パンダの親指でキーボードを叩く話 その1

箱

 さて、良いキーボードが欲しくなった理由について。そもそものきっかけはスティーブン・ジェイ・グールドのエッセイ『テクノロジーにおけるパンダの親指』であった。その要約を示そう。

 パンダが指で竹を掴み、ごしごしと枝をしごきながら食べているところは見たことがあると思う。その時器用に使われている親指に見えるものは実は親指ではなく手の骨である。

 パンダは外見通り熊に近い系統の生物で、熊と同じく親指は他の4本の指と並んで付いている。5本の指と相対して竹を掴んでいる6本目の指(に見えるもの)は撓側種子骨という手の骨(パンダ以外にもあるが普通はとても小さい)である。後足の撓側種子骨も大きくなっているがそちらはなんの役に立っているようにも見えない。なぜそんな奇妙なことになっているのか。

 すでに並列に並んだ5本指を持っていたパンダの祖先は、竹を食糧にし始めたからといって、新たに指の配置をゼロから考え直して親指を竹を掴めるように配置し直すことなどできなかった。元から手に存在した手の骨のひとつを異常発達させる方が進化的に早道で、しかもそれで必要十分だった。だからそうなり、それに留まっている。それだけのことである。

 パンダの親指(手の骨)が教える真理は、時計の針を後戻りさせることはできず、現在は歴史に拘束されているということである。そしてそのような歴史に拘束された不完全でその場しのぎの適応こそ進化の紛れもない証拠である。なぜなら完璧な適応は全知全能の神の御業である等と創造論的に説明することはできても、不完全でその場しのぎの適応を神がマヌケで面倒くさがりな証拠であるという説明はできないであろうからだ。

 生物の進化とは異なり、間違っていたらいったんゼロに戻って作り直すことができるテクノロジーの分野においてすらも、歴史の拘束は存在する。その代表的なものがキーボードである。今あなたの目の前にあるキーボードには、アルファベットがどのような順番で並んでいるだろうか。おそらく左上からQWERTY……となっているはずだ。QWERTY配列といい現在のデファクトスタンダードである。この大変非効率的に見える配列が、なぜデファクトスタンダードなのか。

 QWERTY配列がどのように生まれたのかには定説はない(早く打たれすぎてタイプライターのキーが絡まるのを防ぐために、わざと遅くしか打てないように配置したという有名な説は俗説であるらしい)。すでにDvorak配列などのより効率のよい配列が1つならず知られているにも関わらず、すでに多くのキーボードの配列がそうなっているからとか、新しい配列を憶えるのが大変だからとかいう理由でその地位に留まり続けている。

 資料が手元にないのでうろ覚えであるが大体こんな話であった。これによってそれまで漠然と感じていたQWERTY配列に対する不満が故なきものではなかったことを知り、別の方法を試してみたいとの思いが頭の中にくすぶり続けることになったわけだ。(つづく)

おまけ

コメント

  1. 木戸孝紀 より:

    おおお、実はすでに調べものの途中で相当読ませていただいております。今回は興味の中心がQWERTYの正確な由来ではなくて改善方法にあったので特に言及していませんが、まだまだ奥は深そうですね。ありがとうございます。

  2. 安岡孝一 より:

    私も昔、この『テクノロジーにおけるパンダの親指』を読んだのですが、正直なところ全く納得がいきませんでした。で、納得のいかなかった部分をネタに、『1888年7月25日のタイピング・コンテスト』っていう文章を、http://slashdot.jp/~yasuoka/journal/352505 に書いてみました。よければごらん下さい。

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