2017 7/26

 ドワンゴに拾われて一度は延命したライブドアリーダーだが、今度こそ終わりっぽい。代わりを探さねば。

 Tiny Tiny RSSというのが良さそうだが、自分でサーバー管理するものはなるべく増やしたくないのでこれは最終手段。将来また引っ越ししなければならない事態も避けたいとはいえ、ギリギリまでサービス型で済ませたい。

 前回Feedlyへ乗り換えようか試してダメだった記憶があるので、今度はInoreaderというのを試してみた。今のところこれで行けそう。不満はあるが、慣れれば解消できそうな程度。

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2017 7/1

 会社で使っているのだが、妙にしっくり来るので、家にも買ってしまった。

 真っ二つに割れた座面と背面を持つのが特徴。非常に癖が強いので、実物を試してからでなければ購入はおすすめしない。

 やや後傾姿勢でPC作業するにはおそらく向いているが、学習机での勉強など、前傾姿勢を取るにはおそらく不向き。(背面に意味がなくなる。)

 ちなみに肘置きの部品は、邪魔なら取り外せる。今回はやってないが、以前会社で実行済み。

 その他、これまで家で使っていたアーロンチェア(ランバーサポートタイプ)と比較したメリット・デメリットは、重要度順に以下の通り。

メリット

  • お尻と背中(背骨?)が楽。アーロンチェアのメッシュでも、普通のイスに比べれば十分ソフトで楽なのだが「存在しない」以上のソフトさはあるまい。
  • ヘッドレストがあり、後ろに倒れた状態でそのまま仮眠できる。
  • 比較的安い。新品でもAmazonで31800円。カカクコムで調べてもそのぐらいが最安値。アーロンチェアは中古でもそれ以上した。
  • 冬は暖かい。(というかアーロンチェアのメッシュが寒い。)

デメリット

  • 特殊な構造などから将来的な耐久性には問題がある可能性。
  • サポートは良くなさそうな評判。
  • 夏は暑い。常時エアコンを入れられる環境であれば問題ないであろうが。
  • 名前がイマイチ。(どうでもいいか。)

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2017 6/26

 2009年10月あたりから、2000冊以上電子化してきたが、そろそろ止めようかと思っている。色々自動化しているとはいうものの、自分の作業の手間が見合わなくなってきた。

 当時から比べると、最初からKindle等の電子書籍の用意されている比率が高まってきているし、過去の雑誌など電子化される可能性がなさそうなものは、すでに電子化し終わった。

 100円/冊程度で代行してくれる業者も沢山あるようだ。まずは電子書籍かレンタルなど、物理的に持たずに済む手段を探し、それでもない場合のみ、まとめて業者に頼む、という流れにしてみようと思う。

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2017 6/25

『Swift実践入門 ── 直感的な文法と安全性を兼ね備えた言語』★★★

 石川洋資著、西山勇世著。自分で使うあては当面ないが。Scalaで見覚えある機能が多く、普通にアプリ作るのにこれ使えるなら、いいなあ、という印象。

『自己変革するDNA』★★★

 太田邦史著。ビジネス系自己啓発本と間違われそうなタイトルだが、これは文字通りに生物のDNAの本。結構面白い。

『イノベーションはなぜ途絶えたか ──科学立国日本の危機』★

 山口栄一著。

『失敗の科学 失敗から学習する組織、学習できない組織』★★★★

 マシュー・サイド著。今や見慣れた内容な気もするが、啓蒙書としてまとまり良い。

『ソシオパスの告白』★★★

 M・E・トーマス著。自らソシオパス(サイコパス)を名乗る人の本。この本自体に演技が入っていることは確実であろうことから、引いて読む必要はあるかも知れないが、面白かった。

『戦争にチャンスを与えよ』★★

 エドワード・ルトワック著。放言オヤジの無茶苦茶と言えばそれまでなのだが、ただの無茶苦茶ではなく、真理の一面に考えを向けさせる、価値ある無茶苦茶ではあると思う。

『六三四の剣』★★★★★

 村上もとか著。古いのはどうしようもないけど、これはおもろいわ。

『脳のパフォーマンスを最大まで引き出す 神・時間術』★★★★★

 樺沢紫苑著。個別には知ってることばかりなのだが、著者のYoutube見て「こんな胡散臭いおっさんにできてることが私にできないなんて許せん!」と一念発起して、ついに朝型化に成功したので、悔しいけど星5つ。いわゆるゲーム脳の人に好意的な記述があるのは残念。

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2017 6/10

 寄生獣のアニメをやってたときに書いたものの清書です。内容的には上とほとんど変わっていません。TwitterやTogetterもいつまで存在するかわからないので、こちらにまとめておきます。


 『寄生獣』のストーリー展開の変化、作者にすら予想していなかった変化は、進化論のダーウィン以来最も重要な進展をそのまま取り込んでいる。

 ハミルトン革命とか血縁淘汰とか、呼び方はどうでもいいが、要は遺伝子視点での進化の見方と、それに伴う生命と利他行動に対する人間のものの見方の変化だ。

 で以前書いたように、寄生獣オープニングのモノローグと、パラサイトの設定は、まさしくガイア理論のとりわけトンデモなバージョンを連想させるもので、実際そこに着想を得たとしか考えられないものだ。

 要するに、地球(全体)の利益を守るための、地球(全体)に意思のようなものが存在するという発想である。

 いま、それなりの教養のある「普通」の人が、ガイア理論のことを聞くと、どうしてこんなあからさまにアホなオカルトっぽいトンデモが、知的なはずの人々にまでもてはやされたのか、不思議に思えるだろう。

 だが、それは後知恵というやつで、血縁淘汰の理解以前の生物学について知る必要がある。

 ダーウィンの進化論の時点では、DNAはもちろん遺伝の実際の仕組みは不明だった。メンデルの法則が再発見されるのさえダーウィンの没後だ。

 ダーウィン時点で進化論で説明できない(と思われていた)最大の問題は、たとえばハチのコロニーにおける働き蜂のような不妊カーストだ。

 自分で子を作らず、コロニーに尽くし、巣が危機にさらされると自殺攻撃を行う。こうした利他行動は、進化が子孫の変異を通じて起きるものだとしたら、進化できないではないか、というわけだ。

 しかし、進化できないのが問題だと考えること自体が、ある意味進化論になれきった人間の後知恵の見方とも言える。従来は特に問題視されていなかった。集団の利益、あるいは種の利益、言ってみれば「みんなの未来」を守るため、と解釈されていた。

 他にも、たとえば、鋭い牙を持つ狼が、腹を見せて降参するのも、殺し合いを避けて「種の利益」を守るためだとか、鳥が虫を食うことによって虫が増えすぎて森が禿げてなくなってしまうことを防ぐのだ、とかいう言い方も普通にされていたりした。

 抽象的な「種の利益」を守るために「他人」――もちろん姉妹同士であることは認識されていたが――のミツバチ同士が協力したり、森の秩序を保つために多種の生物が協力しあったりしているという、(今日の視点では間違った)認識が普通だったのだ。

 そんな時代には、地球のために生物全体のバランスを保つための仕組み、というのも、それほど馬鹿げて見えなかったのは理解できよう。

 パラサイトが繁栄しすぎた種を食い殺す本能を持つが、自分の子孫を作らない、という設定は、いわば不妊カーストがなんらかの抽象的価値を守るためのものだと認識されていた時代のものだと言える。*1

 さて、もし寄生獣1話掲載時点にタイムマシンで戻って、当時の人に「この作品は完結からずっと後になっても大傑作として広く認知されており、改めてほぼ原作準拠のストーリーでアニメ化されたりしてますよ」と伝えたとしよう。

 当然、その人は冒頭モノローグの「みんなの未来を守らねば」と思った誰かについての話があって、何らかの決着がつけられただろう、と解釈するだろう。その結末を教えてくれないか、と言うだろう。

 ところが、ご存じの通り、この「地球上の誰か」、素朴に解釈すればガイアの意思とでも言うべき存在については、1話以降最後までまったく触れられない。地球の絵によって暗示されるのさえ「この種を食い殺せ」のシーンが最後である。

 広川市長の演説としてかなり不自然な形*2で繰り返されるだけで、そんなモノローグは最初から存在しなかったのごとく、ふっつり消えてしまう。

 にも関わらず、なぜ不朽の傑作たり得るのか? 普通なら「傑作だったけど、風呂敷は畳みきれずに最初の伏線未回収のまま思いっきりすっぽかしたよね」ぐらいのツッコミは避けられないところだろうに、なぜそうならなかったか?

 なぜならば、この作品の連載とほぼ平行して――もちろん時代精神的な大雑把な意味でだが――まさにこのガイア幻想は、ふっつり消えたんだ、そんなものは最初っから存在しなかったのだと。

 そのガイア幻想を消し去った最も重要な要素こそ、作中で田村玲子が聴講している利己的遺伝子の理解と、利他行為(≒共生)およびその逆たる捕食・寄生に対する解釈の変化だ。

 利他行為≒共生(そしていわば共生の拡大解釈の極限がガイア理論)が謎だった時代には、共生は善いことで、寄生は悪いことだと思われていた。

 たとえばアリやハチは集団で協力する働き者の進化した善い生物で、たとえば寄生虫というのは、他者を利用する怠け者の退化した悪い生物であるというわけだ。*3

 言うまでもなく、これらは人間視点での擬人化でしかないわけだが、「擬人化でしかない」と切って捨てられるのは、「では本当は何なのか」ということが、現在ではすでにしっかりと確立しているからだ。

 遺伝子視点での進化の見方は、利他行為の謎を完全に解いた。不妊カーストは不思議でも何でもなくなった。個体に利他行為を取らせる遺伝子は、その遺伝子を共有する血縁を通して子孫に伝わる。個体の利他行為は、同時に遺伝子の利己行為であり、そこに矛盾はない。

 女王蜂と働き蜂との関係は、人間の生殖細胞と手の細胞との関係と変わりない。手の細胞や脳細胞は繁殖しないが、その存在は不思議ではない。手や脳が生殖細胞に子孫を作らせることによって、生殖細胞にある手や脳を作る遺伝子が生き残り、次代の手や脳を作らせるからだ。

 遺伝子視点では、同種の共生が不思議ではないのと同様、他種との共生も特別なものではなくなる。同種の遺伝子プールにないというだけで、ある遺伝子とある遺伝子の利害が一致しているというだけだ。

 アリとクロシジミは何らかの意味で他の(共生しない)生物より偉いわけではない。アリの中のある遺伝子とクロシジミのある遺伝子の利害が一致している――彼らのゲノム内の遺伝子同士の大概と同じように――というだけのことでしかない。

 田村玲子との大学での会話に出てくる「豚と人間は共存していると言えない?」というのはそのあたりの話だ。豚の遺伝子は人間(の遺伝子が作る個体とそれが集まって作る社会)を使って自分を増やす。

 その関係が、手の遺伝子が脳を使い(あるいはその逆)自分を増やそうとする行為より、なにか特別なものと考える必要はない。

 人間のゲノム内にも、出現当初はエイズのような病気であったであろうレトロウイルスの名残と思われるものがたくさんある。

 そうなってくると通常「(寄生生物でない普通の)生物」とされるものは、単に「もはや別々に観察されることがあまりない寄生生物同士の集合」でしかないことになる。

 また寄生生物の研究も進んで、サナダムシやらその他の寄生虫も退化した単純な生き物なんてものではなく、環境と宿主に適用するためとてつもなく複雑な進化を遂げただけなのだと考えられるようになった。*4

 寄生に対する嫌悪感が存在すること自体は、人間(を含む大型動物)にとって不思議でも何でもないことだとしてもだ。

 もう少し身近な話にたとえよう。我々は「腐敗」と「発酵」が、どちらも単なる「微生物の活動」であり、人間にとって都合が良いか悪いか、という恣意的な基準で呼び分けられているだけだ、ということを知っている。

 遺伝子視点の進化の理解によって、「寄生」と「共生」にも同じことが起きた。

 「寄生」と「共生」はどちらも「遺伝子同士の利害に基づく離合集散」であり、人間にとって悪いイメージか善いイメージかというだけで、恣意的に呼び分けられているだけだということだ。

 もちろん微生物の活動を理解したからといって、肉が腐らなくなるわけでも納豆が作れなくなるわけでもないように、遺伝子について理解しても、サナダムシが寄生虫でなくなるわけではないし、蜂が共生しなくなるわけでもない。しかし人間の考えは以前と同じではいられない。

 ちょっと寄生獣から離れすぎたから戻ろう。さっきの「もはや別々に観察されることがあまりない寄生生物同士の集合」という表現、ミギーやその他のパラサイトが徐々に人間社会に溶け込んで目立たなくなっていった、という終盤の表現に通じるところないかな。

 そしてタイトル寄生獣のトリプルミーニング。パラサイト、広川の言うガイア理論的な意味での地球への寄生獣≒人間、ラストの寄り添って生きる獣。最初のひとつのガジェットを通して、二番目の解釈が三番目に移り変わっていく思想史を描くことになった――最初から意図したわけではなしに――と言えるだろう。

 そしてもうひとつ、ラスボス後藤さんについてだ。面白いことに、彼の設定はまさに悪しきガイア幻想のカリカチュア的な存在になっているのだ。複数の生物が、「ひとつの意思」のものに「完璧」にひとつの生物として「統一」され、「完全生物」となる。*5

 取り込まれていたミギーの感想、「意外なことにとても気持ちよかった〜」とかいうのも、より大きなものの一部として何も考えずに過ごすというガイア幻想(というかずさんなホーリズム全般)の持つ魅力を表現しているようでなんか面白い。

 毒物によってその後藤さんの統一が崩れてそれぞれの利害が表に出てきて、最後は爆散するってところも、前に触れた遺伝子視点によるガイア幻想崩壊を連想させるものがないかな。

追記

 元のTogetterに来たものの中で、ひとつだけ重要と思われる指摘について追記する。『寄生獣』以前にもう利己的遺伝子は知られていた、というものだが、もちろんそれは知っている。

 最先端の学説が、学者に広まり、インテリに広まり、一般向けエンタメまで広がって、法律や制度に埋め込まれ、しまいに誰も意識しない常識になるまで、長い時間がかかるものだ。今は「一般向けエンタメまで広がって」あたりの期間に注目しているだけだ。

 エポックメイキングなドーキンスの『利己的な遺伝子』原著は1976年。それでさえ20世紀を通じて発展してきた社会生物学、1970年代に確立した血縁選択説を一般向けにわかりやすく説明しただけ*6で、真にオリジナルなのは「ミーム」を造語したことだけと言われるぐらいである。

 『利己的な遺伝子』の日本語版は『生物=生存機械論―利己主義と利他主義の生物学』の名前で1980年。1989年に『利己的な遺伝子』の邦題に戻して第二版。

 『利己的な遺伝子』の内容を粗雑かつ扇情的に扱った竹内久美子『そんなバカな!-遺伝子と神について』がベストセラーになったのが1991年。『寄生獣』の発表期間は1988年から1995年である。

*1:ただし新一が即座に「この世のもんじゃねーよ」とか反応してるので、すでに現代に近い価値観が混じってはいる。
*2:仮に第1話に遡って描き直せるのであれば、同じ表現にはしなかったであろう、というぐらいの意味で。
*3:特に後者は「福祉に頼る貧乏人は社会の寄生虫である」というアナロジーとなり、重大な影響を及ぼしたが、今回その話はしない。
*4:この辺は『パラサイト・レックス』に詳しい。超オススメ。
*5:戦闘狂であるというところは合わないが。
*6:だけとは言えないと私は思うが。

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2017 5/3

 歴史上「わいせつ」の要件を具体的に示しえたためしがない、というのはよく言われることで、それはそれで正しいと思われる。

 だが進化心理学的視点に立てば「わいせつ」を過不足なく単純に定義することは容易だ。

  • 性が社会≒権力≒年配の男性(の同盟)にとって適切に管理されていない状態

 だ。そもそも具体的にどんな行為や表現であるかは問題ではないのだ。たとえば、

  • 一夫一婦制は社会的にひとつの安定解だから、夫婦間の性は基本的にわいせつではない。
  • 男性の性は、おおっぴらにアピールされて比較されると、年配の男性が若い男に負けてしまうので、露骨な場合のみわいせつである。
  • 男女の利害は一致しづらいので、女性の主体的な性アピールは基本的に――自分ひとりに向けられる場合を除き――全てわいせつである。

 もし、ホモ・サピエンスの祖先が、強い一夫一婦傾向(わずかに一夫多妻)で、メスが群れを出てオス同盟(≒男系)で権力が受け継がれるタイプの類人猿でなかったら「わいせつ」の定義はどんなものになっていただろう?

 これをまともに想像するのは難しい。なぜならすでに現在の「男性」「女性」の心理は、人類の祖先がそのような類人猿だったことと不可分だからだ。

 しかし、進化的に形成された心理が変わらないまま、現在の社会環境が変わったらどうなるかは、考える意味がある。それが実際に起きたことだからだ。

 ここ100年やそこらで、これまでと比べて、社会が家父長制権力的でなくなってきて、同時に女性の政治力が上がってきた。

 男性が実際にやってきたように、女性が自分たちに都合よく「わいせつ」を定義するとしたら、一体どのようなものになるだろう。

 よく知られているように、進化視点で男性の利益を突き詰めると皇帝のハーレムになる。この世で性行為できる男性は自分ひとりでいい。

 男性の皇帝のハーレムにあたる、女性の進化的利益の究極形は、乙女ゲーによくあるように、金と権力のあるイケメンがみんな自分に求婚してくる状態だが、男性との重要な違いは、基本的・相対的に「量より質」になることだ。

 皇帝のハーレムは、どんな美女でもひとりではだめであり、多少それより劣った女性・並程度の女性であっても、追加されるのは普通歓迎である。

 しかし、女性にとっては、究極に金と権力のあるイケメンがひとりいるだけでも、別に構わない。それより劣った男性・並程度の男性が追加されるのは、あまり嬉しくないどころか、むしろ邪魔でさえある。

 女性の進化的利益を最大化するように進化によって形成された心理傾向を正当化するような道徳を、進化心理学を知らない状態で、女性が作るとしたら、どのようなものになるのか。

 自分が求婚を受け入れるような最高クラスの男以外からの性的アプローチはすべて「わいせつ」であると定義することになるはずだ。

 ……はずだというか、それはもう実際に起きたことで、こうした女性主体で定義された「わいせつ」は特に「セクハラ」と呼ばれている。*1進化心理学による、いわゆる後ろ向きの予言だ。

 だから「ただしイケメンに限る」的な皮肉は、確かに一面の真理をついていると思われる。

 「セクハラ」の具体的要件、いつどこで誰がやっても変わらないというような意味でのそれは、「わいせつ」の具体的要件と同様に、誰にも示しえないと思われる。特に誰がやるかが決定的に重要なのだ。

 ただしそれは、歴史的に年配の男性が自分たちの都合のいいように「わいせつ」を定義してきたのと、何も変わらない。

 「セクハラ」の定義の方が恣意的に見えるのは、男性の性は基本的・相対的に「質より量」で、相手の質が重要でない、ということの反映に過ぎない。

*1:もちろん現在の「セクハラ」は対女性限定の用語ではないが。

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2017 4/30

『カオスとアクシデントを操る数学』★★

 エドワード・B・バーガー著、マイケル・スターバード著。数学啓蒙書。まあまあいい。

『マシュマロテスト』★★★★★

 ウォルター・ミシェル著。なんかもうよく知っているような気になっているマシュマロ・テストだが、改めてオリジナルに触れてみるととても面白い。

『へんな星たち 天体物理学が挑んだ10の恒星』★

 鳴沢真也著。ちょっと面白い。

『天と地の守り人 第2部 カンバル王国編』★★★★

 上橋菜穂子著。最終章中編? やはり面白い。

『量子コンピュータが人工知能を加速する』★

 西森秀稔著、大関真之著。内容は興味深いのだが、本としてはいまひとつ。

『ダメな統計学: 悲惨なほど完全なる手引書』★★

 アレックス・ラインハート著。元から興味がある人でないと読みにくいだろうけど。

『将軍と側用人の政治』★★★

 大石慎三郎著。意外なほど面白かった。

『となりの車線はなぜスイスイ進むのか?――交通の科学』★★★★★

 トム・ヴァンダービルト著。これはすごい。単独で全く見たことも聞いたこともないという話は少ないけど。

『未来からのホットライン』★★★★

  J・P・ホーガン著。初めて読んだのは大昔。今ではシュタインズゲートの直接の元ネタとして有名か? 古いけど今でも十分面白い。未読だが星野之宣バージョンあるのか。

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2017 2/24

『ホワット・イズ・ディス?:むずかしいことをシンプルに言ってみた』★

 ランドール・ マンロー著。非常に簡単な単語だけで難しいことを説明する。この人らしい皮肉も効いてる。あと、とてもでかい(物理的に)。

『ベルサイユのばら』★★★

 池田理代子著。妻経由。実は初めてちゃんと読んだ。歴史に残るだけのことはある。

『分断されるアメリカ』★★★

 サミュエル・ハンチントン著。竹中正治氏のfacebookで見て読んだ。確かに、トランプ後に読むと示唆的に思えてくる。

『米中もし戦わば 戦争の地政学』★★★

 ピーター・ナヴァロ著。原題”CROUCHING TIGER”((飛びかかろうと)かがむ虎)これも竹中正治氏のfacebook見て読んだ。邦題は的外れではないが、やや煽り気味。

『逃げるは恥だが役に立つ』★★★

 海野つなみ著。ドラマ未見。意外に面白い。

『ダンジョン飯 4巻』★★★★

 九井諒子著。やっぱり面白い。

『シュガシュガルーン』★

 安野モヨコ著。妻経由。安野モヨコって大人向け専門かと思ってた。

『天と地の守り人 第1部 ロタ王国編』★★★★

 上橋菜穂子著。最終章第1部? 「帝」がわかりやすい悪役すぎるのがちょっとひっかかるが、変わらぬ面白さ。

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