2009 4/19

デッドライジング Xbox 360 プラチナコレクション【CEROレーティング「Z」】

 PCのモニタでプレイできるようにするなどしたおかげでようやく普通に一回クリアまでプレイできた。かなりの名作だと思う。

 そもそもゾンビという概念は偉大な発明であった。それは、

  1. 死後
  2. 殺人
  3. 食人

 という、およそ性を除いた世界の主要タブーを一発で崩壊させる。させるだけではない。たださせるだけなら誰でもできるが、そうしてもなおアングラにならずにいられる。

 また群れると怖いが個体としては非常に弱いモンスターであるため、日常感が失われず「俺ならこうするのになあ」というゴジラやターミネーター相手では不可能な感情移入ができるという利点がある。

 しかし、ゾンビはゲームという媒体には向かない大きな弱点が3つあった。

  1. 動きや見た目の生理的な気持ち悪さを表現しづらいこと
  2. 群れを表現できないこと
  3. ゲームにはボスが必要なこと

 1,2は単純にスペック的な問題なのでわかると思うが、3は説明がいるだろう。ゲームというのはシステム上どうしてもザコとボス、弱い敵と強い敵が必要だ。弱い敵がゾンビなら、強い敵は何か? 強いゾンビか、ゾンビ以外の強いモンスターだ。

 ゾンビ以外のモンスターなら当然だがもはや(少なくともその部分は)ゾンビゲーではない。強いゾンビだとしても、弱いが故のゾンビ最大の魅力、「俺ならこうするのになあ」という妄想可能性が失われる。

 ゾンビゲーとして超有名な『バイオハザード』はハードがPSになったことによって1を克服したが、2,3はクリアできなかった。一度に登場できるゾンビは1では確かせいぜい2,3体だったし、中盤以降の敵やボス敵は皆ゾンビではなかった。

 だが同じカプコンの作品であるデッドライジングは、ハードがXbox360になったことによって1に加え2を克服した。これだけでも大進歩だが、ボスを全員人間(サイコパス)にすることによって3も克服した。

 近代ゾンビの概念を確立したのはジョージ・A・ロメロの一連の作品であるが、中でもショッピングモールを舞台とする2作目の『ゾンビ』は消費社会や人間性への皮肉が効いていて飛び抜けた傑作とされている。

  1. ショッピングモール丸ごと占拠
  2. 一番の敵は人間

 デッドライジングはこのふたつの要素をそこに立ち返って持ってくることによって、ついにゾンビ映画の魅力を完全にゲーム化することに成功した。

 実質的に映画『ゾンビ』のゲーム化だとして訴訟になりかけたようなことがwikipediaに書いてあるが、大人の事情は置いといて、プレイヤー視点では素直にその通りだと思う。

おまけ

 ゾンビ映画のメイキングみたいな。(ゾンビ映画相当のグロ注意)

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2009 2/3

脳のなかの幽霊、ふたたび 見えてきた心のしくみ

 突然ですが問題です。次のふたつの言葉は、一方が基本的な攻撃呪文で、もう一方が基本的な回復呪文です。どちらがどちらでしょう? すでに答えを知っている人は知らないつもりで答えてください。

  • ディオス
  • ハリト

 わかりましたか? では続いてもう一問。やはり一方が基本的な攻撃呪文で、もう一方が基本的な回復呪文です。どちらがどちらでしょう? 答えを知らない人はいないような気がしますが、一応知っている人も知らないつもりで答えてください。

  • ギラ
  • ホイミ

 さあどうだろう。実は最初の問題はウィザードリィの魔法で、ハリトが攻撃魔法、ディオスが回復魔法なのだが、知らなかった人の正答率は半々にしかならないのではないだろうか。もしかしたらちょっと下回るかもしれない。

 対して、後の問題はもちろんドラクエの魔法である。知らない人はほぼいないと思われるが、ギラが攻撃魔法でホイミが回復魔法だ。たとえ知らなくても間違える人間はほとんどいないことに、あなたは同意できるだろう。

 しかし、なぜそれがわかる? 知らない人間がどう思うかなんて、普通に考えたらわかるわけがないだろう? それが今回の主題。このような現象は、

 と呼ばれている。

 数字の桁数の件もよく似た構図だが、要するに魔法をCGで視覚的に表現することができなかった時代に、共感覚的なものでそれを補おうとした工夫なのだ。こうした工夫の積み重ねが今でもドラクエブランドを支えている。

 だからなんだというわけでもなく、立て続けにドラクエの記事脳の記事がヒットしたので、合わせてみたらどうなるかなと思っただけなのだが、FF13(公式:音注意)がCGを極限に突き詰め、DQ9はDSで出るという戦略は、基本的に正しいんじゃないかな。

おまけ

 いまだにゲームと言えばドット絵しか思い浮かばない私。

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2008 12/14

ドラゴンクエストIII そして伝説へ… 公式ガイドブック

1.「どく」状態は何のためにある?

 DS版ドラクエ5のエントリで予告していた話だが「毒を治すために決まってんだろ!」ということを言っているわけではもちろんない。

 そもそもドラクエの「どく」状態というのは実はほとんどペナルティがない。戦闘中にはダメージがないし、移動中に数歩に一歩だけ画面が赤くフラッシュして1ダメージを受けるだけだ。仮に全員がずっと毒に犯されっぱなしでも、鬱陶しいのを我慢しさえすれば普通にプレイすることが可能である。

 Wizardryのように毒のダメージが大きくて、毒消しは序盤では買えないほど高く、宝箱のどくばりの罠にうっかりかかったら死あるのみ、というような状況はありえない。毒がパーティーメンバーを殺すためにあるのではないのなら、毒消し草の存在意義以前に、そもそも毒状態は一体なんのためにあるのだろう?

 ファミコン版ドラクエ3まで遡ってみよう。ドラクエ3について思い出しておかなければならない事は3つ。

  • 初期のドラクエではアイテム欄が1人8個まで
  • 毒の治療法は教会・どくけしそう・キアリーの魔法
  • ドラクエ3で毒を使用するモンスターは出現順に
    • バブルスライム
    • ポイズントード
    • どくいもむし(毒の息)
    • くさったしたい
    • どくどくゾンビ(毒の息)

2.ナジミの塔でのトレードオフ

 最初のダンジョン、ナジミの塔に「とうぞくのカギ」を取りに行く道中にはバブルスライムが登場する。この時点でキアリーを習得していない*1ため、バブルスライムに毒を受けて「どくけしそう」を持っていない場合、レーベの村まで引き返さなければならない。

 冒頭とはいえ全員「よろい」と「ぶき」は装備するため、アイテム欄は一人6個以下しかない状態だ。開いた欄には「やくそう」「どくけしそう」「キメラのつばさ」のどれかを持つ事になる。

 「キメラのつばさ」は一個持てば足りるため、事実上これは薬草を持つか? それとも毒消し草を持つか? のトレードオフである。薬草が多すぎれば、毒消し草が切れHPを残しながら町に引き返さざるを得なくなり、悔しい思いをする。毒消し草が多すぎれば、アイテム欄が圧迫され薬草を持てる数が減りHPが切れて、やはり悔しい思いをする、というわけだ。

3.キアリー習得による解放のカタルシス

 ロマリアに渡ってしばらくするとキアリーを憶えるレベルに達する*2。このキアリー習得によって、プレイヤーはついに毒消し草を何個持つかなどという下らないことに頭を悩ます必要もなければ、失敗して悔しい思いをする必要もなくなるわけだ。

 習得してすぐ使う機会があるように、ちょうどロマリア周辺にはポイズントードが配置されている。さらにそこから少し進んだシャンパーニの塔*3とその周辺には、毒の息で複数に毒を与えてくる「どくいもむし」が登場する。もちろん「一度に何人毒に犯されようがもう怖くないぜヒャッハー!」という開放感を確認させるためである。

 と、いうわけで、

  • 毒のダメージが戦闘中にある(戦う代わりに毒を治すこととのトレードオフ)

 わけでもなければ、

  • 毒消しが高い(お金とのトレードオフ)

 わけでもないドラクエ的な毒なのに、

  • アイテムの個数制限が厳しい(他のアイテムを持つこととのトレードオフ)
  • “後で”キアリーを憶える。*4
  • それを確認させるための毒使用モンスターが登場する。

 というカタルシスを得るための条件が用意されていない「毒」ステータスは、ほぼ存在意義がない。「毒を受けたら毒消しを使う」という単なる作業をプレイヤーに強制するだけのものになってしまう。

 「RPGには毒があるのが当たり前だろう」「毒があったら毒消しがあるのが当たり前だよね」と惰性で決めただけだと、そうなってしまう。実際そうなっている事が、ままある。むしろ、そうなっていない事例の方が少数派なのではないかと思う。

 もちろんドラクエは、そこのところはきちんとしていた。1人が持てるアイテムが12個になりアイテム制限が大幅に緩んだ5では、戦闘中でもダメージを受ける「もうどく」状態が追加されたり、「のろい」状態とシャナクの習得タイミングで同様のカタルシスを用意したりしている。

*1:昔の公式ガイドブックを確認すると、僧侶のキアリー習得レベルは11。ナジミの塔の到達レベルは4。
*2:ロマリア城の到達レベルは10。
*3:到達レベル14。
*4:あるいはそれに相当する解毒手段を得る。

おまけ

 Wizつながり。組曲の替え歌はなんでもあるな。

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2008 9/19

ドラゴンクエストV 天空の花嫁 公式ガイドブック(ニンテンドーDS版) (SE-MOOK)

 DS版ドラクエ5クリア。十分面白かった。ちょっと気になったことをとりとめもなく。

 まずピエール様の優秀さは健在。自然すぎてしばらく気がつかなかったが、一度の戦闘に参加できる人数が4人になっていた。SFC版では3人だった。やはり3人は少なすぎ、5人は多すぎるということなのだろうか。

 そのせいもあって、「たたかいのドラム」*1のバランスブレイカーぶりがもっと過激に。クリア後アイテムとは言え鬼畜過ぎる。使う以外の選択肢がまったくない。破壊の鉄球との組み合わせにより、攻撃魔法の存在意義もほぼなくなってしまう。

 やっぱり「ふくろ」があるとまったくゲーム性が変わってしまうな(これは5だけの話ではないが)。「やくそう」や「どくけしそう」の位置づけとか。これ話が膨らんできたから別にエントリ起こそうかと思う。

 4でオムニバス型式とAI戦闘という突飛なシステムが採用されたせいで見えにくくなっているが、ドラクエは4までと5以降でゲーム性がかなり変質している気がする。きっちり制御された箱庭を楽しむゲームから、制御しきれない多様なおもちゃ箱を引っかき回して楽しむゲームに。

 5の象徴である結婚イベント、3人目の選択肢デボラが追加されビアンカ一択シナリオだったのを是正する措置が取られているが、むしろイベントとしての魅力は減退したような気がする。

 ゲームの選択肢というのは不平等でなければいけない。圧倒的に一択の選択肢であればこそ、王道には王道として、ありえない選択肢にはネタとして、それぞれ選択する意味が生じるわけで。どれを選んでも正解ではないようなイベントは乱数でいいのだ。

 それと移動中に仲間に話しかけることができるようになった。ムスコス・ムスメスのボケ倒しは面白かったが、結婚後のビアンカがかなりうざい。媚びすぎのような気がする。

 ……あれ? そういう需要に応えてデボラが配置されてるってことか? デボラでもっかいプレイしてみるべきか? いや、やっぱそこまでやり込むのはちょっとむり。デッドラとXbox360も届いたし。

*1:全員にバイキルトの効果。しかも誰でも何回でも使える!

おまけ

 やっぱゲームの選択は理不尽でなきゃ……って、さすがに限度があるわ(笑)。

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2008 5/25

Mind Hacks―実験で知る脳と心のシステム

 もう何年も前の話だが『Mind Hacks』という本で“サビタイジング”という効果のことを知って、どうして歴代FFの戦闘画面のうちFF4のものだけがこんなにも見づらいのか? という長年の疑問に決着がついた気がした。

(FF4:6分過ぎから戦闘シーン)

(FF5:1分半から戦闘シーン)

 最初に思いつく説明は単純に縦にキャラが5人・ステータス画面5行が並ぶのは多すぎるからというものだが、FF5やFF6でも4人(4行)はいるのに、その戦闘画面は全然見づらくない。この差は数1つの違いだけでは到底説明がつかないと思っていた。しかし、

 サビタイジングの際、脳では、普通に数を数える場合と全く異なった処理が行われているように思える。いくつかの実験により、数える物が4つまでの場合は、1つあたり40〜80ミリ秒で数えられるのに対し、それを超えると、必要な時間は1つあたり250〜350ミリ秒に増えるということがわかっている。

(中略)

 サビタイジングの場合は、意識して注意を向けるというようなことは必要ない。視点を物から物へ移すこともない。(中略)そのため、研究者の中には、「サビタイジングは動作ではなく、視覚信号処理の副作用である」などと主張する人もいる。

『Mind Hacks』P134-135ページ

 というわけなので、実際に起こっているのはおそらくこういうことだろう。

  • プレイヤーが視線を移動させる。
  • 脳はそこにキャラが何人いるか・コマンドやメッセージが何行あるかを、無意識的に把握しようとする
    • 4人・4行の場合、無意識のまま約240ミリ秒で数え終わる
    • 5人・5行の場合、一瞬意識を持って行かれ、約540ミリ秒で数え終わる
  • 次の行動に移る

 戦闘中画面においてプレイヤーは、コマンドを入力し(下)・アニメーションを見(上)・ステータスを確認する(下)、といった具合に頻繁に視線を移動する必要がある。その度に一瞬数えることに意識を持って行かれて、約300ミリ秒を無駄にさせられることの積み重ねが「見づらい」という印象となって現れるのだろう。

 要するに4人(4行)と5人(5行)の間には実際に越えがたい差があり、5という数は多すぎるという最初の説明以上のものは必要なかったという結論になる。だからなんだというほどのものでもないが、もしかしたら誰の役に立たないとも限らないので書いておく。

おまけ

 年代的にヒャダイン氏の作品はいつもツボに入ります。

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2007 12/24

ひぐらしのなく頃に解 罪滅し編 3 (ガンガンコミックス)

 何の本に載っていた格言だったか。保守性とか読みやすさの重要さを強調する文脈だったと思うが、正しいと思う。

 ひぐロワは流行ものに便乗した一発ネタのつもりだったんだけど、最近になってもまだ遊んでくれてる人もいる模様(ここの人とか)。ひぐ狼も数ヶ月遊べれば十分だと思っていたけど、開発から3年弱も経ってもまだたまに村が立っている。

 2chのスレではうみねこ版に改造して遊んでいる人もいるみたい。ひぐロワのスクリプトにしっかりコメント付けてあるのは単純にNscripterでのプログラムは読みにくいので、しっかり付けないと自分でさえよくわからなくなってしまうからなのだが、結果的に保守性というか改造しやすさが上がってよかったのかもしれない。

 うみねこ版はちょっとだけ見た。私自身はたぶんうみねこ版は作らないので、まだ改造やっているならアドバイス。ひぐロワ解の13人でも微妙に多すぎると思うぐらいだから、18人全部出る方向で進めるなら、バランスを取るためにもっと死にやすくしなきゃならない。体力は低め、攻撃力は高め、スタミナは切れにくく*1ならなきゃならない。

 なのに持っているだけでスタミナを消費するアイテムができたり、回復アイテムがあったり、体力を回復する罠があったりという今の仕様はまったく逆方向を向いてる。勝負が付きにくく終盤ぐだぐだになりやすいのはそれが原因。うみねこ2作目が出たらちょっとはネタが増えるだろうし。その辺で調整するといいと思う。

*1:ひぐロワが解になるときもちょうどゼロはスタミナ切れとして扱わないようにしたよね?

おまけ

 このシリーズは吹かざるを得ない。ひぐらしのなんちゃって和風で本質はアメリカン的な部分を見事にえぐり出しているというか、単なる再現しましたシリーズに留まらない何かがある。

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2007 9/30

ニュー・スーパーマリオブラザーズ

 ニコニコ動画でかなりの人気を誇っている『自作の改造マリオを友人にプレイさせる』シリーズ。

 作者がスーパーマリオワールドを改造してとてつもない鬼畜難易度にしたコースを、その友人が必死に突破していく様子を見せるシリーズだ。

 その最新作のコメントで、作者がゲーム専門学校に行くことに決まったと言っている(ということは高校生だったのか)。

 ゲーム専門学校の悲惨な実態を描いた鈴木みその漫画(一時期ネットでもかなり話題になったのでググればたぶんどこかで読める)を読んだことがあるせいか、ちょっと不安ではあるが、この作者は間違いなく面白いゲームを作れるはずなので是非頑張って欲しいと思う。

 なぜこの人が面白いゲームを作れると思うかというと、もちろんこの改造マリオが面白いから。

 なんでそんな当たり前のことをわざわざ書こうとしているかというとゲームデザインは非常に特殊なスキルで、それがあるかどうか見極めるの方法として、既存のゲームを改造してみるというのは非常に有効な手段だと思うから。

 これが「そりゃそうだろ。当たり前じゃん」と思う人には特に何も言うことはない。

 「はぁ? たかが改造じゃん。それは誰でもできるだろ」と思った人にはそれはたぶん間違いだと言いたい。

 ここでいう特殊は「他にそれに似たものがない」という意味で、稀少や貴重とは意味合いが違う。言葉で説明するなら人が探索して面白いような多数次元の可能性空間(たぶん正しい用語ではないが正しい用語がありそうな気もしないので気にしない)を何もないところから形作る仕事で、他にそれに似たものがまったく思いつかない。

(無理を承知であえて一番近いものを探せば……今考えてたどり着いた結論に自分で驚いた……立法者、つまり政治家や官僚の一部分である。これに関しては面白くなってきたので別のエントリにまとめるかもしれない。)

 プログラミングの才能とは似たようなものと考えられているようだが、それはたぶん違う。たとえるなら「音楽家の才能」と「いい音がする楽器を作る才能」ぐらい違う。

 少なくとも手先は器用な方だというぐらいの共通点はあるかもしれないが、この2つの才能を似ているとか同じだとか考える人はいないと思う。

 ゲーム制作が稀少なスキルかどうかは知らない。個人的には、そんなことはないと思う。子供が「横断歩道の白い部分以外を踏んだら死亡」とか「この石を家まで溝に落とさずに蹴って帰れたらオレ不老不死」とか考えるとき、すでにゲームを作っている。中学生が2ちゃんねるでIDや安価(レスアンカー)で遊ぶスレを立てるとき、やはりゲームを作っている。

 しかし、現在ゲームを作って誰かにやらせようと思ったらまずプログラムする以外の方法はないため、本当はあまり関連のない2つの能力を同時に持っているものしかゲームを作ることができない。

 たとえで言えば、自分で作った楽器しか演奏することができない世界があったとする。そこでは「音楽の才能」は現実よりずっと稀少なものであるはずだ。ゲームを作る才能が稀少なように見えるとしたらこのような理由だろう。

おまけ

 いや、おまけじゃない。これの話。

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2007 3/9

Mind Hacks―実験で知る脳と心のシステム

 実験的エントリ。あえてまとめずに思いついたこと全部書くことにする。

 宇宙はその時々の思想の先端にあるものに喩えられる。古代では人間に、ニュートンの時代には時計仕掛けに、少し前まではコンピューターに、現在ではカオスと自己組織化の原理に支配される量子の渦に。

 人生も様々なものに喩えられる。私のお薦めの本『頭にガツンと一撃』の中に、人生を何かに喩えた言葉ばかり集めた部分があった。

 ほとんど全部忘れたが1つだけドーナツに喩えたものが記憶に残っている。確かこんな感じだ。

 焼きたてのうちは柔らかく美味しいが、冷めるにつれてだんだん硬く不味くなる。真ん中に大きな穴が空いているのは謎だがそれがなければドーナツとは言えない。

 人生が喩えられるものの一番人気は昔も今もゲームだ。

 そうでなくともライフハックをせっせとブクマしながら「人生はゲームだという喩えは適当か否か」も何もないもんだと思うが、元々ゲームは人生(の一部)を模したものであるのでトートロジーっぽいとは思う。

 確かにMMORPGなどはこれまでの世界に存在しなかったレベルでの人生のシミュレーションであろう。生産し、交流し、戦う。

 しかし、敵との戦闘や仲間との交流が面白いのはわからんでもないとして、なぜしばしば単純労働のような生産行為がゲームに組み込まれているのか? そんなことはしないで済む方が面白いはずでは?

 そんなことに麻薬中毒に喩えられるぐらい、稀なケースとはいえ本当に死に至るまでハマってしまうなどということが起こりうるのはなぜか。

 この場合麻薬中毒の喩えはそれほど不適切ではないかもしれない。人がなぜ麻薬中毒になるのかというといろいろ説明のレベルはあるが、今回必要な点だけ言うと「麻薬の分子は人間の脳がもともと作っている快感を感じさせるための物質によく似た形をしているから」だ。

 (順調にいっている)単純な生産行為を快感に感じる性質は、長い狩猟採集農耕牧畜の生活様式の中で進化し、すでに脳内麻薬のレセプターの分子構造同様バッチリ(死語)人間の遺伝子に刻まれているはずだ。

 ゲームでガンガンレベルが上がるとか、面白いようにアイテムやお金が貯まるとかいう状態は、人間が生きるために進化させた、正常な労働に対する快感*1を与える仕組みに対する超正常刺激として働いているものと思われる。

 要するに麻薬もMMORPGも、どのレイヤー(階層)で行っているかの違いはあれど、つまるところ報酬系をハックしている。

 これらから何が言えるだろう。ゲームは麻薬だと単純には言えまい。おそらくゲームにすらハマれない人間は現実の人生でも成功しないはずだ。もちろん逆は必ずしも成り立たない。つまりゲームにはまる人間が現実でも優秀とは限らない*2

 ゲームが行っている報酬系ハックの仕組みを学び、リアルワールドに流用する。人生をゲームに喩えるだけでなく積極的に人生をゲーム化することによって現実の人生を充実したものに変える。

 ……改めて提唱するまでもなく、それがLife Hack と呼ばれているものだ。はい車輪の再発明でした。

*1:という言い方が変に感じるなら達成感とか言い換えてもいい。
*2:「英雄は色を好むが色を好むものが英雄とは限らない」という定番ネタと同じ。

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