『ヤバい経済学』とセットで読め! ティム・ハーフォード『まっとうな経済学』

まっとうな経済学

 『ヤバい経済学』を買ったとき隣に並んでいた。邦題とカバーもわざわざ『ヤバい経済学』と似たようなイメージになっていた。

 原題は”The Undercover Economist”で、本文中にたびたび出てくる「覆面経済学者」に相当する単語で、全然関係がない。「あからさまな便乗商法だな」と思いつつ前書きを読んだら予想外に十分独立して面白かったので一緒に買って帰った。

 『ヤバい経済学』は、経済学者が経済学の手法を経済(と普通見なされている)以外の分野に適用したらどうなるか? という本で、まったく経済学の本ではなかった。

 それに対して、こちらは間違いなく経済学の本である。『まっとうな経済学』という邦題は単なる便乗商法ではなく、内容を正確に表している。

 今時大概の人は自由経済の正しさは最初から疑ってないだろうし、経済学の初歩の初歩ぐらいは何となく習って知っているものだろうけど、それでも読んだ方が良いと思う。単純に面白いからだ。

 「便乗商法の酷さを笑ってやるか」と思って手に取った私の心証をわずか4ページ半で買って帰るまでに変化させた前書きは実に名文だと思うのでここに引用しておく。

はじめに

 この本を買っていただいたことに感謝する――と言いたいところだが、みなさんが私のような人間なら、まだこの本を買っていないはずだ。そのかわり、書店のカフェにこの本を持ち込み、ゆったりとした気分でカプチーノをすすりながら、金を出して買う価値があるかどうか、品定めしているのではないだろうか。
「経済学者は世界をどのように見ているか」。それが本書のテーマである。事実、今この瞬間にも、みなさんのすぐそばに経済学者が座っているかもしれない。誰がそうなのかはわからない。普通の人が経済学者を見ても、それとは気づかないはずだ。しかし、経済学者にとって普通の人は、注目すべき存在である。経済学者は何を見ているのだろう。経済学者は何を語ることができるのだろう。そして、なぜ経済学者のような視点を持つべきなのだろう。
 みなさんは今、自分はただふんわり泡立つカプチーノを味わっているだけだとしか考えていないのではないだろうか。だが、経済学者はみなさんを、そしてカプチーノを、シグナルとか交渉の複雑なゲーム、力比べ、機知の戦いのプレイヤーとしてみている。これは高額の賭け金がかかったゲームである。皆さんの目の前にコーヒーを出すために働いた人たちの中には、大儲けをした者もいれば、ほとんど儲からなかった者もいれば、今この瞬間にみなさんの懐を狙っている者もいる。経済学者には、誰が、何を、どのようにして、なぜ手に入れるのかがわかる。本書を読み終える頃には、みなさんは経済学者と同じ視点に立てるようになっていることだろう。しかしまずは、店長に追い出される前に、本書を買っていただきたい。
 みなさんの手元にあるコーヒーが経済学者の興味をかき立てる理由はもう一つある。経済学者はカプチーノがどうやって作られているか知らないが、他の誰もそれを知らないことを知っている。いずれにしても、コーヒーを栽培して収穫して焙煎してブレンドし、牛を飼育して搾乳し、鉄を圧延し、プラスチックを成型してエスプレッソマシンを組み立て、セラミックを成形してキュートなマグカップを作れるという人がいるわけがない。カプチーノはとてつもなく複雑なシステムが生み出した成果なのである。カプチーノを作るために必要なものすべてを1人で作り出せる者など、この世界には存在しない。
 経済学者は、カプチーノが気の遠くなるような共同作業の産物であることを知っている。そして、誰もその共同作業の責任を負っていないこともだ。経済学者のポール・シーブライトが提起した問題は、西側諸国のシステムを理解しようとするソ連当局者の切なる願いを思い起こさせる。「誰がロンドン市民にパンを提供する責任を負っているのか……教えてくれないか」。問題は滑稽だが、その答えにはめまいを覚える。誰も責任を負っていないのだ。
 経済学者の視線がコーヒーから離れて、書店全体に移るとその視界は更に大きな組織の問題をとらえる。書店を成り立たせているシステムは複雑で、とても一言では説明できない。それは、本が印刷され、製本され、保管され、配送され、陳列され、販売される日々の奇跡は言うまでもなく、本が印刷されている紙から、棚を照らすスポットライト、在庫を管理するソフトウェアにいたるまで、何世紀にもわかって蓄積されてきた設計と開発の歴史を考えればわかるだろう。
 このシステムは驚くほどうまく機能している。みなさんはもう本書を購入されたことと思うが、この本を買ったとき、この本を取り寄せるように書店に注文しなくても買えたはずである。今朝家を出るときには、本書を買おうとはまったく考えていなかったのではないだろうか。だが、ちょっとした魔法によって、著書、編集者、出版社、校正者、印刷会社、製紙会社、インク会社など、何十人という人々がみなさんの予測不可能な欲求を満たすために必要な行動をとった。こうしたシステムはどのように機能しているのだろう。企業はそれをどのように利用しようとするのだろう。そして、そうした企業に対して、みなさんは一顧客として何ができるのだろう。経済学者には、その仕組みが説明できる。
 覆面経済学者の視線は、今度は窓から眼下に広がる渋滞へと移る。渋滞はいらだたしい人生の一側面に過ぎないという人もいる。だが経済学者には、交通の混沌と書店の円滑な運営とを対比して語るべき物語がある。交通渋滞を回避する手がかりを書店から学ぶことができるのだ。
 経済学者は身の回りの出来事を絶えず考察しているが、限られた地域の問題だけを議論しているわけではない。みなさんが経済学者と話をしていて、先進国の書店と、本を切望する人が沢山いるのに一冊の本もないカメルーンの図書館との格差に話が及んだとしよう。みなさんは世界の富裕国と世界の貧困国の格差は恐ろしいまでに大きいと指摘する。経済学者はその不公平感を共有した上で、なぜ豊かな国は豊かで、貧しい国は貧しいのか、そして、この問題に対処するために何ができるのか、という点についても語ることができる。
 覆面経済学者は訳知り顔をしているだけのように見えるかもしれないが、そこには、人間を個人として、パートナーとして、競争相手として「経済」と呼ばれる巨大な社会組織の一員として理解するという、経済学の壮大な目標が投影されている。
 こうした関心の広さを象徴しているのが、ノーベル賞委員会の嗜好の多彩さである。一九九〇年以降、ノーベル経済学賞が為替理論や景気循環理論といった、純粋に「経済学的な」研究の進歩に対して与えられたケースはほとんどない。それよりも、能力開発、心理学、歴史、投票行動、法律はもちろん、一体どうしてまともに走る中古車を買えないのかといった“深遠な”謎の解明まで、いわゆる経済学との関連がどう見ても薄い知見に与えられることの方が多い。
 本書の目的は、みなさんが経済学者の視点に立って世界を見つめる手助けをすることにある。この本に出てくるのは、為替や景気循環の話ではなく、中古車市場の謎解きの話である。本書では、中国がどのようにして月に百万人もの国民を貧困から引き上げているのかといった大きな問題や、スーパーマーケットで無駄づかいをしないようにするにはどうすればいいのかといった小さな問題を論じていく。それは完全に探偵の仕事ではあるが、経済学者の調査ツールの使い方についても教えていきたい。本書を読み終わる頃には、みなさんが今よりもっと聡明な消費者になっていること、そして、今よりもっと聡明な有権者になって、政治家が吹聴する話の裏側にある真実を見極められるようにもなっていることを願っている。毎日の生活は謎に満ちあふれているが、それが謎であることに気づいてさえいない人は多い。それでは、私達になじみ深い領域から出発することにしよう。みなさんが今飲んでいるそのコーヒー。それは一体誰のためにあるのだろう。

コメント

  1. ヤバい経済学 ─悪ガキ教授が世の裏側を探検する/スティーヴン・レヴィット、スティーヴン・ダブナー(訳) 望月 衛(訳) 望月 衛

    採点 75点内容世の中の通念の裏側を探求し綴った本読んだ動機経済の裏側を知りたかったからこんな人にお勧め世の中の通念をひっくり返す方法が知りたい人内容のレベル    7通念論破論通念の抜け穴通念を覆すためには、まず….

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