私はADHDなどの新しい精神疾患の概念には懐疑的である(参考)が、ちょうどそれに関する話題のようだったので読んだ。
ますます疑念が強まる結果になった。読んでいて楽しい本ではないが、下の目次や抜粋を見て興味を持った人にはおすすめする。
目次
第1章 心の問題か?脳の問題か?――不安をめぐる一〇〇年の闘い
第2章 感情が病状にされる――診断をめぐる闘争
第3章 内気は病気になった!――精神医療産業の決定的勝利
第4章 さあ、病気を売り込もう!――消費者に直接販売
第5章 反跳症候群――副作用と薬物依存の恐怖
第6章 プロザック帝国への反乱――立ち上がる人々
第7章 不安はどこへ行くのか?――感情を消された社会
本書では不安を例として取り上げ、精神科医や精神科医による病気の定義が一九七〇年代以降急激に変わった過程を示す。まず初めに、不安と内気の簡単な歴史を記し、現在の考え方と古代ギリシア時代、ルネッサンス時代、ヴィクトリア朝時代とを対比させる。次に、二つの章(第2章、第3章)で、DSM第三版の実行委員会が、一一二もの新しい疾患を作り出し、そのなかに不安関連の七つの疾患が含まれた経緯を詳述する。
その後の章では、製薬会社が巨額の資金を投じて、人のありふれた行動が実は脳内化学物質の不均衡が原因であると私たちに納得させ、病気を作り出してきた経過を述べる。そうした製薬会社の薬剤はさまざまな副作用を起こし、なかにはきわめて危険な副作用もあるため、第5章では薬剤の働きと薬剤が効かない場合が多い理由について明らかにする。
(中略)
「社会恐怖」や「回避性パーソナリティ障害」であるかどうかは、私たちの社会で肯定される外向性とどの程度かけ離れているかで決まる場合が多いが、第6章ではその議論をひっくり返し、神経精神医学と薬理学への逆風を強めるもととなっている四つの皮肉(中略)を検証する。そして最終章では、診断と倫理に関する問題を幅広く取り上げる。
総じていえば、本書では、ごく普通の気質が精神疾患にされてしまった過程を包括的に取り上げるだけでなく、今日の不安に関するきわめて重要で新しい考え方を紹介する。私たちは過剰に診断され過剰に薬を処方されているという主張のもと、精神科医、広告コンサルタント、製薬会社が内気や自意識過剰、さらには内省的性質にいたるまでを、重大な精神疾患に巧みに変えてしまった経緯を詳細に述べる。
(「はじめに」から抜粋)
ただし、記述にはあまり公正とは言えない部分もあるように見える。たとえば、フロイトの持ちあげ方などは“敵の敵は味方”的な発想で過大評価しているに過ぎないように思われる。
特に、本当にうつ病の人には、これを読んで自分の判断で薬をやめてしまう、というようなことは絶対にしないようにお願いしておく。これは、薬を売るために正常と見なされるべき人にまで不安を煽るという問題に関する話であって、心の病そのものの本ではない。
ちなみに原題は『内気――普通のふるまいがどのようにして病気になったか』。邦題は内容的に間違ってはいないが、圧倒的に焦点が当てられている内気(shyness)の部分を抜かしてしまうのはどうだろう。
『内気――乱造される心の病』でもよかったのでは。最近では、アメリカで向精神薬が濫用気味だというのは、もはやテレビドラマなどでもおそらくお馴染みの話題で、意味が通じないことはないと思うのだが。
おまけ
「鬱」しか共通点がないゾ。(柴田亜美風に)
by 木戸孝紀
tags:医学 書評 政治 精神
メタプラセボ仮説という単語自体は初めて聞いたが、私はこの効果は当然あると思う。
まず、メタプラセボもプラセボも何も関係なしに、そもそも「傷や病気が治るのはなぜか?」ということから考えよう。
傷や病気はホイミやケアルの魔法で治るのではない。「自然」に治るのでもない。意識的にする必要はないが、自分の身体の各細胞が必死に働いて治すのだ。そして、必死に働くにはエネルギーがいる。
他に治してくれる人はいない以上、死なずに治るようにする分だけは振り向けなきゃいけないのはもちろんだ。しかし、病気や怪我以外にも死の脅威は沢山存在するのだから、必ずしも全部振り向けるのがベストとは限らない。
たとえば肉食獣だってエネルギーは無駄にしたくないから、捕りやすい弱った個体を狙う。病気を治す間にも、サーベルタイガーに襲われたら逃げられるだけの準備はしておく必要がある。でないと、風邪は治っても治る前に食われる。それでは意味がない。
もっと危険なのは他の人間だ。「何、あいつが病気? よしわかった、今晩寝込みを襲って殺す!」というシビアな状況にある人間と、怪我や病気をしたらゆっくり看護してもらえる恵まれた人間では、条件がまったく違う。
同じように治療にエネルギーを振り向けるのは間違いだ。前者なら最低限の治療は必要にしても、闘争あるいは逃走のための準備を最大限に整えておく必要があるし、後者なら治療にほぼ全てをつぎ込むべきだ。
そして、病気や怪我の時どんな条件にあるかは生まれる前にはわからないし、一生のうちにもどんどん変化していくので、あらかじめ遺伝的に決めておくわけにはいかない。
その時受けているストレス等から判断して、柔軟にどちらの戦略も取れるようにしておくべきだ。そのように対応できる身体を作る遺伝子を持つようにするのだ。
そして、実際にそうなった。それができなかった個体は我々の祖先にはなれなかった。人間が、ストレスによって治りが悪くなるのは、突き詰めればこのようなトレードオフに由来する。
薬がプラセボと知っていようといまいと、人から協力的な雰囲気で何かしてもらえるということは、自分が危険な社会状況にはいない、つまり安心して治療に全力を振り向けてもよい、という強いシグナルだ。
従って、メタプラセボには、プラセボ効果と同等とは限らなくても、少なくとも同様の効果があるはずだ。メタプラセボの効果がまったく確認できなかったとしたら、むしろそちらの方が説明を要する不思議なことだと思う。
もちろん、メタプラセボは
- 病院で医者と「偽薬です」と説明された上で薬のようなものを飲む
ことである必要はないだろう。
- 神社で神主さんに「単なる気休めで効きませんからね」と説明された上でお祓いをしてもらう
とか、
- 教会で神父さんに「神が治してくれたりしませんからね」と説明された祈祷をしてもらう
でも、同じ程度の効果はあるに違いない。
おまけ
病気→菌
by 木戸孝紀
tags:プラセボ 医学 科学 心理 進化
『パラサイト・レックス』以来の面白い寄生ものを期待したのだが、どちらかというと進化医学ものだった。
面白さは普通。寄生ネタなら『パラサイト・レックス』、進化医学としては『病気はなぜ、あるのか』の方を先におすすめする。
1箇所だけ憶えておきたい箇所があったのでメモ。いつか詳細に紹介したいと思っている『恋人選びの心―性淘汰と人間性の進化』で使うかも。
鳥のさえずりは脳の特定の部分でコントロールされるが、その部分はテストステロンの影響で大きくなる。このことは、さえずりは尾羽と同じような「装飾」であるという見解を支持するものだ。
(P206)
他の内容に関しては例によってshorebirdさんのところが詳しいのでそちらへどうぞ。
参考リンク
関連書籍
おまけ
要するに、こういう能力は「装飾」として進化したのではないかという話。
by 木戸孝紀
tags:医学 寄生 書評 進化 性 生物
病気と進化の関係というのは比較的新しくかつ面白い、ホットな話題の1つ。これとかも面白いしね。この本も面白いんだけど、1章のへモクロマトーシスについての話で、
そもそも瀉血という行為が世界中で何千年も続けられてきたという事実は、この行為に何らかのプラス効果があるということを示している。瀉血療法を受けた人が皆、死んでいたら、こんな治療法はあっというまに姿を消していたにちがいないからだ。
ひとつだけ確かなことは、現代医学がいったんは見捨てた昔ながらの慣行は、それ以外の治療法では救えない人びとの命を救うのに役立っているということだ。現状の医学は理解していることより理解していないことのほうが多い。そのことをしっかり肝に銘じておくべきだろう。
とかいう文章を見て「なんか危なっかしいなー」と危惧していた。たとえへモクロマトーシスに関しては正しくても、これは似非医療ビリーバーのテンプレ的な思考パターンだから。そしたら、最後の6章まで来てやっぱりm9(^Д^)プギャーッこいつアクア説信じてやがる。
おまけに「老化のプログラミングは個体ではなく種にとって有益だったのだろう」とか、いつの時代の説だよ。面白い本であることは確かだけど、すでに自分である程度取捨選択できる人にしかお薦めできん。少なくとも括弧内の何がおかしいかわからない人には危険と思う。
参考リンク
おまけ
アクア説→人類の祖先はカッパだったの?→河童
by 木戸孝紀
tags:医学 書評 進化 水棲類人猿説