2016 6/3

『東方鈴奈庵 〜 Forbidden Scrollery.(5)』★★★

 春河もえ著。ZUN原作。ぬえ・文・聖etc. まだまだ面白い。

『おひさま もっちゃん! 漫画家パパの育児日記』★★

 丸本チンタ著。なかなかおもろい。

『親バカと言われますが、自覚はありません。 イクメンパパの奮闘日記』★

 丸本チンタ著。上の実質前編?

『生物はなぜ誕生したのか:生命の起源と進化の最新科学』★★★★★

 ピーター・ウォード著、ジョゼフ・カーシュヴィンク著。邦題だけは良くない。原題”A NEW HISTORY OF LIFE”(新しい生命の歴史)に相応しい内容。大幅な地質学・生物学的アップデート。強くおすすめ。

『週刊少年ジャンプ秘録! ! ファミコン神拳! ! !』★★★

 「ファミコン神拳」伝承委員会著。うわー懐かしい。下の記事も合わせてどうぞ。

『カッコウの托卵: 進化論的だましのテクニック』★★★

 ニック・デイヴィス著。面白い。内容は例によってshorebird先生にお任せ。

『市場の倫理 統治の倫理』★

 ジェイン・ジェイコブズ著。対話形式がちょっと読みにくい。ここでいう「市場の倫理」と「統治の倫理」は、「リベラル」と「保守」に近い(同じではないが)。もっと言えば『社会はなぜ左と右にわかれるのか』の後半3軸を軽視する立場と重視する立場。

『モラルの起源―道徳、良心、利他行動はどのように進化したのか』★

 クリストファー・ボーム著。興味深い点はあれど要注意点もあり。先にshorebird先生の書評を読むことをおすすめ。

『巨大生物解剖図鑑 Inside Nature’s Giants』★

 デイヴィッド・デュガン著。大迫力。

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2015 12/14

『反逆の神話:カウンターカルチャーはいかにして消費文化になったか』★★★★★

 ジョセフ・ヒース著、アンドルー・ポター著。話そのものは「ヒッピーからヤッピーへ」等のキーワードで知ってたし、批判的な人には当たり前な感じだけど、自身リベラルな人がこうやってまとめたところに価値があると思う。超おすすめ。

『ルールに従う―社会科学の規範理論序説』★★

 ジョセフ・ヒース著。他のに比べて専門的。それだけが理由じゃないと思うが、あまり面白くない。

『モラル・トライブズ――共存の道徳哲学へ』★★★★★

 ジョシュア・D.グリーン著。超いい。内容は例によってshorebird先生にお任せ。全体に良いが、部分的に特に印象に残ったのは2点。

 問題となる事態が、スタック領域を必要とするような複線化した論理の先にある場合、道徳的直感が働きにくくなる、ということ。どうしても人を殺さなきゃならんことがあったら参考にしよう(笑)。

 権利を根拠にする主張は原理的にトートロジーにしかなり得ないので、終わった議論を蒸し返さないことには利用しても、現在進行形の真剣な議論には利用すべきでない、という主張。実践的で良い提言だと思う。

『ダブル・スター』★★★★★

 ロバート・A. ハインライン著。古さは否めないけど、抜群におもろい。

『学力の経済学』★★★★★

 中室牧子著。とても良い。自分の子育てにも参考にしよう。もっと日本の教育政策もエビデンスベースにしていってもらいたい。

『闇の守り人』★★★★★

 上橋菜穂子著。前作も相当だったが、さらにそれ以上。これはシリーズ全部行かねばならんか。

『十三億分の一の男 中国皇帝を巡る人類最大の権力闘争』★

 峯村健司著。制限されない権力ってのは勿論ろくでもないけど、傍目には面白いよなあ。男のロマンというか。

『ウンコな議論』★

 ハリー・G・フランクファート著。『啓蒙思想2.0』経由。bullshitはウソとは違う。嘘つきは少なくとも何が本当かわかっているが、bullshitを言う者は、そもそも何が本当かなど気にしていない。それ故しばしば嘘つき以上に手強い真実の敵である。……というのが大意。

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2010 10/31

(本文とは無関係)

 最近読んだ本、またはずっと紹介したいと思っていた本の中から、個別エントリにするタイミングがなさそうなものを、まとめて一挙紹介。

 ★は1-5個でオススメ度。人に薦める価値がまったくないと思うものはそもそも取り上げないので、1個でもつまらないという意味ではない。

『5万年前―このとき人類の壮大な旅が始まった』★

 ニコラス・ウェイド著。ところどころちょっと勇み足っぽく見えるところがあるが、悪くないと思う。

『解明される宗教 進化論的アプローチ』★★★

 ダニエル・C・デネット著。この人らしくとても良いが、『神はなぜいるのか?』と重なる部分多し。そっち読んでれば十分かも。

『現代倫理学入門』★★

 加藤尚武著。「流行りモンを手に取るのは絶対イヤ!」という思想を持ってなければ例のサンデル本でいいんじゃね?

『天才ガロアの発想力 ~対称性と群が明かす方程式の秘密~』★★

 小島寛之著。確かにエヴァリスト・ガロアは数学史の本ではよく出てくるけど、群論の説明がちゃんと出てくるのは珍しいような。

『老いてゆくアジア―繁栄の構図が変わるとき』★★★

 大泉啓一郎著。アジア諸国が急速に少子高齢化している(する)という話。いつも思うが人口動態はすべてだ。かなり面白い。

『人生と投資のパズル』★

 角田康夫著。行動経済学を投資やファイナンスにどう生かすことができるかのコンパクトなまとめ。手元に置いとくにはいいのでは。

『鉄理論=地球と生命の奇跡』★★★

 矢田浩著。鉄元素で一本筋を通して幅広い話題を扱う。かなり良い。比較的薄いので読みやすい。

『クー・クラックス・クラン 革命とロマンス』★

 トマス・ジュニア・ディクソン著。普通の意味では今読んで面白い小説とはまったく言いがたいけど、価値観の違う世界を覗き見るのは楽しい。

おまけ

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2010 6/24

ダーウィン―世界を変えたナチュラリストの生涯

 元より長くなってしまったが、上記エントリに対する補足。

 はてなブックマークのコメントなどで、あまり予想していなかった反応がいくつかあった。そのほとんどは「ちょうど進化論以前の生物分類学のようなものになる」という部分を、過度に否定的な意味に受け取った結果と思われる。

 進化論ほど広く受容され使用されている理論には、権威が伴う。最近ニセ科学の文脈で創造論・ID論との戦いがよく話題になることもそれを強化しているかもしれない。

 とにかく「進化論」とか「進化○○学」と言っただけで、

「進化論こそ科学の中の科学! それ以前の奴なんて何も知らなかったバカ! 無視する奴は現実を受け入れられないグズ! 逆らう奴は頭のおかしい宗教キチ○イ!」

 というような台詞が、バックグラウンドに流れているように聞こえてしまうのだ。

 もちろん、私はそう聞こえることを予想していたから、わざわざエントリの最後の段落を全部使って注釈を入れたのだが、進化論に対する強固な信仰を揺るがすには、その程度では全く不足だったらしい。

 当たり前だが、進化論が登場したからと言って、それ以前の分類学が突然ナンセンスになったりはしなかった。

 それどころか、今でも賛嘆に値するような、「それ以前」の分類と研究の集積から、進化論は生まれたのだ。*1「ちょうど進化論以前の生物分類学のようなものになる」という台詞をそんなに否定的に受け取る必要はないのだ。

 しかし、神の設計理念を知りたいと思って研究するのと、進化の過程を知りたいと思って研究するのでは、立てられる仮説も、行われる発掘・実験も、出てくる結果も、同じものではありえない。それもやはり当然のことだ。

 生物学ではその移行はすでに終わったが、倫理・道徳といった、従来「いわゆる科学」からは、まだ遠いと思われた分野でも、類似のことが起こる、あるいはすでに起きつつある。「ちょうど進化論以前の生物分類学のようなものになる」という台詞は、そういう意味だ。

 それに関するもっと詳しい話はまた今度。今の調子じゃ何年後になるかわからないが。

はてなブックマークでのコメントに対するお答え

 (後ろに追記されていく可能性あり)

tikani_nemuru_M 同感だがなかなか受容されないだろうなあ

 こうなると、むしろ地下猫さんに一発で伝わったのが意外なんですが。あとTwitterやりましょうTwitter。真面目な話だけじゃなくて、ゲーム話とか、家庭の話とか、バカ話とか、もっと垂れ流してください。

kogarasumaru サンデルの本領はLiberalism and the Limits of JusticeやThe Case against Perfectionなんだが/そうすると「脳・神経科学および進化心理学の両面か〜」というのはまったくもっておかしな話

 よく意味が分かりません。その2冊の本は未読ですが、「この分野は今まさに、脳・神経科学および進化心理学の両面から革命が進行中」というのは、サンデルの本領がどこで、そこで彼が何を言っているかとは全く関係ない話です。

 その意味で『これからの「正義」の話をしよう』の書評の中ではなくて、他で言うべきことだったかもしれない、とは思っています。ずっとやるやる言っておいて、全然やっていない『恋人選びの心』の書評とかで。

kogarasumaru 正直な話、科学畑からのちゃちな横槍としか

 「科学畑」って何ですか? そんなものが存在するとしたら、あなたは「非科学畑」のお住まいなのですか? 自分の理解できない分野から自分の分野に言及されると自分が脅かされたかのように感じるセクショナリズム*2は、誰も幸せにしません。

 せめて参考リンクに張ってあるジェフリー・ミラーの話だけでも*3読んでから「ちゃち」で済ませていい話かどうか考えてください。

hal9009 うははw。ついに倫理にも還元主義の波がw。しかしその考え方は快楽主義と批判されそうな気もするな〜

 「脳・神経生理学」と聞いただけで「還元主義」という短絡をしてしまうというのは、それなりに理解できなくはない発想です。直した方がよいと思いますが。

 ただし「還元主義」という言葉をあなたがどんな意味で使っているにせよ、進化心理学は「還元主義」とは縁遠いものですし、「快楽主義」に至っては、どこから出てきたのか全くわかりません。教えてください。

minazuki6 茂木健一郎「呼んだ〜?」

 呼んでませんが何か?

*1:そうじゃないと思ってた人がいますかね?
*2:縄張り根性
*3:もちろん、この話だけで言っているわけではないのですが。

おまけ

 えー、ノーコメント。

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2010 6/23

これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学

 原題 “Justice – What’s the Right Thing to do?”(『正義――何が正しいことなのか?』)NHKでハーバード白熱教室として放送されているらしい講義の書籍化。

 歴史を足早におさらいする感じや、日本での流行り方からは、正義論に集中した『ソフィーの世界』、といった印象を受ける。

 確かに流行るだけあって、大変よくまとまっていると思う。この分野の入門書としては最高だ。おすすめ。NHKの番組は未見だが、講義そのものはYouTubeで見られるらしいので、後でちょっと覗いてみよう。

 ただ、邦題は内容に即していない。むしろ正反対だ。『これからの「正義」の話をしよう』とあるが、「これから」の話は、ほとんど何も出てきていない。単に内容を表すものとしては『これまでの「正義」の話をしよう』の方が適切だと思う。

 この分野は今まさに、脳・神経科学および進化心理学の両面から革命が進行中で、この本にまとめられた現在までの議論は、ちょうど進化論以前の生物分類学のようなものになる可能性が高い。

 決して価値がないという意味ではない。それはそれで素晴らしい壮大な知の体系なのだが、現実の問題を解決したり、さらなる進歩の元になったりするというよりは、歴史的研究の対象になるということだ。

参考リンク

参考動画

 英語。[CC]ボタンから字幕(やはり英語)を出せるようになるようだ。

関連書籍

おまけ

 ジャスティスつながり。

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2010 6/5

平気でうそをつく人たち―虚偽と邪悪の心理学

 『健康帝国ナチス』に出てくる言葉。ヘルベルト・メルテンがどういう人かも、どういう文脈で言ったのかも知らないのだが、なかなかうまい言葉だと思う。ちょっと前に読んだ『平気でうそをつく人たち』とも共通する話。

 要は「悪」と一口に言ってもいろいろあって、なにも北斗の拳のモヒカンがやるようなヒャッハー的わかりやすい悪ばかりではなく、もっと微妙・巧妙でしかもありふれた悪があるということ。

 『平気でうそをつく人たち』の内容をうまいことまとめているところがあったので引用させてもらう。

  • 邪悪な人たちは、自身の罪悪を認めない。
  • 多くの場合、堅実な市民として生活している。
  • 彼らの犯罪は隠微であり表に現れない。
  • 自分自身には欠点がないと思い込んでいる。
  • 自分自身の罪悪感に耐えることを徹底的に拒否する。
  • 自分の行為を隠蔽するために他人に罪を転嫁する、スケープゴートにする。
  • 世の中の人と衝突すると、必ず他人が間違っているために問題が起こると考える。
  • 自分自身の欠陥を直視する代わりに、他人を攻撃する。
  • 自分自身の中の病を破壊する代わりに、他人を破壊しようとする。
  • 道徳的清廉性を維持するために絶えず努力する。
  • 他人が自分をどう思うかという点に鋭い感覚を持っている。
  • 善人であろうとはしないが、善人であると見られることを強烈に望んでいる。
  • 自身の邪悪性を認識していないのではなく、その意識に耐えようとしない。
  • 邪悪な人の悪行は罪の意識から逃れようとして行われる。
  • 社会的な対面や世間体を獲得するために人並み以上に奮闘し努力する。
  • 地位や威信を得るためには熱意を持って困難に取り組むこともある。
  • 自身の良心の苦痛、自身の罪の深さを認識する苦痛を耐えることができない。
  • 自分の正体を照らす光を嫌う。
  • 自分中心的な行為が他人にどのような影響を及ぼすのか考えない。

(【読書会】『平気でうそをつく人たち』(M・スコット・ペック) 第48回桂冠塾: 市民はたさん の 普通の感覚?)

 キーワードは「嘘」と「正当化」だろうか。頭――身体の首から上という意味ではなく理性の意――がおかしいわけではないから、自分が嘘をついていることはちゃんとわかっている。

 しかし、「俺が善意で嘘をついてやってるのに信じようとしないなんて、なんという心のねじ曲がった奴だ許せない!」みたいな独特の正当化をする。

 ネット世界ではしょっちゅう見かける話だし、今の首相――とか書いてるうちに前首相になってしまいそうだが――なんかもそれかもしれない。ひとつ頭に置いておくといいのではないか。

おまけ

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2009 10/17

知の挑戦―科学的知性と文化的知性の統合

 『社会生物学』で有名なエドワード・オズボーン・ウィルソンの本。

 読んだのは大分前だが、下のシロアリの倫理のくだりをメモしたくてもう一度借りてきた。

 人間が自明と思っている様々な倫理・道徳が、高い知能・複雑な社会から直接に出てくるわけではなく、進化や遺伝と不可分なのだということを言った、有名なたとえ話。

シロアリが現生種の社会レベルから文明を発展させたとしよう。たとえばオオキノコシロアリという、蟻塚をつくるアフリカのシロアリをとりあげてみよう。このアリが地面の下につくる都市に似た巣には、それぞれ何百万という数の住民がいる。このシロアリの現在の昆虫としての社会組織の基本的性質を、人間の文化と同様の、遺伝を基盤とした後生則で導かれる文化に高めてみる。この昆虫文明の根底にある「シロアリの本性」には、働きアリは独身で生殖をしない、おたがいの糞を食べて共生細菌を交換する、化学物質(フェロモン)の分泌によるコミュニケーション、仲間の脱皮したぬけ殻や、死んだ仲間や傷ついた仲間を食べる日常的な共食い、などがある。ここで、スーパー・シロアリの倫理規範を強化しようとするシロアリの指導者のために、一般大衆に向けた年頭教書のスピーチを作成してみた。

 私たちの祖先であるオオキノコシロアリが、新生代第三紀後期の急速な進化で一〇キログラムの体重と大きな脳を獲得し、フェロモン文字で書くことを習得して以来、シロアリの学術界は倫理哲学を高め、緻密にしてきた。そしていま、道徳的行動の規範を正確に表記することが可能になった。これらの規範は自明であり、普遍的である。それはまさにシロアリの真髄である。そこには次のようなものがある。暗闇への愛。腐生植物や担子菌にみちた奥深い地中への愛。他のコロニーとのさかんな戦争や交易のただなかにおけるコロニー生活の重要性。生理的カースト制度の神聖さ。個人の権利という悪(コロニーこそすべてだ!)。生殖を許された高貴な同胞への深い愛。化学の歌の喜び。脱皮ののちに、同じ巣の仲間の肛門からでた糞を食べる感覚的喜びと深い社会的満足。共食いの恍惚と、病や怪我をおったわが身を提供する恍惚(食べるより、食べられるほうが尊い)。

 細かく見ると気にくわないところもたくさんあるのだが、科学と宗教とか、人間の本性とか、そういう分野に興味がある人は、誰でも必読の本ではあると思う。

おすすめ関連図書

おまけ

 化学の歌の喜び。

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2009 1/24

人類最後のタブー―バイオテクノロジーが直面する生命倫理とは

 宗教右派と自然崇拝の左派、双方からのバイオテクノロジーに対する反発に対する、分子生物学者の立場からの批判。この手の話に慣れている人にとっては改めてすごい話は出ないと思うが、その分網羅性が高く、どんな人にも非常におすすめである。

 原題は“Challenging Natrue – The Clash of Science and Spirituality at the New Frontiers of Life”。『挑戦しがいのある自然 生命最前線における科学と霊性の衝突』ぐらいの意味合い。原題の方が内容をよく表している。派手すぎる装丁とタイトルは明らかに失敗だと思う。

 参考リンクの雨崎さんが怒っているようにリチャード・ドーキンス的な一種の傲慢さや、議論の乱暴さが見られることは確かだ。が、それでも私の立場は著者のものにかなり近い。もちろんこの本では比較対象が左右の両極端だから必要以上に近く見えているだけである可能性もあるが。

 著者のような基本的に科学・技術・人間・未来を信頼する楽観論に、若干の適切な抑制を加えたところが自分の理想とする立場である。「若干の適切な」なんて付け加えたら何も言ってないのと同じじゃねーか! と突っこまれそうだが、微妙な話なので慌てずに追い追い書いていく予定。

 ちなみに著者が文中で「ポスト・キリスト教」と呼んでいるものは、私がガイア教と呼んでいるのとほぼ同じものだ。表紙の影絵で、キリスト教の神を表している(と思われる)巨大な手と並んで下から突き出ているのはクジラの尾だ。原著にはないようなので著者の意匠ではないだろうが。

 後で話に使いたいと思っている箇所を、ひとつだけ長めに引用。

 うわべだけを見ると、右派のアメリカ人と遺伝子組み換え作物に反対するヨーロッパ人のあいだには、共通点はほとんどないように思える。保守主義者は植物や動物の遺伝子操作のことをたいして心配していないし、“自然”食品の擁護者は人間の胚を守るのに時間を費やしたりはしない。それどころか、さまざまな面で、右翼と左翼の反バイオテクノロジー活動家は、互いに軽蔑し合っているというのが実情だろう。にもかかわらず、根底の部分で、多くの人々が共通の感情に突き動かされている。それは、個としての人間と種としての人間を超越した目に見えない崇高な実体が、バイオテクノロジーに侵されつつあるという恐怖感だ。右翼の人間が思い描くその実体は、聖書に登場する創造主としての神であり、天上から人間を支配する。かたや左翼の側では、西ヨーロッパ人の大半と一部のアメリカ人が、教会の教えに叛旗を翻してきた。しかし、霊魂を否定したことによって生じた空白を、多くの人は、この地球に存在する女神、つまり母なる自然というあいまい模糊とした実体に忠誠を誓うことで埋めるようになった。もっとも、当人たちはふつう、自分の気持ちをそういう言葉で表わそうとはしないが。

 誠実な神学者をはじめ、宗教や霊魂を信じる多くの人々は、人間を超越した高次の、または深遠な権威を信じる心がバイオテクノロジーヘの敵意の拠りどころになっていることを、あっさりと認める。イギリスのチャールズ皇太子は、バイオテクノロジーを植物と動物に応用する行為を糾弾し、国民にこう告げた。「あいにくわたしの考えでは、この種の遺伝子組み換えは人類を神の領域に、神のみに委ねられた領域に踏み込ませるものだ……わたしたちは権利の時代に生きている。わたしたちの創造主もなんらかの権利を持っていい時代だと、わたしには思える」ブッシュ大統領の生命倫理諮問委員会(カス委員会)の委員長、シカゴ大学教授レオン・カス〔二〇〇二年から二〇〇五年まで委員長を務めた。二〇〇七年二月現在も委員会メンバー〕は、バイオテクノロジーが最も道徳に反するのは、知識を得るために、あるいは幸福感のような人間の本質的特徴を修正するために使用されるときだ、と断じている。カスの主張によると、人間の幸福は本来、「霊魂が感じ取るもので、それは、充実した人生を送った報いであるべきだ」。カスは、バイオテクノロジーによる操作で幸福を達成することが可能になった現状に、大いなる不満を抱いている。

 しかし、老練な政治評論家たちのあいだに、はるかによく見受けられるのは、西欧諸国で一般大衆に話しかける際、宗教や霊魂にまつわる用語を努めて使わないようにするという傾向だ。カトリック教徒や福音主義キリスト教徒は、胚研究への反論を唱えるとき、自分たちを理性的かつ科学的に見せようと躍起になっている。また、ポスト・キリスト教の立場から、“伝統的”農業と薬草による健康療法を擁護する人々は、母なる自然がいちばんよく知っているという――往々にして無意識に抱く――自分たちの信念が、非宗教的で理性的なものであることを声高に主張する。しかし、どちらの見解も、生命の未来に関する、人智を超えた基本計画への全面的な信頼感の表われだ。この信頼感は、キリスト教というルーツを通じて、西洋文化全般に深く根づいている。これに対して、アジア全域に見られる東洋精神の根底を流れる思想は、この世界に支配者たる創造主も支配者による計画も認めない。そのかわりに、それぞれの霊的存在がみずからの未来に責任を負い、永遠に輪廻を繰り返して存続する。そういう文化的環境においては“神を演じている”という非難は無意味で説得力を欠き、バイオテクノロジーが西洋のように言下に否認されることはない。

 霊的観念は、公然と認められているものも、秘められたものも、無意識のものも、一見単純そうな単語――“有機”“種”“人類”、そしてずばり“生命”――に、科学的論考で使われる場合とはまったく異なる意味を付与する。その結果、合理主義者とロマン主義者の話は、気づくことすらないままに、すれ違ってしまう可能性がある。教養を備えた人の大多数が、“自然”という語を善の同義語と理解する一方で、その対立概念――不自然、人工、合成――には、反射的に負の反応を示す。広告主は、“すべて自然の材料を使っています”“人工調味料、人工着色料、人工保存料はいっさい使用していません”という宣伝文句を食品に添付するメリットをよくわかっているし、遺伝子組み換え作物は決まって、批判勢力から。“自然に反する”と酷評される。わたしがここで指摘しておきたいのは、バイオテクノロジーに反対する自然主義者の主張はすべて、実は霊性の主張だということだ。ときには、宗教の教義を土台にした政治的目標を隠蔽するために、意図的にそういうすり替えが行なわれる。また、分厚く塗り重ねられた自己欺瞞の漆喰の下に、霊性の壁面が隠されていることもある。

 わたしは、霊性の表明がすべて有害だとか悪だとか主張しているわけではない。バイオテクノロジーの適用がすべて本質的に善だとか倫理的だとか安全だとか考えているわけでもない。現実問題として、バイオテクノロジーの適用を受け入れるか拒否するかの決定には、人間の自主性、文化的伝統の維持、社会福祉、環境保護などの倫理的価値との折り合いという、むずかしい要素が絡んでくる。しかし、そういう妥協点を明確に見きわめる姿勢は、民主主義社会において優れた政策決定を行なうのに欠かせないものだろう。自然に存在するものは完全無欠であるという妄信は、これから本書で説明するように、人類の幸福とわたしたちの住む環境を本気で気遣うのなら、賢明な態度とは呼べない。

参考リンク

関連図書

おまけ

 アビー・ブリタニー姉妹の話も出てきます。

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