一昔前に流行して、現在も昔ほどではないが人気がある話に、
- 「世界には地球を何回も滅亡させるだけの核ミサイルが云々(中略)これは狂気だ!」
というようなものがある。
これは確かに一見もっともらしいが、一見もっともらしいだけで、大した意味はない。
という台詞が、仮にまったくの事実であっても、フグが日常的に水揚げされ・捌かれ・食われていることが、別に狂気でもなんでもないのと同様である。
本当に計算し尽くして撃ったら人類滅亡何回かできるだけの核ミサイルがあった――数は減ったが今もある――のはもちろん事実。
しかし、当時それだけの数のミサイルと弾頭が作成されたのは、それなりの理由がある。命中精度と生存性が低かったせいである。
当時は、誘導技術が現在のように発達していなかったので、威力を上げなければ目標を破壊できなかった。
また、第一撃に対する生残性も低かったので、数を作らないと敵の先制攻撃で全滅して反撃できなくなるおそれがあった。
後に誘導技術が発達すると、一発ごとの核出力は小さくても良くなったし、潜水艦搭載型のミサイル(SLBM)が増えて生残性が確保されたら、数もそれなりでよくなった。
最近では、通常兵器の精密さと威力がますます増してきたため、戦術核すら必要なくなってきて、むしろアメリカ自身が「核のない世界」を言い始めるようになっている。
いつぞやのDHMOやバナナの皮方程式の話とも少し似たところがあるのだが、この話で覚えておいてほしいことは、
という教訓は、かなり普遍的に通用するものの、それに加えて
ということである。
おまけ
by 木戸孝紀
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昔上記エントリを読んでたときに思いついた話だが、ネタ帳に埋まっているのを発見したので核。じゃなかった書く。
軍事力が通貨の信用の裏付け(のひとつ)となるなどというのは、別に核以前から当たり前の話なので、ウラン・プルトニウム本位制という話にあまり価値があるとは思えない。現代の核の位置づけをたとえるなら金よりむしろ塩だろう。
塩は老若男女を問わず生存に必須のため、専売が行われたとされる。それはもちろん正しいが、塩よりもっと生存に必要不可欠なものだってある。たとえば空気や水だ。それなのに、なぜ酸素の専売を行う政府がないのか? 言うまでもなく、コントロール不能だからだ。
しかし塩は違う。まとまった量の塩を得る方法は実際上2通りしかない。
の2通りだ。いずれも決まった場所でしか行えず、しかも労働力の集中的な投入を必要とされるので、隠れて行うことができない。そのため権力による独占が可能である。
では、核についてはどうか。老若男女を問わず核攻撃されないことが生存に必須であることは確かだが、もし本気で大量破壊兵器として使用することだけを考えた場合、核兵器より化学兵器の方が有効だ。安くて・強くて・作りやすい。
これは一見いいことずくめのようだが、最後の「作りやすい」は、実はまずい。独占できないからだ。普通の化学工場でも作れる化学兵器が大量破壊兵器の主役だったら、いくら持っていても優位というものはなくなる。それでは意味がない。
対して核兵器の製造は極めて難しい、原料となる濃縮ウラン・プルトニウムを得るにも、まずウランを掘って、
かのいずれかの工程が必要だ。どちらも大規模な施設が必要で、こっそりできるようなものではない。
起爆装置を作るのも大変な仕事である。原爆は天文学的な資金を費やしたマンハッタン計画とフォン・ノイマンのような超天才達の能力なくしては作れなかった。21世紀の軍事大国北朝鮮でさえ本当に作れたか大いに怪しいほどなのだ。
そのため核兵器は強国による独占が可能で、それ故に価値がある。こんな条件を満たせる兵器が他に誕生するはずもなく、地球上に話を限定する限り水爆より上の威力には意味がないし、本気で宇宙進出するような時代まで兵器が必要とされるとも思えないので、結局核は永遠に“最終兵器”であり続けるのだろう。
おまけ
兵器と塩つながり。
by 木戸孝紀
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