「差別語」の言い換えはイタチごっこではなく赤の女王と考えるべき

(本文とは無関係)

 忙しくて長いの書く時間がないので没ネタ発掘計画その一。

 そんなふうに考えていた時期が私にもあった。つまり、

 「差別語」の言い換えなどというのは、事なかれ主義によって無駄なコストを増やしているだけであり、差別の解消には全く繋がらない。事なかれ主義からではなく真に差別に反対する心ある人ならば、できる限りそのような言い換えには反対すべきだ。

 と思っていた時期が確かにあった。

 だが、後になって私の中ではこの考え方はかなり修正され、事実上否定されている。

 確かに差別語問題は、無駄で無意味なイタチごっこのエピソードに充ち満ちているように見える。

 いや、見えるだけでなく、実際に無駄で無意味なイタチごっこ以外のなにものでもないとしか思えない。言い換え・書き換えには実際に大きなコストがかかっているように思われる。

 単に手間暇がかかるだけではなく、過去の情報を検索したり理解したりすることが難しくなるというコストもかかる。

 生物の学名に「死んだ」言語であるラテン語が使われ続け、一度ついた学名は、意味内容がどんなに間違っていても絶対に変えないのは、主にそのためだ。

 最近の話で言えば、従来「痴呆症」と呼ばれていた症状は「認知症」と呼ばれるようになった。なんとも意味不明極まるアホな命名に思える。

 このまま*1ほんの数十年もすれば、「認知」という言葉の価値が、認知症の実体に引き寄せられて下がっていき「認知症」なんて言葉はマイナスの印象が強すぎて我慢できなくなる時期が必ずやってくる。

「やーいニンチニンチー」
「これ! ニンチなんて言葉を使っちゃいけません!」
「えー? なんでー?」
「いけませんと言ったらいけません!」

 などという光景が現出するようになり、また別の言葉に言い換えがなされるだろう。そして再び、間違いなくコストがかさむだろう。

 こうなると、やっぱり言い換えなんて止めさせるべきなのでは、という感想が強くなるかもしれない。

 だが、確認しておきたいのは、こうした変遷はいわゆる差別語に限らず、言語の全領域で常に起きていることであって、それを止めることは、時間を止めることができないとの同じぐらい、まったく不可能な話だということだ。

 わかりやすさのために誰にでも関わりのある例を出そう。

 日本語におけるトイレの一番古い言い方は「厠(かわや)」だそうだ。語源が「川屋」なのか「側屋」なのかはともかく、どちらにしろ最古の時点ですでに婉曲表現であることに注意されたし。

 その後「厠」から「はばかり」「手水(ちょうず)」になり、もっと後になると「お手洗い」「化粧室」「ご不浄」になり、現代は英語などの外来語を使って「トイレ」「バスルーム」「WC」などと呼ばれている。

 当然ながら、う○こはもう何億年も前からウン○だ。基本的に全く変わっていない。なので、言葉の方が変わってこざるをえなかった。言葉というのはそういうものなのだ。

 さらに、トイレを「化粧室」と呼ぶことが定着してくると、今度は「化粧」という言葉の価値が○ンコに引きずられて下がってくる。

 その結果(だけではないが)、コマーシャルなどでは、最近は化粧のことをまず化粧とは言わず、メイクと言ったりコスメと言ったりするようになっている。*2

 一事が万事で、言葉は人間の意識(や広告費その他諸々)をめぐって激しく淘汰しあう関係にあり結果として進化していく。

  • 「いわゆる“差別語”の言い換えは差別の実態を何も変えない」

 と、かつての私を含む言い換えの批判者は言うだろう。そうかもしれない。私も、今でも多分そうだと思っている。*3

 しかし、仮に「痴呆症」を「認知症」と言い換えることを禁止するなら、「化粧」を「コスメ」と言い換えることも同様に禁止しなければ*4痴呆の話題は、現在すでにそうである以上に化粧(その他諸々)の話題に押しのけられてしまうことになるだろう。

 そして痴呆老人やその周辺の社会の実態は(少なくとも相対的な意味で)今まで以上に悪化していくことになるだろう。

 本当にただ何も変えないでいるためには「差別語」の批判や言い換えのような地味で無意味に思える活動も常に続けられなければならず、それをしなければ今以上に悪くなる。

 つまり、これはイタチごっこというよりは、赤の女王――同じ場所に留まり続けるには走り続けていなければならない――にたとえられるべき状況だということである。

*1:近年の科学の発展を考えると、アルツハイマー病や痴呆症一般に劇的な治療法が見つかって、問題の前提そのものが変わってしまう可能性もあるが、それはないものとしよう。
*2:コマーシャルというのは消費者に要るモノ要らないモノを問わず、少しでも高く買わせるために、もっとも厳しく言葉の新鮮さ・格好良さを競わなければならない舞台だから、そこでは最先端のミームが競っている傾向があるのだ。
*3:効果があるとしても、新しい物事は単に新しいというだけで注目され・注意を払われるから、その分うまくいく(ことがある)というだけだろう。これにはなんとか効果という名前がついていたと思うが思い出せない。
*4:もちろんそれは絶対に不可能だ、ビッグブラザーになってニュースピークを制定するぐらいの覚悟でなければ。

おまけ

 空耳の定着する過程って典型的なミーム淘汰だと思う。

コメント

  1. 匿名 より:

    便所ってわりと直球な気がするけど・・・

  2. 木戸孝紀 より:

    >ヒモさん
    うんそうだね。

    トイレや化粧は無数の言葉のほんの一例としてあげたに過ぎないし、
    事なかれ主義の言葉狩りの存在を否定するつもりも
    それを正当化するつもりもないよ。

  3. ヒモ より:

    はじめましてこんにちは
    >その後「厠」から「はばかり」「手水(ちょうず)」になり、もっと後になると「お手洗い」「化粧室」「ご不浄」になり、
    >現代は英語などの外来語を使って「トイレ」「バスルーム」「WC」などと呼ばれている。
    少し違うのは
    古語は時代と共に使われなくなっていますが、別に「化粧」も「お手洗い」もまだ使ってもいい言葉です。確かにファッションや聞こえのイメージのために忌避すべく言葉にはなっています。
    カタワ、つんぼなどの差別用語は現在、TV局などでは完全に使っては駄目な言葉になっています。
    前者は言葉狩りとは違うのでは

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