大義名分とは集団的自己欺瞞の助けとなるもの

(本文とは無関係)

 自己欺瞞ブームのひとつの産物として、長年スッキリしなかった「大義名分」の定義ができるようになったと思う。

  • 何かを主張する際(特に集団的)自己欺瞞の助けとなるもの

 大義名分という概念は日常的には難しいものではない。見ればそれとわかるし、使おうと思ったら苦もなく使える――うまくいくかどうかはともかく――だろうと思う。

 しかし、定義が難しかった。これまでで一番ましと思われる定義は、

  • 自分が有利になるように、本当の理由でないと知りつつ主張する理由

 ぐらいのものだったが、これはすっきりしない。

 たとえばネットでよくある「会員制サイトにアクセスしたから金払え」という詐欺。理由の部分は、この定義に完全に当てはまってしまうが、ふつう大義名分とは言わないと思う。ただの詐欺だ。

 「消防署の方から来ました。消火器を設置する義務がありますから買ってください。」というのも、やはり定義に当てはまってしまいそうだが、大義名分とは言わないだろう。これも単なる嘘だ。

 これらが不自然に感じるのは、自己欺瞞の要素がないからだ。詐欺師は相手を騙そうとしているし、もしかしたら上司に騙されているのかもしれないが、自己欺瞞はしていない。

 相手に義務があると信じさせようとはしているが、よほどの間抜けでなければ自分自身はまったく信じていないし、当の被害者以外からは、信じていると見られようともしないし見られたいとも思わないだろう。

コメント

  1. haostin より:

    あと、自己欺瞞は自分のなかの問題なので、外から「どうしてこんなことしたんだ!」って問われたときに「実はこういう大義があったんです」っていう社会へ向けての言い訳の機能がありますね

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