2010 1/11

人はなぜ走るのか

 当たり前だと思うかもしれないが、人間はマラソンができる。誰でもというわけではないにしても、鍛えれば42.195キロ以上走ることができる。

 そんなことができる類人猿は、人間以外にはいない。人間は投擲力に優れているという話は前にもあったたが、持久走力も大変優れているのだ。

 ところが「人間は精神的に優れた動物であり、代わりに肉体は貧弱で非効率的である」という根拠のない伝統的偏見が根強く、なかなかそのような事実は意識されていない。

 仮に科学が、もっと自分たちの肉体の素晴らしさを強調するような文化の影響の下に進んでいたら、このあたりの歴史はかなり違っていたのではないかと思われる。

 この持久走力は、狩猟への適応であると思われる。狩られる者としての適応をもっと重視すべきという意見(参考)を考慮に入れたとしても、現生人類が高度な適応を遂げた狩猟者であることは変わらない。

 長時間追跡する狩りをすることが、将来を予想することなどの精神的な進化にも重要だったのではないかと臭わせており、これはさすがに飛躍しすぎではないかと思った。

 しかし、『飛び道具の人類史』で、投擲への適応が結果を予測することなどの精神的な進化にも影響を及ぼしたのではないかという意見を読んだときには、必ずしも飛躍とは感じなかった。

 後者を受け入れるなら、必ずしも前者を否定することはできないような気がする。

 もしかして、人間的な知性の進化には、持久走的な狩りをし、かつ投擲を重要な武器とする動物、という条件が必須だったなどということがありうるのか?

 後知恵の理屈すぎると思う反面、やはり否定する根拠は何もないように思える。むしろ、知性の進化が必然ではない理由を解明するヒントが、このあたりにあったりするのかもしれない。

 全体的に面白かった。同著者の他の本も読んでみたくなった。

参考リンク

関連書籍

おまけ

 人はなぜ走るのか。う〜ん、哲学

by 木戸孝紀 tags:


“ベルンド・ハインリッチ『人はなぜ走るのか』”へのコメント 2

  1. 1. N

    投擲、投射ということはたしかに、一瞬のうちにアタマ使って身体を動かして、劇的な結果があり、それがフィードバックされて錬度が向上し…と、ひじょうに知的刺激な、それっぽいかんじはします。

    しかし群れでする待ち伏せや巻狩りみたいなのも実に頭使うので、もし仮に、「人類祖先は樹上や草陰に散開して獲物を待ち伏せ、雲梯運動で培われた器用さで石を武器として握り…」というような、「人類祖先はジャングルからなかなか出なかった」説が主流だったとして、そこから知的進化を促す要素を見出すとすれば、これもそれなりにそれっぽい。

    原人において猿より優れた身体性能で、ますます人間の知性を活性化した要素があるとすれば、それは旅をする脚だったのではないか。マラソンより行軍。
    異常気象から迅速に落ちのび拡散し、新環境であらゆる適応の可能性を試し、またそして異文化交流、闘争が生じ…移動するだけならシカだの馬だののほうが速いけど、そこは雑食で手とか使えるほうが新環境に自分を合わせやすい。

    まあ想像を書き連ねただけですが。
    知性の進化が必然ではない理由を解明するヒント…という興味の方向はちょっと私には抽象的でよくわからないというか、
    それはもとより人間の知性は、コウモリが超音波測距したり犬が小便で情報伝達するための脳の働きとある意味等価な、それぞれの「特技」だろう? と、ごく単純に思うけど、まあいろいろ見当違いだったらすいません。

  2. 2. 木戸孝紀

    そですね。
    前提の話をほんの切れ切れにしかしてないので、
    よくわからないのが正しいと思います。
    そこも含めこのコメントの話はどれも大変筋がよいと思います。

    面白い話ではあるので1回まとめるかもしれません。
    関連はこの辺+最近のヒューマン・ユニヴァーサルの話。

    http://tkido.com/blog/541.html
    http://tkido.com/blog/2696.html
    http://tkido.com/blog/1601.html
    http://tkido.com/blog/491.html

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