一昔前に流行して、現在も昔ほどではないが人気がある話に、
- 「世界には地球を何回も滅亡させるだけの核ミサイルが云々(中略)これは狂気だ!」
というようなものがある。
これは確かに一見もっともらしいが、一見もっともらしいだけで、大した意味はない。
- フグ一匹のテトロドトキシンは何百人もの致死量にあたる!
という台詞が、仮にまったくの事実であっても、フグが日常的に水揚げされ・捌かれ・食われていることが、別に狂気でもなんでもないのと同様である。
本当に計算し尽くして撃ったら人類滅亡何回かできるだけの核ミサイルがあった――数は減ったが今もある――のはもちろん事実。
しかし、当時それだけの数のミサイルと弾頭が作成されたのは、それなりの理由がある。命中精度と生存性が低かったせいである。
当時は、誘導技術が現在のように発達していなかったので、威力を上げなければ目標を破壊できなかった。
また、第一撃に対する生残性も低かったので、数を作らないと敵の先制攻撃で全滅して反撃できなくなるおそれがあった。
後に誘導技術が発達すると、一発ごとの核出力は小さくても良くなったし、潜水艦搭載型のミサイル(SLBM)が増えて生残性が確保されたら、数もそれなりでよくなった。
最近では、通常兵器の精密さと威力がますます増してきたため、戦術核すら必要なくなってきて、むしろアメリカ自身が「核のない世界」を言い始めるようになっている。
いつぞやのDHMOやバナナの皮方程式の話とも少し似たところがあるのだが、この話で覚えておいてほしいことは、
- 物事は定性的にではなく定量的に考えるべき
という教訓は、かなり普遍的に通用するものの、それに加えて
- 定量的だからといって正しいとは限らない
ということである。
おまけ
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