2005 10/29

 はてなダイアリーを使い始めて「おとなり日記」という機能を知った。日記に登場するキーワードと同じキーワードが登場する日記を自動的に表示してくれるというものだ。そこで思い出したのがこの星新一のショート・ショート『ナンバー・クラブ』である。

 まず、その概要を読んでいただきたい。32年以上の昔に書かれた話である。枠で囲まれた部分は引用、ただし太字による強調は私によるもの。

 ナンバー・クラブは一見なんということのないバーのような場所だが、テーブルの上には小さな装置がある。会員証を差しこんで暗証番号を押すと、有線で繋がっている中央コンピュータが事前に登録してある会員同士の経験を突きあわせ、共通話題をテープに印字してくれる。

 エヌ氏は出張先の都市のナンバー・クラブで初めて会ったばかりの客と新鮮な会話を楽しむ。

「まったく愉快なひとときですなあ」
 と相手が言った。エヌ氏だってそうだ。
「ほんとですよ。このナンバー制度を拒否して入会したがらない人がいるようですが、どういうつもりなんでしょうな。プライバシーがどうのこうのと言う人がいるが、それを秘密にしつづけ、としをとり、死んでしまうなんて、意味のない人生です」
プライバシーだって、情報の集積、一種の財産ですよね。それを有効に使わないという法はない。使ってこそ財産としての価値が出てくる。このナンバー制がなかったら、あなたと私も、ただ顔をみあわすだけで終わりです。ゆきずりの他人にすぎず、こうまで親しくはなれなかった」

 クラブを出たエヌ氏はホテルへの帰り道で友人と出会う。

「きみもナンバー・クラブに加入したらどうだい」
「いやだよ。ぼくはプライバシーを大切にしたいんだ。これこそ自分だけのもの。これを他人にまかせたら、自分が自分であることを失ってしまうのじゃないかな」
「そう悪いとも思えないがなあ」
「いけないよ。そういう考え方がいけないんだ。ずるずるといつのまにか自分を失い、気がついてみたら、どうしようもなくなっているんだ」
「どう悪くなるというんだね」
「はっきりはわからないが、いいことではないような気がするんだ」
 友人との話は、かみあわなかった。エヌ氏は思う。こいつは自分の学生時代からの友人であり、しかも親類の女と結婚している。だから、親しい仲のはずだ。それなのに、いっこうに話がはずまないばかりか、議論になってしまう。どういうことなのだ。

 友人と別れたエヌ氏はホテルに向かうが途中できびすを返し再びナンバー・クラブへ向かう。

 会員証を入れ、ナンバーを押す。その指は禁断症状が起こりかけているかのように、ふるえている。しかし、そのふるえはすぐにおさまる。三十秒たてば、そばにいる初対面の百年の知己と、新鮮で意外な、驚きにみちた、なつかしい話をとめどなくかわしあうことができるのだから。

 という話である。私がなにを言わんとして引用しているかはすでに察しがついておられると思う。この作品はまったくもって実におそるべき予言の書である。

 冒頭の「おとなり日記」はまさしくナンバー・クラブの中央コンピュータが行っていることそのものであるし、流行のmixiにおけるコミュニティなどは電子空間に存在するナンバー・クラブそのものであると言えるだろう。

 読み直して感心すると同時に鬼気迫る思いがしたのは、存在しないうちからネット社会とその素晴らしさを予言したこの作品が、すでにその裏の側面をも予言しきっているように見えることである。

 ネット社会の問題点が議論されるようになって久しい。曰く子供を犯罪に巻きこむ、曰く匿名での誹謗中傷の温床になる、曰くプライバシーが侵害される、曰くテロリストの組織化に使われる、曰くspamが蔓延する、曰く目が悪くなる睡眠不足になる運動不足になる云々。

 星新一がこれらの問題をどれも予見していたであろうことは他の作品群を読めば明らかである。しかしそれをこの作品には盛り込んでいない。

 その代わりに描いているのはより本質的な問題である。太字で強調した部分は、個人情報が売買され、何がどういけないのかは誰もはっきりとわからないままプライバシーがなし崩しになり、現実の人間関係を犠牲にしながらネット中毒が着実にひろがっていくこの21世紀の現実を、時空を越えて描きだしているとしか私には思えない。

 しかし、予言の作品もこの時点で終わりである。その先がどうなるのかは、すでにナンバー・クラブの世界に生きている我々が自分で考えなければならない。

by 木戸孝紀 tags:


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