ミシガンのネズミ

神と科学は共存できるか?

 『神と科学は共存できるか? 』と『神は妄想である』の話も書きたいのだけどまだ書けてない。

 本全体の主題とは関係なく、この「ミシガンのネズミ」という言葉は、これまでネット上の論争などを見ていてたまに言いたいと思っていた概念を簡潔に言い表す言葉として使えそうだからメモっておく。

 広範な一般化はつねに、その境界に例外や「しかしながら」という微妙な領域を――主要な問題点の説得力を無効にすることなく、また傷つけることさえなく――含むものである(私の仕事である自然史ではこの現象を、誰かが一般的な進化原理について主張すると、必ず部屋の後ろから甲高い声で異議を唱える分類の細部の専門家に敬意を表して、「ミシガン産のネズミ」とよく呼んでいる――「なるほど……しかし、ミシガンにはこんなネズミがいて……」)。

 専門家の間では、例外や「しかしながら」に注意が向くことは適切である。例外や「しかしながら」は、学問を刺激して最高水準にまで高める興味深い細部なのだから。(たとえば、進化理論の私の同僚たちはいま、ある限定された程度のラマルク的な進化がバクテリアの一定の現象においては起こっているのかどうかをめぐって、極めて健全な論争に関わっている。しかしながら、この問題がどれほど魅力的で強烈であっても、進化の事柄の一般的な成り行きではダーウィン的なプロセスが支配的だという、証拠がよくそろった結論に変更をもたらすものではない)。しかし、専門家が境界におけるぐちゃぐちゃしたことに強い注目を適切に向けることが、中心的な原理への同等に有効な広いスケールの注目に異議を唱えたり、それを脱線させたりするものであってはならない。

おまけ

 ネズミ繋がり。なんで消されないんだろうこれ。

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