2016 11/23

 というエントリを以前書いたが、最近もうひとつ別の要素も大きく関わっているのではないかと思うようになった。

 これはニセ科学に騙されているとか不安商法に踊らされているというよりも――その要素は実際あると思うが――ある種の呪術であり、自ら信じたいのではないかと。

 そのベースになる考え方はすでに一度書いている。

 子供の知的発育は非常に重大なことである。にも関わらず、現実的で有効な対処法は存在しない。存在しても、それをそうと確信することはできない。まじないが流行る絶好の問題だ。

 流行するまじないは、実行可能であり、適度なもっともらしさと困難さを備えていなければならない。

 実行は可能だ。大抵の家庭にはテレビがあり、当然ついていることもよくある。実行可能でも負担が大きすぎて生活に支障が出るようではだめだが、そんなことはない。テレビを消しても死なないし、真剣に困ることもまずない。

 逆にあまり簡単すぎるのも、ありがたみが無くなるので駄目だ。これもクリアする。テレビを見たがる子供をなだめたり、自分で相手をしたりするのも、「ちょっと頑張ったな」と思えるほどの負担ではある。

 ……完璧に当てはまっているように思える。

 子供の知能という重大な事柄が、遺伝のようなもう変えられない要因や、まだ誰も解明していない偶然の要因に左右されているというのは不安だ。だからそれを制御しうると、確実にプラスになることをしていると信じて安心したいのだ。たとえ根拠薄弱だと知っていても。

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2015 11/18

啓蒙思想2.0―政治・経済・生活を正気に戻すために

 ジョセフ・ヒース著。単独でこれという新しい知見はないのだけど、とにかく尋常じゃないほど良い。それも『資本主義が嫌いな人のための経済学』と同じ人だと!? とんでもねえな。

 今日日「哲学者」の肩書きで、ここまで自信持っておすすめできる著者は他にダニエル・デネットぐらいしかいないのでは。

 備忘のため内容を箇条書き形式まとめておく。かなり大胆に要約というか言い直しているので、原文とニュアンスが違ってしまっているところもあるかもしれないので注意。

  • 近年、いくつかの理由により理性が軽視され、あまりにお馬鹿な、狂気と言えるような議論が幅をきかせるようになっている。啓蒙思想を復権させ、正気を取り戻すことが必要だ。
  • アメリカには反知性主義――スノッブな知的エリートの理屈より普通の市民の直感が正しい――の伝統があり、この理性軽視の傾向は、左派より右派がうまく政治的成功につなげている。
  • 近年の心理学や行動経済学の成果「人間はホモ・エコノミクスではない」「直感で多くの物事を判断する」等が、いささか歪められ過大評価されている。
  • 新たに登場した24時間ニュース番組は、実際には15分のワンフレーズ映像の繰り返しになり、むしろ新聞等の時代と比べて、政治議論における理性の度合いを低下させた。
  • ゲッペルスがすでに気づいていた単純な繰り返しの効果が、多くの企業や選挙コンサルタントに行き渡り、商業広告や政治宣伝は、理性より直感・感情に訴える方法を洗練させてきた。
  • フランス革命や共産主義に代表される啓蒙思想1.0は、理性を過信するという誤りを犯した。主に人間の限界がよく知られていなかったためだ。
  • 保守主義から学ぶべき教訓がある。「作られた理由がわかるまで塀を壊すべきではない」。古いことがすべて良いというわけではないが、現実世界は人間が認識しているより複雑なので、うまくやれていてもその理由が説明できないということは、ままあるのだ。
  • 人間の脳は、進化的に古い・素早い・並列・直感的・動物的・ワーキングメモリを必要としないシステム1と、進化的に新しい・遅い・直列・理性的・人間的・ワーキングメモリを食うシステム2を備える。
  • デネットは意識を伴った合理的な心を「進化が与えてくれた並列型のハードウェアに――非効率的に――実装された、直接型のバーチャルマシン(仮想機械)」と評している。人間にこのバーチャルマシンを生じせしめた適応は、おそらく言語だ。
  • 大雑把に言えば、正気を取り戻すには、システム1を抑制し、システム2を優勢にさせる環境を整えることだ。
  • 大衆のためになると考える選択を政府が押しつける(パターナリズム)のではなく、大衆がより自分のためになる理性的な選択をしやすくなるような環境を、政府が整える(リバタリアン・パターナリズム)のは、実現可能な余地が大きく問題の少ない方針に思える。
  • たとえば政治報道にせめて食品成分表示と同レベルのルールや義務を課すとか、一定限度以上に短く編集することを制限するとか、それらが難しいことはわかっているが、ちょっとしたことでも効果はあるはずだ。
  • ちょうど健康を脅かすファストフード社会に対してスローフードが提唱されたように、理性を脅かす性急な環境に対しては、スロー・ポリティクスが必要だ。

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2015 5/25

暴力の人類史 上

 ピンカーの『暴力の人類史』を読んで考えたこと。大半は今回初めて考えたというわけではないが。

 『暴力の人類史』を読んでいることを前提とするが、必ずしも必須ではない。

 価値観の話でややこしくなるのを避けるため、単純に人類間の暴力を減らすことを良しとする。ブロイラーの福祉とか、地球のため宇宙のためとかは考えない。

 理由はどうあれ事実として暴力はずっと減少してきたし、今後も減り続ける可能性が極めて高い。予見しうる将来にわたって時間は味方だ。

 ここでは格言に反して、巧遅が拙速に勝る。どんなもっともらしいあるいはもっともらしくない理由であっても、棚上げ・時間稼ぎ・現状維持は、ほとんどの場合に善だ。

 統計的に考えた場合、暴力が無視できるほど減るまでに、特異点的な大破局、平たく言えば第三次世界大戦を起こさないことだけが肝要だ。

 バイオテロは現実だが実践的に極めて困難で、ナノテク災害や人工知能の反乱はまだSFで、おそらく永久にSFにとどまる。

 結局、第三次世界大戦であっても、大破局を人為的に引き起こせる手段は、古典的(?)な戦略核兵器の撃ち合いぐらいしかない。その危険もキューバ危機を頂点に大幅に減っているが。

 戦略核兵器の運用能力があって、ユートピアイデオロギーの影響下にあり、民主的でない独裁政権を持つ国がポイントになるが、かなり限られる。中国・ロシア・イラン・北朝鮮ぐらいだろう。

北朝鮮

 このうち北朝鮮は、個人独裁過ぎて何世代も持たないだろうし、今ですら中国が保護していなければ一時も成り立たないので、今回の観点としては中国の一部と言ってもよいだろう。

 独裁崩壊が不測の事態(のきっかけ)になりうるけども、もちろんいい方向にも変わりうる。良くも悪くもそれだけだろう。

イラン

 『暴力の人類史』でもあったと思うが、イランが核化しても、別に何も起きないだろう。インドやパキスタンの時と同じように。

 およそありそうもないような奇跡的な最悪ケースでも、せいぜいイスラエルとイランの限定核戦争だろう。(もちろんそれでも十分ひどいが。)

イスラム

 イランのついでにイスラムについて。

 個人的には、暴力という観点から見てのイスラムの問題点は、ムハンマドがイエスと違って世俗的にも成功してしまったために、政教分離が困難なシステムになってしまった、ということに尽きると思われる。

 『暴力の人類史』の中で最も実践的な指摘はモラルの適用範囲を狭めれば暴力は減るということだろう。

 宗教は(全ての文化でそうだというわけではないにせよ)モラルとかなり重複するし、政治というのは(それが全てというわけではないにせよ)暴力装置の独占である。

 政教分離はモラルの非暴力化+適用範囲の大幅削減に他ならない。

 それにイスラムは統一された政体ではないし、そうなりそうな気配もない。ISとかがいくらがんばってもこの記事で考えているような破局をもたらしうるとは思えない。

ロシア

 第2次世界大戦後初めて武力で大きく国境線を変更して、歴史の時計を巻き戻した感があるロシアだが、これは大部分ウラジーミル・プーチンという類い希な個性と能力の持ち主ひとりの問題に見える。

 大破局が特異な性格の個人によって引き起こされうるというのが『暴力の人類史』でも強調された警告であるから、だからと言って警戒しないでいいというわけではない。

 だが、彼の代を過ぎてもロシアが今ほど危険である可能性は、かなり低いと思うし、彼の代のうちに大破局を選ぶほど彼が馬鹿とも考えにくい。

中国

 そうなると結局、唯一本当の本当に危険になる可能性があるのは中国だ。

 だいぶ薄れたとはいえ共産主義というユートピアイデオロギーを正統とする独裁政権が、世界一の人口とまもなく世界一にもなろうかという経済を擁している。

 だが、ここでもやはり時間は味方だ。現在の中国共産党指導者がどれほど酷かろうが、毛沢東と比べたら天使のようだ。今の指導者と50年後の指導者を比べても同じだろう。

 人口動態も味方になる。中国にもまもなく来る人口減少と高齢化は、経済的にはともかく暴力の観点からは利点しかない。直感的にも明らかだが暴力傾向はおおむね若い男性のものだからだ。男女比の偏りも今より悪化はしないだろう。

 中国が経済的・軍事的に地球の覇権を握るというビジョンは、ちょっと前に日本が経済的にそうだと思われていたのと同じく、近過去から現在までのトレンドをそのまま未来に外挿するというありがちな誤りに過ぎない。

 何度でも言うが時間は味方だ。常に今が一番危険な時で、あとほんのちょっと(歴史的な尺度では)だけバランスを取って耐えればいいだけだ。

 しつこいが棚上げ・時間稼ぎ・現状維持がおおむね善だ。逆に一番まずいのは、今すぐ何かやらないともっと危険になるという誤った危機感に捕らわれることだ。恐怖すべきことはただひとつ、恐怖そのものだ。

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2015 5/9

 Twitter等で、やたらめったら自国の政府に批判的な人と、そういう人に批判的な人を見て思ったこと。たまたま現在与党である政党や政治家の擁護では(批判でも)なく、いつでも通用する、ありがちなバイアスに対する注意として。

 個人のことにたとえてみよう。現代先進国では、ほとんどの人間にとって、自分を殺害する可能性の一番高い人間は自分自身(自殺)だ。

 だが、それは通常、自分が危険な人間であるということを意味しない。付き合いがぶっちぎりで一番長く密接な人間だから必然的にそうなるだけだ。

 国や政府でも同じだ。こうしたバイアスに注意した上で、日本の政府がとりわけ危険だと信じることは、少なくとも今日の時点では難しい。

 同時に、自分が健康であっても赤の他人に襲われることより自分のメンタルヘルスを警戒した方がいい*1ように、とりわけ危険というわけでなくても自国の権力を最優先で警戒するのは、別に間違ってはいない。少なくとも純粋に利己的な観点からは。

*1:実際そうする人は少なそうだが。

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2015 5/4

社会はなぜ左と右にわかれるのか――対立を超えるための道徳心理学

 なかなか面白い。私がドーキンス兄貴の『神は妄想である』等の主張に感じている不満をうまく代弁してくれている感じがある。

 shorebird先生の指摘通りグループ淘汰に関して理解が間違っているのが残念だが、メインの主張の価値は損なわれていないように思われる。

 私の理解で一番重要な要点をまとめるとこうだ。

 道徳は単に高いか低いかの二元論というわけではなく、5ないし6の別々のチャンネルを持つものである。そしていわゆるリベラルは、単に道徳基準が高いのではなく、いくつかの道徳基準をむしろ積極的に眠らせている。

 6つの軸を簡単にまとめると以下のようになる。保守派は6つ全てを重視し、リベラルは前半3つだけを重視し、後半3つを軽視する。さらにリバタリアンは最初の2つしか重視しない。

元の適応課題 現代での現れ方
公正/欺瞞 相互協力の維持 機会平等・ただ乗り防止
自由/抑圧 アルファメイルの掣肘 権力抑止
ケア/危害 子供の保護 福祉・結果平等
忠誠/背信 グループ維持 市民道徳
権威/転覆 階層的グループ維持 市民道徳
神聖/堕落 感染の忌避 公衆衛生・市民道徳

 最初の2つは比較的わかりやすい。

 フリーライダーを野放しにしてはどんな社会も成り立たないので、公正/欺瞞を無視する立場はありえない。

 権力抑止がないのは、独裁者とその取り巻きしか嬉しくないので、少なくとも民主主義国では、やはり自由/抑圧を無視する立場はありえない。

 ケア/危害もやはりまったく無視する立場はありえないものの、福祉の増加は、それを実現する権力(政府)の肥大とフリーライダーの増加に繋がるので、軽視する立場がありうる。それがリバタリアン。

 忠誠/背信と権威/転覆はやや似ている。ある程度重視されることは、どんな社会にも社会資本として必要と思われるが、公正/欺瞞や自由/抑圧と抵触し、行き過ぎると身びいき・ナショナリズムとなりうるのでリベラルは軽視しがち。

 神聖/堕落については、ちょっとわかりにくい。現代先進国では、元々の適応課題である感染忌避としての役割はほぼ失っていて、よそ者嫌い(人種差別)や自分のグループや国を神聖とする宗教やナショナリズムの形で現れる。言うまでもなく保守派が重視する。

 後半3つはどれも行き過ぎるとナショナリズム・全体主義・権威主義であり、粗視化すると「保守派は全体主義的だ」というリベラルから見てのステロタイプ的な見解と同じになってしまうわけだが、これは主張の欠点ではなく、利点であろう。

 だんだん大ざっぱにしていったとき、直感的・ステロタイプ的な見方と違うものが出てくるとしたら、それは元の理論が間違っているに違いないからだ。

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2015 3/23

いつも「時間がない」あなたに:欠乏の行動経済学

 センディル・ムッライナタン著、エルダー・ シャフィール著。原題”SCARCITY: Why Having Too Little Means So Much”(『欠乏:なぜ少なすぎる分しか持たないことがそれほど多くのことを引き起こすのか』)

  • 何かに集中すると、それ以外のことはおろそかになる
  • 貧しいと、裕福な時よりも、やりくりを心配しなければならない
  • 予測不能なトラブルによる被害は、それを吸収する余裕がない場合、さらに大きくなる
  • 人は遠い未来よりも近い将来のことを過度に重視する傾向がある

 これらはどれも、単独ではよく知られていることだ。直感的にも当然であり、ほとんどトートロジーのようにも感じられる。

 だが、全てを一連の流れで説明されると、貧困問題や格差問題の全てが変わってくるような重大な話に思えてくる。

 別の分野にたとえるなら、

  1. 生物は生き残れる以上の子を作る
  2. 子は親と同一ではなく変異がある
  3. 子の変異にはそのまた子にも遺伝するものがある
  4. 変異には生き残って子孫を残す確率に影響するものがある

 という4つの命題は、それぞれ単独ならどれも当たり前のことである。古代ギリシャ人はもちろん、たぶんネアンデルタール人だって知っていたことだろう。

 しかし4つまとめてよく考えると、それは自然淘汰そのものであり、生命の見方を永久に変えるほどのインパクトを持つものだった。

 よくある自己啓発本・ライフハック本と誤解されかねない邦題は大問題だが、久々に面白い行動経済学本。超おすすめ。

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2015 3/2

年収は「住むところ」で決まる  雇用とイノベーションの都市経済学

 原題”THE NEW GEOGRAPHY OF JOBS”(新しい職の地理学)。タイトルは煽りっぽいが、副題の『雇用とイノベーションの都市経済学』は、原題以上に内容をよく表している。

 ネットが発達したからどこに居ようと関係がないというのは間違いで、顔を合わせることによる効果は大きいということ。

 よい都市には良い職も良い人間も集まり、それがますます都市を良くするという好循環が働くという話。(もちろん逆の悪循環も起こりうる。)

 どちらも仕事柄ある程度知っていることのはずだが、素晴らしく面白かった。社会・経済的にも示唆するところは大きいと思う。

 個人的にもマイクロソフトの本社がシアトルに来たことによってもたらされた結果は興味深い。

 というのも、私がいま勤めている会社UIEvolutionの本社はシアトルにある。そしてUIEvolutionは、マイクロソフトで働いていた中島聡が創業したものである。

 つまり、ほぼ偶然によるマイクロソフトの選択は、シアトルという都市の運命に影響を与え、ひいては私自身の職業選択にまで影響したことになるのだ。

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2014 3/17

「世界征服」は可能か? (ちくまプリマー新書)

 で出てきたので興味を持った。

 ポイントは一行で表すことができる。

  • 「征服」という概念は収奪的制度下でなければ意味を成さない

 ということだ。

 それは、アメリカ合衆国が残りの世界全部を合わせたより強大な軍事力を持ちながら、なぜ他国を次々と侵略・征服していかないのか? という、小中学生によくある疑問の答えでもある。アメリカ人が聖人君子だからではなく、得にならないからだ。

 今でも先進国が侵略や征服に一番近いことを行う場合、主体はやはり収奪的に近い制度の国が多いし、主に地下資源や農業・漁業利権、とにかく一次産品を巡ってのものになる。

 真面目な話はともかく、ネタとしての料理の仕方がうまい。漫画・アニメ好きならかなり笑えると思う。

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