科学の公理の話の補足的なもの。
たとえばオッカムの剃刀のような話は、哲学者がこねくり回して遊ぶものであって、現実には全く、あるいはほとんど関係ないと思っている人がいるかもしれない。
だが、全然そんな事はない。しばしば科学の進歩の代表例みたいな扱いを受けている天動説と地動説のどちらが正しいかという問題だって、それなしには決められないのだ。
たとえば、元の元のページを見つけられなかったので孫引きだが、相対性理論を習うと、
地球から見ると太陽が動いて見えます.太陽から見るとおそらく地球は動いて見えると思います.一般的に言われている「地球は太陽の周りをまわっている」という現象は一体どこから見ているんでしょうか?絶対的な基準となる神様の視点みたいなやつがあるんでしょうか?
と、いうような疑問が生まれることがある。
この質問に対して「本当は双方が共通重心の周りを回っているのです。」と答えるのはもちろん正しいが、おそらく元の質問者の意図はそういうことではない。
相対性理論を勉強する頃には、共通重心云々についてはたぶん理解しているはずで、質問者は、宇宙に絶対座標が存在せず、相互に変換可能という意味で同等な記述が可能なのに、
- なぜ「地球の周りを太陽(との共通重心)が回っている」のではなく「太陽(との共通重心)の周りを地球が回っている」とされるのか?
が知りたいのだと思う。そうであれば答えはこうなる。
その通りです。宇宙に絶対座標は存在しません。「地球の周りを太陽が回っている」という理論は全く正当です。ただし、その場合、観測事実と矛盾しないようにするためには、
- 他の惑星や銀河の全てを「ちょうど(本当は)太陽の周りを地球が回っているとでも言いたくなるような軌道」を取らせるように動かしている摩訶不思議な力
の存在を新たに仮定しなければなりません。もちろん、その摩訶不思議力がなぜ水星でも金星でも木星でも火星でも月でも他の星でもなく、地球を特別視して働いているのかの理由も仮定する必要があります。
したがって、我々は思考節約の原理、すなわち同じ事実を説明できる理論が複数あるときは仮定の少ない方を採用すべきである、という原則に従い、どちらも同等に観測事実を説明できる、自己矛盾のない二つの理論、
- 「太陽の周りを地球が回っている」
- 「地球の周りを太陽が回っている」+「全宇宙に摩訶不思議力が働いている」
のうち前者を正当と認めるのです。
地動説が正しいと言うのは意外に難しいのである。この質問の主はなかなかいい着眼点をしている。むしろ相対性理論を勉強したのにこのような疑問が生まれなかった人は、自分はまだ相対性理論をよく分かっていないのではないかと疑った方がいいのではないかと思う。
おまけ
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