2005 10/26

 『RPGの自由度』は一般的に使われている表現である。それは確かに感じ取ることができるが、表現することは難しい。

 しかし、自由度はRPGの骨組みである『鍵と関所の関係』*1と密接な関わりがあり、鍵と関所の論理構造を図示することで「自由度」を目に見ることができるようになる。

 そこで誰もが知っている超有名タイトル、

 を例にとって説明してみよう。もちろんネタバレが含まれるので注意。

 まずはドラクエ3から。長方形で表されているのが主人公の行動範囲を制限している要素(関所)、楕円で表されているのが関所を通るために必要とされるアイテムやクリアすべきイベント(鍵)である。

 まずドラクエ3は母親に強制的に城まで案内される。アリアハン王に会うまでは母親が城の前で通せんぼしている。これは旅の目的を教わりお金とアイテムを支給されないうちに出てしまわないようにするためだ。

 この会見を終えると次の関所は、いざないの洞窟の石壁である。主人公をアリアハン大陸から出さない役目を持っている。これを突破するにはナジミの塔で盗賊の鍵を取り、盗賊の鍵で開ける扉の先で魔法の玉を入手しなければならない。

 ここまでは完全な一本道である。アリアハン大陸は初心者の肩慣らし用という性格を持っていることがわかる。

 いざないの洞窟を抜けロマリアに到着すると矢印が3つに分岐しており世界が拡がったことがわかる。

  • 左はアッサラーム・イシス・ピラミッドと進んで魔法の鍵を探すルート
  • 真ん中はシャンパーニの塔のカンダタ戦
  • 右はノアニール関係のイベント

 この3本のルートをクリアする順序は自由であるが、右のルートはエンディングに必ずしも必要がないサブイベントであるから矢印は途切れ、左2本は黒こしょうのところで合流して船を手に入れるところで再び一本になっている。

 そして船を手に入れたところで爆発的にルートが拡がっていることがわかる。これが「ドラクエ3は船を取ったあたりで世界が広く感じて面白かったなあ」という印象の裏付けだ。

 これらは各種オーブ探しのサブルートと、最も複雑なシルバーオーブに繋がるメインルートという性格を持ちながら、再びラーミアのところで一本にまとまる。

 ラーミアは事実上バラモス城にいけるというだけであり、船と違って世界を広げる役目をしてはいないことも一目でわかる。闇の世界では再び虹のしずくで1つに戻る3ルートが展開される。

 矢印が1つにまとまっているところを区切りとして、

  • ロマリア到着まで(アリアハン入門編)
  • 船入手まで(カンダタ編?)
  • バラモスまで(オーブ探し編)
  • ゾーマまで(闇の世界編)

 とでも言うべき形で、きっちり意図を持って構成されていることが見て取れるはずだ。

 次にFF3の方に目を移してみよう。DQ3のものと比べてどうだろうか。見るからに「一本道」である。

 1つの関所をクリアするとすぐに次の関所が完全に道を塞いでしまっている。そして関所の前に存在する鍵はその関所に1対1対応する鍵だけである。

 ネプト竜の前で初めて2つに別れているように見えるがこれはネプト竜を鎮める前でも船に乗ってぶっ殺されてみることができるというだけで真の分岐とは言いにくい。

 4つの像*2とシルクス・エウレカの鍵、闇のクリスタルでの分岐も、直後で合流してしまうのでどっちを先にやるか、どのボスを先に倒すかの違いだけでこれも分岐とは言いにくい。

 結局召喚獣入手やエウレカのような単発的サブイベントの他は完璧に一本道であると言ってもよい状態である。FF3はシナリオ一本道だったなあという記憶が裏付けられる。

 この2つの図を見比べてわかることは、いわゆるRPGの自由度というものは鍵・関所構造図における横の広さを意味しているということだ。

 もちろん自由度が高い方がいいとは限らない。順序だった進行の長さは構造図の縦方向に対応するからストーリー、演出重視だと一本道に偏る。一般論的に言えばこうなる。

構造図 横に広い 縦に長い
自由度
バランス 取りにくい 取りやすい
ゲームの性格 システム重視? ストーリー重視?
再プレイ意欲

 他のRPGについてもこうして鍵・関所関係の構造図を書いてみればどんな意図に基づいて設計されたものか見えてくるだろう。その結果と意図がずれているようだと名作とは呼ばれていないに違いない。

 逆にこれからRPGを作ろうという人は当然いまから作るゲームについてこの図が書けなくてはならない。

 「自由度が高いRPGを作るぞ!」と言いながら、思い切り一本道の図になっていたり「大河ドラマのような壮大な物語を作るぞ!」と言いながら、思いっきり横に広い図になっていたりするとまずい。

 そのような場合は、早めに軌道修正しないと破綻するか、よくてもクソゲーになると思われる。

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2004 4/18

 ウィズの戦闘は基本的に敵を1ターンで無力化させることが前提となっている。クリティカルヒット*1やエナジードレイン*2を持つヤバイ敵は大抵単体で出てくるので、戦士系の攻撃を集中する。

 全体攻撃系魔法を唱えてくる魔導師系のグループはモンティノ*3で黙らせ、それでも無力化し切れない場合はこちらの魔導師に全体攻撃魔法を使わせる*4という具合にである。

 そして2ターン目以降は消化試合なのが普通である。逆に無力化に失敗すると大損害を受ける。不意打ちだと一発で全滅ということもある。つまりMP消費を抑えつつ敵を無力化するのに十分なように6人の行動を割り振るところがウィズの戦闘の醍醐味なわけだ。

 ウィズの殺るか殺られるか一発勝負的な戦闘に対してドラクエの戦闘はやや趣が異なり、2ターン続くことが前提となっている。「2ターン程度続く」という点では同じに見えるが内容は異なる。

 敵が一発でリセットまたは町まで退却となるような致命的な攻撃はしてこないので、1ターンでの敵無力化は*5要求されない。おまけにウィズと違って回復魔法もかなりの回数使える。

 ウィズの主人公の立場で見ればこんなの八百長試合だ。さらにドラクエ以降のRPG*6では回復アイテムがいくらでも持てたり、MP回復アイテムがタダ同然で買えたり、全員を回復するような魔法がバンバン使えたりする。

 ではRPGはウィズ以来バランスが悪くなる一方だというのか。もちろん違う。バランスを取っている範囲が違うのだ。ウィズではダンジョンに入ってからまた町に帰還するまでがバランスを取る範囲である。それによって帰りの道のりを常に計算に入れながら探索する緊張感がもたらされる。

 ドラクエではリレミトやルーラがあるので帰還不能はない代わりに、毎回の戦闘でダメージを受けることで緊張感を出す。もちろんこっちが死ぬ前に戦闘は終わり、僧侶がベホマ唱えてめでたしめでたとなることが前提とされている。つまり一回の戦闘の開始から終わりまでがバランスを取る範囲というわけだ。

 こうした日本型RPGではプレイヤーはどんどん先に進んでイベントを見ることを求めており全滅は期待されない。にも関わらず緊張感のある戦闘を作るためのバランス取りは至難だ。そこでバランス調整を手抜きする方法を考えたくなる。

 実際は死ぬ心配はないのにピンチに陥っているという錯覚を与えるにはどうしたらいいだろう。ピンチに陥ってる感じを出すにはいっぱいダメージを受ければいい。実際死んでしまわないためにはいっぱい回復すればいい。

 極端なことを言えば1ターンごとにバランスを取ってしまえば調整は簡単だ。敵の攻撃力を主人公たちが一発では死なない程度にしておくだけでいい。こうして敵が全体攻撃を繰り出し、味方の1人が全回復魔法を唱え残りが攻撃……を延々と繰り返すというパターンが生まれる。たとえばFF3のくらやみのくも戦などが典型的だ。

*1:攻撃の追加効果で即死。
*2:攻撃の追加効果でレベルが下がる。
*3:魔法封じの呪文、魔導師系にはほぼ確実に効く。
*4:魔法は各レベル最高でも9回しか使えないので貴重。
*5:もちろんやろうと思えば可能なことも多いが。
*6:たとえばFFなど。

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