとずっと探していたのだが、

 経由で知ってついに発見した。これは素晴らしい。まさか教会そのものが出しているとは思わなかった。灯台下暗しとはこのことだ。

 全体で170ページしかない薄さに、ニューエイジの基礎に加えて、「キリスト教とニューエイジそれぞれが、互いをどのように見ているのか」という、日本人にとって最もわかりにくく、かつ重要な部分が濃縮されている。

 ニューエイジ関係の話題――うちでもガイア教シリーズがもろに関わる――ちょっとでも興味がある人には最適の本だ。断然おすすめする。というかもはや必読。

 ただし、聖書に対する最低限の知識は前提として必要。たとえば「旧約聖書と新約聖書って何が違うんだっけ?」とか「ピラトって誰?」とか思うようなら、阿刀田高の「知っていますか」シリーズぐらいでもいいので、一通り予習してからにした方がいいと思う。

 また、教皇庁の手になるものなので当然立場はカトリックであるが、プロテスタントとの違いが重要になる局面はこのレベルではないので、あまり気にしなくていい。

*1:近代科学についてもよく知らないが、それは幸か不幸か――不幸に決まっているが――どこでも共通だ。

おまけ

 つながりわかる人いますか?

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2009 5/6

ヨーロッパをさすらう異形の物語〈上〉―中世の幻想・神話・伝説

 監修の池上俊一氏からたどり着いた本。こういう事典的なものをがーっと読むのも中世ファンタジーも大好きなのでわりとツボにはまった。目次の項目を並べてみるとこんな感じ。

  1. さまよえるユダヤ人 永遠という罰の重み
  2. プレスター・ジョン 朗報かそれとも悪い報せか
  3. 占い棒(ダウジング) なんでも見つけ出す魔法の棒
  4. エペソスの眠れる七聖人 復活する死者
  5. ウィリアム・テル 本当はいなかった弓の名手
  6. 忠犬ゲラート 命の恩人は動物だった
  7. 尻尾の生えた人間 「よけいなもの」か「必要なもの」か
  8. 反キリストと女教皇ヨハンナ 悪しき者たちへの恐怖と期待
  9. 月のなかの男 いまもそこにいる理由
  10. ヴィーナスの山 戻ってきた者はひとりしかいない
  11. 聖パトリックの煉獄 足を踏み入れた者たちの証言
  12. 地上の楽園 それはどこにあるのか
  13. 聖ゲオルギオス 残酷な拷問とドラゴン退治
  14. 聖ウルスラと一万一千の乙女 偽りだらけのくだらなくて愚かな物語
  15. 聖十字架伝説 けたはずれの創造力
  16. シャミル 虫や石に宿る謎めいた力
  17. ハーメルンの笛吹き男 誰もが知っている伝説の正体は?
  18. ハットー司教 ネズミに食い尽くされた強欲の司教
  19. メリュジーヌ 裏切りは別れを招く
  20. 幸福の島 聖なる場所は西にある
  21. 白鳥乙女 詩人に愛された美しい鳥
  22. 白鳥の騎士 素性をたずねてはならない
  23. サングリアル(聖杯) 聖なる器の伝説
  24. テオフィロス 悪魔と契約した司祭

 ハーメルンの笛吹き、ウィリアム・テル、ダウジングあたりまでは聞いたことがある人の方が多いと思われるが、それ以外となるとあまり知られていないのではないだろうか。

 古代インドまでさかのぼるいわゆるアーリア系の神話伝承や、キリスト教以前のいわゆる異教の信仰が、キリスト教化されて取り入れられているというケースが非常によくあるのがわかって面白い。

 人間の心を捉えるファンタジーというのは、いつの時代もそんなに変わらないものなのかもしれない。いつの時代も変わらないと言えば、初版は1866年というものすごいロングセラーらしい。

おまけ

 いつの時代もつながり。

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2009 4/6

なぜ私だけが苦しむのか―現代のヨブ記 (岩波現代文庫)

 最近読んだ本の中で連続して目にしたため、有名な本らしいから読まなければと思っていた。ちなみにその一つは『ヤバい経済学』の増補改訂版だったような気がするがまた記憶違いかもしれない。

 まずヨブ記そのものについて多少の知識が必要なので、まったく知らない人は、その概要と意味合いについて昔読んだ下のエントリを参考にしてほしい。

 邦題はひどい。原題は“When Bad Things Happen To Good People”(『善良な人に悪いことが起きるとき』)で、全くニュアンスが伝わっていない。

 テーマは『破綻した神キリスト』と同じで、結論も似たものである。要は、世界の現実を、こじつけっぽい無理な解釈をせずありのままに受け取るなら、

  1. 神は全能である
  2. 神は正義である
  3. ヨブは善人である

 の三つ全ては同時に成立しえないということだ。

 3を否定することは、ヨブあるいは一般に不幸に遭った人々を神の名を借りて責めることになり、これは受け入れがたい。残り二つのうち、2を否定するよりは1を否定する方がまだしもマシな気がするので、1を否定する。

 全能の神を信じなくなったことをバート・D. アーマンの方は棄教と表現しているが、H.S.クシュナーはそうはせず、善の神を信じることの方を強調している。私には、両者の違いはその程度に思える。

 冷めた見方では、やはり豊かで平和な現代先進国の暮らしでは苦難をよしとするような信仰は流行らない(参考)、というだけのことなのだろうか。

おまけ

 シャーデンフロイデについて言及があった(マジ)ので。

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2009 1/22

ダークナイト 特別版 [DVD]

 珍しくポッドキャスト。なかなか良かった。『地球が静止する日』のところでも触れた、ハリウッドをはじめとする欧米文化の中によく現れるキリスト教との関連がテーマ。知っておいて損はない話だと思う。話題として登場した作品の中で私の一押しは『フランケンシュタイン』かな。小説で泣いた数少ない経験のひとつだ。

関連作品

おまけ

 神か悪魔かDr.ライトNo.TASワープマンの大活躍。

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2008 12/22

破綻した神キリスト

 『捏造された聖書』の著者の本。こちらはそこまで面白くはなかった。極東ブログの書評が非常に詳しく、私もほぼ同意できるのであまり書く事がない。

 ヨブ記がどんな話かとか黙示思想がどんなものかとかをあまり知らない人の方がむしろ新鮮で面白いかもしれない。黙示思想は今でもこんな形で現れたりするものだし、知っておいて損はないと思う。

 ただ、これに関連して『多様化世界』の記事で予告していたフリーマン・ダイソンの神学についての話を思い出したので、この機会に概略だけ先に書いておきたい。

 ダイソンの自伝『宇宙をかき乱すべきか』によると、彼は「神も完全な存在ではなく成長過程にある」という珍しい派の神学に近い考え方を持っているそうだ。それでも、彼は紛れもなくキリスト教の神・造物主を信仰している。なんと言ってもテンプルトン賞をもらってしまうぐらいである。

 彼のような考えでは、世界に苦しみが存在する理由は平たく言えば「造物主が宇宙に最大の多様性を実現させるために必要な試練であるから」ということになる。もちろん私を含む最初から信仰を持たない人間には、これは馬鹿げたことに感じられるであろう。

 苦悩、あるいは私たちがそう呼ぶところの脳神経の働きなどはパンダの親指同様に、そしてもちろんその他のありとあらゆるものと同様に、単に進化の産物のひとつにすぎず、この宇宙がそのような進化を可能にするような複雑な宇宙であることにも弱い人間原理以上の理由はない、少なくとも必要とされないだろう。(この辺参考)

 ただし、最大の多様性(より正確にはおそらくマレー・ゲルマン言うところのEffective Complexity:実効複雑度あるいは実効複合度)をこの宇宙に実現させることを目標と考えることは、造物主の意志を持ち出さずとも無意味ではない。

 無意味どころか、私には非常に悪くない考え方だと思えるのだ。およそ善や正義や普遍的価値に関する、これまで試みられた他の全てを除けば最悪の考え方と言っていいのではないかというぐらいに。

参考リンク

関連図書

おまけ

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2008 8/26

捏造された聖書

 これはとても面白かった。超おすすめ。

 しかし、邦題があまりにひどい。これではどう考えてもトンデモ本にしか見えない。finalvent氏のところで見かけてなかったら絶対手に取ってないぞ。

 訳者あとがきに

 本書はバート・D・アーマン著『イエスの誤引用――聖書を改変した人々とその理由の背後にある物語』(Misquoting Jesus: The Story Behind Who Changed the Bible and Why, HarperSanFrancisco, 2005)の全訳です。邦題は『捏造された聖書』と、ややスキャンダラスで陰謀論的な香りのするものになりましたが、一読された方にはお判りの通り、内容は実に健全かつ学術的で、スタンダードな現代聖書学の成果を解りやすく伝えるものになっています。昨今話題の『ダ・ヴィンチ・コード』などとは一線を画する正統派の著作でありながら、ある意味ではキリスト教二千年の知られざる暗部を冷徹に暴露する興味深い内容、しかも記述は明快で具体的、かつユーモアに溢れているという、まさに至れり尽くせりの良書と言えるでしょう。

 とあり、訳者も認識しているようだから、出版社の意向だったりするのだろうか?

参考リンク

おまけ

 コピペも二千年生き延びれば学術の対象になるか。

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2008 1/26

針の上で天使は何人踊れるか―幻想と理性の中世・ルネサンス

第15回】 【目次】 【第17回

 今回からガイア教理解の最大のポイントの一つとなるキリスト教理解のため、『針の上で天使は何人踊れるか』を教科書にして話を進める。

監修者まえがき 奇態なるヨーロッパ 池上俊一

 歴史は私たちが生きていく上での教師である。私たちが遭遇するような出来事は、大抵、過去の人々がすでに体験済みで、苦労して解決法を見出してくれているか、そうでない場合でも、結果は顕然と現れている。分かっていてもおなじ過ちを繰り返すのが人の性であるとすれば、過去の事例を鑑にし踏みとどまって熟考してみる効用は、計り知れまい。未曾有の出来事に際会したときでさえ、今後の成り行きの予想を可能にしてくれるような事例が見つかることは、稀ではない。

 ガイア教はおそらくまだ多くの人――特に日本人のほとんど――がそう思っているような、ありきたりな動物愛護問題とか海洋資源争いとか環境保護問題じゃない。私の見る限り、間違いなく未曾有の事態だ。

 しかしまた、人の性によって何度でも繰り返される同じような事態に過ぎないとも言える。未来へのヒントは過去の歴史の中にちゃんと隠されている。

 本書『針の上で天使は何人踊れるか』には、ヨーロッパ中世末から近世にいたる奇々怪々な出来事が天こ盛りである。金色の巻き毛の十歳くらいの美少年姿の天使が、足が麻痺し長年歩けず苦しんでいた女を奇跡的に癒す。人間の子供を殺した豚の親子が裁判に掛けられ、母豚が絞首刑に処せられる。死者の霊魂が生きている人を訪ねに来て、頼み事をしたり来世からの伝言を伝えたりする。リンゴに悪霊が取り憑いて、奇妙な音を響かせる。魔女が空を飛んで、サバトで醜悪なる乱行を繰り広げる……いずれも、今では到底信じがたいことだ。

 ドルフィンセラピーとかイルカセラピーって聞いたことあるか? 私はいつも、文字列を見るだけでも自分の髪の毛掴んでまとめて引きちぎりたくなるぐらい腹が立つんだわ。だって自閉症の子供が治ると信じて大金払ってこういうのに通わせている親が世界にはきっと何千組・何万組といるんだぜ。*1

 テレビではオーラがどうとかスピリチュアルがどうとかいう番組が大人気で、学校では水は人のかける言葉に反応して結晶の形を変えると教える教師がいるのが21世紀だ。今からもう500年ぐらいたった未来世界に住む人間は、中世と現在のどちらをより信じがたい奇妙な時代と見なすと思う?

 あるいは学識あるエリートたちが甲論乙駁するその議論も変わっている。たとえば、天使には性欲はあるのか、また針の上には何人の天使がその足で立てるのか、地獄の炎は焚きつけたり燃料を補給する必要はあるのか、人間の狼への変身が悪魔による策略で外見のみが変わるのなら、どうして「狼男・狼女」は実際に俊足で凶暴になり、狼よろしく遠吠えしたがったのか……といった類のバカバカしい議論に、知識人が血道を上げたのはなぜだろうか?

 「現代では学識あるエリートたちはそんなバカバカしい議論に血道を上げてはいないから大丈夫! やっぱり昔と違うよ全然違うよ!」と思うだろう。今のうちにせいぜい幸せな幻想を楽しんでおくがいい。

 魔女信仰と妖術の諸慣習、神・悪魔・天使・悪霊。死後の世界についての悪魔学者や神学者たちの議論など、奇態なエピソードがオンパレードで、おどろおどろしさにやや辟易しながら読み進めていくと、(中略)プロテスタントとくにイギリス・アメリカで展開したピューリタンへと、話柄は急かされるようにして収斂していくのである。自由を求め人権思想をも抱懐した彼らが、なぜ災いのパンを食してことさら苦難をよしとしたのか。また相手が「同胞」のときにはたとえその男が泥棒に手を染めても寛容な処遇を求めるのに、なぜ「敵」となると常軌を逸した不寛容な態度を取るのか。ピューリタンをこの一見矛盾した態度へと駆り立てた精神のあり方の解明へと、著者は筆を進めていくのである。

 そして著者は、この精神が十六世紀イングランドの特異な状況で生まれたことを明らかにしていく。

 最近のニュースでオーストラリアがクローズアップされてはいるが、捕鯨反対で一番不寛容で強硬なのはイギリスとアメリカの、しかも政治的にはリベラルに属する人々だ。*2不思議に思っていた人も多いだろう。まだ不思議に思っているか? おそらくもうすぐ不思議とは思わなくなるだろう。

 神の掟に忠実な熱狂的信徒は、カトリックを復活させようともくろむ一党とはもちろん、あまり熱心でない信徒とも対立を繰り返した。彼ら熱烈な信徒らは国内外の敵から脅かされていると感じ、自分たちをこの世の戦場に生きる兵士だと自認していた。彼ら襲う苦難は神が彼らを試しているのであり、歴史を赤く染めている苦難を求めるキリスト教の実践を、今度は彼らが引き受ける番だとされたのである。

 「シーシェパードの船の船長が捕鯨船の場所を教えてくれないとグリーンピースの誰かを非難した。」というようなニュースを最近読んだのを思い出す記述。ちなみに太字による強調は私によるもの。以後も同様。

 きっと日本の陰謀論者たちは「あんなの偽装対立だよ! シーシェパードがグリーンピースから分離独立したのは自分の手を汚さずに実力行使できる別働隊が欲しかっただけだよ! 裏ではみんな結託して日本を陥れようとしてるんだよ!」みたいに考えているに違いない。

 私はもちろんそんな団体の裏側なんか全然知らないが、たぶんそれは全然違うよ。彼らが分裂したのには、もっと単純な解釈があるだろ?

  • 「クジラは捕鯨船を爆沈してもよいぐらい神聖なのか? それとも捕鯨船を爆沈してはいけないぐらいの神聖さなのか?」*3

 という重大な問題に関して、どうしても意見が合わなかったんだよ。神学論争ってのはそういうもんだ。

 またキリスト教会が破壊の憂き目に会っているのは、「最後の審判」が近づくにつれて悪魔とその協力者が暴戻のかぎりをつくすからであり、神との平和は、この世と戦争してのみ手に入れられるのだなどとも信じられた。

 いくらお前ら陰謀論者でも――というか、だからこそ――シーシェパードにとっての「暴戻の限りを尽くしている悪魔とその協力者」って誰のことか、もうわかってるよな? わからなかったら鏡を見ろ。

 で、お前らは何か陰謀に関わってるか? ないよな? どう考えても誤解だろ? ある意味では彼らも立派な陰謀論者なんだ。*4陰謀論者同士ちょっとぐらい相互理解に努めてみる気はないか? 私ができる限りお膳立てするから。

 こうした切迫した信仰世界に生きるピューリタンたちにおいては、悪魔のごとき「敵」に対してはいかなる残忍な仕打ちも許されるどころか、残忍な仕打ちこそ唯一の正しい信仰を守るための義務なのである。宗教改革・宗教戦争に際しては、敵陣を「異端」と呪い、その指導者を悪魔の申し子とし、裁き迫害するのが、真摯な信仰の表現であり、一五二〇年代以降、権力者によって、何千もの信徒が、カトリック・プロテスタント双方で死刑にされることになった。この時代「敵」への寛容とは、真実の信仰に無関心な、それこそ罪深い態度だった。平然と、いや清明の気をもって蛮行におよぶのが、信仰者としてのあるべき姿だったのである。

 著者は、こうした敵=他者を悪魔化しその殲滅を願う敬虔なる精神が、近世よりさかのぼることはるか以前、十一世紀前半における群小異端の火刑から連綿とつづいて、宗教改革・宗教戦争へといたったこと、いやそればかりではなく、こうした精神は現在只今の世界にもどっこい腰を据えていることを指摘するのである。その結果、たとえばアルカイダらイスラーム原理主義とアメリカのキリスト教原理主義の隠然たる力、そして「文明の衝突」と言われる事態は、はるかな始祖を近世に、いや盛期中世にもっていることが明かされるのである。

 それでだ、シーシェパードのことを「イルカイダ」とか言って笑いものにしてるお前らに聞きたいことがある。今回ばかりはお前らがいつもやってるのと違ってただの下品なレッテル貼りに留まらず、一抹の真実*5を含んでしまっているということを、わかって言ってるんだろうな?

 私はシーシェパードは全然怖くない。彼らの考えるようなことは手に取るように分かっているし……なんたって日新丸に乗ってないからな。

 だが、お前らの脳天気さはちょっと怖い。まるで本物の手榴弾をおもちゃと思って投げ合って遊んでる幼稚園児を目撃するような怖さだ。何度も言っているように必要以上に怖がる理由もまったくないが、必要な分だけは怖がってくれ。

 いいか? たとえ今や、自らのパロディ化されたミニチュアのおもちゃみたいに成り果てているとはいっても、彼らは間違いなく「本物」なんだ。ほんの二、三十世代前には聖戦の戦士だった者たちの直系の精神的子孫なんだ。今南氷洋で起きてるのは、どんなに規模が小さくたって「本物」の宗教戦争なんだ。

 歴史を(私の考える)正しい尺度で見るなら

  • 「なんで彼らは臭い液体入りのビンを投げつけてくるんだろう?」

 と不思議がるのはまったくバカげている。私たちは、どちらかといえば

  • 「なんで捕鯨船の乗組員がとっくに火焙りにされてないんだろう?」

 と不思議がるべきなんだ。*6

 お前らがまだ「圧力に屈したら食文化が死んじゃうよ!」ぐらいの気持ちでいるのなら、脳まで胃袋になっていないか疑うべきだ。比喩でもなんでもなく人が死んじゃうような話なんだよ。

 明日そうなっても、お前らは驚くかもしれないが、私は驚かないぞ。どんな意見を持つのも勝手だが、おもちゃにするのだけはやめてくれ。*7

 過去や外国の風俗慣習について、私たちは、「なにこれ」「どうしてこんなことになるの」という奇異の念を抱くことがしばしばあろう。それを迷妄だとか異常だとか言って済ませてはならず、それなりの「合理性」があったことを文化的・社会的な状況を考慮しながら理解する努力は、現在の自分たちの社会で当たり前に通用している考え方や習慣も、未来の人々や外国の人々にはおなじように突飛で奇異だと思われうるのだと、たえず心に留めておく態度にもつうじよう。

 これは、言ってみれば、歴史を「文化人類学」的に捉える効用でもあろう。つまり、未開人はもっぱら呪術の世界に浸っていたのではなく、自然の力と超自然の力をともども認識し、普段は確実な知識に基づく合理的な手段で自然に対処していたが、あらゆる努力も知識も凌駕する不可知の影響力を統御するときに、呪術に頼った。

 文明社会も実は同様なのであり、理性と神秘の境界線の位置や知識の体系のあり方、それらと社会の仕組との関係が異なっているだけなのである。こう考えることによって、私たちは、ある社会の人間たちが周囲の物事を理解する「過程」を意識するようになれる。

 ここめちゃくちゃ重要。しかと頭に刻みこんでおけよ。できれば太字部分を印刷してモニタの前にでも貼っておけ。もうすぐ嫌というほど実例を見ることになる。

 本書が鳴らす警鐘は、欧米人のみならず現代日本人にも向けられている。自明の理に見えて当然と思われることがかならずしも正しいわけではない。現代の生き方に含まれる価値について理解を深めるためには、異なる時代・社会で選択された価値を振り返って見る必要がある。(中略)たとえば将来の社会のあり方を決めるために意志を表明する機会を与えられたときに、「日本人なんだから当然だ」という政治家の口にする無意味な惹句に足を掬われないためにも、こうした考えを身に着けたいものである。

 そうだぞお前ら。イルカが人間より頭悪いなんてありえんだろ。何考えてんだ? クジラを食べるとかジョークにしても限度があるだろ。頭おかしいんじゃねえのか?

 そうじゃないと思うなら「日本人なんだから当然だ」以外の根拠が何かあるんだろうな? 何もないならただの国粋主義者とバカにされても文句は言えないぞ。

*1:もっともトンデモ医学が星の数ほどある中で、これだけが特にむかつくのには明らかに私の偏見が含まれるので、同意を求めようとは思わんが。
*2:勘違いしている人がいそうだが、シーシェパードはオーストラリアではなくアメリカの団体である。
*3:シーシェパードはすでにアイスランドの捕鯨船を爆破沈没させている。日本しか攻撃していないと言いふらす人がいるがそれは嘘だ。
*4:参考:陰謀論は現代の宗教 神は細部に宿り給う
*5:あくまで一抹程度である。ガイア教とイスラームにはユダヤ・キリストと続くアブラハム宗教の同じ系譜に連なる、ということ以外の関係はない。イスラームがガイア教に直接関係している形跡は、予想に難くないことだが、まったくない。シーシェパードをアルカイダと一緒くたにするのは、少なくとも現時点では不当だと思うし、アルカイダはアルカイダで、獣を拝んで大地母神の霊を信じる異端の極みみたいなのと一緒くたにされたら怒り狂うだろう。
*6:なんでだと思います? まったく冗談抜きで、試しに答えてみて下さい。
*7:「お前が一番おもちゃにしてるだろ!」って言われそうだが、私はいたって真剣に楽しんでいる。この世にこんなに面白いものはそうはない。おもちゃだなんてとんでもない。次の次あたりで詳しく述べる。

第15回】 【目次】 【第17回

おまけ

 極みという単語からこれしか連想できない体になってしまった。どうしてくれる。

by 木戸孝紀 tags: ブックマークに追加する