星新一『悪への挑戦』

白い服の男 (新潮文庫)

「みなさま。夕食もおすみになり、夜のひとときをおくつろぎのことと思います。ではこれより、正義にみちスリルに溢れる社会の連帯と向上のためのみなさまの番組、そして現実のドラマである〈悪への挑戦〉をお送りいたします。これは法律省のご協力と、スポンサーである……」

 あたしはこの番組の熱烈なファン。もっとも、あたしだけじゃない。誰でも、どこでもそうなのだ。開始以来、ゴールデン・アワーのこの番組は驚異的な視聴率をあげ続けている。

 老人のひき逃げ事件のリアルな再現映像。

 スポーツカーはブレーキの音をきしませ、一瞬止まったが、あたりに誰もいないと知ると、すぐにスピードをあげた。その青年の複雑な表情。発覚への不安から、憎々しい平然さへと徐々に移ってゆく演技が巧みで、あたしの心の底に火をつけた。
 怒りがこみ上げ、炎が体中を走り回った。どんなことがあっても許されない行為だわ。早く捕まえてぶち殺すべきよ……。

 捜査のリアルな再現映像。

 悪を憎む大衆の網の目に追われ、犯人はほとんど逃げ切れない。逃げおおせる可能性は三パーセント以下だ。
 やがて、定期便のトラックの運転手の証言から、その時刻にすれ違ったブルーのスポーツカーが問題とされ、容疑はその所有者にしぼられた。
 ごまかし、逃げようとする青年。しかし、大衆と警察の協力の前にはそれもむなしく、川に飛び込んで自殺しようとする。救いあげる警官、人工呼吸、医師の手当て……。

 コマーシャルが終わると、法廷の場面となった。これは現実に撮影したフィルムを要領よく編集したもの。被告席には犯人の青年が座っている。さっきまでの俳優のメーキャップがうまく、犯人そっくりだったので、何の抵抗もなく見続けることができた。
 厳しい検事の論告。必死に防戦する弁護士。不安におののく被告。うなずきながら並ぶ陪審員たち。それに、興味深く見つめる傍聴人が大勢。それらが緊張した空気を織りなしていた。
 被告は無罪を立証することができなかった。最後に裁判長が判決を下した。
「死刑を宣告する。その執行期日は追って通知する。なお、処刑の方法は、被告の希望によって、定められたものの中から選ぶことができる……」
 テレビの画面は、その瞬間の青年の表情の変化を、大写しにしていた。絶望と驚きと恐怖。事態を理解するにつれ、顔の色は灰色に変わってゆく。焦点の定まらない、見開かれた目の白さが印象的だった。逃げ場を求めても、それはもはやどこにも存在しない。進む道はただ1つ、その果てに待つものは死。
 顔の筋肉が激しく引きつってから、力が抜け、しおれてゆく草のように弱々しいものに変わった。マイクロフォンの感度がよく、歯の鳴る音、心臓の鼓動までがはっきり聞き取れた。崩れるように椅子にかける音、喉の奥の声にならない声……。
 あたしは興奮した。全国のあらゆる人が一斉に興奮するひとときだ。もし、上空から見下している人があれば、その熱気が陽炎のように立ちのぼるのを、目にすることができるのじゃないからしら。
 これこそ真実なのだ。事実なのだ。ここにこそ人間がある。社会がある。我々の秩序がある。法がある。悪の末路のみじめさ。正義を支持する人々の勝利の賛歌……。

 あらゆる広告料金の中で最も高価なコマーシャルの時間の後で、処刑の実況中継となる。

 すべての用意が完了し、所長はテレビカメラにむかい、手をあげて合図した。
 それを受け、放送局のアナウンサーが、視聴者に呼びかけた。
「みなさん。いよいよ始まりです。電話をお願いします。いつもご説明していることですが、かかってきた電話の数が百に達すると、自動的にスイッチが入ります。本日の電話の代表番号は……」

 番号が告げられてからスイッチが入るまで、十秒とかからない。椅子のそばに赤いランプがともり、縛られた青年を高圧の電流が襲った。悪を憎む、善良な大衆の怒りの津波。
 それを受け、囚人の体は激しく震え、硬直した。縛りつけられていなかったら、天井まで飛び上がったかもしれない。そうすればいいのに。ひき逃げされた老人は、十メートルも飛ばされたのよ。
 電流は更に一回、五秒後に自動的に囚人に流れた。また少しふるえた。さっきのだけでは、死ななかったのかしら。なんだかうめき声がしたようだった。
 あたしの体は、興奮のため、血が泡だって流れを早めたようだった。ぞくぞくする刺激。閃光と闇の交錯する、自分が生きているとの強烈な実感。とめどなく涙の出る正義の勝利。理想の社会へと踏みしめる確実な一歩。ああ……。

 主人公は興奮のあまり窓際の花瓶を落とし、以前トラブルのあった人間を偶然死亡させてしまう。逃亡を試みるもすぐに捕まって死刑を宣告される。しかし、死刑になるかわりに死刑囚の人形作りの仕事をさせられることになる。

「何ですって。すると、テレビで放送されていた処刑は、みな人形だったのね」
「そうですよ。そうでなかったら、ああ見事にはできません。作り物だからこそ、ああ迫力があるのです」
「処刑前のすすり泣きはどうするの」
「昨夜、あなたのを録音しておきました。あなたの人形の処刑は、何とかギロチンでやってみたい。刃がうねりを立てて落下し、首が飛び、血が吹き上がる。スポンサーに増額の要求ができるんですがね」
 あたしは腹が立ってきた。
「ごまかしだったのね。社会みんなを騙していたというわけね」
「それがどうしていけないんです」
 所長は言った。どうしていけない。でも、何か不都合があるはずだわ。あたしは自分の知識を色々と組み合わせてみたが、それに反論する理屈は見つけられなかった。

 囚人生活といっても、テレビを見ることも許されていた。だけど、あたしは自分が処刑される番組だけは見る気になれなかった。

 また旬を逃した感があるが、光市事件問題の話を見かける度に思い出すのはこの話。長くなったので続きはまた今度。

10/16追記

 やっぱやめた。これ以上なにも付け加えることないわ。はてなブックマークでついてるコメントにもあるけど星新一はやはり天才。

おまけ

コメント

  1. 木戸孝紀 より:

    まあそれは流石にどうしようもないですね。
    いまはもう独自ドメインなので、
    これ以上は引っ越しも切れることもないはず。

  2. king より:

    うん、たとえば、この記事内で言及されてるブクマコメントには、このアドレスからは行けないじゃないですか。記事タイトルで検索して、過去ブログのURLを見つけて、そこから以下のブクマコメントにやっとたどりつける、と。
    http://b.hatena.ne.jp/entry/tkido.blog43.fc2.com/blog-entry-368.html
    これはちょっと面倒くさいというか。記事で言及しているのに紐付けられていないので、なんだかリンク切れを起こしたサイトみたいに感じる時が。

  3. 木戸孝紀 より:

    >kingさん
    そうですか? 昔のやつの方が上に来たときとかに
    SEO的に惜しいなと思うことはありますが。

  4. king より:

    死刑関連のブクマから来ましたけど、移転したせいでこういう古い記事のブクマコメントにアクセスできなくなっているのはちょっと損失ですよね。

  5. 木戸孝紀 より:

    上記問題、直ったみたいだ。

  6. 木戸孝紀 より:

    何か知らんが個別ページの下のリンクがバグっとる。FC2テンプレートの<%reventry_title>の中身がすでにおかしいんで私のせいじゃないけどな。

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