クリストファー・レーン『乱造される心の病』

乱造される心の病

 私はADHDなどの新しい精神疾患の概念には懐疑的である(参考)が、ちょうどそれに関する話題のようだったので読んだ。

 ますます疑念が強まる結果になった。読んでいて楽しい本ではないが、下の目次や抜粋を見て興味を持った人にはおすすめする。

目次

第1章 心の問題か?脳の問題か?――不安をめぐる一〇〇年の闘い
第2章 感情が病状にされる――診断をめぐる闘争
第3章 内気は病気になった!――精神医療産業の決定的勝利
第4章 さあ、病気を売り込もう!――消費者に直接販売
第5章 反跳症候群――副作用と薬物依存の恐怖
第6章 プロザック帝国への反乱――立ち上がる人々
第7章 不安はどこへ行くのか?――感情を消された社会

 本書では不安を例として取り上げ、精神科医や精神科医による病気の定義が一九七〇年代以降急激に変わった過程を示す。まず初めに、不安と内気の簡単な歴史を記し、現在の考え方と古代ギリシア時代、ルネッサンス時代、ヴィクトリア朝時代とを対比させる。次に、二つの章(第2章、第3章)で、DSM第三版の実行委員会が、一一二もの新しい疾患を作り出し、そのなかに不安関連の七つの疾患が含まれた経緯を詳述する。

 その後の章では、製薬会社が巨額の資金を投じて、人のありふれた行動が実は脳内化学物質の不均衡が原因であると私たちに納得させ、病気を作り出してきた経過を述べる。そうした製薬会社の薬剤はさまざまな副作用を起こし、なかにはきわめて危険な副作用もあるため、第5章では薬剤の働きと薬剤が効かない場合が多い理由について明らかにする。

(中略)

 「社会恐怖」や「回避性パーソナリティ障害」であるかどうかは、私たちの社会で肯定される外向性とどの程度かけ離れているかで決まる場合が多いが、第6章ではその議論をひっくり返し、神経精神医学と薬理学への逆風を強めるもととなっている四つの皮肉(中略)を検証する。そして最終章では、診断と倫理に関する問題を幅広く取り上げる。

 総じていえば、本書では、ごく普通の気質が精神疾患にされてしまった過程を包括的に取り上げるだけでなく、今日の不安に関するきわめて重要で新しい考え方を紹介する。私たちは過剰に診断され過剰に薬を処方されているという主張のもと、精神科医、広告コンサルタント、製薬会社が内気や自意識過剰、さらには内省的性質にいたるまでを、重大な精神疾患に巧みに変えてしまった経緯を詳細に述べる。

(「はじめに」から抜粋)

 ただし、記述にはあまり公正とは言えない部分もあるように見える。*1たとえば、フロイトの持ちあげ方などは“敵の敵は味方”的な発想で過大評価しているに過ぎないように思われる。

 特に、本当にうつ病の人には、これを読んで自分の判断で薬をやめてしまう、というようなことは絶対にしないようにお願いしておく。これは、薬を売るために正常と見なされるべき人にまで不安を煽るという問題に関する話であって、心の病そのものの本ではない。

 ちなみに原題は『内気――普通のふるまいがどのようにして病気になったか』。邦題は内容的に間違ってはいないが、圧倒的に焦点が当てられている内気(shyness)の部分を抜かしてしまうのはどうだろう。

 『内気――乱造される心の病』でもよかったのでは。最近では、アメリカで向精神薬が濫用気味*2だというのは、もはやテレビドラマなどでもおそらくお馴染みの話題で、意味が通じないことはないと思うのだが。

*1:なにかを主張する本では、あまり公正にこだわりすぎることもないとは思うが。
*2:日本を基準にすると。

おまけ

 「鬱」しか共通点がないゾ。(柴田亜美風に)

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