2011 12/12

(本文とは無関係)

 2011年を表す漢字は「絆」。日本漢字能力検定協会(京都市下京区)が12日、全国から公募した「今年の漢字」を発表した。世界遺産・清水寺(同市東山区)で、森清範(せいはん)貫主(かんす)が巨大な和紙に墨で書き上げた。

 東日本大震災や台風被害に揺れた今年1年を反映し、2位は「災」、3位は「震」と続いた。「今年の漢字」は阪神大震災が起きた1995年の「震」に始まり、今年で17回目。(岡田匠)

(asahi.com(朝日新聞社):今年の漢字は「絆」 – 社会)

 こんなん予想できるか! 出来レース許せんやり直しを要求するー!

HN 予想
細草 『反』
ブリキの 『嵐』
木戸孝紀 『信』
oryza 『地』

 というわけで当然のように全員玉砕。しかし、前回のコメント欄まで考え合わせるとけっこう惜しいとも言えるかな。

 oryzaさんの『地』はもちろん震災、ブリキのさんの『嵐』も台風10号で本当にあったし。「なんとなくプラスにもマイナスにも関連付けが容易そう」ということで選んだ私の『信』は「絆」と基本的に同じ方向性だし、コメント欄で触れた大停電も実現。

 予想と予想の当たらなさを楽しむという趣旨は十分に満足されているような。というわけで来年度もやろう。

 ルールは簡単。2012年12月に発表される今年の漢字を予想して下さい。

  • ここのコメント欄に書いて下さい。
  • 応募有効期間は今から2011年12月31日までです。
  • 同じ字を選んだ場合は早いもん勝ち。先の人だけ有効です。別の字を選んで応募し直すのはありです。
  • 見事的中した人には……何も出ませんが神扱いします。
  • よってたかって予想して全員外れたら……鬼の勝ちです。笑われましょう。

2012/01/01追記

 2012版の予想は以下のようになりました。

HN 予想
じゃっきー 『破』
ブリキの 『電』
細草 『合』
木戸孝紀 『核』
KG 『復』

おまけ

 ポポポポーンに始まりPONPONPONに終わるのか。

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2011 12/10

表現の自由を脅すもの (角川選書)

 なんだかそれっぽい話題が聞こえてきたので、久々にジョナサン・ローチ『表現の自由を脅すもの』から2ヶ所引用。

我々は、批判や吟味、正しい憎悪や脅しを押し止めようと欲するものではない。」ところで何時も困ることといえば、ある人の憎悪に満ちた発言は、別の人の真摯な批判であるということである(「ホロコーストはイスラエルの捏造である」)。そうなると、誰が線を引くべきか。

人を傷つける邪悪な意見が駆逐されれば、社会はもっとよくなるだろう。」多くの人たちは言う。「悪いことを言いかつ信じる人たちを罰し、そして追い払う必要があるということは、恥ずべきことだが、しかしそれは、文明化された人々を文明化されていない人々から、圧迫されている人々を圧迫者気取りの人たちから守るために、我々が支払わなければならない対価である。」別の言葉で言えば、オムレツを作るためには、幾つか卵を割らなければならないというのである。ジョージ・オーウェルが言ったように、答えはイエスであるが、しかし、オムレツは何処にあるのか。
 宗教裁判といえども、コペルニクスの考えを押さえることはできなかった。せいぜいそれがやったことといえば、知識の進歩を遅れさせ、人々を殺したことであった。新たな異端審問も、同じ事しかできない。信念を抑圧しようという試みは、かえってそれらの信念に注意を向けさせ、有名な裁判事件に仕立て上げてしまう。人種差別的、ホモ恐怖的、あるいはその他諸々の意見は許されるべきではないと強調すると、如何なる大学二年生でも、あからさまな人種差別主義者やホモ恐怖論者であるというだけで、確実に新聞のトップ見出しを飾ることになり、それは、多くの二年生にとってはこらえられない誘惑になるであろう。不快な言論は、人々が怒って喧嘩を売ろうとすれば、もっと不快なものになる。憤慨は四方八方でエスカレートする。しかし誰の考えも変わりはしない。

 また引用だけで終わるのもアレなので、自分の昔のツイートをちょっと引き伸ばして追記。

  • はじめから表現の自由を規制より好む人

 はいない。それは

  • 生まれながらに自由貿易を重商主義より正しいと感じる人

 とか、

  • 生まれながらに賢人独裁より普通選挙を正しいと感じる人

 とか、

  • 生まれながらに進化論を信じて創造論を理解できない人

 などと同様に、全くありえない存在だ。これらの制度・理論は、あまりにも本能・直感に反するもので、特殊な教育によらなければ信じさせることはできない。

 これらのうち普通選挙は一番救いがある。たとえ仕組みそのものが正しいとは信じられなくても、集団の中で自分が平等に扱われることを求める人間の本能には、完璧に訴えることができるからだ。

 自由貿易や進化論にもまだ救いがある。本能には逆らっても、実利や証拠の助けが得られるからだ。たとえ大衆の理解や支持が得られなくても――実際に今日でもしばしば得られない――関わる人は真剣に支持するインセンティブを持てる。

 表現の自由は本能の助けも実利の助けも証拠の助けもまったく得ることができない。

 社会的に受け入れられていく過程が、おおむねこの順序になっているのは、たぶん偶然ではないのだろう。

おまけ

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2011 9/23

(本文とは無関係)

 台風15号では、自分自身はタイミングが良くて、一滴の雨にすら降られずに済んだ。

 しかし、家に帰ってみたら今年買ったばかりのすだれがものの見事にへし折れて真っ二つになっていた。

 すだれにしてはそこそこ太い竹でできていたものなのに、台風の威力恐るべし。

 こんなこともあろうかとちゃんと紐で縛りつけておかなかったら、ベランダからどこかへ飛んでいって困ったことになっていたかもしれない。

おまけ

 そろそろ秋ですなあ。

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2011 6/17

(本文とは無関係)

 中川翔子のふしぎなおどりのパワーで思わず『ゼルダの伝説 時のオカリナ 3D』をポチッてしまった。

 まあもちろん、全然稼動していない3DSの救済策を前から探していたという事情もあるが。

 Wii Uもいかにもイケてない感じで最近冴えない任天堂だが、この辺からソフトパワーで持ち直したりするのだろうかね?

 さて、Minecraftも思うようにプレイ出来ていないのに、やる暇あるかなあ……。

おまけ

 3Dつながり。

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2011 4/2

宇宙をかき乱すべきか〈下〉 (ちくま学芸文庫)

 上巻に続いて下巻から、クリーンエネルギー関連の話題。

 短絡的な善悪二分法は害悪であり、短いスパンの現実と長いスパンの理想は両立しうるし、させねばならない。

 今日の状況の参考にすべき部分は多いと思われる。

21 銀河系の緑化

 なぜわれわれは、グレーは悪でグリーンは善だと単純に言うべきではないのか? グリーンな技術を奉じグレーなあらゆるものを禁ずることによって救済への近道をとろうとすべきではないのか? その答は、世界の物質的諸要求に応ずるためには技術は美しいだけではなく安価でもなければならないということにある。もしわれわれが、「グリーン・イズ・ビューティフル(緑は美にみちている)というイデオロギーがわれわれを将来困難な選択をせねばならない立場から救ってくれると思い、それは他のあれこれのイデオロギーが過去にわれわれを困難な選択から救ってくれたのより少しでもましだと思うなら、われわれはとんだ思い違いをしているのである。この地球の上では、太陽のエネルギーは人間にとって大変必要なものの一つである。あらゆる国が、富んでいる国も貧しい国もすべて、豊富な太陽のエネルギーを浴びているが、われわれはまだ、このエネルギーをわれわれの日常生活に必要な燃料や電力に変換するための安くて広く使える技術をもっていない。日光を燃料や電力に変換することは、科学的には平凡な問題である。原理的には、多くの異なる技術によってこの変換を行なうことができる。しかし、既存のどの技術でも安くはできない。われわれには、それらの技術を大規模に使って、われわれのエネルギー消費量の大きな部分を、急速に減少しつつある天然ガスと石油資源への依存から脱却することができるほどの資金の余裕はない。

 テッド・テイラーは、核盗みに関する仕事を終えると、まだ仕事のできる余生を太陽エネルギーの問題に捧げようと決意した。彼は太陽池装置の設計を練り上げた。それは、もしすべてがうまくゆけば、既存のどんな太陽エネルギー技術よりも根本的に安くなるかもしれないものであった。彼のアイデアは、土手で固まれた巨大な池を掘り、透明なプラスチックのエア・マットレスでふたをすることであり、それにより、水は日光で温められ、風や蒸発によって冷えるのを防がれる。夏も冬も水は温かいままになっている。その熱エネルギーは家庭暖房にも使えるし、市販の簡単な熱機関によって電力や化学燃料に変換することもできる。

(中略)

 テッドの特殊なアイデアがうまくゆくかどうかはたいして問題ではない。テッドは太陽エネルギー装置の一つを設計したに過ぎない。世界中には、別のアイデアで別の設計を試みているグループが何百とある。世界を変換するのには、なんらかの安くてうまくゆく装置が得られればいい。テッドの装置でなくてもいい。われわれが配慮すべきことは、各自のアイデアを推し進めようとするあらゆるグループに対して、彼らがなしうることを示す機会を与えるべきだというだけである。どのグループをも、イデオロギー的な理由によって排除したり挫折させてはならない。

 テッドの技術はグリーンというよりはグレーであり、美よりも実益のために設計されたものである。

(中略)

 しかし、二五年とか五〇年とかでなく、もっと先の未来を見渡せば、グリーンな技術にはもっと大きな将来性がある。

(中略)

 グリーンな技術に基づく太陽エネルギーの未来を想像してみよう。それは、われわれがDNA言語の読み書きを習得して、樹木の成長と代謝の仕組みを再プログラムすることができるようになった後のことである。地上に見えるのは、アメリカ杉が生い繁った谷だけであり、そこはカリフォルニアのタマルペイス山の山麗にあるミュアの森のように静寂でうっそうとしている。それらの樹木は天然のアメリカ杉ほど早く成長はしない。それらの細胞は、天然の樹木のようにおもにセルロースを合成するのでなく、純粋なアルコールとかオクタンとか他のなんらかのわれわれにとって便利な化学物質をつくりだす。水分が一組の導管系を通じて上昇してゆき、樹木が合成した燃料は別の導管系を投下して根へと送られる。地下では、根は生きているパイプライン網を形成していて、燃料を谷に沿って流下させる。この生きているパイプラインは、あちこちで生きていないパイプラインに連絡されていて、燃料は必要なあらゆる場所へ運ばれる。樹木を再プログラムする技術が達成されれば、こんな人工森林を自然の森林が育つ土地ならどこでもつくることができるだろう。

(中略)

 しかし人類は緊急に太陽エネルギーを必要としている。われわれは一〇〇年も待っていられない。もしプラスチックの池のほうが早く間にあうなら、われわれはプラスチックの池をつくって、人工樹木のほうは孫たちに委ねねばならない。

おまけ

 あー感情をフリーエネルギーに変換するテクノロジーほしい。

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2011 4/1

宇宙をかき乱すべきか〈上〉 (ちくま学芸文庫)

 星新一フリーマン・ダイソンは、いつ読み返しても何かしら新しい発見がある。

 停電ネタで星新一を続けてやったので、今度はダイソンの自伝『宇宙をかき乱すべきか』の上下巻からそれぞれ一箇所ずつ抜粋する。まず上巻から原発についての話題を。

 要約すると、巨大さそのものがひとつの失敗だという意見だ。『多様化世界』の中の「迅速を尊ぶ」の章にも近い意見がある。

 ちなみに、1979年の本なので、福島原発事故はもちろん、地球温暖化問題のクローズアップによる原発再評価よりも前で、チェルノブイリやスリーマイルよりも前であることに留意。

9 小さな赤い校舎

 原子力発電は、どこが間違ってしまったのか? 一九五六年にフレディが私を原子炉の研究に招いたとき、私は人類に安くて無限のエネルギーを提供するこの大事業に自分の才能を発揮する機会がきたと躍り上がった。エドワード・テラーその他あの校舎に集まった人たちはみな同じように思った。ついに私たちは、核エネルギーを爆弾の製造よりいい目的に使う方法を獲得しつつあるのだ。ついに私たちは、原子力で何か善をなしつつあるのだ。ついに私たちは、人類の労苦や貧困をなくすための大量のエネルギーを世界に供給しようとしているのだ。この私たちの夢はどこが間違ったのか?

 この間いに対しては簡単な答はない。多くの歴史的な力が合わさって、原子力の開発を私たちが期待したよりやっかいで金のかかるものにしてしまった。もし当時私たちがもっと賢明であったなら、三〇年間の満たされない夢の後に新しい世代の若者や政治家が出てきて、原子力をわなとみなし、そのわなから私たちを解放するのが自分たちの使命だと考えるに至ることを、私たちは予見しえていたかもしれない。三〇年昔の夢が今日の若者に共感を呼び起こさないのは、しごく当然である。若者を前進させ続けるには、新たな夢が必要である。原子力を取り巻く政治的雰囲気があの小さな赤い校舎の時代以後に明白に悪い方向へ変化した理由を、一般論で理解するのは容易である。しかし、私の信ずるところでは、今日の原子力産業を悩ましている困難の多くは、もっと特殊な理由のためである。それは、原子力産業そのものの内部に、あの校舎の精神がなくなってしまったことである。

 原子力産業が抱えている根本問題は、原子炉の安全性ではなく、廃棄物処理でもなく、核兵器拡散の危険でもない。これらのはどれも現実であるにせよである。原子力産業の根本的問題は、もはや誰も原子炉をつくるのになんら面白味を感じなくなったことである。今日の条件の下では、一群の熱狂家が一つの校舎に集まって一つの原子炉の設計・建設・試験・認可取得・販売を三年間で達成するなんてことは、とても考えられない。一九六〇年と一九七〇年との間のあるときから、この産業のなかから面白味が失われてしまったのである。冒険家や実験家や発明家は追い出され、経理士と経営家が支配するようになった。民間企業のなかばかりか、ロス・アラモスやリヴァモアやオークリッジやアルゴンヌの国立研究所でも、非常にさまざまな型の原子炉の建設や発明や実験に取り組んできた若い有能な人々のグループが解体された。経理士たちや経営家たちは、有能な人々を奇妙な原子炉で遊ばせておくのは能率的でないと断定した。そこで奇妙な原子炉は消えうせ、それに伴い既存の型の原子炉の枠を超えた根本的な改良の機会も消えうせた。今日残って運転されている原子炉はごく少数の型にかぎられており、そのどの型も巨大な官僚機構の中に凍結されて重要な改良がまったく不可能になっており、どの型も種々の点で技術的に不満足なものであり、どの型も以前に放棄された他の多くの可能な型より安全性が劣る。もはや誰も、原子炉をつくるのに面白味を感じない。あの小さな赤い校舎の精神は死んでしまった。私の考えでは、これが、原子力発電における誤りであった。

(中略)

 経済的な原子力発電所を開発しようとする世界的努力のなかで、今までに一〇〇種に満たない型の原子炉が運転されてきた。開発される原子炉の種類の数は、諸国の政府当局が経済的理由から冒険的な型を排除するにつれて、絶えず少なくなってきた。今日では、生き残れる望みのある型の原子力発電装置は約一〇種類しかない。しかも、現在の状況の下では、なんらかの根本的に新しい型が公平に試験されることは不可能である。これが、原子力発電装置がオートバイほど成功していない根本的な理由である。われわれは、一〇〇〇種もの違った型を試してみる忍耐力をもたなかった。その結果、本当に良い原子炉は発明されなかった。おそらく技術の世界でも、生物の進化と同様に、浪費が効率への鍵なのである。どちらの領域でも、小型のものは、大型のものより容易に進化する。鳥は進化したが、鳥の従兄弟の恐竜は絶滅した。

 原子力発電の未来に希望はあるだろうか。もちろん、それはある。未来は予測しがたい。政治的な雰囲気や流行は急速に変化する。変わらない一つの事実は、人類は石油を使い尽くした後も莫大な量のエネルギーを必要とするだろうことである。人類は、なんらかの仕方でエネルギーの生産をしようとするであろう。その日が来たとき、人々はわれわれが現在建設しているものより安価で安全な原子力発電炉を必要とするであろう。おそらくそのときになれば、われわれの経営者や経理士たちは、小さな赤い校舎に一団の熱狂家を集めて、彼らにいろいろやってみる自由を与えるだけの知恵をもつであろう。

おまけ

 かき乱す→ミキサー。

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2011 3/31

(本文とは無関係)

 自粛自粛と過剰に騒ぐのは、経済的にも精神衛生上もよくないので禁物だが、エイプリルフールだけは自粛してもいいのではないかと思っている。

 ただでさえデマが溢れかえっていて、嘘ネタに由来するトラブルも頻発している今、これ以上デマやウソを増やしてどうするんだ。

 自分は今までもエイプリルフールネタなど特にやってはいなかったが、この機会に大いに自粛しよう。できればこのままエイプリルフールという習慣そのものが、なし崩し的に廃れていってくれるとありがたい。

 そもそもエイプリルフールは、情報がいつまでも残り続け、即座に検索され・コピーされ・あるいは翻訳されてしまう現在のネット環境にはそぐわない習慣だ。

おまけ

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2011 3/30

ボッコちゃん (新潮文庫)

 停電と星新一でまず思い出したのは『感謝の日々』なのだが、他にもう2編だけ思い出せるものがある。

 一つはこれ、

 便利な文明生活を営んでいる夫婦が、謎の原因で停電した途端、何もできずにあっさり凍死してしまう。ペットの猿だけが平気で生き延びている。

 というだけで、特に名作とは思わないのだが「電気が絶たれた時の文明生活の脆弱性」というテーマは、まさに今タイムリーだと思う。

 もう一つは、以前も紹介したが『声の網』の中の、コンピューターがわざと大停電という事件を引き起こし、普段は表に現れない人々の性格データを採取する、というシークエンス。

 今回の震災と原発の件は、別にコンピューターの陰謀ではないけれども、結果的にいろいろな人の、普段は絶対に表に現れない本性を覗き見ることはできた気がする。

おまけ

 凍死つながり。(ややホラー注意)

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