無断リンク禁止論争

 猿はリーダーオスと目を合わせたら攻撃される。戦闘機にレーダー波を照射したらミサイルを撃たれる。「注目する」というのは攻撃の予備動作であり本来的に挑戦的な行為だ。

 猿が平穏に向き合うには敵意のないことを表明する行動、すなわち「挨拶」をしなければならない。しかし、現代人はお互い道ですれ違ってもいちいち挨拶などしない。それは、

  • 社会が整備され実際に危険人物と行きあう可能性が低くなった
  • 膨大な数の人間にいちいち挨拶していたら日が暮れる

 ために、互いに「無視する」という動作が敵意がないことを示す挨拶になった。「儀礼的無関心」と言うと難しそうに聞こえるが、それだけのことだ。

 だから、無断リンクはマナー違反であるという主張はまったくもって正しい。

 しかし、ネットの世界にはなんぴとといえども批判されたり、逆に無視されたりすることを免れ得ないという、現実でも言論や学問の世界には適用されるより限定的かつ上位のマナーが存在する。

 それが、特定の事件に対して特別法の効力が一般法に勝るように、儀礼的無関心のマナーを上書きしている。ここまでは特に異論はないと思う。

 すると問題は、

 マナーを理解していない人、理解していても従いたくないと主張する人(少数派)を、すでに理解している人のコミュニティ(多数派)が、どの程度思いやりをもって扱うべきか。

 と、いうことに尽きると思う。

 個人的に叫んでいるだけなら無視して放置すればよいが、無断リンク禁止をルールとして広めようとか、マナーとして定着させようという運動に対しては面倒でも監視し、時には啓蒙活動で対抗しなければならないだろう。

 とりわけ基本的なネットリテラシーを教えるべき学校で無断リンク禁止と教えているなどというのは無視できない問題だ。

 おそらく格別の理念に基づくものではなく単なる怠慢からくるものであろうが、これからの時代特に重要なことなのだからしっかり指導してもらいたい。

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