2007 7/8

2ちゃんねるはなぜ潰れないのか? (扶桑社新書)

 読んだ。面白い。内容的には特にどうということはないのだけど改めて思った。やはりひろゆき*1という人は本当に不思議だ。

 いい加減な根拠でハチャメチャな思考をしているような時でも、結論としてはなぜか重要な部分を必要十分なだけ掴んでしまう。たとえばこの辺、

 ’70年代には、宇宙に行けばきっと何かあるはずだなど、無限の未来に対する無限の投資がありました。しかし、アメリカは国家として巨額の投資を行ったにもかかわらず、最終的に何もないことに気づきNASAの予算は削減された。国家として、技術に投資を行うことが減ってしまったのです。この時点で、未来というものは科学的に何かを行うものではなくなってしまったのだと思っています。そうなると、今までどおりの日常が、今後何十年も続いていくいくだけなのではないでしょうか。

 最後の一文以外はまったく寝言以外の何物でもないのだけど、最後の一文の持つ意味はなかなか深い。

 本の他の部分で言っていることも考え合わせると、どういう根拠かわからないがここで書いたような感覚を持っているらしい。

 「2ちゃんねるが巨大になったのは単に適切な時期に一番大きな掲示板だっただけ」とか、「裁判所に賠償を命じられても応じなければ取られない仕組みになっているから払わない」とかの発言に見られる異常なまでの達観はどういうバックボーンから生じたものなのだろうか。一度親の顔が見てみたい。*2

*1:もはや芸名に近いものと思われるので敬称略。
*2:別に悪い意味ではなく。

おまけ

 世界市場というもの。

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2006 6/1

お寿司

 2ちゃんねるのVIP系ブログが軒並み閉鎖に追い込まれた問題。のまネコ以来の興味をそそられるネット問題だ。

 Bloglinesで関連エントリに初めて触れたとき、私の脳裏に初めて「2ちゃんねるの終わりの始まり」という言葉が浮かんだ。

 これまでどんな事件が起ころうとも、mixiにトラフィックで抜かれたとか、ブログブームで役目は終わったとか、どんな理屈を聞かされようとも、決して浮かぶことのなかった感覚である。

 ここで言う「終わり」は必ずしも消滅や閉鎖を意味しない。少なくとも21世紀初頭に確かに存在した「2ちゃんねる」はなくなるのではないかという意味である。

 その感覚はどこから来るのかちょっと確かめてみたくなったので、まずはその感覚と無関係な部分を整理してみたい。

 まず「編集だけで対価を取ってる仕事なんて世の中にいっぱいあるよ!」という切り口(参考:中間情報産業への無理解)。

 これは攻撃側も言われなくても承知の上のはずだ。もちろん本当にわかってない人もいることはいるだろうが、多くは脱税云々もふくめて全部戦闘手段と割り切っているのだろうと思う。

 また書き込みの財産権がどこにあるかとか、脱税の有無とかは、あくまで2ちゃんねるの規約と法律の話だ。

 特に法律に不備があるとかそういう話になっているわけでもないようであるし、今まで曖昧だったというならこの機会にちゃんとすればいいというだけの話だ。現にさっそく規約が改訂されたようだ。

 次に祭り状態そのものは燃料があって火がつけば燃える、というごく順当なもので特別に興味をそそるような変わった要素はないように見える。

 燃料は主にアフィリエイトによる金銭面の妬みの感情、火はブロガーの誰かがネタ元に敬意を払わずむしろ侮辱するようなことをしたらしいということ。

 燃料の方はわかりやすい。誰だって他人が楽して儲けているように見えたら妬ましい。妬みだからいけないと言っているわけではない。突き詰めれば人間のモチベーションなどほとんど妬みだ。

 ただし今回まとめブログが特別嫉妬されやすい状況にあったことは疑いない。嫉妬とは自分よりうまくやっていてかつ「自分にもできる」と思われる範囲の相手に対して起きるものだからだ。

 自分より評価が高いからといってビートルズに嫉妬するバンド、手塚治虫に嫉妬する漫画家、モーツァルトに嫉妬する作曲家などいない。

 『アマデウス』のサリエリは? と思うだろうが、それこそ法則を試す例外というもので、彼自身が歴史に名を残すほどの能力があるから嫉妬“できる”のだ。*1

 ログの編集とアフィリエイトによるブログ運営は「自分にもできる」と思わせる絶好の要素を揃えている。載っているのは自分の書き込み、アフィリエイトを貼るのもブログを更新するのも「自分にもできる」ことであるから。

 火がついたきっかけの方には少し解説が要りそうな気がする。この手の話への経験が浅いと「どうして敬意を払わないとか侮辱がどうとか些細なことでそんな過激な行動に出るんだ? こいつらみんなゲーム脳のコイズミ政治の犠牲者の下流ニートネトウヨ君ばかりに違いない!」とわかりやすい結論に飛びついてしまいがちだが、実情はそこまで簡単ではない。

 ネットというのは言わば魂しか存在しない世界である。肉体は存在せず、したがって生も死もなく、お金も動かない*2世界である。だから、そこで長く暮らしている人格・そこで生まれたコミュニティは必然的に現実とはかなり異なる倫理感覚を持つことになる。

 それは生命や危険を顧みず*3金銭を汚しとし*4何よりも礼節を重んじ侮辱を許さない*5というものだ。つまり良く言えば武士道精神的な、悪く言えばヤクザな倫理である。そう、なんかそんな台詞あったなと思ったらジョジョ5部のギャング、ポルポだった。

 われわれは金や利益のため、あるいは、劇場やバスの席を取られたからといって、人と争ったり、命を賭けたりはしない。争いは実にくだらんバカのする事だ。

 だが!「侮辱する」という行為に対しては、命を賭ける。殺人も、神は許してくれると思っている!

 というわけだから、ネットと現実の境界で軋轢が起こるとき、現実側に軸足を置いている人間から見ると、ネット側の人間はとんでもないヤクザに見える*6し、ネット側に軸足を置いている人間から見ると現実側の人間はものすごく惰弱でこすずるい奴に見える*7のだ。

 要は異なる文化圏のディスコミュニケーションなのである。そこから発生するトラブルを回避する能力は、ネットと現実は本当の本当にどこかで繋がっているということを理解しているかどうかによる。

 できないまま行くところまで行ってしまうと、ネット側では警察が部屋のドアを叩くことによって(もうだめぽ)、現実側では回り回って金銭的・現実的な損害が発生することによって無理矢理気づかされることになる。

 前置きがものすごく長くなってしまったがこれでようやく私の感じた“感覚”に関係なさそうなところは整理できた。まだ残っている違和感を探っていけば本題にたどりつけそうだ。

 まず1つめは、内ゲバ的であること。いくらアフィリエイト云々の事情があるにせよ。「2ちゃんねるのログをまとめる」という紛れもない「2ちゃんねる的」な対象が祭りの対象となっていること。

 これまでは祭りのたびに身びいきだのダブルスタンダードだのと非難された*8ように、「内(味方・2ちゃんねる的なもの)」、「外(敵・反2ちゃんねる的なもの)」という区別を簡単につけることができた。

 これまでであれば「内」に当たるのは2ちゃんねるそのものだったり2ちゃんねらーだったり2ちゃんねる発の団体だったり運動、「外」に当たるのはマスコミだったり企業だったり時には政府、とある程度決まっていた。今回いわゆるVIPPERとVIPブログ連合の間にはそういう区別はつけられない。

 2つめ、運営側が即座に*9拡大・解放よりも権利・利益の確保というベクトルの判断を示したこと。

 今までの2ちゃんねるは「バスジャック犯が書き込みしてたといって話題になろうが、たびたび犯行予告で逮捕者が出ようが、賠償を訴えられて金を取られようが、それで話題になって2ちゃんねらになる人が増えるならラッキー」というノリでやってきた。*10

 今回だって「まとめブログから流れてくる人もいるんだしいくらか還元してくれればいーじゃん」という対応の仕方もあったと思うし、私も第一報の時点ではそうなるものと思っていた。

 しかし、実際に取られた措置はそうした来るものは拒まずと言うか、細かいことはどうでもいいからとにかく来い、というノリとはまったく逆方向を向いている。

 つまり私の感じた「終わりの始まり」という直感は、ちょっと詳しく言えば「2ちゃんねるは成長の限界に達し、あらゆるものを取り込んで広がり続ける混沌から、現状を維持しそのためならば時に排除もする存在へと性質を変えつつあるのではないか」ということになる。

*1:無論フィクションだということはひとまずおいて。
*2:少なくとも最近まではそうだった。
*3:どうせネットで何やったって死なないから。
*4:どうせネットで何やったって儲からないから。
*5:それだけがネットにおける“リアル”だから。
*6:「なんでそんなくだらない理由で殺人予告とかするの!? 命をなんだと思ってるの! 信じられない!」
*7:「ちょっとぶっ殺すとか言われたぐらいですぐ警察とか言い出しやがって! 空気の読めない卑怯者のアホめ! 信じられねえ!」
*8:というか実際にそうだった。
*9:と言っていいほどの早さで。
*10:少なくとも私の中では最近までそういうイメージだった。

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