2008 10/12

落語名人会(41)死神

「人の振り見て我が振り直せ」

 (その6)朝日や毎日の記者たちがまったく分かっていなかったのと同様、死に神コラムを擁護した大半の日本の死刑反対派も、またわかってないと言わざるをえない。特に死に神コラムを擁護しながら「日本の死刑は土人の祭り」とか言って喜んでいた人々には失笑を禁じえない。

 もちろん私は21世紀の人間なので、誰かが土人だからといってそれだけでバカにしたりはしない。だが、土人が土人を土人とバカにしている姿には遠慮なく笑わせてもらう。こんなに滑稽なものはない。

 あなたは死に神コラムにはどちらかというと「寄ってたかって人間を殺しておいてふざけるんじゃない。お前のようなのがいるから死刑がなくならんのだ!」と言わなきゃならないところだったのだ。

 鳩山法相に対抗するため刑務官に「気の毒だ。」なんてリップサービスをするのも、またもってのほかで、どちらかというと「この人殺しめ、お前が地獄に堕ちろ!」と言わなきゃならなかったのだ。

 でもさ、当たり前だけどそんなことできないだろ? だからジレンマなのさ。あなたは、何だかよくわかんないけどヨーロッパ人の真似をしなければいけないということぐらいはわかっている感心な土人だよ。私がほめてやるとも。だがそれだけで満足してもらっては困る。このままでは日本の死刑廃止論議はこれ以上進まないからだ。

 自分が周囲よりも幾分ましな土人だというだけで満足な人以外は、そろそろ認めなければならない。その前提にある哲学を、どれ一つとして本当は理解もせず信じもしていないくせに、「EUをロールモデルとして日本も死刑を廃止しましょう。」だなんて物言いは、ちゃんちゃらおかしいのだ。

 予告した通りEUの文章に戻ろうか。もう一度読んでどう思う? ほとんど一行おきにヤハウェの神様が顔を覗かせているのが今ならわかるんじゃないかな。これまでの繰り返しになるから全部は言わないが、たとえば、

 人間は間違いを犯すものです。

 ってどういう意味だ? 死刑賛成派ってのは「私は決して過ちを犯さない。」というローマ法王かホメイニ師みたいな意見の持ち主ばかりなのか?

 そういう傾向の人が相対的に多そうだ、とはおそらく言えても、一般的にはここはそういう意味ではないよな。これは無意識に無謬のGODという存在を人間と対比しているから出てくるセリフだ。絶対の人命を絶つ仕事は神に任せるべきだという意味なのだ。

 屍を無罪とし、生還させることはできないのです。

 ってどういう意味だ? もしかしてEUの人間は、日本の死刑賛成派というのは「冤罪で死刑にしてしまっても生き返せばいいじゃん」という意見の持ち主だから、その誤りを訂正してやらなければならないと思っているのか?

 もちろん違うよなあ。これまた屍をも甦らせ、永遠の命を与えることのできるかのお方、GODが常に意識の片隅にはあるからこそ出てくるセリフなんだよ。

 理解してる? 信じてる? 本当に?

 もう一回言うが、ここを誤魔化したままではいつまで経っても、日本で(少なくとも自発的な)死刑廃止は実現しないぞ。自分を騙すことはできても、賛成派の意見は変えられない。一般に他人を騙すのは自分を騙すよりずっと難しいのだ。他人の言葉をオウム返ししているだけでそれが可能だと考えるのは、人をバカにしすぎている。

 そんな気持ちのままでいくら訴えても、ただ欧米のものをなんでも無批判に受け売りする出羽守としか受け取ってもらえないだろう。仕方がない。その通りだから。100%死刑廃止論者である私がまず真っ先にそう認めざるをえない。

「死に神」コラムで朝日新聞が「謝罪」 「自らの不明を恥じるしかありません」

 朝日新聞の夕刊1面コラム「素粒子」が鳩山邦夫法相を「死に神」と表現し、全国犯罪被害者の会(あすの会)が同社に抗議していた問題で、朝日新聞社が同会に事実上「謝罪」となる回答をしたことがわかった。同会はこれを受け入れ、「死に神」問題は1か月あまりを経て一応の決着を迎えた。

 この問題は、2008年6月18日付朝日新聞(夕刊)1面のコラム「素粒子」で、死刑囚13人の死刑執行を命じた鳩山法相について、「永世死刑執行人 鳩山法相。『自信と責任』に胸を張り、2カ月間隔でゴーサイン出して新記録達成。またの名、死に神」と書かれたことに端を発した。

「適切さを欠いた表現だったといわざるを得ない」

 全国犯罪被害者の会(あすの会)は6月25日に「犯罪被害者遺族の感情を逆撫でされる苦痛を受けた」などとして同社に抗議し、朝日新聞社は6月30日付で同会に「鳩山法相を中傷する意図はありませんでした。法相が『侮辱』『中傷』とお受け取りになったとしたら残念です」「ご批判を厳粛に受け止め、教訓として今後の報道に生かしていきます」などと回答した。

 これに対し、同会は回答を不服として7月7日に再度朝日新聞社に質問状を再び送付。同社からは7月14日にこの質問状に対し回答した。7月23日に同会は「真正面から質問に応えることを避けている」「犯罪被害者の質問に真摯に説明するか、謝罪すべき」などと同社に再々抗議していた。

 08年8月1日の回答で、朝日新聞社は「13人の死刑が多いといっているのではない」「件数が適正でないと言っているわけではない」と釈明。「犯罪被害者遺族をはじめ多くの方々からのご批判を踏まえたとき、適切さを欠いた表現だったといわざるを得ない」などとしたうえ、論説副主幹の「自らの不明を恥じるしかありません」というコメントを挙げ、「弊社としても同様に受け止めています」と事実上謝罪する内容になっている。

 全国犯罪被害者の会はホームページで「これで、一連の素粒子『死に神』問題の決着をつけることになりました」とこれを受け入れるコメントを掲載している。

(J-CASTニュース :「死に神」コラムで朝日新聞が「謝罪」 「自らの不明を恥じるしかありません」)

 結局死に神コラム問題は結局朝日の謝罪という形で幕引きとなった。ここまで読んで来た人には明らかなことだろうが、私は死に神コラムを全く評価しない。

 この件を通して、死刑賛成派は「死刑反対派は穢れ意識を引きずった・差別的な・情に流される・遅れた人間であり、自分たちこそ正義の側にいるのだ。」という確信を強めただろう。

 それは誤りではあるが、そう誤解させる根拠がなくもないことは、これまで見たとおりだ。朝日は無駄にねじれを悪化させた。日本でもいずれは死刑が廃止されるだろうが、その日をきっと何年も遠ざけてしまったことだろう。

 何度でも言うが、今しなければならないのは、この根深いねじれとジレンマをよくよく理解し認めた上で「ではどうするのか」を考えることだ。

追記 2009/2/27

 法相が変わってずいぶん経ち、このタイトルのまま続けると意味が分からなくなるので、いったんシリーズ完結とさせて下さい。ちょうど現状の認識からこれからの展望に移るところできりもいいし。続きはいずれ別タイトルをつけて始めます。

おまけ

 異文化交流つながり。昔流行ったのは憶えてるが、これの面白さはいまだによくわからない。

by 木戸孝紀 tags:


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