という某氏のつぶやきから思い出した話。
むかし星新一で、一行で要約するなら、
- 悲しい歌を作らせて鑑賞するためだけに虐げられている星
というショートショート*1があって、ずいぶん長い間悩んだ記憶がある。
悲惨とか不正からしか生まれ得ない芸術というものはあるのか? あるとしたらそれを求めるべきなのか? あるいはそれを求めることは許容されるのか?
現時点での私の答えは
- 「あるかもしれないが、その不幸は仮想で足る」
というものだ。
芸術は基本的に無駄・余裕*2・多様さの誇示であり*3不幸や悲惨は常に、相対的には不足で単純なものだから*4、「現実の」悲惨や不正のみからしか生まれえない芸術というものは、おそらく、ない。
誰かが指摘していたことだが*5『アンクル・トムの小屋』を書いたのは小柄な白人女性なのだ。虐げられている黒人奴隷ではなく。
*1:タイトルと収録されている本が思い出せないので、情報希望。
*2:物質的なものとは限らない。
*3:この辺り興味のある人はジェフリー・ミラーの『恋人選びの心』や『Spent』を参照。
*4:参考:「市民、あなたは幸福ですか?」
*5:この話とは全く関係ない文脈だったはずだが、これも出典忘れた。知っている人がいたら情報希望。
おまけ
TASさんて絵もうまいんですね(棒読み)。
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