たまたま上のエントリに行き当たって思い出した話。
昔、創作の裏側というものになんとなく興味を持って、いろいろな本を読んでみたことがあった。その中で特に面白かったのが北村想『高校生のための実践作劇入門』という本で、プロットというものについての説明が印象に残っていた。
小林信彦さんという、作家であり、コラム批評家である才腕の書き手がそこんところを、うまく説明しています。
これは、一九九九年の八月二十日の中日新聞(東京新聞)の夕刊からのコラム記事です。
「アメリカ映画は、プロット(筋)にオリジナリティがあるから面白い、ということがよくいわれる。(中略)プロットとは、どういうものか? 例をあげて説明しよう。
――青年Aは知り合った女の子Bに惚れて、友人Cに紹介した。ところが、実はBはCのフィアンセだったのである。――
ごく単純な例をあげたが、これがプロットである。プロットとストーリーはちがう。ストーリーとは次のようなものだ。
――美しい女性Bは青年Cのフィアンセだった。そのBに、Cの友人Aが惚れた。――
同じことを書いているようだが、プロットのほうには〈実は……〉がある。
プロットには〈策略〉とか、〈計画〉の意味がある。〈実は……〉という伏せ方はそれである」
だいたい、これで、プロットが何であるかつかめたと思います。つまりは、プロットとは、ストーリー(物語)を面白くする〔見せ方〕なのです。
これは今まで聞いたものの中で、プロットの定義として最も単純明快で的確だと思っている。たとえば、
「志半ばで記憶喪失になって死んだと誤解された父の代わりに旅に出た勇者が大魔王の手下の一人の魔王を倒し、続いて大魔王の城に乗り込んだ!」
は、単なるストーリーだけど、
「志半ばで倒れた父の代わりに旅に出た勇者が魔王を倒しました、しかし〈実は……〉魔王は大魔王の手先の一人に過ぎなかった! ついに大魔王の城に乗り込むと〈実は……〉父はまだ生きていた!」
だとプロットになりうるということね。
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おまけ
実は……タネも仕掛けもない。
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