2009 5/5

高校生のための実践劇作入門―劇作家からの十二の手紙

 たまたま上のエントリに行き当たって思い出した話。

 昔、創作の裏側というものになんとなく興味を持って、いろいろな本を読んでみたことがあった。その中で特に面白かったのが北村想『高校生のための実践作劇入門』という本で、プロットというものについての説明が印象に残っていた。

 小林信彦さんという、作家であり、コラム批評家である才腕の書き手がそこんところを、うまく説明しています。

 これは、一九九九年の八月二十日の中日新聞(東京新聞)の夕刊からのコラム記事です。

 「アメリカ映画は、プロット(筋)にオリジナリティがあるから面白い、ということがよくいわれる。(中略)プロットとは、どういうものか? 例をあげて説明しよう。

――青年Aは知り合った女の子Bに惚れて、友人Cに紹介した。ところが、実はBはCのフィアンセだったのである。――

 ごく単純な例をあげたが、これがプロットである。プロットとストーリーはちがう。ストーリーとは次のようなものだ。

――美しい女性Bは青年Cのフィアンセだった。そのBに、Cの友人Aが惚れた。――

 同じことを書いているようだが、プロットのほうには〈実は……〉がある。

 プロットには〈策略〉とか、〈計画〉の意味がある。〈実は……〉という伏せ方はそれである」

 だいたい、これで、プロットが何であるかつかめたと思います。つまりは、プロットとは、ストーリー(物語)を面白くする〔見せ方〕なのです。

 これは今まで聞いたものの中で、プロットの定義として最も単純明快で的確だと思っている。たとえば、

「志半ばで記憶喪失になって死んだと誤解された父の代わりに旅に出た勇者が大魔王の手下の一人の魔王を倒し、続いて大魔王の城に乗り込んだ!」

 は、単なるストーリーだけど、

「志半ばで倒れた父の代わりに旅に出た勇者が魔王を倒しました、しかし〈実は……〉魔王は大魔王の手先の一人に過ぎなかった! ついに大魔王の城に乗り込むと〈実は……〉父はまだ生きていた!」

 だとプロットになりうるということね。

関連書籍

おまけ

 実は……タネも仕掛けもない。

by 木戸孝紀 tags: ブックマークに追加する

2008 1/8

新約聖書

 3人目はなんと……私だ! というのはもちろん嘘だ。前回3人中2人は日本人と言ってたのに、3人とも日本人になってしまうしな。

 だが、私の文章を読んでほしいのは本当だ。突然ですまないが、たった今私が考えた中世ヨーロッパ風の宗教説話の粗筋を読んでみてもらいたい。

 若い修道士クリスは修行の旅の途中嵐に遭い乗っていた船が難破する。哀れ鮫のエサかと思われたクリスの命を救ったのは彼の守護天使だった。天使はまだ死ぬべき時でなかったクリスを助けたついでと煉獄から氷結地獄まで案内して親切にいろいろ教えてくれた。

 クリスが「最後の審判の時はいつ来るのですか?」と聞くと天使は「もうすぐですよ」と答える。すると突然黙示録のラッパが鳴り響き巨大な反キリストの怪獣が現れて彼らを襲う。クリスは怪獣の天使への攻撃を防ごうとするが勢い余って墜落してしまう。

 再び気を失ったクリスが目覚めるとそこはベッドの上。介抱してくれていた人たちによると「天使? 怪獣? 何寝ぼけとるのかね。あんたは近くの浜辺に打ち上げられとったんじゃよ」とのこと。しかし、彼の懐には墜落時のどさくさで紛れ込んだとおぼしき天使の羽が一枚。

 後で天使に教わった物事についてはるばるバチカンに問い合わせると、果たしてクリスの知るはずのないしかも正しい知識だったではないか。「ああなんということだ。神様やはりあれはただの幻ではなかったのですね。」とクリスは信仰を新たにし敬虔な人生を送ることを誓うのでした。めでたしめでたし。

 さて、こいつをどう思う?

 まあ即興の口から出任せの上に私のキリスト教知識はまるで大したものではないので、細かく見れば突っ込みどころ満載と思われる。*1

 しかし、それを割り引いた上で、大筋としては、そっくりそのまま中世の宗教説話として実在しても不思議ではない程度にそれらしいものであることを、とりあえず認めてもらってもよかろう。*2

 で、もちろん私は好きこのんでこんな痛い創作文芸ごっこを晒しているわけではない。さっさと忘れてもらってから*3いよいよ本当の3人目の文章を見ていただこう。(つづく)

*1:たとえば、天使が羽のような物的証拠を残してもよいものなのかどうか等、あまり自信がない。
*2:文句がある人は今のうちに言ってほしい。もしくは、もっとそれらしくするにはどうしたらいいか教えてほしい。
*3:いいか? 忘れろよ! 絶対だぞ!?

おまけ

 煉獄巡り→神曲→神曲

by 木戸孝紀 tags: ブックマークに追加する

2007 10/7

(本文とは無関係)

 私は生来凝り性というか、完璧主義者というか、ただの神経質であるため、どうしても書くのが遅い。

 特にクオリティを求められるわけでもないブログの文章でさえも、誤字脱字等のミスや文章の繋がりが悪いところがなくなるまで直してしまいたくなるのである。

 そのため、実際に書きたいネタは常に腐るほどあるのに時期を外して捨てられるネタが表に出るものの何倍もある。

 明らかにこれは良くない。軍事に関係なくても巧遅より拙速というのが現代の鉄則だ。
 自分で何回も読み直して推敲して誤字脱字を直す暇があったら、さっさとUPしてしまった方がいい。

 書いた本人の目より、初めて読む複数の読者の目の方がミスを見つけやすいのだから、コメント欄で指摘してもらってから修正すればいい。それが会話のきっかけにもなるかもしれない。

 文章にも一つや二つはツッコミどころを残しておいた方が読者が絡みやすくて、話が発展しやすいという意見もある。それにも賛成だ。わざとやりすぎて釣り芸みたいになってしまわなければだが。

 もちろん今までもそう思っていなかったわけではない。わかっていてもなかなか性癖というものは変えられないものなのだ。

 だから、最近無理矢理にもそうせざるを得ないようなルールを決めることにした。

 『紙』に蓄えられたネタのメモの段階から、これを書くと決めたときにあらかじめ掛ける時間の最大限を決めて、タイマーをセットする。

 そして、時間までに完成できなかったらどんなに不完全でもそのままアップロードする。さもなければ、そのネタは永久に廃棄する……というルールである。今のところうまくいっているようだ。

おまけ

 どうもクイックセーブ&ロードの概念はとても理解しにくいものらしい。たぶん現実世界に似たものが存在しないせいだろう。

 ゲーマーでもTASと、チートもしくはただ単に上手すぎるプレイとの区別がつかずにとんちんかんなことを言っている人がたまにいる。

 わからない人は見ておこう。

by 木戸孝紀 tags: ブックマークに追加する

2006 2/5

動物風船

 細長い風船をねじって作る写真のような動物風船ありますね。夜店や大道芸でやっているあれです。

 どうやって作るのかさっぱりだったのですが、実際説明書付きでやってみると意外と簡単だったりしてなんとも楽しかったりします。遊びというのは本当に工夫次第だなあと思います。

 なんでそんなの持ってるかと言いますと、スーパーで売ってるヤクルト10本組にいつもついてるおまけのひとつだったのです。

 5本組2セット分の値段と同じなので毎回おまけ付きを買って遊んでしまうのです。おそらくこの風船の原価なんてタダみたいなものなのでしょう。

 仮にこの風船とそれをふくらませるための空気を、この場のワンクリックで回線を通じて送り込むことができて、かつ何の手続きも必要なしに50円くらい課金することができたら大ヒット&大もうけ間違いなしだと思うのです。

 とは言っても風船遊びをするために物体転送装置を発明するのはさすがに割りに合いません。

 だからこの風船遊びのように、今までやろうとも思わなかったけどたまたまおまけについていたからやってみた、そしていざやってみると今までできないと思っていたことができた、今までできないことができるのはとても新鮮で楽しい。

 そんな感じでどんどん引き込まれるようなものを作って行きたいなあと思ったわけです。

by 木戸孝紀 tags: ブックマークに追加する

2005 11/27

 原作ではそれほど好きな話ではなかったのだが、今回もまた素晴らしい内容だった。蟲と共有した時間のアニメ描写が、マンガ原作では表現しきれなかった魅力を引き出している。

 鼻から吸い込む描写で麻薬中毒を連想したという感想があるが、今回の話のネタの基礎となっているのはギンコが言っていたような生物学の比例増減(スケーリング)論だ。

 たとえば哺乳類なら、1回呼吸をする時間、心拍する時間は体重の 0.28乗に比例し、1回呼吸する間に4回の心拍があり、一生に約2億回の息をするそうだ。

 例外は人間でその3倍近く生きる。これは人間の進化にネオテニー(幼形成熟)が関わっているからかもしれないのだとか。ただ、最近はもっと研究が進んでいるかもしれないので鵜呑みにしないように。

 「ギャグマンガを描くには一般常識がなきゃいけない、でないと何が異常かわからないから」というのは誰の言葉だったか忘れたけど、比例増減論の話を一度も見たことも聞いたこともなくこの話を考えるのは難しいだろう。

 耳の中に蝸牛という器官があるのを知らなければ『柔らかい角』の話を思いつくのは不可能だろう。幻想的な話を書くには科学的一般常識がなきゃいけないということは言えそうだ。

by 木戸孝紀 tags: ブックマークに追加する

2005 11/18

 これはわかりやすい。今の金のかかったゲームがつまらなく感じてたまに新しいフリーゲームを漁る方がよっぽど面白いと感じる理由もこれだと思う。要するに、

 どんなに素晴らしいグラフィックもサウンドも人間が動的に生み出す情報に面白さで勝てるわけがない。

 私が人狼に強く興味を引かれてクローン作るまでにのめり込んだのもまさにこれだと思う。

 わざわざゲーム機を買ったり設定しなくても、多くの人が持っているブラウザで自然に通信会話ができる。その環境がここで言う、distruptive technology (破壊的テクノロジー)。こうなったら、

 どんなに素晴らしいグラフィックもサウンドも人間が動的に生み出す情報に面白さで勝てるわけがない。

 ついでに言うと、昔作ろうとしてた一般的なRPG製作を中止しているのもこれに関係がある。

 MMORPGのようなネトゲは廃人化する人以外にとってやがて単なるチャットツールと化すと言われる。

 これは内部でこのイノベーションのジレンマが発生してるってことなんだろう。くどいけど、

 どんなに素晴らしいグラフィックもサウンドも人間が動的に生み出す情報に面白さで勝てるわけがない。

 だったら最初からグラフィックもサウンドもいらないのではないか。

 最初から人間が動的に生み出す情報をどう最大限に活用することに的を絞り、言うなれば「TRPG支援スクリプト」といった程度のものにした方が面白いんじゃないのかと思うのだ。今このあたりを思索してる状況。

by 木戸孝紀 tags: ブックマークに追加する

2005 11/15

 ひぐらしをきっかけにサウンドベルをいくつかプレイしていて今さら気がついたことがある。それは、

 サウンドノベルにはループ世界・平行世界ネタがとてつもなく多い。

 ということ。そのこと自体には特に不審はない。選択肢があり、複数回プレイするサウンドノベルは、システム的・必然的に平行・ループ世界の概念を想起させるからだ。

 また、こういう説明もできる。サウンドノベルを作るのに必要な要素を貴重な順に並べると、

  • 背景世界
  • キャラクター
  • 画像
  • 音楽
  • プロット

 となると思われる。上に行くほど魅力的なものを新しく作るのに才能と時間が必要で、下に行くほどすでに太陽の下に新しいものはない状態に近く、適当に既存作品からインスパイヤしても問題ないという意味である。

 ボトルネックであるところの世界観やキャラクターに優れたものができたら、それを最大限に生かすべく平行世界やループネタを用い、プロットだけ取り替えて作品の分量を増やすのがもっともコストパフォーマンスが高いはずだ。

 すると今度は、なぜサウンドノベル以外でもルートやループが存在しないのかの方が不思議になってくる。小説なら画像と音楽がないため相対的にプロットの重要性が上がるだろうが、世界とキャラの設定がキモなのは変わらないはずだ。

 たとえば『風と共に去りぬ』が、

  • アシュレールート
  • レットルート
  • メラニールート

 の3ルート分書かれていたとしても面白いと思うし、『変身』が自分が一匹のばかでかい毒虫に変っていることに気づく朝から死ぬまでを何度もループする大長編小説だったとしても、やっぱり面白いと思うのだ。もちろん文学的評価は別として。

 ならばなぜなかったのだろう。それとも私が知らないだけなのか。単純に小説ではコストパフォーマンスがそれほど高くならないからなのか。あるいはこれから書かれるようになるのか。

 小説はさておき、映画ではある程度確実なことが言えそうである。映画にはサウンドノベルと違ってキャストという要素がネックになるが、CG映画にはそれもない。というわけで、

 もうすぐサウンドノベルのようなルート・ループを積極的に使った映画(とりわけCGの)が作られるようになる

 と予想しておく。最近のDVDによく収録されているアナザーエンディングは、作られた目的こそ違えどその先駆けのような気もする。

by 木戸孝紀 tags: ブックマークに追加する

2005 11/11

鋼の錬金術師(12) 初回限定特装版

 『鋼の錬金術師』(以下ハガレン)がいよいよ核心に迫ってきたようで面白いです。やはり現在連載中の少年漫画では群を抜いています。海外でも人気らしいですし、誰もが認める面白さと言えるでしょう。

 しかし、なぜ面白いのかを考え始めるとハガレンほど難しい作品もないです。個々の要素に分解してみると特別優れているところが1つもなく、むしろ古くさいと感じるところばかりだからです。

 アニメ化でブームになった頃、錬金術の設定が面白いとか、等価交換のテーマ性がどうとか、あえてB級にこだわる娯楽性がどうとか、いろいろと研究されてはいました。

 しかし1つとしてハガレン独自の特徴であるとも、その人気のほどを説明できているとも思えませんでした。するとハガレンは一体なぜ面白いのでしょうか?

 単刀直入に言いましょう。ハガレンが面白いのは昔の漫画のようにきちんと人を殺しているからです。ニーナを・ヒューズを・憲兵Aを・グリード組を・バリーを・ラストを、しっかりと殺しているからです。

 ついでに言うと手足が不具(なぜか変換できない!)だったりもげたりちょん切れたり、頭がぶっ飛んだりする描写をきっちりと描いてるからです。

 短絡しすぎと思いますか? では『ワンピース』で常に過去編の方が人気なのはなぜでしょう? 過去編だけはちゃんと人が死ぬからですよ。それしか考えられません。

 『H×H』がたまにしか載らない下書き状態でも人気を維持できるのはなぜでしょう? どんな人気キャラでも次週には肉ダンゴかもしれないという緊張感があるからですよ。違いますか?

 私は提案します。面白い漫画を描きたかったらもっと人を殺しましょうと。ここまではっきり言い切るのは、現在日本を覆っているある空気に対して自分が不満を感じていることを再確認する機会があったからです。

 「不殺」が一種のPC運動となっているという指摘は当を得ていると思います。PC的教条主義は一見道徳的高所に立っているように見えて、思想の自由を妨げ社会を誤った方向に導きます。あなたが

 と感じているとしたら、間違いなくその原因の一角を占めているはずです。

 勝手な期待かも知れませんが、私はハガレンにこの「空気」を出し抜き、あわよくば打ち倒して、その先を切り開いてくれる可能性を見ています。他の表現者にもその気構えが伝播して欲しいと願っています。

by 木戸孝紀 tags: ブックマークに追加する