2018 9/15

第46回】 【目次

洋ゲーの話をしよう

 初期のネットワークRPGとして大ヒットした『Diablo』(1997)にブッチャーという中ボスがいる。

 角の生えた太った男性型の悪魔で、巨大な肉切り包丁を持ち、血塗れの白い肉屋エプロンをつけている。*1

 解体された人体だらけの部屋――上の画像にはこれでも一番グロいところは入っていない――で待ち構えていて、ドアを開けると「うおお新鮮な肉ぅ!」みたいな叫び声を上げて襲いかかってくる。

 ちなみに、ブッチャー(Butcher)は、肉屋・屠殺人を意味する普通名詞であり、ごく一般的な英単語である。

 一方で、私は今使っているIMEで「屠殺」の単語を変換することさえできずに面倒な思いをしている。*2

 この「欧米」と日本の間に厳然として存在する、屠殺・屠畜に関する意識の大きな落差と、それに対する誤解は、第45回で取り上げたカニバリズム感の誤解と並んで、国内外の反捕鯨反イルカ漁議論を無駄に混乱させる重要な要因になっている。

 シリーズもここに来て、ようやく準備が整ったと思われるので、今回でいったんこの件を片付けたいが、要素とステップ数の多い、かなりややこしい思考が必要とされる。

 単に馴染みがないから・知らないから、というのとは異なる、論理としての難しさは、ここがおそらくシリーズ最高である。xkcdリスペクト*3な図示やたとえまでフル活用した説明を頑張って考えたので、お付き合い願いたい。

宇宙開闢・東と西

 一枚の白い紙を用意しよう。この紙が、今回説明したい概念モデルの全体、いわば宇宙だ。縦軸は時間で、下が過去、上が未来とする。

 さらに横軸で半分に区切って、左半分を西、右半分を東とする。*4この東西は、地球上での地理そのものではなく、文化的・歴史的・概念的な「西洋」と「東洋」*5を表す。

天地創造:1万数千年前ぐらいまで

 何もない宇宙に一本線を引いて、これを大地としよう。引いた線は、時間軸であえて言えば1万3000年前ぐらいだ。*6

 この大地は、少なくとも現生人類全ての共通祖先がすでに持っていた、ヒューマンユニバーサルな性質を表す。

 そのような性質は無数にあるが、今回、具体的に注目するのは、そのうち以下のたったふたつのみである。

  • 肉食嗜好
  • 血の嫌悪

 肉は、一般に優れた栄養源である。*7そして現世人類は肉食に適応した類人猿であり、かなりはっきりした肉食嗜好を持つ。*8

 同時に、血は極めて危険な感染源であり、肉食獣や害虫を誘引する汚染源でもある。流血は、自分のものであればもちろん、他人や動物のものであっても、重傷・死の危険を示唆する。人類共通の血への嫌悪感とその進化的意義は、直感的にも容易に理解できるだろう。

 そして、シャングリラの図書館には確実に収められているであろう有名な西洋文学を引き合いに出すまでもなく、血を見ずに肉を得ることは不可能である。

 よって、このふたつの性質は、矛盾・衝突・葛藤を生じさせ、全ての人類社会は、何らかの方法でこれを解消、少なくとも緩和する必要がある。

 この大地の上に立っている人間は、東西どちらでも、このシリーズの観点で意味のある違いは、まだ何もない。同じく等しく「狩猟採集民」だ。

 現在の狩猟採集民族もそうであるように、部族ごとにそれぞれ何らかの宗教観・動物観を持っていて、何らかの理屈をつけながら、誰もが必ず自分達で動物を狩り、処理していた。*9

一階の建物:文明〜中世ぐらいまで

 時は流れて、文明と呼ばれるものが生じた。農耕・牧畜ができるようになり、部族を越えた大集団が定住し、文字を用いた政治・宗教活動が行われるようになった。

 この文明を建物の絵*10で表そう。建物の「高さ」は、東西の文明・伝統文化に区別がつくような違いが生じた時点から、いわゆる近代の直前ぐらいまでの期間にあたる。

 文明(≒分業)によって自分自身で狩猟や屠畜をしない人が現れ、肉と血の間に生じる矛盾の処理に、従来と違った方法を取る余地が生じた。

 そして、矛盾は全人類共通であっても、その緩和方法は必ずしも全人類共通ではない。大きく分けて以下の二つの方法がありうる。

  1. 動物を差別する
  2. 屠畜者を差別する

 前者がいわゆる「西洋」・欧米キリスト教文化*11の方法。動物は全能の神様が人間に奉仕するためだけに創ったもので、魂なんか持ってない。ましてや死んで動かなくなった後はただの肉だ。だから肉屋もただの一職業にすぎない。

 後者が「東洋」・日本文化*12の方法。一寸の虫にも五分の魂。畜生にも当然魂はあって自分の前世や来世かもしれず、「だからこそ」屠畜者は穢れたものとして差別される。君子は厨房に近づかず*13森羅万象に慈悲をたれよと言いつつ他人の殺した肉を食べる。*14

 動物を蔑視する代わりに屠畜者は蔑視しないで済むか、屠畜者を蔑視する代わりに動物は蔑視しないで済むか。これは一種のトレードオフだ。*15

 このふたつの方法に自明な優劣はない。*16それぞれ千年単位で安定して存在し、相互交流があっても一方が駆逐されてしまわない程度には拮抗している。純「科学的」に見れば、どちらも単にナンセンスだ。*17

 また、差異のみに着目している――差異を認識するのが目的なのでそれ自体は当然――ので全然違って見えるが、あくまで同じ条件(肉食嗜好・血の嫌悪)から同じ結果(肉を食べてよい)をもたらすもので、途中過程の細部が違うだけであるということも同時に認識すべきである。

二階の建物:近現代

 さらに時代が進んで、近代文明と、それが東西の文化に与えた影響を、二階の建物という形で表現しよう。二階の天辺はもう現在と考えてよい。

 「西洋」では、人間も他の動物と同じく進化してきたことが明らかとなり、神による創造を信じるのは難しくなった。動物蔑視の論拠となっていた宗教的ドグマが弱まり、現代的な意味での動物愛護や肉食反対も現れてくる。

 「東洋」では、近代・西洋的な文化・法・制度・科学・哲学の導入により、肉食はより一般的になり、輪廻転生や来世への功徳といった伝統宗教感覚は薄れ、平等・基本的人権の観点からも、穢れ意識による職業差別は擁護できなくなる。

 私たちが現に住んでいる時代で、一般常識でもあるし、ここまでのシリーズを通して、それなりに述べてきたことでもあるので、これ以上詳しい説明はしない。

 ここで、いったんスペースが埋まったこの紙を、よく眺めてもらいたい。できれば、何も見ずに自分で同じものが描けるぐらいまで頭にたたき込んで、描かれていないことにまで考えを巡らせてもらいたい。

 まず強調したいのは、この東西の二階同士は、互いにとてもよく似通っている*18ということだ。差異のみ示しているので一見別に見えるが、表面的にも実際にも非常によく似ている。日常的には、ほとんど同じに見える。

 もはや欧米の肉屋が日本に引っ越して開業しても特に社会問題にはならない――江戸時代以前ならなったはず――し、日本人がヨーロッパに行って「動物にも魂はあります!」と演説しても別に火刑に処されりせず――中世ならされたはず――むしろ喝采される可能性が高い。

 もうひとつ、私がこの図示によって強調し、直感的に理解してもらいたいことは、ずっと二階でしか暮らしていないからといって、あくまで二階は一階の上に、一階は大地の上に建てられたのであって、一階や大地がなくなったわけではないということだ。

 にも関わらず、二階があまりにも似すぎていて、同じだと考えても問題がないため、それに慣れてしまい、「普通」でない稀なケースが起きたとき、一階(≒宗教感覚とその歴史的経緯の差異)の存在と、そこから来る影響を、ほとんどの人が認識できない状態になっているのだ。

復習:ブッチャー再び

 本題に入る前に、このモデルで何ができるか、冒頭のブッチャーの話題でテストしてみよう。肉屋を悪魔としてRPGに出してもいいだろうか?

 まず西ではどうだろう。一階の伝統として屠畜の正当化は済んでいる。肉屋はただの一職業に過ぎない。悪魔の王様・悪魔の兵士・悪魔の鍛治屋がいていいのなら、悪魔の肉屋がいてもいいだろう。一階はクリアだ。

 二階はどうか。悪魔の時点で非科学的ではあるが、まあゲームだそれはいい。動物の蔑視はもはや正当化できない。ブッチャーは動物を蔑視しているだろうか? していない。殺しているのは人間だけだ!*19 よって二階もクリアだ。ブッチャーは欧米のRPGに出られる。*20

 東だとどうなるだろう。説明不要だろうが、テストだからあえてしようか。一階の伝統としては、肉屋の悪魔化*21はありうる、というかある意味常にしている。しかし、それは敬遠・隠蔽という形で「表現」されるもので、創作物に誇張して登場させようという発想は全くありえない。

 一階の時点ですでに発想すらありえないが、二階まで来ると、それはさらに加えて重大な差別・反社会的行為であり、明確に禁止されるので、なおさらあり得ない。スクリーンショット一枚からでもDiabloが日本製ではないことを断定できる。

 具体例を通じて納得してもらえただろうか。一階(≒伝統的宗教感覚とその歴史的経緯)の差異が現実に結果の違いをもたらすケースは、未だ存在するのだ。やたらとあるものではないとはいえ、日常から少し手を延ばせば届く範囲にも。

 誰でも自分自身の現在は知っている(自分の現在だから)。自分自身の過去も(自分だから)、相手方の現在も(現在だから)、普通ある程度は知っている。普通知らないのは、相手方の過去(図で言えば向かいの一階)と、大地の部分だ。

 ある意味このシリーズ前半のほぼ全ては、今回の図でいう西の一階の存在に気づき、それに馴染んでもらうためのものだったとも言える。

 クラークが「一秒後、それは惰性で前進をつづける、かさばった物塊でしかなかった。」と書いて、後の解体描写にも何ら抵抗を感じていない*22風なのも、クレアさんが、知能(≒魂のランク)が低い(と見なした)アザラシを動く肉塊のごとく扱ってはばからない*23のも、皆同根である。

やっと本題:東視点

 ここまでの議論をベースに、ようやく今回の本題と言える部分に入れる。実際の社会問題に適用してみよう。

 ここまではずっと、いわば神視点で俯瞰していたが、どちらも相手方の一階と大地が見えなくなっているという話を意識した上で、モデルの中の人間の視点でどう見えるかも考えてみよう。まだしもわかりやすいだろうという理由で、今回は東から先に。

 たとえばつい最近のこのニュース。読者の多くは、「CNN」や「仏」という文字を見なくても、「菜食主義者が肉屋襲撃」と聞けば、たぶん「欧米」――北米・ヨーロッパ・オーストラリア・ニュージーランドなど――の話だろうな、と予想がつくと思う。

 しかし、現代のニュースだということや「菜食主義」という単語すらいったん忘れて、単に「肉屋が肉屋だというただそれだけで襲撃される」だったら、いつどこの話だと思うだろう。歴史上の「西洋」・キリスト教文化圏よりも「東洋」・日本などの方で、遥かにありそうな話じゃないかね?

 この一点に限って言えば、現代の「欧米」の一部の人間は、現代の日本人の平均よりもずっと「屠畜者蔑視」的である。少なくともそう見えることは否定できない。

 これが「動物蔑視の否定」が行きすぎた*24結果であり、日本人がその言葉から通常連想する「屠畜者蔑視」とは違うことを、表面的には一見そっくりでも中身は「別の生き物」であることを、たぶん私たちはもう理解できる。

 そもそもの矛盾を含む大地、一階の違いを作る原因であったトレードオフは、未だに少しも変わってはおらず、「動物蔑視の否定」を突き詰めていくと「屠畜者蔑視」に抵触する部分が出てくるのは避けられないからだ。

 しかし、ほとんどの読者にとって、今それがわかるのは、ここまでの経緯を最初から通しで見てきたからだろう。

 この状況は、向かいの一階と大地が見えていない「普通」の日本人にはどう見えるだろう。

 単純に、相手の二階が自分の一階とそっくりに見えてしまう、つまり相手が、自分達のすでに否定した、遅れた状態にいるように見えるのではないだろうか。

(図の赤字の部分は、今までと違って、全体の趨勢の適切なモデル化ではなく、一部の者の行きすぎと、それへの誤解に基づく錯覚であることを強調するため、色を変えてある。)

ようやく本題:西視点

 逆もまたしかりである。思わず笑ってしまうほどそっくりな構図が西視点でも成り立つ。

 今日、捕鯨・イルカ漁のことは言うに及ばず、小は単なるネット上の小競り合いから、大は本物の国際問題まで、動物愛護関係の国際摩擦は、大概「欧米」の国が批判する側である。*25

 今日「動物の権利が軽視されている」*26と聞けば、たぶん「欧米」発の主張であり、天与の人権を盾に、動物の痛み苦しみを無視ないしは軽視する方向で防衛に回っているのが、日本や「東洋」の非「欧米」の国*27だろうなと予想がつくと思う。

 しかし、おそらく「欧米」の動物愛護的な人も主張するように、人間には神に与えられた特別な権利があるとか、動物には魂はないとかいって、動物差別を徹底してきたのは、歴史上の「東洋」・日本などよりも、むしろ「西洋」・キリスト教文化圏の方じゃなかったかね?

 この一点に限って言えば、現代の「東洋」の一部の人間は、現代の「西洋」人の平均よりもずっと「動物蔑視」的である。少なくともそう見えることは否定できない。

 これが「屠畜者*28蔑視の否定」の結果であり、「欧米人」が通常考えている「動物蔑視」とは違うことを、表面的には一見そっくりでも中身は「別の生き物」であることを、私たち自身は知っている。

 そもそもの矛盾を含む大地、一階の違いを作る原因であったトレードオフは、未だに少しも変わってはおらず、「屠畜者蔑視の否定」を突き詰めていくと「動物蔑視」に抵触する部分が出てくるのは避けられないからだ。

 しかし、そんな経緯を知らず、向かいの一階と大地が見えていない「普通」の「欧米人」には、この状況がどう見えるだろう。

 単純に、相手の二階が自分の一階とそっくりに見えてしまう、つまり相手が、自分達のすでに否定した、遅れた状態にいるように見えるのではないだろうか。

(図の赤字の部分は、全体の趨勢の適切なモデル化ではなく、一部の者の行きすぎと、それへの誤解に基づく錯覚であることを強調するため、色を変えてある。)

まとめ:再び神視点

 最後に、東西の一部の行きすぎとそれへの誤解の部分を残したまま、内部の人視点を解いて、俯瞰視点の一枚に戻してみよう。

 東西から歩み寄った結果、一部の先進的な人同士が気づかずにすれ違い、互いに振り返って「まだそんなところにいるのか遅れた奴だなあ」と馬鹿にしあっている、実に滑稽な構図が直感的に理解できると思うのだが。

 少なくとも前回の解体描写とフランクリンの態度の意味は理解できるようになったと思うし、『ザ・コーヴ』を観たことがある人は、今回の知識をベースに見直してみると、かなり印象が変わるのではないかと思う。

予想される反応と予告

 この回を読んだ人――特にシリーズをずっと読んできたのではなく今回をいきなり読んだ人――の平均的な感想は、おそらくこんなものになると思っている。

 確かに、近年の欧米発の菜食主義論争の背景や、反捕鯨・イルカ漁活動家とそれに反発する日本人の意識の説明としては、一定の説得力のあるものだとは感じる。

 でも、いくら複雑といっても、ブログエントリひとつに詰め込める程度の分量で、中学生でも理解できそうな程度の理屈だろう。

 これが本当なら、なぜ私はこういう話を中学高校で習ってないんだ? 捕鯨問題やイルカ漁問題を扱うテレビ番組で解説してくれようとする学者がなぜいないのだ? お前が表面上筋が通るように作っただけのデタラメなんじゃないのか?

 それにこの構図は、明治維新からとは言わずとも、少なくとも戦後からは、ずっと同じじゃないか?

 この程度の話なんだったら、なんで捕鯨問題なんて発生して、しかも30年とか40年とかいう単位でこじれたりするんだ。とっくに落としどころぐらい見つかっていてもおかしくないように思えるが。

 そうなってないということは、やっぱりそれだけじゃなくて闇の勢力の陰謀とか政府の利権とかなんかあるんじゃないか?

 ……とまあ、このぐらいのことは考えてほしい。私の希望が入っているので、実際の感想も教えてもらえると嬉しいが。

 では、(自作自演ではあるが、)今後のシリーズの予告を兼ねて、これらの疑問にお答えしよう。

 この程度の話なのか? といえば、この程度の話であってこの程度の話ではない、としか言えない。

 これははぐらかしているわけではなくて、間違いなく「この程度の話」である。しかし「この程度の話」と思えるようになったことは、とてもこの程度の話では済まない、すごいことなのだ。

 特に今回の話のごく初期、あなたが当たり前だと思って――少なくとも議論になるポイントだとは思わずに――通り過ぎたであろう箇所で出てきたいくつかの概念は、かなり最近まで使用することができなかった。むしろ積極的にその存在を否定されてきたものまである。*29

 もちろん細かい年代の数字は解釈次第になってしまうが、少なくとも商業捕鯨が本当の国際問題だった*30時期に、この図が存在していたら間違いなくオーパーツだ。

 そうは見えないだろうが、その程度にはすごいものなのだ。もちろん私がすごいんじゃない。すごいのはその間に、意識すらされないうちに大きく進歩した人類文明だ。これはある意味シリーズ後半戦の真のテーマである。

 そして、シリーズ通して読んで来た人には明らかだろうが、イルカ・クジラに関しては、いくつかの特殊事情――その重要要素のひとつはもちろん高知能説――が積み重なっていて、実際に「この程度の話」では済まない部分がある。

 イルカ・クジラも、その特殊事情によって極端にブーストされただけであって、この構図のベースに乗っていないというわけではないが、今回の話はあくまで「この程度の話」、牛・豚・馬・犬などでも同じになる部分だけを扱っていると考えた方がわかりやすいと思われる。

 次回は戻って『海底牧場』の最終回。オリエンタリズムの「糸」もまとめに入る。

*1:『ディアブロ3』(2012)にも登場し、デザインも細部のアップデート以外ほぼ同じ。
*2:そうなっている直接の原因である日本の特殊事情については、読者にとって既知のものとして扱い、このシリーズ内部では扱わない。私はそれについて特に詳しいわけではないし、現在日本で一般的・支配的な意見に異論があるわけでもない。万一全く知らない場合はwikipediaに張られたリンクの先だけでも読んでおくことを勧める。
*3:一度やってみたかった。フォントは『851手書き雑フォント』を使わせていただいた。
*4:北半球偏重主義かもしれないが、このシリーズの興味の対象ではないので、わかりやすさを優先する。
*5第39回でも言ったが、このくくりが乱暴であることは重々承知であり、後でそのこと自体をテーマとして取り上げる。今の文脈では必要かつ適切な簡略化であると考えてあえてそうしている。
*6:細かい数字はどうでもいい。この回では最後まで同じ。
*7:そもそも肉食動物・捕食者というニッチが成立しうるのはそのためだ。
*8:今回の範囲では、基本的な科学的事実に対する説明はしないし、異論も受け付けない。
*9:ホモサピエンスが、純粋なヴィーガン食のみで健康に成長・繁殖してライフサイクルを完結させることは、現代文明の力をフル動員してさえ困難であり、農業・牧畜以前にはまったく不可能だったと思われる。
*10:ただの四角なのは模式図だからであって、私がMinecraftでも豆腐ハウスしか作れないデザインセンスの持ち主であることとは無関係である。
*11:字数の都合上キリスト教で代表させるが、ユダヤ教・イスラム教でもほとんど同じである。
*12:同じく字数の都合上日本で代表するが、非唯一神教文化全般と言った方が適当であろう。中国でもインドでもほとんど同じである。
*13君子遠庖厨也
*14第46回
*15:日常的なことでたとえるならば、誰でも腹が減ったら食べる必要がある。マクドナルドとケンタッキーのどちらに行っても腹は満たせる。しかし、一食で両方に行く必要はないし、実際上不可能でもある。
*16:意見はあってかまわない――私にもある――が、ちょっと後にしてほしい。
*17:読者もおそらく、全能神や輪廻転生を本気で信じている――少なくとも中世ぐらいまでの人間と同じ意味で――わけではないだろう?
*18:直接交流の結果である部分もあるし、科学的・論理的必然の結果である部分もある。とりあえず似た理由は今回は重要ではない。
*19:むしろ犬猫を好んで殺す悪魔という設定だったら無理だったのではないかと思われる。ハリウッド映画などでも、最近は一般に、動物が死ぬ描写は人間が死ぬ描写よりもセンシティブと判断されるようだ。
*20:そういえば昔アブドーラ・ザ・ブッチャーってプロレスラーもいたなあ。そちらはあまり知らないが、そういうリングネームが可能である背景は同じであろう。
*21:ファンタジーRPGでポピュラーな「悪魔」は西洋文化由来だというのは別の話として。
*22第45回
*23第12回
*24:価値判断を含めると論点先取になってしまうので、ここでは単に「その社会の平均よりも」という意味だとしておこう。肉屋が政府に保護を求める(ことができている)のが、攻撃者が主流ではない――少なくとも今はまだ――証拠である。
*25:批判される側も「欧米」の国であることはあるが。
*26:やはり論点先取を防ぐため、その主張の正否・是非はとりあえず問わないとしても。
*27:まあ先のフランスの肉屋もほぼ同じ立場なのだが、それはいったん置いて。
*28:字数の都合で代表するが、肉屋・水族館職員・動物実験を行う研究者・フォアグラ生産者等々でもほぼ同じ。
*29:学校やテレビで教わらない理由もそれに関係している。
*30:すでに誰も本気で大規模な商業捕鯨を行おうとはしておらず、動物愛護問題の側面の強い昨今の反捕鯨問題と異なり、というぐらいの意味。

第46回】 【目次

by 木戸孝紀 tags:

2018 8/28

第45回】 【目次】 【第47回

仏教と菜食主義

 仏教の原則の一つに(中略)森羅万象に慈悲をたれよ、というのがある。これを忠実に守った仏徒はほとんどいない、有名無実の掟だ。彼らは、他人の殺した四つ足の肉を食べれば同じことだと、詭弁を弄して従わないのだ。しかし、近年、この戒律を強化しようとする試みがしばしば行われ、偏狭な菜食主義者と肉食主義者との間で、論争が絶えなかった。これらの議論の余波が、世界連邦食糧機構になんらかの実際的影響を及ぼそうとは、フランクリンは一度も考えたことがなかった。

 最後の文以外は、今日の現実の話だと言われても、それほど違和感はないだろう。実際、多くの「欧米」の菜食主義者が、自分の意見は仏教あるいは「東洋」のもの、ないしはそこから学んだものであると主張する。

 私はそれが嘘だと言っているのではない。しかし、実際の経緯は、本人達が自覚し自己申告するものよりも複雑で、何らかの役に立つ洞察に繋がるのは、むしろ自己申告に含まれ「ない」部分であると考えている。

 とりあえず、主人公フランクリンは――ひいてはおそらくクラークも――単なる仏教的な戒律(に基づく菜食主義)には、特にシンパシーを抱いてはいないことを憶えておこう。

マハ・テーロ

 ある仏教指導者を中心とする反対運動が起こる。ちなみに、ここでのフランクリンの会話相手は「世界連邦食糧機構のセイロン島駐在官」(西欧人)である。

「ぼくを引き合わせようという、そのテーロというのは、どんな人物なんだね」
「テーロというのは、彼の肩書きでして、いわば大司教といったものです。本名は、アレグザンダー・ボイスといって、六十年前に、スコットランドで生まれたんです」
「スコットランド?」
「ええ――西洋人で、仏教の聖職階級の最高位に昇った、最初の人間です。いろいろ反対を押し切らねばならなかったようです。わたしの友人の比丘、つまり修験者ですが、こぼしていたことがあります。あの男はスコットランド教会の典型的な長老タイプで、二、三百年遅く生まれすぎた――それで彼は、スコットランド教会の代わりに、仏教を改革したのだ、と言っていました」
「最初、どんなふうにして、セイロンへ来たんだね?」
「本気になさらないでしょうが、彼は映画会社の、下っ端の技師として来たのです。当時二十歳前後でした。ダンブーラの岩窟の寺院にある、仏陀寂滅の像を撮影に行って、改宗したという話です。その後、二十年かかって最高位に昇ったのですが、それ以来、今日までに行なわれた改革の大部分は、彼の力によるのです。

(中略)

 政治とは無関係であるようなふりをしていますが、これまでに、指一本動かすだけで、二つも政府を倒していて、東洋に非常に多くの信徒を持っています。彼の、“仏陀の声”、という番組は、五、六百万の視聴者があり、少なくとも十億の者が、全面的には彼の意見を支持しないまでも、共感を示しているものと推定されています。

(中略)

 彼は意外なほどおだやかな、大変、人当たりのいい小男です(中略)話のわかる、親しみのある人物です。(中略)誰でも菜食主義になれるものではない、ということはちゃんと理解していて、わたしたちが最初もくろんだ、聖地に処理工場を新設する計画は撤回するという条件で、彼と妥協しました」
「それでは、彼が牧鯨局に、急に関心を持ち出したのは、おかしいじゃないか?」
「おそらく、どこかで、抵抗しようと考えたのでしょう。それに――鯨は、ほかの動物とは種類が違うと、お考えになりませんか?」
 その評言は、否定か嘲笑を予期しているかのように、半ば弁解的になされた。

 さて、ここでも私が何を言いたいか、わからない人はいないだろう。このマハ・テーロもまた、ペロー神父のミーム的子孫*1であるということが。

 もうひとつ興味深いポイントは、クラークの描く21世紀以降の未来世界で、ある人物が「クジラは他の動物とは違う」という考えを「否定か嘲笑を予期して」「半ば弁解的に」示すということだ。

 現に21世紀の未来世界に生きていて、このシリーズをここまで読み通すほど捕鯨問題に興味がある読者は、実在の人間が、現実にこうした言葉を、実際にこうした態度で発する場面に、おそらく遭遇したことがあるはずだ。

 この空想の一場面が、一見そのまま現実になるまでの半世紀の間に、起きたこと・起きなかったことは何だろう? 何が変わり・何が変わらなかったのだろう? この「糸」では答えを出すには至らないだろうが、一度考えておく価値がある。

屠殺・血肉・映像・悪臭

 フランクリンはテーロたちの視察を受け入れ、鯨の屠殺(なぜか変換できない)・解体処理場へ案内する。

「B五二一一一が入ってきます」
 と、監視室に揃って立ちながら、フランクリンはテーロに言った。
「七十一フィートの牝で、これまでに五頭の子供を生んだことがわかっています――繁殖の最適齢期を過ぎましたので」
 彼の背後には、数台のカメラがあって、音もなくこの光景を撮っていることを、彼は知っている。それを操作する丸坊主の、鬱金の衣を着た技師たちが、職業的な腕を持っているのに彼は驚いたが、やがて彼らがみな、ハリウッド仕込みであることを知った。
 (中略)一瞬、それは処理場の柵にそって、静かに泳いでいた。一秒後、それは惰性で前進をつづける、かさばった物塊でしかなかった。電光のようにその心臓を貫く、五万アンペアの電流は、死痙攣の起こる時間さえ許さなかったのだ。

(中略)

 ボイス尊師は(中略)八十一トンの肉と骨が、遠くへ運ばれていくのを、感慨深げに眺めていた。
「車へもどりましょうか? 向こうの様子を拝見したい」
 そしてぼくも、きみときみの随員諸君が、どんな反応を示すか、拝見するのが楽しみだよ、とフランクリンは肚の中ですごんだ。加工場の見学者は、たいてい青くなって、震えてくるし、卒倒する者も少なくない。局内でよく言われる冗談に、この食糧生産の授業を受けると、その後数時間は、みんな食欲がなくなってしまう、というのがある。
 彼らがまだ百ヤードも手前にいるうちから、悪臭がおそってきた。横眼で見ていると、録音機を携帯している若い比丘が、早くもたまらなさそうな様子を見せはじめた。しかし、マハ・テー口は少しも動じる様子がない。五分後、大きな死骸が、肉と骨と臓物の山に切り離される、悪臭ふんぷんたる地獄をのぞきこんだときも、彼は依然として冷静で、平然としていた。

(中略)

 その巨体は、すでに電送写真カメラに走査され、その大きさの寸法が、作業を制御しているコンピュータに記録された。この手順がわかってからでも、伸縮自在な腕につけられたナイフと鋸が、動いてきて、規格どおりの形に切り、またもどっていく正確さを見守るのは、薄気味悪かった。巨大なつかみが、一フィートもある厚い皮をつかみ、人間がバナナの皮をむくように剥がした。あとには生剥げの、血がしたたる死骸が残り、コンベアーに乗って、解体を行なう第一段階へ流れていった。
 鯨は、人間がのんびり歩いているほどの早さで移動し、見学者がそれについて歩いていく眼の前で、解体された。象ほどの大きさの肉の塊が、細かく切りきざまれて、かたわらのシュートを滑り落ちていった。円鋸が回って、骨屑のほこりをたてながら、肋骨の骨組みに切りこんでいった。鯨が最後に食ベた、たぶん一トンもの小エビとプランクトンが詰まっている腸をおさめた、一連のプラスチック容器が、悪臭を放ち山と積まれて、運び去られた。
 海獣の王を、専門家以外には見わけのつかない、血だらけのばらばら死体に変えるのに二分とかからなかった。骨一本も無駄にはならない。コンベアー・ベルトの尽きるところで、分解された骸骨は、一つの穴に落ちこみ、ここで粉にひかれて、肥料になるのだ。

 「いかにもSF」な解体機械がややシュールに見えるという表面的な話を別とすれば、おそらく標準的な日本人読者がこの部分にまず感じるのは、解体描写の容赦のなさだろう。

 これを単に、屠鯨(?)反対運動が起こるというストーリー上の都合に基づく偏向と考えるのは、おそらく間違っている。

 これが日本人作家の手により日本で出版されるSF小説だったとしたら、たとえ作家がはっきり捕鯨反対の意見を持っていたとしても、「悪臭ふんぷんたる地獄」だの「生剥げの、血がしたたる死骸」だのという表現はありえないだろう。

 主人公が「どんな反応を示すか、拝見するのが楽しみだよ」「肚の中ですごん」で見せることもありえない。どれほど強硬な反捕鯨派の日本人でも、そこは同意せざるをえないだろう。

 私の考えでは、この屠畜意識の落差と、それに対する誤解は、国内外の反捕鯨・反イルカ漁問題の議論に深刻な影響を与えており、その重要性は前回取り上げたカニバリズム感についての誤解に勝るとも劣らない。これも次回で集中して取り上げたいと思う。

「これが、二十年間の献身的な公務員勤めにたいする酬いなのか」
 と、フランクリンはぼやいた。
「自分の家族にまで、血まみれの殺し屋と見られるとはね」
「でも、今のは本当のことでしょ?」
 アンが、TVスクリーンを指さして言った。そこにはつい今しがたまで、血がしたたっていたのだ。
「もちろん、本当のことさ。しかし、非常にうまく構成された宣伝でもあるんだ。お父さんだって、こちら側の言い分を、同じくらいうまく作ろうと思えば作れるよ」

 少し飛んで、視察の映像が反対運動に使われる場面。2008年以降の反捕鯨・反イルカ漁騒動を、まさに見てきたかのような描写がなされていて、とても興味深い。

*1:クラークが『失われた地平線』を知らないとは考えづらいので、おそらく直接の「子」だろうが、仮にそうでなくても別に構わない。

第45回】 【目次】 【第47回

by 木戸孝紀 tags:

2018 4/22

『Goならわかるシステムプログラミング』★

 渋川よしき著。最初の一冊には向かないけど、いい。

『消費資本主義!: 見せびらかしの進化心理学』★★★★★

 ジェフリー・ミラー著。素晴らしい。shorebird先生のところで大まかな内容を知っていたにも関わらず詳細も大変面白かった。

『気づきのセラピー―はじめてのゲシュタルト療法』★

 百武正嗣著。『キレる私をやめたい』で知った。若干スピリチュアルというかオカルティックな領域に踏み込んでるような気もして100%首肯はできないが、面白い。

 私にはこれも自己欺瞞の話に見えてくる。自己欺瞞という概念が確立していない時代から経験的に積み重ねられた、自己欺瞞を脱するためのテクニック集、というか。

『夫に死んでほしい妻たち』★

 小林美希著。夫婦で読んだ。

『かさぶたくん』★★★★★

 やぎゅう げんいちろう著。子供がなぜか無茶苦茶ハマって一ヶ月近く毎晩読んでた。

『おへそのひみつ』★★★

 やぎゅう げんいちろう著。こっちもかなり。

『文明の接近』★★★

 エマニュエル・トッド著。識字率やその他のデータから判断すれば、イスラム特殊論には根拠がないという話。なかなか面白い。ビント・アンム婚という概念を初めて知った。

『帝国以後 〔アメリカ・システムの崩壊〕』★

 エマニュエル・トッド著。こちらもそれなりに。アメリカに悲観的すぎ中国やロシアに甘すぎるように思えるが、フランスの左派としては普通なのか。

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2018 3/9

『ゼロ・トゥ・ワン 君はゼロから何を生み出せるか』★

 ピーター・ティール著、ブレイク・マスターズ著。ちょっと面白い。

『外来種は本当に悪者か?: 新しい野生 THE NEW WILD』★★

 フレッド・ピアス著。前から興味ある人にとっては当たり前というか、もはや藁人形叩きの領域に達しているところもあると思われるが、基本いいと思う。

『経済学をまる裸にする 本当はこんなに面白い』★★★★

 チャールズ・ウィーラン著。原著は2002年と大分前のもののようだが、それだけに奇をてらってなくて、普通に良い経済学啓蒙書。

『命の価値: 規制国家に人間味を』★

 キャス・サンスティーン著。悪くはないけど『シンプルな政府』とかなり重複。普通はそちらだけでいいかも。

『幸福の「資本」論―――あなたの未来を決める「3つの資本」と「8つの人生パターン」』★

 橘玲著。売らんかなで煽り気味だったり、ややいい加減だったりするところも目立つが、ひとつの観点として見ておいてもいいのでは。

『完全無欠の賭け―科学がギャンブルを征服する』★★★

 アダム・クチャルスキー著。ギャンブルの歴史系の本ではもっといい本もあった気がするが、比較的最新の話題も載っているのが良い。

『UNIXという考え方―その設計思想と哲学』★★★

 Mike Gancarz著。2001年の本。そこそこ有名なはずだけどなぜか読んでなかった。流石に今改めてこれはというものはないけど、哲学というだけあって時の流れに耐える普遍的な内容。もっと早く読んでおけばよかった。

『数字の国のミステリー』★★★

 マーカス デュ・ソートイ著。こちらは普通に数学啓蒙書。かなり良いと思う。

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2018 2/1

『ビジュアル 数学全史――人類誕生前から多次元宇宙まで』★

 クリフォード・ピックオーバー著。「ビジュアル」に関してはもちろんおまけ程度だけど、数学ネタ集としては十分いい。

『残酷すぎる成功法則 9割まちがえる「その常識」を科学する』★★

 エリック・バーカー著。原題”BARKING UP THE WRONG TREE The Surprising Science Behind Why Everything You Know About Success Is (Mostly) Wrong”。邦題は変。エビデンス重視を標榜するものの、単なる自己啓発書まとめにしか見えない。内容がおかしいとは思わないが。

『脳の意識機械の意識』★

 渡辺正峰著。学説史や実験の詳細は面白かったけど。「意識を生みうる最小限の神経系」を特定しようというアプローチは、無意味とは言わないが、なんか違う気がする。そんなの瞬間ごとに違うに決まってるじゃん、と思ってしまうのだが。

『セレンゲティ・ルール――生命はいかに調節されるか』★★

 ショーン・B. キャロル著。まあまあ面白い。内容はshorebird先生にお任せ。

『人類はなぜ肉食をやめられないのか: 250万年の愛と妄想のはてに』★★

 マルタ・ザラスカ著。タイトル通り、菜食主義が正しいという確固たる立場だが、面白いことに最低限の理性はちゃんと保っているように見える。自分は、もはや極限のバイアスをかけても「環境にいいですよ」(せやな)ぐらいしか言えることはないのか、と逆説的に読んだ。

『ZERO BUGS シリコンバレープログラマの教え』★

 ケイト・トンプソン著。プログラマとしてはちゃんと役に立つ話もあるが、ちょっと凝り過ぎというか衒学的というか、肌に合わない感覚も。また、内容以外の部分、装丁・デザイン・翻訳もろもろがいまいち。

『モンテ・クリスト伯爵』★★★

 森山絵凪著。アレクサンドル・デュマ原作。は? いわゆる『巌窟王』のこと? マンガで全一巻? なんかのギャグ? ……いや待て普通にちゃんと全部入ってる(少なくともそう思わせる)しちゃんと面白いじゃねえか! なんだこれ!?

『米中戦争前夜――新旧大国を衝突させる歴史の法則と回避のシナリオ』★

 グレアム・アリソン著。とても重要な話題ではあるけど、過去についてはアネクドータルだし、未来については中学生でも言えそうなことしか言ってないし、微妙。自分には(米国視点で)やや悲観的すぎるように思える。

『娘が可愛すぎるんじゃ〜!』★★

 きくまき著。本当に同じぐらいの子供がいて、リアルタイムで苦労している人が読むより、イヤイヤ期ぐらいは終わったぐらいの人が振り返って読むといいかも。

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2018 1/3

『女と男のだましあい―ヒトの性行動の進化』★★★★★

 デヴィッド・M・バス著。とても良い。結構前に出てた本なのに知らなかったのは不覚。内容は例によってshorebird先生のところ参照。

『アマゾノミクス データ・サイエンティストはこう考える』★

 アンドレアス・ワイガンド著。現在では特別目新しい話題はないけどビッグデータとか。

『家族をテロリストにしないために:イスラム系セクト感化防止センターの証言』★

 ドゥニア・ブザール著。わりと面白い。要するに昔(今もか)「カルト」と呼ばれていたものそのまんま。世界情勢は変わっても人間はそうそう変わらんということか。

『ジョン・ハンケ 世界をめぐる冒険 グーグルアースからイングレス、そしてポケモンGOへ』★

 ジョン・ハンケ著。ポケモンGOに興味ある人のみ。

『獣の奏者』★★★

 上橋菜穂子著。守り人シリーズから連続で。そちらほどではないけど十分面白い。著者も自覚しているようだけど、3巻以降はやっぱり蛇足な気がする。

『シンプルな政府:“規制”をいかにデザインするか』★★

 キャス・サンスティーン著。ナッジを政治に生かそうという話。アメリカで実際ここまで進んでいるとは知らなかった。日本ではどうなんだろう。

『人類進化の謎を解き明かす』★★★★★

 ロビン・ダンバー著。こりゃすごい。全部がこの通り正しくはないかもしれないけど、従来考えられてきたような様々な説が、ここまで定量的に判定できるようになってきているというだけで十分面白い。

『フェイクニュースの見分け方』★

 烏賀陽弘道著。まあ流行り物。良いと思う。

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2018 1/2

第44回】 【目次】 【第46回

 捕鯨あるいは鯨肉食を、人肉食・カニバリズムになぞらえて非難することが、しばしば行われる。

 このシリーズを書き始めてからの時期で、ある程度大きな話題になったものだけに限っても、少なくとも2回はあった。興味があって話題を追って来ている人なら憶えているはずだ。

 批判目的ではあっても直接リンクする機会を増やすべきものではないと思うし、内容そのものが興味深いわけではないため、ここには載せないが、かなりあからさまな人種差別に見える。

 私にもそう見える(のはわかる)し、捕鯨賛成・反対を問わず日本人の間では、これに関しては珍しく、意見の相違は存在しないように見える。

 この件についての捕鯨反対派の典型的な反応は、

  • もちろん良いことではないが、めったにないケースを針小棒大に取り上げて騒ぐのは日本・欧米双方の人種差別的な人々の思うつぼだ

 とか無理矢理どっちもどっち論に持ち込んでみたり*1

  • もちろん良いことではないが、それは捕鯨反対の欧米人の中でも、どちらかというと程度の低い人間だけがすることであり、一般化するのは不当である。

 と擁護したり*2

  • もちろん良いことではないが、日本政府や漁民の無法ぶりがそれほどひどいからだ。

 というような被害者非難に走ったり*3

 といった具合で、どれも批判者はもちろん言っている本人すら納得させられていなさそうな、お粗末なものばかりである。

 真正面から「良いことではない≒人種差別である」ということを否定した議論は、私は一度も見たことがない。事実上日本国内の言論ではほぼ完全に意見が一致しているように見える。

 だが、私はそれに異議を唱えたい。そして、完全に否定できるわけではないにしても、より建設的な新しい見方を提案したい。その見方とは、

  • 日常的に(?)カニバリズムと呼ばれる概念には、本来全く違う2つの側面があるのだが、日本人と欧米人は、どちらもそれぞれ別の理由で、その2つの区別がついていない。

 というもので、2つの側面というのはこうだ。

  • 霊長類ヒト科ホモサピエンスの肉を(虫より大きい*4動物が)食べること
  • 存在の大いなる連鎖・神の定めた偉さの序列・正しい宇宙の秩序に対する反逆

 前者は文字通りであるし、後者もシリーズを通して述べてきたことであるから、ここでこれ以上の説明は要らないであろう。

 「日本人」にこの2つの区別がつかない理由は簡単だ。前者しか知らないからだ。後者の存在を知らず、知らないということも知らないので、そんなものがあるかもしれないという考えすらも思い浮かぶことはない。

 だから、カニバリズムといえば、連想されるのは単に人食い、ロビンソン・クルーソーに出てくるような「文明的な西洋白人キリスト教徒」に対置される「神を知らない野蛮な人食い人種」の古いイメージしかない。

 であれば当然、たとえどのような理由であれ、日本人をそのように扱うのは、大変な人種差別であり、それをする人は時代錯誤の人種差別主義者ということになる。これ以外の解釈のしようはない。

 たとえ100%捕鯨が悪だと考えていても、たとえ日本人のうち捕鯨者・鯨肉食者しか非難していないとか言ってみても、この結論からは逃れられない。上で発言を例に挙げたような反捕鯨日本人は、実際にこの状態に陥って苦しんでいると思われる。

 一方、自覚の程度はともかく、後者も知っているはずの「欧米人」にも、やはりこの2つの区別はついていない。その理由は、この2つが常に同じ結論をもたらし*5、区別する必要がないからだ。

 人間は実質最上位の存在であるので、どんな動物が人間を喰っても必ず序列破りであるし、人間より上位の天使と神は――実在しないということは言わないとしても――何かに食われるような肉体も持たなければ、人肉はもちろん何かを食う必要もない。

 「普通」の日常生活をたとえ百年、いや千年送ったとしても、この2つの違いが意味を持つ場面など、ただの一度も来ない。……そう、高知能説さえなければ!

 私の意見では、これは、第2の存在の大いなる連鎖の時代、ヒエラルキーの源泉が宗教的権威から知性≒科学に移り変わったときから、西洋哲学に組み込まれていたバグだ。

 しかし、長年誰も気づかなかった。人間より賢い動物が存在する――それも目に見えぬ霊的存在ではなく地上に肉体を持って――という特殊な条件下でしか表面化しないバグだからだ。これを見落としたからといって昔の人々を非難するのは酷だろう。*6

 意識しているか否かに関わらず、唯一神教的世界観と高知能説の影響下にある人間・社会にとっては、鯨肉食が後者の側面に抵触し、カニバリズムであるのは自明だ。

 にも関わらず、このカニバリズム呼ばわりがそう滅多には起きないという事実は、むしろ、ロビンソン・クルーソーばりの人食い人種イメージは人種差別であるという認識を「欧米人」も当然持っており、大半のケースでは、かなり効果的にそれを抑止している、ということを意味する。

 わずかであれなされるということに驚くべきではなく、これほど少ないということの方に驚くべきなのだ。

 もちろん、わずかでもそれをすり抜けるものがあるということが、差別でないと言えば嘘になるだろう。それを許してしまう人間が「程度が低い」というのも、反捕鯨の日本人が真っ先に直感しているように、おそらくは概ね事実だ。

 しかし、重要なのは、「日本人」「欧米人」両者の認識の齟齬を生んでいるのは、主にカニバリズムの後者の側面であって、人種差別に関する前者の側面は、むしろ両者で共通しており、それを抑止している側であるということだ。

*1:他の社会問題の文脈では、たった一度だけであっても絶対にありえないことなので、頻度の問題でない。
*2:この主張自体は、文脈と切り離して単独で文字通り見れば、概ね間違っていないと思われるので、余計にたちが悪い。
*3:他の社会問題だったら、絶対にしないどころか、するような人を烈火のごとく責め立てるような人々が言うので、とりわけ悲劇的である。
*4:この「大きい」も、物理的なサイズというより、何らかの抽象的なヒエラルキーの上下の問題な気がするが、まあ言いたいことは直感的にもわかるだろう。
*5:もちろん偶然そうであるわけではなく、そうなるように思想が形作られたのだ。食べられるのが好きではないホモサピエンスたちによって。
*6:なんたって実際いないんだし……。

第44回】 【目次】 【第46回

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2017 12/1

第43回】 【目次】 【第45回

 今回取り上げるのは、前回のハインラインに続いて海外SF御三家*1、正真正銘のSF作家、アーサー・C・クラークの『海底牧場』(1957)である。

 前回の『異星の客』よりも4年前だが、まあ細かいことは気にするな。今は、最低でも10年単位で考えるような時代精神の話をしているのだから、それぐらいは誤差だ。

 短めで適度なスペクタクルがあり、ある意味王道ビルドゥングスロマンでもあり、ここまでの2作に比べれば今でも読めるが、やはりネタバレは気にしないので、自分で読みたい人は先に読んでほしい。

ストーリーライン

 宇宙開発省は、金星の海の開発のため、監視員と食糧生産専門家となるベき青年が、至急必要である旨が書いてあった。さらにくわえて、その仕事は、太陽系内のどこにも見られない、刺激あるやり甲斐のある仕事で、給与はよく、資格は、宇宙航空士や人工衛星乗組員に必要な資格ほど高いものを要しないとある。それから、肉体条件と学歴の必要条項の短い表の後に、金星開発委員会は過去六カ月間、営々としてその計画を促進してきた、という言葉と、そしてフランクリンが、これまでに、いやというほど見てきた唱い文句で、その宣伝文は終わっていた――“第二の地球建設は皆さんの手で”

 月や火星に植民地ができていて金星も開発されようとしている近(?)未来*2の地球。世界連邦*3食糧機構が、海で、プランクトンを育てる農業と、超音波の柵でクジラを管理する牧鯨を行っている。

 主人公のウォルター・フランクリンは、優れた宇宙飛行士であったが、船外活動中に宇宙空間に投げ出されて漂流する事故により、重度の開放空間恐怖症*4になり、職業生命を絶たれてしまう。

 適性を生かせる第二の人生として、クジラを保護したり、サメやシャチを駆除したりする牧鯨者(ホエール・ボーイ*5)と呼ばれる潜水艦乗りの道を選ぶ。

 第一部:練習生時代では、挫折から立ち直ったり、後に妻となる女性に出会ったり、第二部:監視員時代では、大イカを捕まえたり、伝説のシーサーペントを探したり*6するものの、このシリーズの観点から重要なのは、第三部:官僚時代に巻き込まれる倫理問題だ。

 ちなみに、後に妻となる女性は、インドラという名前の生物学者で、オランダ人・ビルマ人・スコットランド人の血が、同じくらい入っていて、日本生まれである、という設定になっている。だからなんだというほどではないが、世界観をうかがえるであろう。

『白鯨』≒マッコウクジラのイメージ

 彼には、必読書以外の本を読む時間はほとんどなかったけれども、『白鯨』に読みふけっていた。これは半ば冗談に、半ば本気で、牧鯨局のバイブルと呼ばれていた。

 練習生時代の1シーンから、第42回の脚注で出したばかりの宿題の答え合わせ。

 ハインラインが鯨類代表として言及したのがマッコウクジラである理由は、つまるところハーマン・メルヴィル白鯨』(1851)に出てくるのがマッコウクジラだからだ。

 そして『白鯨』のモビィー・ディックがマッコウクジラなのは、鯨油を目的とした捕鯨で特に重要なのがマッコウクジラだったからだ。(なぜマッコウクジラの鯨油が特別かというと……ここでやる必要はなさそうなので自分でググってくれ。)

 『白鯨』は世界有数の有名小説であり、19世紀半ば時点の捕鯨イメージの総まとめであり、20世紀半ばまでの鯨イメージをかなりの部分支配したということ。その際代表となる種はマッコウクジラだったということ。これだけでも憶えておくとよい。*7

 そして宿題がすぐ解消してしまったので、また代わりの宿題。シーシェパードのワトソン船長が、一番好きなクジラとしてマッコウクジラをあげている*8のはなぜで、そのことは何を意味しているだろう?

鯨肉のカニバリズムイメージ……はなかった

 第三部で官僚となったフランクリンがジャーナリストを相手にしている場面。

「わたしよりもだな、ボブ、きみのほうが今じや統計に詳しいんじゃないか。局としては、次の五年間に、牧鯨の規模を、十パーセントほど拡張したいと思っている。(中略)目下のところ、局では、人類の食糧需要総量の十二・五パーセントを賄っているが、これは大変に責任の重いことだ。ぼくとしては、在任中に、十五パーセントにしたい希望を持っているよ」
「そうなると、世界中の人が、少なくとも週に一回は、鯨肉のステーキを食べることになるわけですね?」
「そういう見方もできるがね、みんな、知らずに鯨を食べているんだよ――食用油を使ったり、パンにマーガリンを塗ったりするたびにね。局では、生産高を二倍にすることもできるが、だからと言って、それで面目を施すことにはならんだろう。局の製品はほとんど必ずといっていいほど、ほかの形に変えてあるからね」
「図版部で、それを正確に載せることになってます。この記事が出るときは、一般家庭の一週間分の献立を写真にして、その何パーセントを鯨に負うているか、各項目ごとに円グラフをつけてあるはずですよ」

 グリーンピースやシーシェパードの諸兄姉が読んだら気絶しそうな設定だが、さて、クラークは読者を気絶させようと思って、嫌がらせでこんな世界を描くゲテモノ作家なのだろうか? 違うと思うなら、例によって、おかしいのは我々の歴史感覚だ。

 この一見淡々とした記述は、捕鯨・反捕鯨問題を考える上でとても重要な事実を突きつけている。「欧米」では昔から鯨肉食がカニバリズムに類するタブーだったかのようなイメージは、全くの大間違いだということだ。

 そのようなイメージは、ある種の民間語源のように、単に「普通の人が現在の状況から逆算して想像したときに一番自然に思える説明」であるに過ぎず、「実際の過去で起こった経緯」ではない。

 ほぼ不可避的にそうなってしまうから問題になっているのであり、「普通の人」を責めているわけではない。しかし、何か現在の事態を改善したり、問題を解決しようとするときに役に立つのは、ほとんどの場合、後者である。

 このカニバリズム感覚に関する誤解は、国家間・国内の捕鯨論争を不毛で敵意に満ちたものにしている要因のひとつであると私には思われ、重要な意味を持つので、次回に独立して集中的に取り上げる。

 ついでにもう一箇所。プランクトン農業の説明のシーン。

 自然によって産み出された鉱物を汲み上げることで満足せずに、人間は海中ふかく、要所要所に、原子力発電機を沈めた。そこでは、発電機のつくる弱い熱が、広大な水中に噴流を起こして、そこにある貴重な鉱物資源を、恵み豊かな太陽のほうへと、押し上げてよこす。自然がおこなう掘り返しを、こうして人工的に促進することは、核エネルギーの多くの応用部門の中で、もっとも期待の少なかったものであるが、また同時に、もっとも酬いることの多いものでもあった。この方法によって初めて、海産食糧の収穫高が、十パーセントも増加したのだった。

 グリーンピースやシーシェパードの諸兄姉ならずとも気絶しそうな設定だ。原子力のポジティブイメージ、「食糧生産」への強いこだわり、どちらも詳細は別の「糸」に譲り、今は追及しないが、現在との大きなギャップがなぜ生じる(生じた)のか考えておくとよいだろう。

噴飯モノの宗教イメージ

 そして、肝心のフランクリンと牧鯨局が巻き込まれる倫理問題だが、その前提となっている作中の宗教関連の設定が、単独ですでに注目に値する。

 宗教の力を過小に評価することは、それが仏教のように、おだやかで寛容な宗教であっても、決して賢明なことではない。その位置は、百年前には、とうてい考えられないことであっただろうが、前世紀の政治的・社会的大変革が相まって、それに必然性を与えた。競争相手であった三大宗教*9が没落したために、仏教は今や、人間の心になんらかの形で現実的な支配力を持つ、唯一の宗教となっていた。キリスト教は、ダーウィンフロイト*10によって与えられた痛打から、完全には立ち直っていなかったのだが、ついに去る二十世紀の考古学的発見*11の前に、あえなく屈服してしまった。幻想的な男神女神の万神殿を持つヒンズー教は、科学的合理主義の時代に、生き残ることができなかった。そしてモハメッド教の宗旨も、同じ力によって弱体化された上に、ダビデの昇る星*12が、予言者の青白い新月*13に照りまさった*14とき、威信はさらに失墜してしまった。これらの信仰は今も生き残ってはおり、まだ数世代の間、余命を保つであろうが、その支配力はすっかりなくなっていた。ただ一つ、釈迦の教えだけが力を保ち、ほかの宗教の後にできた空白を満たしつつ、その影響力を増してさえいた。哲理であって宗教ではなく、考古学者の槌に弱い啓示*15に依ることのない仏教は、ほかの大宗教を破壊した衝撃によっても、ほとんど影響をこうむらなかった。(P275-276)

 なんかもう私も気絶しそうな設定だ。(ツッコミが追いつかないので重要性の低いものは脚注で済ませる。)

 私が言うまでもなく、この宗教観は、冷戦終結で民族紛争と宗教紛争がクローズアップされ、911で話題の主役に返り咲き、ビンラディン殺害で911が歴史の1ページになっても変わらない時代に生きている我々にとっては、噴飯ものとしか形容しようがないものだ。

 しかし、もちろんクラークは、21世紀人にごはんを噴かせてやろうと思ってこれを書いていたわけではない。当時はそれなりにマジだったのだ。

 私がこのシリーズの観点からここで読み取ってほしいことは2点だ。

 宗教が著しく――そう「宗教の力を過小に評価することは(中略)決して賢明なことではない。」と前置きしつつ、科学的合理主義によって宗教はあと100年やそこらで滅ぶ*16という設定を開陳する自分に疑問をおぼえないほどに本当に著しく――過小評価されていたということ。

 お世辞にも宗教が盛んとは言えない現代の、とりわけ宗教の力が弱い地域のひとつであろう日本*17に住んでいてさえ、一見信じがたいほどに著しく、宗教が過小評価されており、逆に「科学的合理主義」に、今では思いも寄らないような過大評価が与えられていたということ。*18

 そして、本当に標的になっているのはあくまでキリスト教であり、当時の進歩的な人々が広く共有したキリスト教に対する強い反発の現れであるということ。

 クラークに特異な仏教びいきの設定すら、大局的に見れば、その反動に過ぎないとも言える。他の宗教の扱いはおざなりであり、要するについでなのだ。よく見れば、

  • イスラム教には「お前はキリスト教と同じ啓示宗教*19だから同罪な」*20
  • 仏教には「お前はキリスト教と似てないから宗教扱いしないで見逃したるわ」*21
  • ヒンズー教には「お前も多神教でキリスト教に似てないから罪状は思いつかないけど、仏教だけ残った設定にするのに邪魔だから、まあとりあえず氏ね」

 ぐらいのことしか言ってないのだ。

*1:ちなみにアイザック・アシモフもどこかで登場する予定なのでお楽しみに。
*2:明確な数字は出てこないが、牧鯨局に半世紀の歴史があるような台詞があるので、最低でも21世紀。おそらくその半ば以降。
*3:『異星の客』でも同名のものが西側の統一体として出てきたが、この作品では世界政府そのもののようだ。詳しくは政治の「糸」に譲るので深入りしないが、近い将来世界が政治的に統一されるというアイデアは、今ではほぼディストピア方面にしか見られないが、昔はポジティブ方面にも存在したのだ。
*4:本当にそういう症状がありうるかは知らんが。
*5:言うまでもなくカウ・ボーイのもじり。
*6:結局これは失敗するが。
*7:『白鯨』そのものを直接取り上げる予定はない。もしかすると宗教か芸術の「糸」で取り上げるかも知れないが、それでも本格的にではない。
*8:特定のソースは思い出せないが確かなはずだ。確かめればすぐわかるだろうが、あえてしない。仮にその話を一度も見たことも聞いたことも読んだこともないとしても、私にはそうだろうと考える根拠があるからだ。
*9:文脈的に、キリスト教・イスラム教・ヒンドゥー教。
*10:現在、フロイトの評価は、議論の余地は大きいものの、この時代に比べてハッキリ低下しているように見える。今のSF作家だったら、宗教とフロイトそれぞれに対する評価がどうあれ、この発想は出てこないだろう。ダーウィンと並び称されることも、古い本ではよくあるが、現在ではほとんどなくなった。
*11:何を念頭に置いているのかよくわからない、この時期話題になっていた宗教関係の考古学的発見でも何かあったのだろうか? 誰かわかる人います? → コメント欄の指摘で解決。もっと新しい発見だと間違って記憶していたが、普通に死海文書のことだと思われる。初期にはそこまですごいものだと思われていたらしい。
*12ダビデの星ユダヤ教を指す。
*13:ややこしいが、この「新月」は新月ではなく三日月のこと。三日月はイスラム諸国でしばしば使われるシンボル。
*14:ここも正直何を考えていたのかよくわからない。イスラエルがまだ目新しい存在で、イスラム教そのものの存続を危うくしかねないような破竹の勢いに見えていたのだろうか? 執筆時期がちょうど第二次中東戦争の時期に当たりそうなのと関係があるのか?
*15:なぜ啓示宗教が考古学に弱いと言われているのかよくわからない。古生物学者なら意味はわかるので誤訳かと思ったが、原文でも古生物学者(palaeontologist/paleontologist/fossilist)ではなく考古学者(archeologist)である。
*16:仏教びいきをいったん置けば要するに。
*17:「日本は宗教の力が弱い」あるいは「現代日本人は“無宗教”である」という類の言説は、このシリーズの観点から見て極めてまずい別の文脈で使われることがしばしばあり、誤解を招きたくないが、今の文脈で不当とまでは思えない。これについては宗教の「糸」でちゃんと取り上げる機会があると思う。
*18:これについては当然「科学」の糸でもっと追及する予定だ。
*19:啓示宗教・セム系一神教・アブラハムの宗教などいろいろな呼び方があるが、このシリーズの観点からは表記揺れのレベルで、要するにどれもユダヤ教・キリスト教・イスラム教のことである。どれでも構わないが、私は特に理由がなければ「セム系一神教」を使う。一番重要な特徴である「一神教」以外の字面で余計なイメージを喚起せず、偶然似ているわけでなく系譜的に関連があることを意識できるからだ。
*20:今となってはほぼ意味不明なイスラエルに対する言及を除けば。
*21:仏教は宗教というより哲学だ(から一神教よりましである)という主張は、現在でも真剣にもなされることがある。たとえば、まだそんなに昔ではないドーキンスの『神は妄想である』でも、ほぼ同趣旨の部分がある。個人的には、セム系一神教偏重の世界観・宗教観を批判しようとして、結果的に盛大に追認してしまっている、極めて筋悪な論調と思っている。これもやはり宗教の「糸」に譲り、今ここでは追及しない。

第43回】 【目次】 【第45回

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