言語の起源については大昔から、神話的なものから、こんなのみたいに多少は実証的なものまで、いろいろな説があったわけだが、それが「音声」言語であることは、比較的近代になるまで自明のことと思われていた。
しかし最近は、音声言語より先に手話のようなジェスチャー言語が先にあったのではないかと思われている。この説はわりとよく聞いていて正しそうだと思っていたが、これ一本に絞った本は初めて。
声と言語は同じではない。むしろまったく異なる別個のものだ。たとえば笑い声・泣き声・うなり声・悲鳴を、それぞれ全く正常に出していたとしても、発する音声がそれだけだったとしたら、その人はしゃべっているとは普通言わない。
対して、手話は音声でこそないが、あらゆる意味で完全な言語の特徴を持ち、その役割を果たすことができる。
類人猿を訓練しても、喉の構造などのせいもあって、音声言葉をしゃべらせることは全然できないが、ジェスチャーや記号を使って「言語的」なやりとりをさせることは、わりとできる。
模倣したり統語したり解釈したりする言語的な能力は、顔や身体のジェスチャーに対してまず発達し、それが後に声、すなわち耳で聞き取ることができる舌と喉のジェスチャーに流用されるようになったのでないか。
やはり、ここまでの考え方は正しそうに思える。
また、ジェスチャー(手や足)から音声(舌や喉)に移ったことによって、言語から解放された手足が複雑な道具を作ることなどに利用できるようになったのではないか。
つまり、初期の言語は道具や技術の発達をむしろ抑制しており、これが外れたことが、いわゆる飛躍的大前進に関係しているのではないか、というような話も出てきた。
これは初めて聞いたが、大胆な発想の転換で面白い話だと思う。正しいかどうかはよくわからない。確かに手話で手作業を教えるのは難しそうだから、あってもおかしくはなさそうだ。
ただし、自分はそもそも飛躍的大前進という考え方そのものが錯覚で、実際は漸進的なものだったという説の方がありそうだと思っているが。
二足歩行への移行に関してアクア説支持に傾いているみたいなのだけが非常にアレだが、まあそこが本筋じゃないのでいいか。全体としては面白かった。
おまけ
手話つながり。
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