2008 6/9

人間の測りまちがい 上―差別の科学史 (1) (河出文庫 ク 8-1)

 RUMさんのコメントで知りました。今までネット上ではほぼ入手不可で、図書館で借りるか古本屋で探すしか読む方法がなかったので、以前から復刊を願っていましたが、実現した形で非常に喜ばしいです。ぜひこの機会に読んで下さい。

おまけ

by 木戸孝紀 tags: ブックマークに追加する

2007 12/25

(本文とは無関係)

 手本、つまり手引き書のことをマニュアル(manual)と言いますな。手動操作のことをマニュアル操作とも言います。手の爪に塗る化粧品をマニキュアと言いますが、もしかしたら「マニ」の部分が「手」という意味なのかいなと考えざるを得ませんな。

 実は本当にそうで、ラテン語の「手」manusに由来するらしい。

 足の爪に塗る化粧品はペディキュアだから、「ペディ」はたぶん「足」だろう。「足で操作する」に当たる言葉はあるのかな。あるとしたら……ペデュアル? なんだそれ?

 う〜ん、ペデュアル……ペデュアル……あ、「ペダル」か。

 語源の話はなかなかに面白いものだ。記憶が混乱してなければグールドのエッセイからの受け売りだけど、なんの脈絡もなく思い出したのでメモ代わりに。

おまけ

 足というか足腰が。

by 木戸孝紀 tags: ブックマークに追加する

2007 12/23

神と科学は共存できるか?

 『神と科学は共存できるか? 』と『神は妄想である』の話も書きたいのだけどまだ書けてない。

 本全体の主題とは関係なく、この「ミシガンのネズミ」という言葉は、これまでネット上の論争などを見ていてたまに言いたいと思っていた概念を簡潔に言い表す言葉として使えそうだからメモっておく。

 広範な一般化はつねに、その境界に例外や「しかしながら」という微妙な領域を――主要な問題点の説得力を無効にすることなく、また傷つけることさえなく――含むものである(私の仕事である自然史ではこの現象を、誰かが一般的な進化原理について主張すると、必ず部屋の後ろから甲高い声で異議を唱える分類の細部の専門家に敬意を表して、「ミシガン産のネズミ」とよく呼んでいる――「なるほど……しかし、ミシガンにはこんなネズミがいて……」)。

 専門家の間では、例外や「しかしながら」に注意が向くことは適切である。例外や「しかしながら」は、学問を刺激して最高水準にまで高める興味深い細部なのだから。(たとえば、進化理論の私の同僚たちはいま、ある限定された程度のラマルク的な進化がバクテリアの一定の現象においては起こっているのかどうかをめぐって、極めて健全な論争に関わっている。しかしながら、この問題がどれほど魅力的で強烈であっても、進化の事柄の一般的な成り行きではダーウィン的なプロセスが支配的だという、証拠がよくそろった結論に変更をもたらすものではない)。しかし、専門家が境界におけるぐちゃぐちゃしたことに強い注目を適切に向けることが、中心的な原理への同等に有効な広いスケールの注目に異議を唱えたり、それを脱線させたりするものであってはならない。

おまけ

 ネズミ繋がり。なんで消されないんだろうこれ。

by 木戸孝紀 tags: ブックマークに追加する

2007 11/4

神と科学は共存できるか?

 誰だつまらないとか感心しないとか言ってるのは。十分面白いじゃないか。まあ確かにグールドの本の中では、一番つまらないのは認めざるをえない。個人的には『2000年問題』よりは面白かったが。

 しかし、題材が題材である。なんと言ってもこれは何百年も前から確立している道徳原則と科学哲学の再確認に関する本なのだ。およそ本の題材として――何の題材としても――これ以上つまらないものがこの世にあろうか。

 思えば私の人生で出会った本の中で最もつまらなかったものは小学校の道徳の教科書だった。*1将来アニメや特撮に出てくるような悪の組織を作ってこんな死ぬほどつまらないものを子供に強制しようとする大人をみんな怪獣の餌食にしてくれるわと子供心に誓ったものである。

 なんだか話がずれたが、普通に書いたらそれぐらいつまらなくなっても全然おかしくない話題なのである。これを曲がりなりにもここまで面白く書けるというのはやはりグールドはただ者ではない。

 冒頭の2ページ分がちょうど全体の趣旨の説明としてふさわしいと思うので引用しておく。

 私がこのささやかな本を書くのは、あるひとつの問題に対する幸いなほど単純、かつ、まったく平凡な解答を述べるためである。どんな問題も、感情と歴史の重荷に苦しめられすぎると、明瞭な筋の通った小道が論争と混乱のもつれで藪に覆われてしまうことがある。私が本書で取り扱う問題とは、「科学」と「宗教」とのあいだにあるとされている対立である。この論争は、人々の心と社会的な実践のうちにのみ存在するのであって、科学と宗教という互いに全く異なり同等に大切な主題の論理や適切な有効性のなかに存在するものではない。本書で述べることは基本的な議論であって、私の独自の見解は何一つ加えていない(ただし、例を選ぶのは若干の工夫をしてみたい)。なぜなら本書での議論は、科学界と宗教界の指導的な思索家によって、何十年も前から認められてきた確固たるコンセンサスに従っているからである。

 私達人間には、物事を総合したり統一して考える傾向がある。しかし、それゆえに、しばしば見えなくなっている問題がある。それは、私達の複雑な人生における切実な問題の解答は、多くの場合、原理に基づく敬意を伴う分離、という正反対の戦略の中に見つかるということであうる。

 善意の人々は、科学と宗教が平和的に共存し、私達の現実の生活と倫理的な生活を、ともに手を携えて豊かにしてくれることを願っている。この尊重すべき前提から出発して、互いに協力して活動するのだから方法論と主題も共通しているはずだ、という誤った推論がしばしばなされている――なんらかの壮大な知性の枠組みが、たとえば信仰というものの知りうる事実の部分を自然に組み込むことによって、あるいは宗教の論理を無神論を不可能にするほど無敵なものに作り上げることによって、科学と宗教はひとつになるだろうと思いこんでしまう。

 しかし、人間の身体を維持するには食べ物と睡眠の両方が必要なように、どのような全体も適切に維持されるためには、それぞれ独立した部分の本質的に異なる働きに頼らなければならない。現代的な多様性を謳歌する隣人達の暮らす数多くのマンションで、それぞれが各自の一生を充実したものにしていかねばならないのである。

 私には、科学と宗教が、どのような共通の説明や解析の枠組みにおいてであれ、どうすれば統一されたり統合されたりするのか理解できないが、しかし同時に、なぜこのふたつの営みが対立しなければならないのかも理解できない。

 科学は自然界の事実の特徴を記録し、それらの事実を整合的に説明する理論を発展させようと努力している。一方、宗教はといえば、人間的な目的、意味、価値、――科学という事実の分野では、光を投げかけることはできるかもしれないが、決して解決することのできない問題――という、同等に重要であり、しかしまったく別の領域で機能している。同じように科学者も、自分たちの営為に特徴的な、何らかの倫理的な原則に従って仕事をしているはずだが、この原理の有効性を、科学によって発見される事実から引き出すことは決してできない。

 この本はドーキンスの『神は妄想である―宗教との決別』とセットで語られることが多い。

 2人の意見の違いはいつものように些細であると同時に本質的でもあり、見比べてみるととても面白い。セットで読むことをおすすめする。

 ちなみに私はこの問題については100%グールドを支持するが、これらの本が主に英米の読者を想定して書かれているために、日本では非常にわかりにくいこと、および、むしろドーキンスが普通でグールドが過激なことを言っているかのように見えてしまうことがあり得ることを承知している。

 しばらくは機会があるごとにこの2冊と周辺の話題について書いていくことにしたい。

*1:今考えると「道徳の教科書」というものはなかったはずなので、副読本か何かであろうが。

おまけ

 ひいいい! 後ろに誰かいるっ!!(笑) これは面白い感覚。

by 木戸孝紀 tags: ブックマークに追加する

2007 10/14

神と科学は共存できるか?

 amazonからのメールおすすめが初めて役に立った。予約注文しとこう。

 ドーキンスの『神は妄想である』の中で『千歳の岩』という名前で批判的に言及されていた本だ。

 原題が『ROCKS OF AGES』だから直訳としては千歳の岩で正しいが、さすがにわかりにくすぎるということで邦題がこうなったんだろう。

 実をいうと『神は妄想である』はもうだいぶ前に読んだのだが、どう言及すればよいものか迷っている。

 ドーキンスの激しい一神教批判は100%正しいと考える一方、では宗教に対してどういう態度を取るべきかという部分にはあまり賛成できないからだ。

 もとより微妙な問題なので、誤解を招かずに書くには相当な分量が要りそうだ。

 ドーキンスはその部分で、グールドの宗教に対する態度、つまりドーキンスから見れば妥協的であり過ぎることに対して、かなり強烈な批判をしていた。

 まあ確かにそうだ。こんなことを言う人間が人格的な神など信じているわけがない。グールドがキリスト教に対して理解を示しているとすれば、間違いなくある意味で妥協であり誤魔化しである。それは確かだ。

 にも関わらず、宗教に対する全体的な態度として、私はドーキンスよりはグールドに近い。この本はちょうどその部分をクローズアップしたものなのであろうから、ちょうど読んでみたいと思っていたところだ。

おまけ

by 木戸孝紀 tags: ブックマークに追加する

2007 10/11

暦と数の話―グールド教授の2000年問題

 365番目のエントリなので、暦にちなんだ本を紹介。

 グールドは進化論関係ばかりでなくてこんなのも書いている。サヴァン症候群の息子に触れている部分などは、他の本では見られなかった彼の側面が見られて面白いだろう。

 日頃なにげなく使って当たり前だと思っている年月日、曜日の概念にも様々な歴史があることがわかって少し違った気分で生活できるようになるかもしれない。

参考リンク。

おまけ

 脳の顔認識能力の暴走。

by 木戸孝紀 tags: ブックマークに追加する

2007 9/18

パンダの親指〈上〉―進化論再考 (ハヤカワ文庫NF)

 紙を整理していたら昔メモったものが出てきた。

 収録の本がどれだったか思い出せないがジョー・ディマジオの連続安打の話の最後の部分であるのはほぼ間違いない。

 何かで言及する機会がありそうだからここに書き写しておこう。

 ある生物種の歴史や、混沌とした世界で途切れずに続いてゆくことが必要なあらゆる自然の現象は安打の連続記録のように進んでいる。全ては限られた賭金で無限の資産を持つ親に立ち向かうギャンブラーの賭なのである。このギャンブラーは結局は破産してしまう。彼の目的はただ、できる限り長くその場にいて、そこにいる間くらいは楽しく過ごすことであり、もしその上、偶然にも道徳の行使者となったなら、威厳をもって最後まで頑張ろうと努力することなのである。

おまけ

 いつぞやのボーカロイドの続編がえらい大人気らしい。

by 木戸孝紀 tags: ブックマークに追加する