ひぐらしをきっかけにサウンドベルをいくつかプレイしていて今さら気がついたことがある。それは、
サウンドノベルにはループ世界・平行世界ネタがとてつもなく多い。
ということ。そのこと自体には特に不審はない。選択肢があり、複数回プレイするサウンドノベルは、システム的・必然的に平行・ループ世界の概念を想起させるからだ。
また、こういう説明もできる。サウンドノベルを作るのに必要な要素を貴重な順に並べると、
- 背景世界
- キャラクター
- 画像
- 音楽
- プロット
となると思われる。上に行くほど魅力的なものを新しく作るのに才能と時間が必要で、下に行くほどすでに太陽の下に新しいものはない状態に近く、適当に既存作品からインスパイヤしても問題ないという意味である。
ボトルネックであるところの世界観やキャラクターに優れたものができたら、それを最大限に生かすべく平行世界やループネタを用い、プロットだけ取り替えて作品の分量を増やすのがもっともコストパフォーマンスが高いはずだ。
すると今度は、なぜサウンドノベル以外でもルートやループが存在しないのかの方が不思議になってくる。小説なら画像と音楽がないため相対的にプロットの重要性が上がるだろうが、世界とキャラの設定がキモなのは変わらないはずだ。
たとえば『風と共に去りぬ』が、
- アシュレールート
- レットルート
- メラニールート
の3ルート分書かれていたとしても面白いと思うし、『変身』が自分が一匹のばかでかい毒虫に変っていることに気づく朝から死ぬまでを何度もループする大長編小説だったとしても、やっぱり面白いと思うのだ。もちろん文学的評価は別として。
ならばなぜなかったのだろう。それとも私が知らないだけなのか。単純に小説ではコストパフォーマンスがそれほど高くならないからなのか。あるいはこれから書かれるようになるのか。
小説はさておき、映画ではある程度確実なことが言えそうである。映画にはサウンドノベルと違ってキャストという要素がネックになるが、CG映画にはそれもない。というわけで、
もうすぐサウンドノベルのようなルート・ループを積極的に使った映画(とりわけCGの)が作られるようになる
と予想しておく。最近のDVDによく収録されているアナザーエンディングは、作られた目的こそ違えどその先駆けのような気もする。
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