2009 12/19

進化の存在証明

 はーい皆さん、グールド亡き今世界一有名な進化論啓蒙者であり、人格的には割とクソ野郎なドーキンスの兄貴の新刊のお時間です。

 今回のテーマは非常に明解。進化は事実だということ。

 「……それはギャグで言ってるのか?」と思うでしょうが、旧約聖書の創造論をまんま事実として信じている人間が今でも大勢いて、一定の政治力を保っている欧米の読者を主な対象としているので、そこは割り引いて考えて下さい。*1

 個人的には、あまり新しい話はなく、いつもと比べると不満なのですが、むしろ『利己的な遺伝子』もまだ読んだことがないというドーキンス初心者に、1冊目の本としておすすめできるのではないかと思います。

 内容とは関係ないですが、6章のタイトルが『失われた環境』となってしまっています。急いで翻訳・出版したので校正ミスしたのでしょうが、ちょっとかっこ悪いです。

 『失われた環(ミッシング・リンク)』と書こうとしたが“環”が単漢字変換できなかったので、“かんきょう”を変換して後で“境”を消そうとしたが、消し損なった。……という経緯が丸わかりです。

参考リンク

*1:日本の理科教育状況も別にほめられたものではないというのは、また別の話として。

関連図書

おまけ

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2009 12/19

神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡

 事前の情報からは明らかに期待できない内容なのだが、『神は妄想である』の中でドーキンスの兄貴が、

この本はタイトルからうかがえる通り、奇妙な本である。まったくのトンデモ本か本物の天才の傑作であるかのどちらかで、中間では絶対ない! おそらく前者だろうが、賭けるのはやめておこう。

 とか書いてたから、一応目は通しておかねばと思って読んだ。どう見てもトンデモ本です本当にありがとうございました。

 なんで賭けるのをやめておこうと思ったのか教えてもらいたいものだ。まったく兄貴は意外とこういうハッタリに弱いところがあるから……おっと、これは先々書こうと思っているネタに関わるからまだ出さないでおこう。

 関係ないが、今回初めて書籍電子化の効果を実感した。PDF化された『神は妄想である』に“神々の沈黙”で検索をかけて、一発で引用部分を引き出すことができた。OCRの間違いを多少校正してやる必要はあったが。

おまけ

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2008 1/19

恐怖―心の闇に棲む幽霊

 私がこのように3名(+私)の文章を並べたのは、もちろんガイア教に慣れ親しんで理解を深めてもらいたかったからだ。これは一番重要なことなのでもっと続ける予定だった。(そう、実はまだあるんだ。)

 が、シー・シェパードという団体の活動家が捕鯨船に乗り込んで拘束されるという事件が起きていて、少しでも早く彼らの過激さの源についての話にたどり着く必要を感じたので、ちょっと順番を前後させることにした。

 それでも一応前回の続きから始めよう。

 私の意地悪かつ執拗なひねくれたツッコミがなくとも、更に捕鯨船やグリーンピース関連の記述を意識的に頭から追い出して脇に置いたとしても、

 「ある程度の年齢まで平均的な日本文化を前提として育っている多くの人間にとって、この『クジラの歌がきこえる』を魅力的な物語と感じることは難しいだろう」

 というあたりまでは、捕鯨・反捕鯨問題での立場に関係なく幅広い同意が得られると考える。

 たとえイルカ・クジラの大ファンで水族館のイルカショーに通いつめ、もちろん捕鯨には大反対の若い日本人夫婦であっても、

  • なぜかわかりあっているクジラ
  • ただ食べられるのをまっていたアザラシ
  • ざんこくな遊びが大すきなサメ

 の間に存在する厳然たる断絶に首をかしげざるをえないだろうし、ラストシーンで両親との和解を早々に諦めて自分とクジラだけの世界に行ってしまうクレアさんを見て、

 「まあステキ! うちの娘にもこうなってもらいたいわ」

 と思うことはまずありえないだろうと断言しても、必ずしも私の偏見とばかりは言えないはずである。

 私の意図通りなら、かなり多くの人が驚いたのではないだろうか、考えうる限り最高にぶっ飛んだ電波よりもただの童話の方が怖いということに。

 どう考えてもかなりアブないトンデモ本が「微笑ましすぎて腹筋痛い」ぐらいで済むのに、普通の童話に「血も凍る」(コメント欄の表現を借りれば)というのは、よく考えてみれば(よく考えなくてもだが)不思議な話である。

 一体何が起きているのだろう?

 たぶん「それは文化の違いだ」とあなたは言うだろう。もちろんそれで正しい。まったくもってその通りである。

 しかし、その場合私は「それは何という文化のどんな違いか?」と続けて問う。

 人間の思考と行動にとって「遺伝と文化のどちらが重要か?」ということは長く真剣な議論の対象だったが、今では「どちらも重要である」という、振り返って見れば当たり前の結論に落ち着いている。

 すでに知られているように、人類は遺伝的には極めて均一である。*1だが、人間の思考・行動は後天的に身につけた常識・文化・教育によっても極めて大きく左右されるので、まったく違った文化に育った人間は、時に別の生物よりも理解しがたい存在にもなりうる。

 現在まさしくそういうことが起きていると思う。

 そろそろはっきり言っても大丈夫だと思うが、私の見る限り、現在反捕鯨運動に激しく反発しているほとんどの人の議論は、控えめに言っても無茶苦茶であり、理解できない存在に対して恐怖を憶える原初の本能に突き動かされてパニックに陥っているとしか思えない。(参考)

 答えてもらおう。同じ人間であり、同じようにイルカを愛しているにも関わらず、ユリカさんとビクター・ケラハーさんを分けているのは何という文化のどんな違いか?

 答えられないのならあなたの“文化”という言葉は思考停止の免罪符に使われているだけであり、「あいつらはエイリアンだ」と言っているのと実質的に何も変わらない。ちょっと上品に聞こえるだけだ。

 私の答えはもう言ってあるも同然だが改めて言おう。捕鯨・反捕鯨問題を他の環境問題・他の動物愛護問題・他の海洋資源問題とまったく異なる何かにしている核心にあるものは、何千年も昔から脈々と受け継がれてきた一神教の暗黒の側面、先進諸国ではすでに絶滅したと多くの人が錯覚している*2太古のミームだ。

 最近ではリチャード・ドーキンスが『神は妄想である』一冊丸々使って批判したのがそれだ。それは人間の寿命よりもかなり長いスパンで存在し、独自の法則に従って受け継がれ、「生きる」。

 人間の脳はそんなものを直感的に理解できるようにはできていない。人間の脳は、人間の寿命の間なんとか生き延びて子孫を残すことに最適化されてきたのであって、そのようなものを理解することには何の価値もなかったからだ。

 人間がそのようなものを理解したければ、いくら1人で頭をひねっても無駄である。やはり人間の寿命以上のスパンで存在し受け継がれる知識の力を借りなければならない。『歴史学』や『文化人類学』と呼ばれるものがそれだ。(つづく)

*1:これは数十万年前という比較的最近に、人類全ての祖先が小さめの体育館に全員集合できるぐらいの人数にまで減少したことがあるという事実の反映である。
*2:もちろん事実としても絶滅寸前であり、だからこそ多くの人にとって理解不能になっているのだが。

おまけ

 アクセス解析によると「ガイヤ教」で検索してこのブログにたどり着いた人がいらっしゃるようですが、お探しのものはこれでしょうか?

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2007 10/14

神と科学は共存できるか?

 amazonからのメールおすすめが初めて役に立った。予約注文しとこう。

 ドーキンスの『神は妄想である』の中で『千歳の岩』という名前で批判的に言及されていた本だ。

 原題が『ROCKS OF AGES』だから直訳としては千歳の岩で正しいが、さすがにわかりにくすぎるということで邦題がこうなったんだろう。

 実をいうと『神は妄想である』はもうだいぶ前に読んだのだが、どう言及すればよいものか迷っている。

 ドーキンスの激しい一神教批判は100%正しいと考える一方、では宗教に対してどういう態度を取るべきかという部分にはあまり賛成できないからだ。

 もとより微妙な問題なので、誤解を招かずに書くには相当な分量が要りそうだ。

 ドーキンスはその部分で、グールドの宗教に対する態度、つまりドーキンスから見れば妥協的であり過ぎることに対して、かなり強烈な批判をしていた。

 まあ確かにそうだ。こんなことを言う人間が人格的な神など信じているわけがない。グールドがキリスト教に対して理解を示しているとすれば、間違いなくある意味で妥協であり誤魔化しである。それは確かだ。

 にも関わらず、宗教に対する全体的な態度として、私はドーキンスよりはグールドに近い。この本はちょうどその部分をクローズアップしたものなのであろうから、ちょうど読んでみたいと思っていたところだ。

おまけ

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2007 8/26

祖先の物語 ~ドーキンスの生命史~ 上

 こ・れ・は、素晴らしい! 殿堂入りクラス。

 内容については訳者あとがきの記述が十全なのでその引用に留めるが、グールドを精神上の師の一人に数える私には特別な感慨がある。

 とにかくこれは超オススメ。

 本書は、進化生態学の巨匠ジョン・メイナード・スミスに献じられているが、ある意味で、「宿敵」スティーヴン・ジェイ・グールドに捧げられた本とも言える。『社会生物学論争史』の中でセーゲルストローレは、ドーキンスとグールドが互いに的を外しながら撃ち合っていると評したが、世間で信じられている以上に、二人の間で通じ合うところがあったのだ。
 生物の魅力は、目を見張る多様性と、にもかかわらず本質的な同一性を持つところにあるのだが、グールドは前者の側面を、ドーキンスは後者の側面をもっぱら代弁し、激しい論争を繰り返しながらも、共にダーウィン主義の擁護者として密かな連帯を保ってきた。グールドが世を去った今、ドーキンスは、これまでグールドが果たしていた役割の一部も引き受けようとしているのではないかという気がする。
 何よりも、生物の進化を、生命の起源から筆を起こしてヒトに至るという通常の形式を廃し、現在から過去に向かって歴史を逆向きに辿るという手法を選んだことが、歴史の偶然性を強調したグールドに対するオマージュである。チョーサーの『カンタベリー物語』を模した本書で、ドーキンスは、ウルトラ・ダーウィン主義者としての自らの立場を堅持しつつも、生命の多様性が作り出す驚異のパノラマを次から次へと見せてくれる。
 『カンタベリー物語』で様々な職種の巡礼者が披露する物語が、本書では、生物たちによる物語に翻案されている。物語は、それぞれのテーマに最も相応しい生物によって語られる。例えば、ホックス遺伝子についてはショウジョウバエが、収斂進化についてはフクロモグラが、年輪についてはセコイアがといった具合だ。こうした物語は全体として、現代生物学のほとんど全ての先端的問題を網羅していて、いささか誇大広告的な表現をすれば、これ一冊で、現代生物学の全容を知ることができる。

おまけ

 マサルさんは確実にギャグマンガ史に残ると思う。

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2007 3/16

メガマック(本文とは無関係)

 イスラム教で豚肉が禁じられているのは有名だが、世界には大なり小なり様々な食のタブーがある。

 歴史上もっとも食のタブーが少ないと言っても過言ではない現代の日本ではこれらのタブーは非常に奇異に感じるであろう。事実、こうした話題になるとネットではよく「何の根拠もないのに『神の思し召しだから』とか言ってタブーを守るなんて狂っている」という類の主張が見られる。

 私も信仰には縁遠い人間であってその気持ちは非常によくわかるが、残念ながらその批判は間違っている。一神教的な体系においてはタブーに何の根拠もないのはおかしなことでもいい加減なことでもなく必然である。

 それはソクラテスが倫理の究極の問題と呼んだもの(だったっけ? うろおぼえだから何か間違ってると思う)に関連している。「神の命じることは正しい」のか「神の命じることが正しい」のかの問題だ。これだけで「ああそれは大問題だなあ」と思えた人はとても勘がよいと思う。

 「神の命じることは正しい」と考えてみよう。神は何が正しいかをよく知っているので間違ったことを命じることはないとする。

 一見それでいいような気がするが、この場合神はどこかにある何らかの究極の倫理の基準を非常によく(たぶん完璧に)知っている何者かに過ぎないことになってしまう。これでは神はその究極の何かの代弁者に過ぎないことになり、全能の神という概念とは相容れない。非常にまずい。

 では逆に「神の命じることが正しい」としてみる。神が従わなければならないような基準はどこにもないものとする。

 すると、今度は神の命じる倫理基準には“神がそう望んでいるから”あるいは“神の気まぐれ”以外のいかなる理由も根拠もない――むしろあってはならない――ことになる。

 そのどちらでもないとかその中間であるとかいうことは不可能だ。ともあれ、実在の一神教はこの両者の中では後者の立場を選んでいる。

 神は「子供を殺せ!」なんて言わない……ことはない。それは神を人間が決め(られ)る程度の倫理に束縛される存在に過ぎないものとすることになる。もし神が「子供を殺せ!」と言ったらそれが正しいのだ。旧約聖書の世界はマジでそんなだ。

 もちろん「どっちも同じぐらい無茶苦茶だからどっちでもいいじゃん」とか「そもそも全知全能とか絶対の正義とかいう概念が間違ってるんだろ」とか言ってしまえばそれまでだ。むしろこんな風に「やっぱり狂ってるじゃん! 一神教なんかなくなっちまえ」的な考えを持つ人もいるだろう。

 これを中二病と笑うのは簡単だろうが、真面目に唱えている人もいなくはなくて、たとえばリチャード・ドーキンスなんかがそうだ。ドーキンスの学問的業績を考えるとこのことは大いなる皮肉になるわけだが、それはまた次の機会に。

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