2011 2/25

捕食者なき世界

 内容についてはshorebird先生にお任せ。生態学の基本としてはまともだし、面白くもあるけど、全体として作者の意見には乗れないな。最後の一文を引用。

 わたしには、今も獰猛な肉食獣にかみ殺される不安を抱えながら暮らしている数少ない人々の気持ちを代弁することはできないし、そうするつもりもない。ライオンがうろつく畑で眠らざるをえないタンザニアの農夫を代弁する資格はないし、信仰と仮面だけを頼りに、トラがいる森に入っていくスンダルバンの男たちのような自信もない。しかしわたしは、科学が発見したことと、愚かな人間の実験によって明らかになったこと、そして、大型捕食者が消え、生物世界が不毛になる未来が迫っていることをどうしても伝えなければならない。わたしは、大きな肉食獣が歩きまわる土地とそうでない土地との本質的な違いを、彼らのなわばりをひとりで歩いてみればはっきりとわかるその違いを、個人的な感覚としてではあるが、ありのままに証言できる。そしてわたしは、論理的思考よりもっと深いところでこう信じている――野生動物が姿を消し、もはや戻ってくることのない世界には、果てしない孤独が待ち受けている、と。

 そりゃあ私だって著者と同じように感じる。ただでさえ狭い地球に溢れかえっているアフリカやアジアの貧乏人なんかもっとライオンやトラの餌になって、私が温かい部屋で鑑賞するBBCの番組に出演する動植物たちが、代わりに増えれば幸せだと思う。

 私が彼と意見を異にするのは、論理を超えた何かはそのような感情を助長するためにではなく、抑制するために使われなければならないと思っているところだ。

関連書籍

おまけ

by 木戸孝紀 tags: ブックマークに追加する

2010 11/14

繁栄――明日を切り拓くための人類10万年史(上)

 原題は『合理的楽観主義者――繁栄はどのように進化したか』ぐらいの意味。直訳の方が良かったのではないかと思うこと以外はまったく素晴らしい。強くおすすめする。

 内容的には、すでによく紹介されているところがあるのでそちらに譲るが、ちょうど関連書籍に並べたような本の内容をまとめたような感じになっている。これまで好意的に紹介してきたものばかりなので、同時におすすめ。

参考リンク

関連書籍



おまけ

by 木戸孝紀 tags: ブックマークに追加する

2010 8/1

創造―生物多様性を守るためのアピール

 エドワード・オズボーン・ウィルソンが、科学とキリスト教が協力して生物多様性の保護に取り組もうと、仮想の南部バプティスト派牧師に対し訴えかける、という本。

 はっきり言って、試みそのものが成功しているとは全く思えない。当たり前だが、ウィルソンは神の創造は嘘で進化が事実であるということについては一歩も譲る気はないわけで、牧師にとっては、

「私たち科学者は、君たち牧師が一番大事だと信じていることが全くの間違いだということについては、一歩も譲るわけにはいかないけど、私たちが一番大事だと信じているものを護るために君たちが協力できることは、沢山あると思うよ?」

 と言われているようなものだと思うのだが。*1これで「はいわかりました是非協力しましょう」と言ってもらえると、少しでも本気で期待しているのなら、ちょっと人を舐めすぎではなかろうか。

 ただ、言うなれば宗教右派に対してすり寄る内容だけに、私がウィルソンに対して気にくわないと思っている点が濃縮されたような感じになっていて、個人的には、なかなか興味深かった。印象深かったところを数ヵ所抜粋する。

第二章 自然の位に上ること

 人工的な生態系の中だけの暮らしに満足する人々も多いことは事実でしょう。これは飼育動物たちも同じこと。飼育用のグロテスクに不自然な生息環境のもとで満足しています。私の気持ちをいえば、これは倒錯です。手の込んだ飼育場の牛となることは、人間の本性にかなうものではないでしょう。誰しもが、人を生み出した複雑で原生的な自然の世界を難なく旅することができてしかるべきです。私たちには、誰の所有地でもなくすべての人々によって保護される大地、私たちの太古の祖先たちの世界を境界付けていたのと同じ地平を変わらず維持しているような大地を、縦横に行く自由が必要です。人類誕生のころの人の心理を作り上げた驚異の感覚は、エデンの遺産ともいうべき、人の都合とは独立した、生きものたちの賑わいに満ちた世界の中でこそ、体験することが可能なものです。

 人間的でかつ適切に教育される科学的な知識は、我々の暮らしに永続的なバランスをもたらす鍵です。生物学者たちが、生命圏の豊穣についてより多くを学ぶほど、生物圏のイメージはより豊かで感動あるものになります。同様に、心理学者たちが人の心の発達についてより多くを学べば学ぶほど、自然の世界が私たちの精神と、魂に及ぼしている重力のような普遍的な力をさらによく理解することになるでしょう。

 この星との平和な暮らしを実現するために、そして人類相互の平和な暮らしを実現していくために、私たちはまだ長い時間を必要としています。私たちは、新石器革命を発動したおりに、道を誤りました。そのときから人間は、大自然の位置に上る(ascend to Nature)のではなく、自然の位置から離れ、上昇すること(ascend from Natrue)を目指してきました。しかし、自然遺産が与えてくれる深く満ち足りた恩恵を享受するために、これまでに手に入れた暮らしの質を失うことなく方向転換を果たすことは、まだ可能です。宗教の包容力、そして教導者たちの寛大さと想像力の豊かさは、聖書に十分に記されることのなかったこの大きな真実を理解する偉大さを、必ずや発揮してくださることでしょう。

 うーん、これだよこれ。人によっては「ポスト・キリスト教」と呼び、私がガイア教と呼ぶ、リベラル派と伝統的キリスト教的世界観のねじれた野合。素晴らしい考え方だ、間違っていることを除けば。

  祖先的進化環境へのESSとして適応してきたに過ぎないものを「人間の本性」などと呼んで善と同一視することがそもそもおかしい、ということをいったん脇に置いたとしても、ホモ・サピエンスという種は、すでに圧倒的に自己飼育化*2の産物である。

 今日、人々がアメリカで「手つかずの自然」と信じているものは、一万年数千年前に起きた人類の進出(参考)と、近代のヨーロッパからの大規模な生態系移植(参考)の結果である。

 そしてもちろん、アフリカ=ユーラシア大陸の「手つかずの自然」とは、人類とその他の生物の数百万年の共進化の結果でしかありえない。

 「人間の本性」とか「人間の都合とは独立した生きものたち」などというのは、ただ単に間違っているのではなく、間違うことすらできていない幻想である。

第三章 本来のいのちある自然とは何か

 ポストモダンの哲学者の中には、真実は個々人の世界観にのみ依存する相対的なものであり、大自然というような客観的な実在はないと主張する人々がいます。彼らは、自然という区分はある種の文化に発生した誤った二分法に基づくものであり、他の文化には存在しないものであると主張しています。私はそのような考え方を面白いとも感じますが、それも数分のこと。これまで私は、自然の生態系と人間の干渉を受けた生態系の非常に鮮明な境界を何度も横切ってきた経験をしており、生きた本来の大自然(Nature)の客観性を疑うことはできません。

 私は、いわゆるポストモダン哲学や極端な相対主義も嫌いだが、ここではそちら側に加担せざるをえない。

  • 「大自然というような客観的な実在はない」

 などということは、ポストモダン哲学者よりも、むしろ進化生物学者こそが、キリスト教者に対して訴えるべきことだろう。

 次の引用部分は、若干補足が必要だと思う。キリスト教の中には、

  • 自分たちが生きている間に今の世界には終末が訪れる、そして自分たちは素晴らしい天国に迎えられる

 という考え方が、今も根強く生きている。そのような考えの人は当然、持続可能性などには関心を持たない。ウィルソンは本全体を通してそれを危惧している。

第九章 否定とそのリスク

 パストール、私か最も恐れるのは、創造された生きた自然[the Creation 被造物]への破壊に、ほとんど何の危険も感じないような、宗教的・世俗的なイデオロギーの結びつきが蔓延していることです。以下は、生物多様性にほとんど重要性を認めず、人は大自然をますます離れてこそ益多い者なのであり、自然に向けて次元上昇[アセンド]するようなものではないとする意見を持つ牧師がいれば、こんなスピーチもするだろうと想像して、私か創作したものです。

 兄弟姉妹、やがて地上から消えていくものたちのために、嘆くことなかれ。生命は変化です。絶滅もまたときにはよきものです。私たちは生命の新たな次元として、人を祝福しましょう。「略取」された地球を、新しい生命圏として祝福しましょう。進歩の障害となる種は消滅するにまかせましょう。人の登場する以前も、生態系と種の変転は通常のことでした。人のさらなる利益のために、世界の生物多様性が貧しくなることがあるとしても、私たちヒトという種に危険はありません。資源が枯渇すれば、天才的な科学技術者たちが、新たな資源を見つけるでしょう。

 善き人々よ、宇宙に目を向けましょう。天国を見上げましょう。絶滅した動植物を、未来世代への苦き遺産と考えるのはやめましょう。わたしたちは、歴史的な建造物を保存するのと同じように、過去の形見として、自然公園を保存することができます。高度の生物工学的な技術によって新しい生態系を創造し、人の力で創造された生物種をそこに棲まわせることもできるでしょう。どんなにすばらしい生物が創造されていくか、まだ私たちは知りません。それはかつてないほど審美的な魅力に満ち、多方面で有用な、技芸の産物となることでしょう。古く、原始的な環境は、人の手によって作り出されるはるかに優れた環境に置き換えられていくのです。完全に人間化された環境、人間が自分自身で作り上げるパラダイスのもとで、かつてない繁栄を果たすこと。それは私たちの未来技術によって可能なことであり、神の摂理にもかなうことです。それが私たちの定めなのです。来たるべき世代、人々は在庫の化学物質を利用して薬剤を合成するようになるでしょう。遺伝的に改良された数十種の穀物種から食料を生産するようになるでしょう。持続可能なエネルギー資源をコンピューターで管理することによって、大気も、気候も制御されるようになることでしょう。この古き地球は、これまで数十億年(これは、六千年とするのが望ましいと言われるかもしれませんが)の間そうであったと同じように、自転を続けていくことでしょう。

 しかし、地球というこの惑星は、比喩ではなく、文字通りの存在として、宇宙船になっていくのです。宇宙船地球号の操縦室には、人類の最も優れた人材が配され、モニター画面を見つめ、ボタンを押し、私たちの航行を安全なものとしてくれることでしょう。

 ここにあるのは、地球で特別の位置を占める人間は、大自然の法則の外にあると考える、人間特例主義の哲学です。人間特例主義は、以下の二つの、いずれかの形をとります。第一の形は、先に例示したような、世俗的な形式です。コースを変える必要はない、人間の天才が解決策を見出していく、という考え方です。第二は宗教的な形です。コースを変える必要はない。何にせよ、私たちは神の手の中、あるいは神々の手の中、地球という業の中にあるのだと考える形式です。

 実を言うと、地球の未来に関する私自身の意見は、ここでウィルソンがあげている悪い例と、そう遠いものではない。もちろん、わざと馬鹿に見えるように書いてある部分を除けば、だが。

 第一、この本それ自体が、科学と宗教が協力して

  • 「宇宙船地球号の操縦室には、人類の最も優れた人材が配され、モニター画面を見つめ、ボタンを押し、私たちの航行を安全なものとしてくれる」

 ようにしよう、という訴え以外のなにものでもないではないか。

  • 「持続可能なエネルギー資源をコンピューターで管理することによって、大気も、気候も制御されるようになる」

 ことを敵視しながら、どうやって地球温暖化を解決しようというつもりなのか。

 ウィルソンがその程度のことも考えていないとは思わない。もしかしたら、これは宗教右派にすり寄るためのテクニックのつもりかもしれない。

 宗教右派自身の主張を、彼らが嫌っている「科学」の主張であるかのように見せかけて内部で離間させようとする、巧妙な藁人形論法のつもりなのかもしれない。

 しかし、実際にこの例のような考え方をする宗教者がいたとして、こんなレトリックで意見を変えるとは思わないし、変えたとしても別の馬鹿な考えに行き着くだけだろう。

 アメリカの現状を鑑みるに、宗教の力を借りたいという気持ちはわからなくはない。むしろ、大いにわかる。だからといって科学の方からこんなすり寄り方をするのは、元も子もなくす可能性が高い、危険すぎるテクニックに見える。

第十章 最後のゲーム

 人類のハンマーが振り下ろされ、第六の絶滅が始まってしまいました。人類によるこの破壊行為が停止されず継続すれば、回復不可能な激しい消失の過程は、今世紀末には中生代末の大絶滅のレベルに達すると予想されています。

(中略)

 先行する五回の大絶滅は、自然選択によって修復されるのに平均一〇〇〇万年を要しました。一〇〇〇万年のスランプをまた経験するというのは受け入れがたいものでしょう。人類は決断を必要としています。それもいますぐです。地球の自然遺産を保全しましょう。そうしなければ、未来の世代は生物学的な貧困の世界に適応していくしかありません。この選択を回避する道はありません。動物園や植物園に頼れないことはすでに説明したとおりです。空想的な著者の中には、最後の手段にかかわるアイデアをもてあそぶ人々がいることも承知しています。未来の再生を目指して、受精卵や組織を凍結する方法で数百万の現存種やさまざまな品種を保全しようなどと彼らは主張しています。あるいはすべての種の遺伝暗号を記録して、後日、そこから種の再生を目指そうなどとも主張しています。どちらの提案もリスクが高く、膨大な経費を必要とし、最終的には実のないものとなるでしょう。仮にそれらの方法によって、危機に瀕した地球の生物多様性がことごとく再生され、交配を通して集団としても再生され、二一世紀において「野生」と判定される領域への帰還を待つばかりになったとしても、その場において生存可能な個体群を個々に再構成していくことは、実行不可能というしかありません。生物学者は、複雑で自律的な生態系をゼロから組み立てる方法などまったく知らないからです。いずれ理解できる時が来るとしても、その時、人間による改造を強く受けてしまった地球の条件下では、もはやそのような再構成は不可能と判明するのではないでしょうか。

 人間特例主義者たちは、以上のオプションの先にさらに最後の提案を用意しています。いつの日か科学者たちは人工生物や種を創造し、それらを組み合わせて合成生態系を作り出すはずとの希望を持って、生命圏の貧困化など気にすることなくこのまま進もう、という主張です。未来の世代には、大自然の失われたニッチを再び人工生命で満たさせよう。たとえば人間を襲わないようにプログラムされたトラモドキ。トラモドキは人工的に輝き燃え、刺しも噛みもしないムシモドキたちの満ちる森林モドキの中を行く――というわけですね。仮にファンタジーの世界だけの話だとしても、人工的な生物多様性という発想には、以下の言葉が適切です。冒涜、堕落、嫌悪。

 以上に紹介した有効性のない諸提案は、残念ながらどれも実際に提案されたことのあるものばかりなのです。それらの夢はいずれも愚かなものです。いまという時代はサイエンス・フィクションの時代ではありません。常識をもって、以下のような処方に従うべき時代です。生態系と種を救うには、個々の種の独自の価値を一つ一つ理解し、それらの運命を左右することのできる人々を説得して、生態系と種のお世話役をつとめてもらうしかないのです。

 私は知らないが、科学者の誰かがそんな非現実的な提案をしたことはあるのかもしれない。だが、それが科学の世界で真剣に受け取られたり、ましてや広範な支持を受けたりしたことはないはずだ。

 これもまた前の引用部分と同じ、宗教右派自身の主張を、彼らの嫌う「科学」の主張と錯覚させようとする巧妙な藁人形論法にしか見えない。

  • 「人間を襲わないようにプログラムされたトラモドキ。トラモドキは人工的に輝き燃え、刺しも噛みもしないムシモドキたちの満ちる森林モドキの中を行く」

 という描写には、私はイザヤ書の一節を連想させられる。これはやはり、科学の言葉に置き換えられただけの、伝統的なキリスト教的自然観だ。

 今の世に「人間特例主義者」などと呼ぶべき人々がいるとすれば、それは、

  • 人間以外の自然は全て神に創造された完全なもので、悪や不完全さの全ては人間の罪に由来する

 という宗教的ドグマを無理矢理にでも維持しようとする宗教者と、それにすり寄る科学者であろう。

*1:まあ、もし自分が、確固たる信仰を持つアメリカ南部の牧師だったら……というのは、私に取ってあまりに大きすぎるif なので、まともな想像が可能とは思えないが。
*2:この単語でググってみたら何かトンデモくさいページばかり引っかかるが、最近『火の賜物』でも出たばかりの話だ。

おまけ

 この世はでっかい宝島♪

by 木戸孝紀 tags: ブックマークに追加する

2009 4/25

五〇〇億ドルでできること

 コペンハーゲン・コンセンサスというものがある。

 要するに、古典物理の原則に固執したり思弁を弄んだりするのはやめて、波動関数の収縮はとにもかくにも起きるのだという量子論的実験結果を素直に受け止めよう、ということ……じゃないそれはコペンハーゲン解釈

 要するに、世界に山積する重大問題をちゃんとした根拠とりわけ経済学の観点から評価して、優先度を見極めようぜという議論。『環境危機を煽ってはいけない』ビョルン・ロンボルグが提唱者らしい。

 内容についてはもっとよくまとまっているところがいっぱいあるのでそちらを見てほしい。この本自体も論文のまとめみたいなもので、それ単独で読んでいて面白いかというと微妙ではあるが、私自身はこの観点にほぼ全面的に賛同するものである。

参考リンク

関連書籍

おまけ

by 木戸孝紀 tags: ブックマークに追加する

2009 4/14

エコ・テロリズム―過激化する環境運動とアメリカの内なるテロ (新書y)

 上の記事で見てようやくこの分野の入門書として本当におすすめできる読みやすい本が出たかなと思って早速借りてきたが正解。

 全体で200ページとちょっとの新書だが、変な陰謀論やポジショントークに陥ることなく、歴史的・思想的背景を幅広く取り上げている。

 また参考文献の表記が非常に充実しており、この分野で重要な本がほとんど一覧できると言ってもいいぐらいだ。この問題に興味を持った人のための最初の一冊としてベストと言えるのではないか。

 どちらかというと環境運動の側に同情的で、タイトルに反発を憶えるような人にもおすすめできる。著者は、

 素朴に、それこそFBI的に(もっとも彼らは政策的意図からそうしているのだが)「エコ・テロリズム」という概念のみを用いて分析していくことは、歴史的背景を、そして事の本質を、見誤ることに繋がるだろう。

 と述べており内容もそれに沿っている。おそらくタイトルは、商業的事情から著者の意図に反しても派手にせざるをえないのだろう。

 ちなみに参考文献のひとつ池上俊一氏の『動物裁判』は『針の上で天使は何人踊れるか』を発見するまでここで使おうと思っていた本だし、「はじめに」では『地球が静止する日』と黙示思想の関係に言及されたりしていて、一瞬お前は俺か感に捕らわれた。

関連図書

おまけ

 確かに「市民的不服従」は(というか「市民」自体も)日本では全然理解されてない概念だ。

by 木戸孝紀 tags: ブックマークに追加する

2009 1/9

ヨーロッパ帝国主義の謎―エコロジーから見た10〜20世紀

 アルフレッド・クロスビーつながり4冊目。それなりに面白かったが、『銃・病原菌・鉄』とほぼ完全に重複する内容であり、そちらの方が時代的にも後でより洗練されているので『銃・病原菌・鉄』を読んだことがある人は、差分の分しか面白くないかもしれない。訳者あとがきより。

 本書の原題はEcological Imperialism: The Biological Expansion of Europe, 900-1900,直訳すれば「生態学的帝国主義、西暦九〇〇~一九〇〇年のヨーロッパの生物学的拡張」という事になるだろう。

(中略)

 我々が普通「帝国主義」という後を使う場合、欧米の先進資本主義諸国が弱小国を収奪し、植民地獲得競争をくり広げ、しかもそれが悪であるという自覚はあまりなかった一九世紀後半以降第二次世界大戦までの世界を思い出す。本書の著者クロスビーは、太古の人類であろうとも、一民族が他の民族の土地を奪ったり領土を広げたりする行動を「帝国主義」だという。一五世紀末に新大陸を発見し、次々に発見されてゆく新しい土地を自分のものにしていったのは、ヨーロッパ諸国の典型的な帝国主義的行動だった。しかもそれを可能にした根本には、生物学的、生態学的諸要素が厳として存在することを本書は的確にとらえている。

(中略)

 さらに本書は、一六世紀以降、ヨーロッパ人の世界進出を助けたものとして、病気だけでなく、馬、羊、牛、豚などの動物、それに雑草などの植物に注目している。各地でこれらヨーロッパの家畜が野生化し、爆発的に繁殖したのはなぜか。ヨーロッパの雑草がアメリカやオーストラリアであのように旺盛に広がり、以前からある植物を駆逐していったのはどういう生態学的機能の働きなのか。新世界の植物で旧世界で盛んに繁殖するものがあんなに少ないというのに。

(中略)

 また著者には一九世紀的な人種主義が全く無いことも指摘しておく。アボリジニーやインディアンなどが、ヨーロッパ人より劣っているという考えがほんの少しでもあったら、遠い国々をヨーロッパ人が支配していることが当然至極のことと思え、それについて考えてみようという気にもならないだろう。偏見から自由になったとき、どれほど多くのことが見えてくるかを本書は教えてくれる。

参考リンク

関連図書

おまけ

 農業とか植生とかヨーロッパとかいろいろつながり。ただの草刈りのはずなのに何故かシュール。

by 木戸孝紀 tags: ブックマークに追加する

2008 12/20

環境危機をあおってはいけない 地球環境のホントの実態

 昨日の映画と、『生物多様性という名の革命』山形浩生で思い出した。

 要するに「このままではもうすぐ人類は滅亡する!」みたいな恐怖を煽るお決まりの話には眉に唾つけて、環境対策はリスクとコストとベネフィットを総合的に判断してやろうぜ、という話。

 核融合エネルギーの実用化可能性について楽観的すぎたりとか、つっこみたくなるところはいくつかあるが概ねまともと言ってよい内容。

 ただし、これに便乗したかのように反エコブームブーム本みたいなのが多く出ていて、そういうのは内容的にも怪しいのが多い。そういうのに手を出すぐらいなら大部だけど頑張ってこれを読んだ方がいい。

参考リンク

おまけ

 地球つながり。

by 木戸孝紀 tags: ブックマークに追加する

2008 12/20

地球が静止する日

 わははは! 予告編を見てこれはダメ映画だと確信していたが、ある事情でダメなのを期待して観に行った。そして期待以上にダメダメで嬉しかった! つまんなくて嬉しかった映画は生まれて初めてかもしれない。人には全くすすめられないのでネタバレは気にせず行きますよ。

(ネタバレ注意!)

 リメイク元の『地球の静止する日』は古典的名作SFである。友好的異星人像を初めて真面目に描いたと言ってよい先駆的な作品だった。原作のハリイ・ベイツ『主人への告別』も、映画とはあまり関係がなくなってしまっているがオチだけは印象に残るいい作品だった。

 ああ、それなのにリメイクはどうしょうもないただの黙示文学。SFキリスト物語になってしまった。いつの時代も天からやってきた神の使者は「悔い改めなければ人類は亡びる」と言うことになっている。*1

 そして自分の気に入らない人間ともの、時の政府・軍隊・警察・文明を滅ぼし、自分の気に入った人間ともの、動物・バッハの音楽・ノーベル賞学者・「宇宙では本当に失われるものはない、形を変えるだけなのだ」とかいう高尚な哲学を教えてやれる黒人の阿呆餓鬼・そしてもちろん自分自身は救ってくれることになっている。

 終盤CGのペプシマンが鉄とシリコンのイナゴにはっちゃけて、ここまで期待通りにクソだと、1%ほど残っていたまさか『主人への告別』のオチが復活したりせんよな? という不安も消えた。00年代もそろそろ終わりに近づくかという時になって20世紀的後半的な思想を間接的に思いきり虚仮にしてくれて、私としては非常に気持ちよかったのである。

 しかしSFキリスト物語といえば、女が手引きして病院から脱出させ、老学者の元へ連れていき、そこへやってきた追捕のヘリを超能力で撃退、あたりの流れはまるで『異星の客』が原作のように見える。と、いうかほんと逐語訳レベルでそっくりじゃん。パクリというほどではないが、とても偶然とは思えん。ハインラインの影響力は伊達じゃねーな。

*1:悔い改めなければならないものは元では冷戦と核戦争だったが今では当然環境破壊。

関連作品

おまけ

 3:00から。メタルマックスは91年か、当時としては何もかも図抜けたセンス。

by 木戸孝紀 tags: ブックマークに追加する