こういう話を見て思い出すのは『銃夢』のこのシーン。私は冗談抜きでこういうシステムは実現するんじゃないかと思う。まだ数百年は先の話だろうけど。
人間(を含む全生物)が一般に死を忌避することも、にも関わらず最後には死ぬことになるのも、そうした方が有利という単なる遺伝子の都合であるし、社会が一般に自殺を禁じるのはその法律や宗教を維持し広めるのに役立たないというミームの都合で決まっていることだ。
それらの制御を脳と科学が凌駕して、言ってみれば精神が自由になるにしたがって、自殺を抑制する根拠はどんどん消滅していく。実際にある程度はそうなりかけているからこそ自殺もあれば、安楽死もすでにあるわけだし。
人間の不老不死化が可能になる時代はもうそんなに遠くない。今生きている人間は間に合わないだろうが、もし今から300年以上かかったら私は驚く。宗教も今日時点ではまだまだ強いといっても退潮傾向はもう止められまい。
何もしなくても満足するまで好きなだけ生きられて、国や宗教ごとに勢力を張り合う必要性もなくなった完璧に豊かで完璧に安全な社会が到来したら、おそらく本物のエンドジョイが作られるようになるんじゃないかな。
おまけ
明るい死繋がり。
コメント
これはね、あったほうがいいですよ
分からんでもない。でも、それは公然と苦痛に立ち向かう必要性を無くしてしまう事になるんじゃないだろうか。言わば、死が安くなる。宗教はよりよく、正しく楽しく生きるための術だがそれさえも知らない人のが多いだろう。考え方や心持ちを発展させる術を遠避け、死の機会が易くなった未来などそれこそ退化しているようでさえある。だが、それでも安易に出来る死が救いとして価値が無いわけではないのも事実。あくまで最終的な人生のご褒美という在り方で、自殺機械が配備される辺りが無難では無いだろうか
国民は奴隷だからね
奴隷は生かさず殺さずが基本でしょ
勝手に死んでもらっては困るというのが本音かな
安楽死施設は間違いなくニーズが高まってるだろうね
生まれて来たくて生まれて来たわけでもない、死の権利はあって当然かと
> それらの制御を脳と科学が凌駕して、言ってみれば精神が自由になるにしたがって、自殺を抑制する根拠はどんどん消滅していく。
こうやって、生と死の境界が曖昧になっていくにしたがって、生が無意味になってく。
それと同時に死も無意味になってしまうんじゃね?
こういった、破滅的な方向じゃなく、好きなときに生きて、好きなときに死ぬ。そして、好きなときに生き返る…
そんな未来を妄想してみた
そうかぁ?
「テクノライズ」のファンとしては、そうなる前に、出産率の低下とかで勝手に滅びる案に1票を投じるよ。
争う必要を感じなくなった時点で、生物としては終わってるから、そこら辺で適当に区切りつけて、みんな緩やかに死ぬんじゃね?