ドナ・ハート ロバート W.サスマン『ヒトは食べられて進化した』

ヒトは食べられて進化した

 ヌーやインパラのような動物がライオンやハイエナに捕まってもりもり食われている。テレビの自然番組でお馴染みの光景である。

 では霊長類――いわゆる猿――がヒョウやトラに捕まってもりもり食われている場面を見たことがあるだろうか?

 私は昔この手の番組を平均よりかなり頻繁に見ていたと思うが、そんな場面は全く見たことがないと断言できる。

 これは何らかの真実の反映なのだろうか? つまり猿は賢くて強いから他の動物のエサになんかなっていないとでも?

 んなわきゃーない。もちろん同じ霊長類である人間といえども例外ではない。とりわけ現在と比べてずっと小さかった初期の人類にとっては、というのが本書の主張。

 霊長類や初期の人類を食われるものとして見てこなかったのは、単なる人間の身びいきや先入観、あるいは観察の偏り*1によるもので真実でもなんでもない。

 現代人ですらトラ・ワニ・オオカミ・クマといった大型動物の生息域に入りさえすればいつでも食われうるし、実際に食われている。

 初期の人類の生活がどんなものであったかは化石証拠および、我々の進化上のいとこである現生霊長類の観察によって知ることができる。初期の人類はヌーやインパラ等々他の哺乳類に勝るとも劣らないぐらい肉食動物に食われていた。

 いわゆる原始人は火を使い石槍などを投げて他の動物の群れを追い回して狩っていたような印象が強いけれども、人がそのような狩りをするようになったのは最大限に大きく見積もっても最近のたった(たった!)数万年程度のことに過ぎない。

 人は狩人である以前にもっともっと長い間、サーベルタイガーやヒョウやオオカミたちにとってのご馳走として地球に生きてきたのだ。

 身体の大型化・集団生活・言語の発達・性的二型等々さまざまな人間の性質の由来が、狩猟や肉食と関連づけられてきた。

 しかし、それは進化上にオス(男性)の果たす役割を大きく見たがる性差別や、生得的な殺人衝動という概念がキリスト教的原罪意識とうまく合致するという単なる文化的偏見からくるものであり、これらの特徴はむしろ食われることに対する抵抗として進化してきたと考える方が自然である。

 ふむ、言われてみればもっともだという部分が多く面白い。捕食圧が人類進化に及ぼした影響がどの程度あるのかはともかく現在よりは重視されなければならないのは確かだろうと思わせられる。

*1:昼間の観察がほとんどであることなど。

おまけ

 ジン、ジン、ジンギスカン! ドイツの六人組ではない。

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