2007 6/14

存在の大いなる連鎖

第1回】 【目次】 【第3回

存在の巨大なる連鎖よ、神より始まり、
霊妙なる性質、人間的性質、天使、人間、
けだもの、鳥、魚、虫、目に見えぬもの、
目がねも及ばぬもの、無限より汝へ、
汝より無に至る。より秀れしものに我等が
迫る以上、劣れるものは我等にせまる。
さもなくば、創られし宇宙に空虚が生じ、
一段破れ、大いなる階段は崩れ落ちよう。
自然の鎖より輪を一つ打ち落とせば、
十分の一、千分の一の輪にかかわらず
鎖もこわれ落ちよう。

アレキサンダー・ポープ『人間論』)

 21世紀の現在では想像するのも難しいが、概ね19世まではキリスト教の真理と人種差別はまったく自明のものであった。全知全能の神をトップに戴く一次元的な階層構造があった。

 そういうものを書き表すのにおあつらえ向きな不等号厨メソッドを使うとこうである。

1.古い存在の大いなる連鎖(各階層の差を作り保証しているのは神)

 全知全能の父なる神>>>(全知全能の壁)>>>天使>(できるだけ低いと思いたい壁)>白人>(越えさせたくない壁)>黄色人種>黒人≧(あまり高くないと思いたい壁)≧霊長類>鳥獣>魚>地を這うもの>草木>無生物>塵芥

 進化論を筆頭とする科学の進歩によって、この美しく居心地の良いヒエラルキーを維持するのはだんだん難しくなっていった。もはや人間は動物とは違って神によって特別に創造されたと信じることは難しくなってきた。

 この“危機”に際しての対応は大きくふたつの方向に分かれた。

 ひとつは、今でもインテリジェント・デザイン論を推進しているような、単純に用語をできるだけ宗教的でない「科学的」なものに置き換えるだけで、基本的にキリスト教の教えをそっくりそのまま守ろうとする方向。

 もうひとつは、進化等の科学的事実は認めるものの、今度は自然科学そのものに神の意志や人間への愛を見て取ろうとする自然神学の方向である。

2.存在の大いなる連鎖修正版(各階層の差を作り保証しているのは進化≒科学)

 やがて人間が進化するべき究極の知性≒神>>>(超未来の壁)>>>より高度に進化した人類>(できるだけ低いと思いたい壁)>白人>(越えさせたくない壁)>黄色人種>黒人(進化の遅れた人類)≧(あまり高くないと思いたい壁)≧霊長類>哺乳類>鳥類>は虫類>両生類>魚類>昆虫その他>草木>微生物>無生物>塵芥

 全ての生物が人間に向かって一直線に進化の階段を「向上」してきたこと、そして白人が全ての人種の中で最も進化した人間であることを示すために、ありとあらゆる努力が傾けられた。

 この方向性はヒトラーの絶滅収容所に象徴される20世紀前半にピークに達し、その反動で一気に衰退した。

 存在の大いなる連鎖は再び修正を迫られることになった。この“危機”は前回よりももっと深刻で、これに対する反応は四分五裂することになった。

 が、ある一派はフェミニズム・公民権運動・反帝国主義・自然保護運動その他諸々の思想状況の変化を目一杯取り込んで、比較的魅力的な以下のような形に再構成することに成功した。

3.存在の大いなる連鎖最新版(各階層の差を作り保証しているのはラブリーでスピリチュアルな何か)

 母なる地球ガイア>>>(超科学の壁)>>>クジラ・イルカ>(できるだけ低いと思いたい壁)>白人>(越えさせたくない壁)>黄色人種≧黒人≧(あまり高くないと思いたい壁)≧霊長類≧哺乳類≧鳥類≧は虫類≧両生類>魚類>昆虫その他>草木>微生物>>>無生物>塵芥

 これが新しい存在の大いなる連鎖である。クリスチャン・ラッセンの絵が新しい宗教画である。計画性のない焼き畑で森林を破壊し、援助物資を内戦や子作りに浪費し、賢く可愛いチンパンジーやゴリラを迫害し、気高く罪のない鯨を殺害する愚かで野蛮な土人どもは、やはり自然を愛する我々が保護し導いてやらなければならない。新しい「白人の責務」である。

 これらは昔と比べると随分いい加減で、格好悪くなってしまったけれども、それでも何もないよりはずっと安心だ。

 ここまで来てやっと過激な捕鯨反対派の中に「クジラは人間“よりも”知能が高い」という主張をするものがいることの意味がわかってくるだろう。

 古い存在の大いなる連鎖では「天使」、少し前の版では「より高度に進化した人類」がいた地位に相当するもの、自分たち白人のすぐ上にあって究極の存在との仲立ちをしてくれるものが、新しい大いなる存在の連鎖にも必要だったからだ。*1その地位に担ぎ上げるのに一番適していたのがクジラ・イルカだったのだ。

 私はもちろん白人ではないけれども、神の似姿からサルの同類に転落してしまった無念と恐怖を理解できないふりをすることはできない。

 反捕鯨派の主張が非科学的だと言って非を鳴らすのは簡単だが、それは何も解決を導くことはできない。問題はそこにはないからだ。もし本当に何か進展が必要だと思うのなら、少なくとも彼らの叫びをまともに受け止めて答えることができるようにならなければならない。

 お前らはこれ以上いったい何を要求する気だ? 珍味だか伝統文化だか知らないがそんなもののために、棺桶に片足突っ込んで思想の墓場に運ばれる時を待っている老人の最後のわずかな希望まで奪おうとしないでくれ!

 クジラがカバに近縁の哺乳類の一種に過ぎないと認めてしまったら、いったい誰が俺たちをお前たち劣等人種と違って神の御心にかなう者であることを保証してくれるというんだ!?

*1:今回の話にはあまり関係ないので深く追究はしないが、実在の宗教とその歴史を見る限り、どうも人にとって全知全能の神などの概念だけを信じろというのはとても難しく、天使や精霊といったそれとの仲立ちをしてくれる概念を必要とするようである。

参考リンク

第1回】 【目次】 【第3回

おまけ

 おっくせんまんに続くロックマン2ソングヒット作。ノリがいい。これ曲はオリジナルかな?

by 木戸孝紀 tags:


“ガイア教の天使クジラ2 “存在の大いなる連鎖”の概念とその変遷”へのコメント 8

  1. 1.

    ヨーロッパのキリスト教徒は近代に入って
    地動説で世界の中心から
    進化論で生物の中心から
    精神分析で自己の中心から
    追い出されたという話を聞いた事があります。
    鯨の件が、科学を使った選民思想の肯定の亜種というのは興味深いですね。

  2. 2. 木戸孝紀

    >天さん
    まあそうですね。ちょっと前に書いた文明の変曲点の話とも関係しますけど、いわゆる社会問題と言われるものの多くには、近現代の文明の進歩の速度に人間の肉体も精神もついて行けてないという状況があります。

  3. 3. Cru

    なるほど、あらゆるmeatrixな状況を棚に上げて捕鯨に反対できるのか得心できました。
    では、彼らの無意識を顕在化するという反撃方法はだめですかね?
    こういうかんじにならんかなと
    http://reekan-j.hp.infoseek.co.jp/swetoho12.html

  4. 4. 木戸孝紀

    自分で書いておいてなんだが「自然神学」の用語が気に喰わんな。これだと自然神学は2番目の連鎖特有のものだと言ってるように見える。むしろ自然神学は最初の連鎖についての用語なんだが。2番目の連鎖で自然神学の役割を担ったのが社会ダーウィニズムだというような言い方の方が正しいか。

  5. 5. Ideyoshi

    目から鱗でした。
    もう、反捕鯨の人たちが、なにをしようと首をかしげずに済みます。

  6. 6. RUM

    すごく面白いですこれ。なるほど、鯨イルカ様は白人様より上だったとは。そう考えると全てのことに辻褄が合う。
    劣等人種の分際で「自分たちより」清く正しく、繁栄する日本という存在が目障りで目障りで仕方が無いのですね。
    どんな手を使ってでも日本を否定しなければ自分がダメになっちゃうわけですね。
    現在進行形の悪事が無いので、相も変わらず旧日本軍の悪事を持ち出さなければ日本を悪魔化できない芸のなさは、哀れというしかありません。

  7. 7. 多香子

    全面的に賛成です。あと、現在の一部の白人が捕鯨・人権・動物愛護に執拗にこだわるのは、肯定的な自己イメージを支えるのに必要なのもあるんじゃないでしょうか。特に昔の植民政策とそこから派生する問題にを見聞きし、白人に対する否定的なイメージを小さい頃から感じるからこそ、反動的にすばらしい白人の資質=「人類と言う枠を超えた愛」を作り出し、無条件でとびついちゃってる気がします。リストにあがっている反捕鯨国の全ては日本よりも国民一人あたりが環境に与える影響が大きく、鯨を含む生き物が生きる環境を破壊しているにも関わらず、自分達の方が環境意識が高いと「信じて」いますよね。鯨を殺す=環境問題に対する意識が低い=劣等な文化という発想でしょうか。科学的根拠なんて不都合なものには誰も目を向けませんよね。今ニュージーランドにいるんですが、正直言ってその妄想が怖いです。新聞もシーシェパードの引用を注釈もつけずに記事として載せているぐらいなので、こちらの高校生の多くが「日本はニュージーランドの領海内で違法に鯨を密猟している」と思っています。こちらのメディアは確信犯的に反捕鯨を煽っていて、ジャーナリズム精神のかけらもないので本当に怖いです。

  8. 8. 木戸孝紀

    >多香子さん
    そうですね。第28回あたりで一度近いことを言いましたが、
    過去の人種差別や文化差別・ジェノサイド等を反省してない人は
    そもそもガイア教徒にはならないのですよ。
    それによって救われる必要がないのですから。

    (あるいは、同じ事だが、伝統的な宗教や差別によって
     すでに救われていると言ってもいい。)

    たぶん大丈夫だと思いますが、
    実際にニュージーランドやオーストラリアに住んでいるという方の
    コメントは初めてなので、先回りして一点だけ注意しておきたいです。

    これは元より100年単位の問題なんだということをよく認識して、
    間違っても「俺がマスコミに騙されちゃってるバカどもを
    啓蒙してやるぜ」みたいな舐めた態度を取らないことです。

    アフガニスタンに旅行して「お前の国にコーランを破く奴が
    いるんだってな」という議論を吹っかけられても同じことをする、
    というのなら別ですが。

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