有名すぎる本だけど、このエピソードがなんか無性に好き。
プサンメティコスはいろいろ詮索してみたが、人類最古の民族を知る手段を発見できず、とうとう次のような方法を案出した。生れ立ての赤子を全く手当り次第に二人選び出し、それを一人の羊飼にわたして羊の群と一緒に育てるように言いつけ、その際子供の前では一言も言葉を話してはならぬ、子供はほかに人のいない小屋に二人だけでねかしておき、然るべき時々に山羊を連れていって十分に乳を飲ませ、そのほかの世話もするようにと厳命しておいたのである。プサンメティコスがこんな手筈を整え、こんな命令を出したのも、赤子が意味のない喃語を語る時期を脱したとき、最初にどんな言葉を発するかを知りたいと思ったからにほかならなかった。この計画は王の思いどおりにいって、羊飼は言いつけられたとおりを行なって二年たったある日のこと、小屋の戸を開けて中へ入ると、二人の子供は手を延べて彼のところへ駈けより「ベコス」といった。はじめ羊飼はそれをきいても、そのことを誰にも語らなかった。しかし赤子の小屋へゆき世話をするごとにこの言葉を聞くのが度重なって、羊飼はとうとうそれを王に報告し、王の命令によって赤子を王の前に連れていった。王も自分の耳でその言葉を聞くと、「ベコス」という言葉を使うのは何国人であるかを調べさせた。そして詮索の結果、プリュギア人がパンのことをベコスということが判ったのである。
エジプト人もその実験の結果から判断して、とうとう今までの主張を譲歩して、自分たちよりもプリュギア人の方が古い民族であることを認めるようになったのである。
(ヘロドトス『歴史』上巻 P161-162)
なんというか、人間と社会の、昔と変わってしまった部分と変わらない部分が、絶妙に混ざり合ってる感じが好き。
おまけ
“ふたりはプリュギア” に一致する日本語のページ 8 件中 1 – 8 件目 (0.05 秒)
by 木戸孝紀
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ショウペンハウエルの三編を収録した薄い文庫本。引用はすべて『著作と文体』より。
書名は手紙のあて名にあたるべきものであるから、先ずその内容に興味を持ちそうな読者層に、その書物を送付する目的をもつはずのものである。だから、書名は独自の特徴をそなえるべきである。また短いことが書名の生命であるから、きわめて簡潔で含蓄豊かであるべきで、その上なるべくその本の内容に対して花押の役を果たさなければならない。したがって冗長な書名、何一つ特徴のない書名、曖昧不明瞭な書名、あるいはそれどころではなく内容を誤った見当はずれの書名はいずれも、つたない書名である。ことに見当はずれの書名をつけられた本は、あて名を間違えられた手紙のような目にあいかねないのである。
タイトルのつけ方。
ドイツでは、出版言論の自由は最近かちとられたばかりであるが、たちまち破廉恥きわまりないほど濫用されるようになった。だが少なくとも、匿名、偽名はすべて厳禁という手段によって、この自由に制限を加えるべきであろう。我々の言葉を広範囲に伝達する印刷というメガフォンによって、公衆に呼びかける者ならばだれでも、少なくともひとかけらはそなえているはずの名誉心に訴えて、自分の発言に責任を負わせること、また名誉心のひとかけらもない者に対しては、その名前だけでその発言を無効にすることが、この自由制限の目的である。匿名で書いたことのない人々に匿名による攻撃を加えるのは明らかな破廉恥行為である。
匿名批評家は、他人や他人の著作についてとかくの批判を加えながら、自分が批判している当人であることを明示しようとしない者、その名を示さない男である。匿名批評はすべて欺瞞を目ざしている。だから警察が覆面の往来歩行を許さないように、匿名執筆も容赦すべきではないだろう。いったい匿名主義の評論雑誌は、無恥が学識を裁き、愚昧が聡明を裁いても、また悪書を奨めて大衆から金銭と時間を詐取しても処罰されずにすむまったくの無法地帯である。いったいこのようなことが許されてよいのか。匿名こそ文筆的悪事、特にジャーナリズムの悪事一切の堅固なとりでではないか。したがってこのとりでは、根こそぎ破壊されなければならない。すなわち一般にいかなる新聞記事にも、執筆者の名前を付し、署名の正しさについては編集者にきびしく責任をとらせるようにしなければならない。このような措置をとれば、とるにたりない人物の住所でも明らかなのであるから、虚偽の新聞記事の三分の二までが消滅し、厚顔無恥の毒舌も制限をうけることになるだろう。
匿名論議。
確かにできるだけ偉大な精神の持ち主のように思索すべきではあるが、言葉となれば、他のだれもが使うものを使用すべきである。(中略)大切なのは普通の語で非凡なことを言うことである。しかし彼らのやり方は逆である。すなわち彼らは俗悪な概念を高尚な語で包もうとする。ごく普通の思想を異常な語句、気取りきった不自然奇妙この上ない言い回しでくるもうとする。彼らの文章はつねに竹馬に乗ったように、気取った足どりで進む。要するに彼らに気に入りの文体は僭越、高慢、華美、誇張、大げさを特徴とする。
この後「現代の三文文筆家連が我が国の美しい国語を亡ぼそうとしておーる!」みたいな話が延々と続く。
ほんまにいつの時代もやってることはなんも変わらんな、という感想。これ自体としてあまり面白かったとは言えない。
おまけ
ドイツ語つながり。もう何年も前の事件のような錯覚に襲われる。
by 木戸孝紀
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