2013 3/10

昨日までの世界(上)―文明の源流と人類の未来

 イベントも見に行ったほど好きなジャレド・ダイアモンドの新刊。いわゆる国家以前の「伝統社会」から現代人が参考にできることがあるのではないかというテーマ。

 例によってshorebird先生が読書ノートを連載中であるので詳しい内容はお任せ。

 自分は特に気になったところと個人的に参考にしようと思ったところだけピックアップする。

第1部 空間を分割し、舞台を設定する

 唯一意外だったのは、山の民が、

 ここにくるちょっと手前、尾根の北側のところで、小さな廃屋と荒れた畑をみたのを覚えているか。あの小屋と畑をつくったのは河の民だ。悪い人間である河の民は、ああいった方法で、尾根の南側ばかりか北側の土地にも自分たちに領有権があると主張しているのだ。

 と語る場面。私は、こういった最近よく聞く領有権争いのやり方というのは、もっと後の時代に、つまり国家による国内支配や国家間外交が進んでこそ生まれたものだと無意識に考えていた。

 現状維持(≒物理力行使が行われないこと)を何よりも尊重するような国際機関、あるいは国際規範といったものがないのなら、ちゃちな構築物など作ってもすぐ奪われるか壊されてただの作り損ではないか。

 マスコミで見聞きする15秒のニュースで領有権争いに関する意見を形成する、多数の無関心な国民、地球の裏側の外国人を意識する必要がまったくないとしたら、こんな形で先取権を主張したところで、まったく無駄ではないか。当の相手は経緯を全部知っているのだから。

 なんとなくそのように思っていたのだ。このような考えが間違いだとすると、所有や領有といった概念は、もっと古い進化心理学的起源を持ち、それに即した戦術だということか? 言われてみれば当然な気もするが、興味深い。

第3部 子どもと高齢者

 老人が大切にされる条件のところで思ったこと。

 自分の職業コンピュータプログラマは、明らかに老人の智恵が重要でない方の業界だ。大抵の場合、最初からより新しい知識を学んだ後進の若い人間の方が有用である。

 年齢を重ねても自分の価値を維持するためには、単純にプログラミングだけ勉強していても駄目かもしれない。

 もちろんしなければ駄目なのだが、それだけでなく年齢を重ねるごとにどんどん有利さが蓄積されるような得意分野を何か持たないといけないような気がする。

第4部 危険とそれに対する反応

 「建設的なパラノイア」一度ではほぼ起きないような確率の小さな事象も何度も繰り返せばいつかは発生してしまう。骨折などの大怪我をすると、死ぬか完治不能の障害を負うしかない環境に住む人は、危険に関してとても慎重であり、変に強がって見せたりはしないという。

 渋谷駅と会社の間で朝晩一回ずつ信号のないところを渡っていたが、それをやめて遠回りすることにした。

第5部 宗教、言語、健康

 宗教の様々な機能の中には、小規模部族の時から重要だったもの――物事に説明を与えたり苦悩や恐怖を和らげる等――と、中央集権が進んできてから重要になったもの――戦争や権力の正当化や内部抗争の抑止――がある、という説明は、おそらくこれまでなかったというわけではあるまいが、納得がいくものだ。

 バイリンガルはやはりいろいろな点で有利らしい。英語の勉強にもっと身を入れるべきか。

 食に関することは大体知っていた。が、カップラーメンを食べるときスープまで飲み干したりするのをやめることにしよう。

by 木戸孝紀 tags:


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