国民の「幸福度」を調査へ=新成長戦略の指標に?政府
2月28日14時3分配信 時事通信
鳩山由紀夫首相は28日、首相公邸で菅直人副総理兼財務相や仙谷由人国家戦略担当相らと会い、新成長戦略の具体策取りまとめに向け、国民の「幸福度」を調べる方針で一致した。具体的な調査項目を詰めた上で、3月初めにも着手する。
会談後、仙谷氏は公邸前で「単なる数字のGDP(国内総生産)だけじゃない成長をわれわれがどうつくっていくのかと(いうことだ)」と記者団に述べ、新たな指標として検討していることを明らかにした。
「幸福度」については、昨年12月にまとめた新成長戦略の基本方針でも「国民の『幸福度』を表す新たな指標を開発し、その向上に向けた取り組みを行う」と盛り込まれた。
何もしないよりはいいことだと思うから否定はしないけど、どうしてもリアル『パラノイア』という皮肉が出てこざるをえないなあ。
原文が手元にないので孫引きだが、
幸せな家族はどれもみな同じようにみえるが、不幸な家族にはそれぞれの不幸の形がある。
(Anna Karenina by Leo Tolstoy トルストイ『アンナ・カレーニナ』: tomokilog – うただひかるまだがすかる)
というトルストイの有名な言葉がある。この言葉は、不幸(な家庭)に目を向けようという文脈では価値があると思うが、私の考えではまったくの間違いだ。事実はまさにその逆である。
今ググったら発見した。また孫引きになるが天声人語で逆転させた言葉がすでに言われていたらしい。
幸福はさまざまだが、
不幸は驚くほど一様である(朝日新聞、2002年11月19日)
もちろん、不幸も多様である。それは言うまでもない。しかし、いくら多様といっても、古来八苦などとまとめられる程度のパターンしかない。
幸福の多様さに比べたらまったく単純そのもの。幸福がどんなものかは、人によって千差万別だからだ。
幸福を調査するとか測定するとかいうことが滑稽に感じられるのは、まさに調査や測定というのは、幸福の多様性にもっとも馴染まない行為だからではないのかな。
参考リンク
おまけ
しあわせって何だっけ→ポン酢醤油はキッコーマン
コメント
>日日紀さん
お久しぶりです。おおむね同意です。
要するに、政府や福祉の仕事というのは
不幸を防ぐことであって幸福を指示することではない、
と思っています。
>地下猫さん
リンク先も後で読みます。ぱっと見面白そうです。
あー、だいぶ酒が入って書いてあるのでいい加減なところが多いなー
まあ酔っ払いのタワゴト程度に聞き流してください。
紹介したセンの著作はオススメです。
古典経済学と進化生物学との関連については
http://cruel.org/krugman/evolutej.html
山形がクルーグマンの講演を訳したものでした。
この幸福度調査は、正しく幸福を計ろうと言う意図(があると仮定して)よりも、国民の幸福(および不幸)の定義という洗脳として機能するのではないかと思ったり。
幸福も不幸も、人間における価値観の設定値が多様である以上は、どちらも多様であるはずなのですが、過去メディア等が幸福の形は一つであるという方向に偏っているのは、要するにそういう洗脳の結果ではないでしょうか。
ご紹介ありがとうございます。
「不平等の再検討」と「合理的な愚か者」は、
読書リストに入れました。
進化生物学と古典経済学の相同性というのは
どういう話かいまいち想像ができませんが、
山形ヒロキというのは山形浩生のことでしょうか。
私も経済関連は弱いですが、知ってる範囲では、
パレート最適というのは、
これ以上のWin-Winはなく、これ以上は
ゼロサムにならざるを得ないという状態のこと。
パレート最適批判というのは、パレート最適であることは
平等とか倫理とは何も関係ないので、そのあたりの話かな。
ナッシュ均衡は、
双方が相手の手を知っていたとしても、
双方ともこれ以上手を変えたいと思わない状態のこと。
(だから、たとえばジャンケンにはない)
倫理とどう関係するのか。不平等な状態が
ナッシュ均衡になってしまってるとかそういう話?
パレート最適はともかく、ナッシュ均衡の話はこれに
詳しく載ってたと思います。まだでしたら超おすすめ。
『囚人のジレンマ―フォン・ノイマンとゲームの理論』https://tkido.com/blog/384.html
「不平等の再検討」がよろしいかと。厄介な本だけど。
で、この本は僕もまともに理解しているとはいえない。
というのも
パレート最適だのナッシュ均衡だのといったあたりがちゃんとわからんと、センのいっていることはわからなさそうだから。
どこかで山形ヒロキが進化生物学と古典経済学の相同性を述べていたけれど、センは古典経済学をふまえてそこを批判しつつ進化ゲーム理論的な経済学と倫理学を構築しようとしているように思える。
センのパレート最適と古典経済学批判なんかは「合理的な愚か者」という書物に見られるようだけれど、僕にはよくわからん。
人間開発指数とかでいいじゃんかというのは、
激しく同意です。
ハックの台詞は、私の観点では、
「不幸(の多様性)に目を向けようという文脈」
(不幸は金銭の欠乏だけじゃないよ)
に収まりそうに見えます。
なのでそれはそれで価値があると思います。
前に私信で多様性の話もしたので、
大意は理解いただいてると思いますが。
アマルティア・センは、
https://tkido.com/blog/2380.html
で『人間の安全保障』一冊だけ読んで、
次どれがいいかという段階なんですけど、
なにかおすすめありますか?
国連開発計画(UNDP)が開発した指標である、人間開発指数(HDI)、人間貧困指数(HPI)、ジェンダーエンパワーメント測定(GEM)あたりを使えばいいと思うんだけどなあ・・・
>何もしないよりはいいことだと思うから否定はしないけど、どうしてもリアル『パラノイア』という皮肉が出てこざるをえないなあ。
UNDPが出しているパンフ「人間開発ってなに?」のP11にHDI指数の誕生秘話が語れていますにゃ。それによると、「荒削りでおおまかな指数」になぜそれほどこだわるのかとマブーブル・ハック(HDI発案者)にアマルティア・センが問いかけると、
「われわれが必要としているのは、GNPと同じ程度に俗っぽい尺度なんだ。たったひとつでいい。ただ、GNPほど人間生活の社会的側面に無理解でない尺度が必要だ。」
とハックがいったということですにゃ。
そのときセンは
「人間というやつはそんなにも現実をひきうけられるものでもない」というT.S.エリオットの詩の1節を思い浮かべたとか。