ちょっと前に「歴史に残るわけでもないだろう」と言ったばかりだが、今回借りた13-17巻あたりから加速度的に面白くなってきた。
特に16巻。ずっとなんかやらかしてくれそうな雰囲気だけのキャラだったミュゼ・カウプランが、ついにまともに動いたと思ったら、ほとんどまるまる一巻使った独演会。
単にお色気目的で若い女性にしてみましたとか、単に萌え目的で幼女にしてみました、とかいうのとは一線を画する、女性マッドサイエンティストキャラとして、個人的にはすでに歴史に残った。
男性*1への憧憬や愛憎を描いていることをもって、女性キャラを高く評価するというのは、政治的にやや剣呑な気がするが、仕方ない。
そもそもマッドサイエンティストという類型は圧倒的に男性のものだ。それは偶然ではない。ちょっと興味がある人ならだいたい知っていると思うが、マッドサイエンティストの概念はキリスト教と不可分だ。
初のSFとも言われる『フランケンシュタイン』のヴィクター・フランケンシュタインから、サイエンス自体の成立以前に遡れば『失楽園』のサタンまで。究極の家父長的・男性的権力である神(ヤハウェ)への挑戦という要素と分かちがたく結びついている。
家父長的権力に挑戦し取って代わろうというのは、当然女性よりも男性にとってずっと価値のある目標になるため、マッドサイエンティストキャラをあえて女性に設定する意味は、普通はない。*2
あと、前回トライガンの系譜という表現を使ったが、あまり正確ではなかったか。『トライガン』『HELLSING』『エクセル・サーガ』の、かつてのヤングキングアワーズ御三家の雰囲気を何となく感じるのだが。
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