2010 11/24

子ども兵の戦争

  『ブラッド・ダイヤモンド』から連想して借りてきた少年兵問題の本。

 少年十字軍みたいな集団狂気や末期のヒトラーユーゲントみたいなヤケクソはあれど、あくまで例外であり、有史以来古今東西を問わず子どもが軍事に関わるのは常にタブーとみなされていた。

 しかし、今子供兵はかつてなく増えている。現代の紛争地域では、正規軍の装備や練度も大したことないし、狙いがソフトターゲットであることも多く、軽くて取り扱いの容易なAK-47一挺持った子どもで十分役に立ってしまうのだ。

 それどころか、誘拐・洗脳で簡単に徴集できるし、死の概念が未発達なので死を恐れず、自爆も辞さないし、報酬も欲しがらない。敵も見落としたり躊躇したりするし、むしろ大人より都合が良かったりする。

 どう見ても最悪の人権侵害だし、地域の復興にも大変な障害となるが、公式にはいないことになっているので皆存在を否定するし、すぐに死ぬか成長していなくなってしまうので、なかなか目に入りにくくなってしまっている。

 うーむ、大体知っているつもりだったが、改めてひどい話だ。非常におすすめ。私が一点強調するとしたら、人間は「合理的」でインセンティブ次第で何でもやるのだ、ということかな。

参考リンク

おまけ

 小さな大量破壊兵器つながり。

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2009 6/10

(本文とは無関係)

 クイズ。政治経済の教科書に載っている言葉です。○の中身を埋めて下さい。

 字面や字数ではなく内容から考えてほしいので、○の数は実際の字数と同じとは限りません。しかし、そう離れてもいません。

 現在かなり忙しいので、もしかしたら解答は何週間も先になるかもしれませんが。

おまけ

 なんのヒントにもなりません。

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2009 5/28

人間の境界はどこにあるのだろう?

 詳しくはshorebirdさんのところを参照してほしいのだが、私も長谷川眞理子先生訳と書いてなければ手に取らなかったような気がする。内容的にも訳者あとがきのところが一番有益だったような。

 どうも『ゲノムと聖書』に似たような「西洋思想の枠組みからは絶対に出ないぞ!」というマイナスの決意みたいなものがちょっと鼻に付く。

 『ゲノムと聖書』同様に、最初からキリスト教と西洋思想の伝統にしがらみがない人には大いに価値が薄れると思う。この分野には、

 と、先におすすめすべき本が沢山あるのでまずはそれらから。

おまけ

 人間の境界→不気味の谷現象……ってレベルじゃねーぞ。(ある意味ホラー注意)

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2009 5/15

生きながら火に焼かれて (ヴィレッジブックス)

 “名誉の殺人”を有名にした何年か前のベストセラー。存在は知っていたがやっと読んだ。

 男女平等と女性の社会進出は、先進国でこそある程度当たり前のようになってはいるが、まだまだ女は産む機械で奴隷で家畜以下の扱いという地域はいくらでもあるわけだ。

 こんな女性向け婚活サイトの命名ごときで絶賛炎上中の日本は暢気でいいなあ。

 なんて思ってたら全世界に発信されちゃってるし。「日本では男の子が家畜扱いされているのか許せん!」という誤解を招いて国際問題に発展……するわけねえか。

 そんなしょうもない妄想に逃げ込みたくなるほどの悲惨な現実。もちろん読んでいて楽しくはないですが一読をおすすめします。

関連図書

おまけ

 全部ゲームの話だったらいいのに……。

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2008 7/27

HELLSING 9 (9) (ヤングキングコミックス)

「ウェットとドライ」

 だが、大臣が「日本の生命観は自然と共生であり、日本人はウエット」という持論を話し出したあたりから、分からなくなってきた。「死刑廃止論はドライでかさかさした人たちの考え。人の命を奪ったんですよ。何人奪っても死刑がない、そんなドライな世の中に私は生きたくない」

(特集ワイド:死刑執行13人 鳩山法相の死生観 – 毎日jp(毎日新聞))

 さて、鳩山法相の言うウエットドライは普通の用語では何のことだと思う? たぶん言っている本人もよくわかっていないことだが、これは多神教一神教のことだ。

 大臣は、日本人は木や石などすべてのものに神をみるアニミズム(汎神論者)と考えている。「すべての命を大事にする文明だ。すべてと共生するアニミズムこそ、洞爺湖サミット最大の課題である地球環境を救う唯一の道だ」

(特集ワイド:死刑執行13人 鳩山法相の死生観 – 毎日jp(毎日新聞))

 法相がアニミズムをウェットな考え方と見なしていることは明らかだろう。アニミズム(汎神論)と多神教は今の文脈ではほとんど同じである。どちらも一神教とは対置されるべきものなので今回はまとめて非一神教と呼ぶ。一神教の生命観は非一神教とは大きく異なり、その一神教的生命観がEUが示していたような

  • すべての人間には生来尊厳が備わっており、その人格は不可侵である
  • 生命の絶対的尊重というこの基本ルール
  • 最も基本的な人権、すなわち生命に対する権利

 というような死刑全廃の論理を構成している。唯一の全能神を信じていない非一神教徒である日本人は、一神教文化の基準でいう人命の尊さを本当には信じていない。信じているつもりでも本心では疑っているか、間違った意味で信じている。これが今回の眼目だ。

 ちなみに、大臣にそっくりなこと言ってる人たちが欧米にもいるな? 彼らは要するに「地球全体をもっと日本みたいに(捕鯨という一点を除いて)しなければならない」と考えている人たちであって、私は要するに「お願いだからどうかそんな怖ろしいことはやめてくれ」と言っているのだ。これはガイア教シリーズの本流だからそちらに譲る。

「人命は地球より重い」

 日本で死刑反対派が、

  • 人間の生命には絶対的尊厳があるのだから死刑は悪だ。

 と訴えると、賛成派からは、

  • わかった。じゃあ殺人罪以外での死刑は廃止しよう。その代わり1人以上を意図的に殺害したら、正当防衛などの理由がない限り必ず死刑だよね? だって人間の生命の尊厳は絶対なんだから。

 という反論が返ってくる。反対派が、

  • 冤罪で死刑にしてしまったら取り返しがつかない。せめて終身刑にすべきだ。

 と訴えると、賛成派からは、

  • 冤罪で終身刑にされても取り返しはつかないだろ。冤罪がない方がいいなんてことは当たり前で誰も反対してない。話を逸らすな。

 という反論が返ってくる。そして反対派はこれにまともな再反論が返せない。これは生命の尊厳の絶対性の意味を(一神教文化基準で)正しく理解できていないからだ。

 日本人にとって「人命は地球より重い」という言葉は、テロに屈する時や少年犯罪についてコメントを求められたときに使い勝手のよい、単なるスローガンに過ぎない。内心誰も信じていない。死刑反対派であってもそうだ。

よく「命は地球より重い」「命に代えてでも」「命の大切さ」などというが、空虚な言葉だ。命そのものでもって、なにかを成すことはできない。生け贄は嫌い。

(渡辺さんと死刑のマル激をきく – 来世牧童になるために)

 その通りだ。皆、空虚な空しい言葉だとしか思っていない。

 だが一神教文化においては違う。一神教文化において人間の生命の尊さは∞である。人間の生命はGODから直接与えられたものだ。全知全能の唯一神と比べると全く何の価値もないが、その全知全能の神から与えられたが故に、他のものとは比較できない絶対無限の価値がある命である。

 人間以外の全ては、大空も・大地も・人間以外の全ての生き物も、人間が支配し使うためだけに作られ神から与えられたものだ。(だから他の生き物を食う時にはGODに祈る。)1人の人間の命はまったく文字通りの意味で、人間を除いた残りの地球全部よりも重いのだ、それも無限に。

 だからこそ、人間の生命を絶つことは神の領域に属する権利であり、いかなる人間も政府も手を触れてはならないという考え方が、空虚な言葉に留まらない重みを持つことができる。

 もちろん日本人も人命は尊いと考えている。当然だ。さすがに自分たちの命が(少なくとも実際上)一番大切ではないという教えをわざわざ作り出すほどの間抜けは我がホモ・サピエンスの中にはおらん。しかし、非一神教の生命の尊さは一神教のそれとは性質が大きく異なる。

 たとえば日本では未成年による殺人事件が起きる度に校長先生が「命の尊さを学びましょう。」と言うが、それはもうちょっと正確に言うと、「人の命には、たとえば100億ライフポイント(以下LPと表記する)という、とても大きい尊さがあるのですよ。」という程度の意味である。

 牛は500LPぐらいあるかもしれない。ネズミは3LPでサンマは1LPぐらいかな。米粒は0.0001LPぐらいで、大腸菌は数億分の1LPぐらいだろうか。もちろん人間とは大きく異なるが、比較可能な命の重さである。(だから他の生き物を食うときはその魂に祈る。来世はそいつに生まれ変わるかもしれないのだし。)そして地球はその全ての足しあわせなので、当然1人の人間よりも最低67億倍以上大きい。

 「人命は地球より重い」などというのは、よくて空しい言葉、悪くすれば思い上がった傲慢な考えである。このような非一神教的な倫理では、いくら誰もが尊い100億LPの命だからといって、他の人間を殺した殺人者の命の価値は、100億引く100億でゼロとなり、複数人殺害した殺人犯のそれはマイナス数百億LPということになる。

 対して一神教的な倫理では、人命は無限大の大きさだ。∞同士の足し算引き算に意味はない。少なくとも有限の数同士の足し算引き算と同じような意味は。たとえば、全ての自然数(∞個)から全ての偶数(∞個)と全ての3の倍数(∞個)と全ての5の倍数(∞個)を取り除いた残りはやはり∞個である。

 従って、たとえ何人・何十人殺した殺人犯であろうとも、その命の価値はやはり∞のままであり、やはり(より上位の無限大であるGOD以外の)何人もそれを奪う正当性は持たないということになる。たとえ神の名が、もはや法律の条文に現れることがなくても、これが一神教文化の死刑全廃を裏打ちする哲学である。

 日本文化の下にいる死刑反対派はこの大前提を持っていないので、賛成派の反論に自信を持って答えることができない。これは何らかの議論や調査の結果として出てくるものではない。持っているか、持っていないかだ。持っていないものは出せないのである。(つづく)

おまけ

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2007 9/30

(本文とは無関係)

 最近こういうニュースや中国のネット検閲とかグーグル八分の話を見る度に、情報通信技術の進歩は一般に民主主義など自由体制の発達を促すと考えられているのは間違いなんじゃないかと思う。

 確かに国の端から端から連絡するのに早馬で何週間もかかるのでは、まともな選挙を公布するのも実施するのも難しかろう。だから高度な自由体制の構築と維持にはある程度の情報通信技術が必要だということは言えそうだ。

 しかし、情報通信技術が必ずしも自由体制の発達をもたらすとは言えないのではないか。過去の歴史がそのように見えるのは、我々の多くが、情報通信技術が大幅に進歩する時期に、たまたま民主主義体制の国に住んでいたというだけのことに過ぎないのではないか。

 情報通信技術の発達が本当にもたらす現象は、その時すでにある体制をますます安定させることではないのか?

 現在の中国で不満を持つ人間が共産党の一党独裁を倒そうとする企ては、項羽や劉邦が始皇帝の独裁体制を倒そうとすることよりも簡単だろうか? タイムマシンで江戸時代にインターネットを持ち込んだら徳川幕府の存続期間は有意に縮まるか? どちらも、特にそんなことはなさそうだと思える。

 『漂流教室』よろしく、現在の北朝鮮が別の地球に一国だけ独立して存在するようになったら、朝鮮労働党の*1独裁はいつまで続くだろう? 半永久的に、という答えがあってもおかしくはないと思う。

 私達はいま歴史の変曲点のごく近く、おそらくちょうど通り過ぎたところにいて、この前後のわずかな期間に起きた、あるいは起きることは、歴史の他のどの時点で起きた、あるいは起きることに比べても、桁違いに重要な影響を及ぼしうる。

 マンガチックに聞こえるかもしれないが、私達が現在こういった問題に対して取る態度の一つ一つが、500万年後の銀河系に存在するのが銀河帝国であるか銀河共和国であるかの分かれ目である*2というのも、実際にありうることなのではないか。

*1:金一族の、ではない。個人は凶弾一発でも正月の餅を喉に詰めても死ぬのでそんなに安定ではない。
*2:SWや銀英伝的な意味で。

おまけ

 なにこのイカス(死語)アニメ! 本編観たい。ちょっと魔夜峰央っぽい。

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2007 4/17

子どものねだん―バンコク児童売春地獄の四年間

に書評があったので便乗。

 私もこの本は読んだことがあり、かなりおすすめできる。舞台はタイのバンコクやパタヤであり、私も小中学生の頃住んでいたり遊びに行ったりしたことがある場所だ。そのすぐ側でこういう現実もあったのだなあとかなり感慨深かった。

 ただ具体的な内容にはいろいろ問題がある。ペドフィル男性に対する記述や彼らへのインタビューの場面を通して、燃えるような人種差別(白人優越・アジア人蔑視)意識が垣間見えることもそうだし、何より全体として話がうますぎるのである。

 児童売春の現実が悲惨なのはもちろん知っているし、著者の援助活動も当然嘘ではないのだろうが、脚色はドキュメンタリーとして許されるレベルをはるかに逸脱していると思う。まるで全ての登場人物が彼女の英雄伝説を盛り上げるために定められた役割を演じているかのごときである。

 私ははっきり言うと著者は虚言癖ではないかと疑っている。いわゆる嘘つきというのではなく、全ての記憶が自分に都合のいいようにどんどん改竄されてしまい、自分自身ではそれに気付くことすらできないような病的なタイプのそれである。

 それがいい方向に向かっているのだから構わないじゃないかという考え方もあるだろう。私もそう思うからあえておすすめしている。ただ具体的な記述については話半分どころか全部フィクションぐらいの心構えで読むべきだと思うとは言っておく。

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2007 3/4

フリーザ様

 最近中国を「中国様」と呼んでいるのを結構頻繁に見かける。個人的にはいかなる対称であっても名称・呼称をおちょくるのは反則であると思っているので自分では使わないが、その理由を抜きにしてもこの「中国様」という呼び方は好きになれない。

 もちろんそう呼びたくなるのはわからなくはない。わかればこそである。世界に対する当事者意識の薄さを感じさせるところが好きになれないのである。この「様」はフリーザ様とかDIO様の「様」と同じ用法である。私は勝手に「美学を持つ悪役の“様”」と呼んでいる。

 基本的に力こそ正義と信じ、どんな卑怯な手段も目的のためには当然として恥じることなく、決して良心の呵責に苦しんだり改心して主人公の仲間になったりせず、仮に主人公に命を救ってもらったら絶対に直後に背後から襲いかかるような、フィクションでしか許されないような悪への憧れの気持ちを満たしてくれるような、そんな純粋な悪役だけに許される用法だ。

 ラスボス級の敵キャラと条件が重なることが多いので大抵は強いが、強いことは必須条件ではない。ややマイナーだがアミバ様のように、弱くてもとことん外道を貫き通して最後までぶれなければ資格はある。

 逆にどんなに強くても後で心を入れ替えて主人公たちの仲間になったりするようでは失格である。だから基本的にベジータ様とは呼ばれない。もっとも、ベジータは軽い嘲笑の意味で「ベジータ様」と呼ばれていることも多いのでややこしいが。

 汚職政治家を片っ端から逮捕投獄処刑できたら政治はどんなにかわかりやすいだろう? 真っ赤な嘘でも政府見解をそのまま報道するようにマスコミに強制できたら外交はどんなにか有利だろう?

 要するに「中国様」は『歴史の終わり』という連載漫画のラスボスで、「現実」では許されない悪への憧れを代わりに満たしてくれる魅力的なキャラなわけだ。チベットやダルフールは差詰めナメック星ぐらいか。

おまけ

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