2019 4/28

『妻のトリセツ』★★★

 黒川伊保子著。妻と読んだ。ぶっちゃけ科学面では極めていい加減。トンデモと言っても過言ではない。でも個人的には役に立った気がする。

『気になる仏教語辞典: 仏教にまつわる用語を古今東西、イラストとわかりやすい言葉でなむなむと読み解く』★★★★

 麻田弘潤著。絵も内容も良い。

『ある日、突然始まる 後悔しないための介護ハンドブック』★★★

 阿久津美栄子著。図書館で借りて良かったので一冊持っておくことにした。

『脳が教える! 1つの習慣』★

 ロバート・マウラー著。変化は怖い。だから必ず失敗しようがないほど小さいことから始めて徐々に大きくせよ。……という内容。これで言い尽くしてしまっている気がするが。

『難破する精神:世界はなぜ反動化するのか』★

 マーク・リラ著。全体としてはありがちな現状嘆き本と言えなくもない。が、いわゆる極左の理想主義が「未来へのノスタルジア」であり、極右の過去へのノスタルジアとある意味そっくりだという視点は示唆に富むと思う。

『魂に息づく科学:ドーキンスの反ポピュリズム宣言』★

 リチャード・ドーキンス著。より抜き集。長年のファンからするとまあ予想通りの内容で、そこまでインパクトはなかったが。

『脚・ひれ・翼はなぜ進化したのか: 生き物の「動き」と「形」の40億年』★★★★★

 マット・ウィルキンソン著。移動能力で一本筋を通した進化・生物本。これ系では久しぶりの超おすすめ。

『暴政:20世紀の歴史に学ぶ20のレッスン』★

 ティモシー・スナイダー著。まあ流行り物? 『ブラッドランド』の人だけあって言ってることはまとも。

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2019 3/17

『エンジェル投資家 リスクを大胆に取り巨額のリターンを得る人は何を見抜くのか』★★★★

 ジェイソン・カラカニス著。知らなかったがUberへの投資で有名になった人とのこと。とても面白かった。

『ブラッドランド: ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実』★★★★

 ティモシー・スナイダー著。そこそこ知っているつもりだったが、視点を改めさせられる感があった。一言でまとめるのは難しいので是非読んでほしい。それにしても本当にヒトラーとスターリンは酷い。

『ファクトフルネス 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣』★★★★★

 ハンス・ロスリング著、オーラ・ロスリング著、アンナ・ロスリング・ロンランド著。評判通り素晴らしい。TEDで何度か見た憶えある人だったがこれが遺作なのか。

『戦前日本のポピュリズム – 日米戦争への道』★

 筒井清忠著。わりと前から言われてるような気もするけど。いいと思う。

『「家事のしすぎ」が日本を滅ぼす』★

 佐光紀子著。ほぼタイトル通り。うちも「しなさすぎ」よりは「しすぎ」のような気がするので。

『将棋の子』★

 大崎善生著。厳しい世界。

『ワニと龍―恐竜になれなかった動物の話』★★

 青木良輔著。内容についてはshorebird先生にお任せ。

『ライフハック大全―――人生と仕事を変える小さな習慣250』★

 堀正岳著。特別これがすごいというほどではないけど、これまであまり知らなかった人のガイドとしてはいいのでは。

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2019 1/6

第47回】 【目次

現代文の問題

 『海底牧場』最終回のつもりだったが、ひとつ試してみたいことができたので、一回分増やしてワンクッション置く。

 以下は、第46回で取り上げた視察の帰りの飛行機内での、主人公フランクリンとマハ・テーロとの議論である。シリーズの観点から見て、この作品で一番興味深い部分と言える。

 これを読んで、次の問題に答えてもらいたい。決して引っかけ問題とか、ひねったネタではない。純粋に作者が書いていることを読み取れと言っているだけである。引用についても開始・終了箇所を選んだということ以外、一言一句変えていない。中略もしていない。

 たとえばセンター試験の国語の問題であるつもりでやってみて、コメントにでも回答してみてほしい。(ただしネタバレ・影響防止のため基本的に次回をUPするまで非公開の予定。)

 「さて、ご尊師」と、フランクリンは切り出した。ちょうど飛行機が、雪をかぶった山脈の上空へ上昇し、ロンドンとセイロンへの帰路についたときだった。「こんど集められた資料を、どのように使われるつもりか、お伺いできますか?」
 いっしょに過ごした二日間で、僧と行政官は、互いにある程度の友情と敬意を抱くようになっていた。フランクリンにとって、これは愉快であると同時に驚くべきことだった。彼は人を見る眼があるつもりだが、彼の分析力の及ばない深さが、このマハナヤケ・テーロにはあった。それはおくとしても、いま彼は直覚的に自分が、力ばかりか――こんな陳腐で貧弱な言葉を使うほかないのだが――善の権化の面前にいるのだと感じた。彼は、いつ確信に深まるかもしれぬ、畏敬の念の高まりをおぼえながら、いま自分の連れであるこの人物が、やがては聖人として歴史に残るのではなかろうか、という考えさえ抱きはじめていた。
「何も隠しだてしているものはありません」と、テーロはおだやかに言った。「それに、ご存じのように、偽りは仏陀の教えに背くことです。わたしたちの立場はきわめて単純です。わたしたちは、生きるもの悉く、生きる権利を持っていると信じているのです。これからすると、あなたがたのしておられることは、誤ったことになります。したがって、中止の運びになればと願っているわけです」
 それは、フランクリンが予期していたことだったが、言明されたのは初めてだった。彼はかすかな失望を覚えた。もちろん、テーロほどの頭のある者なら、そんな運動がまったく非実際的なものであることは、気づいているにちがいない。なぜなら、それは、世界の食糧供給の八分の一を削減する結果を招くからだ。それに、そのことなら、なぜ鯨だけをやめよと言うのか? 牛、羊、豚――そのほか、人間が飼い殖やしては、都合次第で殺している、すべての動物はどうなのか?
「考えておられることはわかります」と、彼が異論を口に出せないでいるうちに、テーロが言った。「その結果起こる、いろいろな問題も、十分承知していますし、したがって、徐々に推進してゆく必要があることもわかっています。しかし、どこかで発足せねばなりません。そして牧鯨局が、わたしたちの問題を、もっとも劇的な形で提示してくださっているのです」
「光栄ですな」と、フランクリンは突っぱねた言い方をした。「しかし、公平なことでしょうか? ここでご覧になったことは、地球上のあらゆるところで起こっています。操業の規模がちがうからといって、問題の性質に変わりはありません」
「まったく同感です。しかしわたしたちも、実際家であって、狂信的な人間ではありませんから、それに代わる食糧源が見つからないうちは、世界中の食肉供給を中止するわけにはいかない、ということはよくわかっています」
 フランクリンはかぶりの振り方に、意見の相違をつよく見せて、「残念ながら、たとえ供給の問題を解決できたとしても、地上の人間をすべて菜食主義者にすることはできませんよ――火星や金星への移住を積極的に奨励なさるならともかく。わたしなどは、ラムチョップや、ウェルダンのステーキが、もう二度と食べられないとなったら、ピストル自殺もしかねませんね。ですから、あなたがたのプランは、二つの面で必ず失敗します――人間の心理的な面と、食糧生産ののっぴきならない実情の面で」
 マハ・テーロはすこし気分を害した表情になった。
「局長さん、そんな明白なことを、わたしたちが見落としているなどと、まさか考えてはおられないでしょうね。しかし、その実施方法を説明する前に、まずわたしたちの見解を、最後まで聞いていただきたい。わたしは、あなたの反応を興味ぶかく見守ることにします。というのは、わたしたちが受ける消費者のレジスタンスの、あなたは最も有力な代弁者だからです」
「結構です」と、フランクリンは微笑した。「わたしをこの仕事から改宗させられるかどうか、やってごらんなさい」
「有史以来、人間は、ほかの動物は自分たちのために存在しているのだ、という考えをいだいてきました。幾種類かの動物は、すでに絶滅させてしまいました。ときにはまったくの欲望のために、またときにはその動物が農作物を荒らしたり、ほかの活動を妨害したためにです。たいていは正当な理由があったことも、しばしば選択の余地がなかったことも否定はしません。しかし、時代が下るにつれて、人間は、動物界に対して犯した罪で、その魂を黒く汚してきました。そして、六、七十年前に、その最もはなはだしい形、たまたまあなたが職業としておられたこの形において、それは極まったのです。わたしはいくつかの実例を読みましたが、これなどは、銛を打ちこまれた鯨が、数時間にわたって、あまりにもひどい苦しみをつづけた後に死ぬので、その肉は一片も使えなかったというのですその動物の断末魔の苦悶から生まれる毒素が全身にまわってしまったためです」
「非常に例外的な場合です」と、フランクリンは言葉をはさんだ。「とにかく、わたしたちはその問題をすでに解決しています」
「そのとおりですが、その債務は、いま履行せねばなりません」
スヴェン・フォインでも、あなたのご意見には賛成しないでしょう。話は一八七〇年代にさかのぼりますが、彼が爆薬を装填した銃を発明したとき、それを完成したことを神に感謝するという一行を、日記に書き留めています」
「興味あるご意見ですな」と、テーロは冷淡に言った。「彼と議論をする機会を持ちたいものです。ご承知のように、人類を二分する簡単なテストがありますね。誰かが道を歩いていて、踏みそうなところに甲虫がはっているのを見るとします――彼は歩調を乱して、踏まないようにすることもできるし、踏みつぶしてしまうこともできます。あなたなら、どうされますな、フランクリンさん」
「甲虫によるでしょうね。それが有毒なものか害虫だとわかっていれば、殺すでしょうが、そうでないとすれば逃がしてやります。理性のある者なら、誰だってそうしますよ」
「では、わたしたちは、理性がないことになる。殺生は、より高等な生物の命をたすけるためにのみ正当化されるものだ、と信じています――しかも、そういう場合は、驚くほど稀なものです。いや、本論にもどりましょう。横道にそれたようです。
 百年ほどまえに、ダンセイニ卿というアイルランドの詩人が、『人間の効用』という劇を書いています。これは遠からず、わたしたちのテレビ番組の一つとして、見られることになるでしょう。この劇の中で、一人の男が夢を見て、魔法の力で太陽系から連れ出され、動物たちの審判法廷に引き出されます――もし彼が、二人の弁護者を見つけ出せないと、人類は全滅の運命を与えられるのです。犬だけが進み出て、主人をかばいます。その他のものは、昔の悲しみを思い出して、人間がこの世にいなかったら、もっとしあわせに暮らせただろうに、と考えます。絶滅の宣告が、まさに下されようというとき、第二の支持者が折よく間に合って、人間は救われます。人間にも何か役に立つところがあるという、この二番目の唯一の支持者は――蚊なのです。
 そんなものは、単なる戯画にすぎないと思われるかもしれません。ダンセイニもそのつもりだったにちがいありません――彼はたまたま、狩猟の名人でした。しかし詩人というものは、しばしば、自分でも意識していない、隠れた真実を語るものです。そして、このほとんど思い出す者もいない劇には、人類に対する、深遠な寓意があると、わたしは信じます。
 一世紀たらずのうちに、われわれは必ず太陽系の外へ出ていく。そうなれば早晩、われわれよりも、はるかに高度な、しかし様式はまったく異質な、知的生命体にいろいろ出くわすことになります。やがて、その時がきたら、人間がより高等な生物から受ける待遇は、おそらく、人間が自分の世界のほかの生物に対して、どのように振舞ってきたかによって定まるのかもしれません」
 その言葉は、非常におだやかに言われはしたものの、非常に確信にみちたものだったから、フランクリンの心を、突然冷たいものが貫いた。初めて、相手の意見にも一理あるのかもしれないと感じた――つまり、単なる博愛主義以外の何かがだ(だが、博愛主義は、“単なる”ものであるのか?)。彼は、自分の仕事のクライマックスを、好ましく思ったことは一度もない。なぜなら、彼はずっと以前に、すでにその巨大な預りものに対して、強い愛着を感じるようになっていたからだ。しかし、その都度、彼はそれを必要悪と見なしてきたのだった。
「ご意見はまことにごもっともなことです」と、彼は認めた。「しかし、好むと好まざるとにかかわらず、人生の現実は認めなければなりません。“自然は血みどろの闘争の場”という言葉は、誰が言いだしたのか知りませんが、それが自然のありようです。そして、世界の人間が、食物か倫理か、どちらかを選べとなったら、どちらが勝つかきまっています」
 テーロは例の神秘的な、静かな微笑を浮かべた。意識してかしないでか、代々の芸術家たちが、仏陀の象徴としてきた慈悲の眼差しを、それは反映しているように思われた。
「しかし、問題はまさにそこにあるのです、フランクリンさん。二者択一を迫られることは、もはやありません。われわれこそは、古い輪廻を打破して、罪なき生き物の血を流すことなしに満足できるものを食べうる、最初の世代なのです。それがどういうものかを知るために協力してくださったあなたに、心から感謝しております」
「わたしに!」フランクリンは大きな声を出した。
「そのとおりです」と、テーロが言った。いまや彼の顔には、ほんものの仏画よりもゆったりした微笑がひろがっている。「さて、ごめんをこうむって、わたしは眠ることにしましょう」

問題

 上の文を読んで、次の5つのうち、マハ・テーロの考えとして正しいものがいくつあるか答えなさい。

  1. 人間以外の動物は人間のために存在している
  2. 牛・羊・豚等の家畜を殺すこともいずれは止めるべきである
  3. スヴェン・フォインの日記よりもダンセイニ卿の作品の方がより興味深いものだ
  4. 高等な生物の命を助けるためなら下等な生物を殺すことは正当化される
  5. 食物か倫理かの二者択一は避けることができない

2019/01/08追記

 出題意図とは関係ないところで解釈のぶれが生じうる選択肢が複数見つかったので2,3箇所表現を修正しました。(こういう問題ちゃんと作るの難しいですね……。)現在のものを最終版と考えてもらってたぶん大丈夫です。すでに回答をいただいている方には個別にお知らせします。

第47回】 【目次

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2018 9/15

第46回】 【目次】 【第48回

洋ゲーの話をしよう

 初期のネットワークRPGとして大ヒットした『Diablo』(1997)にブッチャーという中ボスがいる。

 角の生えた太った男性型の悪魔で、巨大な肉切り包丁を持ち、血塗れの白い肉屋エプロンをつけている。*1

 解体された人体だらけの部屋――上の画像にはこれでも一番グロいところは入っていない――で待ち構えていて、ドアを開けると「うおお新鮮な肉ぅ!」みたいな叫び声を上げて襲いかかってくる。

 ちなみに、ブッチャー(Butcher)は、肉屋・屠殺人を意味する普通名詞であり、ごく一般的な英単語である。

 一方で、私は今使っているIMEで「屠殺」の単語を変換することさえできずに面倒な思いをしている。*2

 この「欧米」と日本の間に厳然として存在する、屠殺・屠畜に関する意識の大きな落差と、それに対する誤解は、第45回で取り上げたカニバリズム感の誤解と並んで、国内外の反捕鯨反イルカ漁議論を無駄に混乱させる重要な要因になっている。

 シリーズもここに来て、ようやく準備が整ったと思われるので、今回でいったんこの件を片付けたいが、要素とステップ数の多い、かなりややこしい思考が必要とされる。

 単に馴染みがないから・知らないから、というのとは異なる、論理としての難しさは、ここがおそらくシリーズ最高である。xkcdリスペクト*3な図示やたとえまでフル活用した説明を頑張って考えたので、お付き合い願いたい。

宇宙開闢・東と西

 一枚の白い紙を用意しよう。この紙が、今回説明したい概念モデルの全体、いわば宇宙だ。縦軸は時間で、下が過去、上が未来とする。

 さらに横軸で半分に区切って、左半分を西、右半分を東とする。*4この東西は、地球上での地理そのものではなく、文化的・歴史的・概念的な「西洋」と「東洋」*5を表す。

天地創造:1万数千年前ぐらいまで

 何もない宇宙に一本線を引いて、これを大地としよう。引いた線は、時間軸であえて言えば1万3000年前ぐらいだ。*6

 この大地は、少なくとも現生人類全ての共通祖先がすでに持っていた、ヒューマンユニバーサルな性質を表す。

 そのような性質は無数にあるが、今回、具体的に注目するのは、そのうち以下のたったふたつのみである。

  • 肉食嗜好
  • 血の嫌悪

 肉は、一般に優れた栄養源である。*7そして現世人類は肉食に適応した類人猿であり、かなりはっきりした肉食嗜好を持つ。*8

 同時に、血は極めて危険な感染源であり、肉食獣や害虫を誘引する汚染源でもある。流血は、自分のものであればもちろん、他人や動物のものであっても、重傷・死の危険を示唆する。人類共通の血への嫌悪感とその進化的意義は、直感的にも容易に理解できるだろう。

 そして、シャングリラの図書館には確実に収められているであろう有名な西洋文学を引き合いに出すまでもなく、血を見ずに肉を得ることは不可能である。

 よって、このふたつの性質は、矛盾・衝突・葛藤を生じさせ、全ての人類社会は、何らかの方法でこれを解消、少なくとも緩和する必要がある。

 この大地の上に立っている人間は、東西どちらでも、このシリーズの観点で意味のある違いは、まだ何もない。同じく等しく「狩猟採集民」だ。

 現在の狩猟採集民族もそうであるように、部族ごとにそれぞれ何らかの宗教観・動物観を持っていて、何らかの理屈をつけながら、誰もが必ず自分達で動物を狩り、処理していた。*9

一階の建物:文明〜中世ぐらいまで

 時は流れて、文明と呼ばれるものが生じた。農耕・牧畜ができるようになり、部族を越えた大集団が定住し、文字を用いた政治・宗教活動が行われるようになった。

 この文明を建物の絵*10で表そう。建物の「高さ」は、東西の文明・伝統文化に区別がつくような違いが生じた時点から、いわゆる近代の直前ぐらいまでの期間にあたる。

 文明(≒分業)によって自分自身で狩猟や屠畜をしない人が現れ、肉と血の間に生じる矛盾の処理に、従来と違った方法を取る余地が生じた。

 そして、矛盾は全人類共通であっても、その緩和方法は必ずしも全人類共通ではない。大きく分けて以下の二つの方法がありうる。

  1. 動物を差別する
  2. 屠畜者を差別する

 前者がいわゆる「西洋」・欧米キリスト教文化*11の方法。動物は全能の神様が人間に奉仕するためだけに創ったもので、魂なんか持ってない。ましてや死んで動かなくなった後はただの肉だ。だから肉屋もただの一職業にすぎない。

 後者が「東洋」・日本文化*12の方法。一寸の虫にも五分の魂。畜生にも当然魂はあって自分の前世や来世かもしれず、「だからこそ」それを殺す屠畜者は穢れたものとして差別される。君子は厨房に近づかず*13森羅万象に慈悲をたれよと言いつつ他人の殺した肉を食べる。*14

 動物を蔑視する代わりに屠畜者は蔑視しないで済むか、屠畜者を蔑視する代わりに動物は蔑視しないで済むか。これは一種のトレードオフだ。*15

 このふたつの方法に自明な優劣はない。*16それぞれ千年単位で安定して存在し、相互交流があっても一方が駆逐されてしまわない程度には拮抗している。純「科学的」に見れば、どちらも単にナンセンスだ。*17

 また、差異のみに着目している――差異を認識するのが目的なのでそれ自体は当然――ので全然違って見えるが、あくまで同じ条件(肉食嗜好・血の嫌悪)から同じ結果(肉を食べてよい)をもたらすもので、途中過程の細部が違うだけであるということも同時に認識すべきである。

二階の建物:近現代

 さらに時代が進んで、近代文明と、それが東西の文化に与えた影響を、二階の建物という形で表現しよう。二階の天辺はもう現在と考えてよい。

 「西洋」では、人間も他の動物と同じく進化してきたことが明らかとなり、神による創造を信じるのは難しくなった。動物蔑視の論拠となっていた宗教的ドグマが弱まり、現代的な意味での動物愛護や肉食反対も現れてくる。

 「東洋」では、近代・西洋的な文化・法・制度・科学・哲学の導入により、肉食はより一般的になり、輪廻転生や来世への功徳といった伝統宗教感覚は薄れ、平等・基本的人権の観点からも、穢れ意識による職業差別は擁護できなくなる。

 私たちが現に住んでいる時代で、一般常識でもあるし、ここまでのシリーズを通して、それなりに述べてきたことでもあるので、これ以上詳しい説明はしない。

 ここで、いったんスペースが埋まったこの紙を、よく眺めてもらいたい。できれば、何も見ずに自分で同じものが描けるぐらいまで頭にたたき込んで、描かれていないことにまで考えを巡らせてもらいたい。

 まず強調したいのは、この東西の二階同士は、互いにとてもよく似通っている*18ということだ。差異のみ示しているので一見別に見えるが、表面的にも実際にも非常によく似ている。日常的には、ほとんど同じに見える。

 もはや欧米の肉屋が日本に引っ越して開業しても特に社会問題にはならない――江戸時代以前ならなったはず――し、日本人がヨーロッパに行って「動物にも魂はあります!」と演説しても別に火刑に処されたりせず――中世ならされたはず――むしろ喝采される可能性が高い。

 もうひとつ、私がこの図示によって強調し、直感的に理解してもらいたいことは、ずっと二階でしか暮らしていないからといって、あくまで二階は一階の上に、一階は大地の上に建てられたのであって、一階や大地がなくなったわけではないということだ。

 にも関わらず、二階があまりにも似すぎていて、同じだと考えても問題がないため、それに慣れてしまい、「普通」でない稀なケースが起きたとき、一階(≒宗教感覚とその歴史的経緯の差異)の存在と、そこから来る影響を、ほとんどの人が認識できない状態になっているのだ。

復習:ブッチャー再び

 本題に入る前に、このモデルで何ができるか、冒頭のブッチャーの話題でテストしてみよう。肉屋を悪魔としてRPGに出してもいいだろうか?

 まず西ではどうだろう。一階の伝統として屠畜の正当化は済んでいる。肉屋はただの一職業に過ぎない。悪魔の王様・悪魔の兵士・悪魔の鍛治屋がいていいのなら、悪魔の肉屋がいてもいいだろう。一階はクリアだ。

 二階はどうか。悪魔の時点で非科学的ではあるが、まあゲームだそれはいい。動物の蔑視はもはや正当化できない。ブッチャーは動物を蔑視しているだろうか? していない。殺しているのは人間だけだ!*19 よって二階もクリアだ。ブッチャーは欧米のRPGに出られる。*20

 東だとどうなるだろう。説明不要だろうが、テストだからあえてしようか。一階の伝統としては、肉屋の悪魔化*21はありうる、というかある意味常にしている。しかし、それは敬遠・隠蔽という形で「表現」されるもので、創作物に誇張して登場させようという発想は全くありえない。

 一階の時点ですでに発想すらありえないが、二階まで来ると、それはさらに加えて重大な差別・反社会的行為であり、明確に禁止されるので、なおさらあり得ない。スクリーンショット一枚からでもDiabloが日本製ではないことを断定できる。

 具体例を通じて納得してもらえただろうか。一階(≒伝統的宗教感覚とその歴史的経緯)の差異が現実に結果の違いをもたらすケースは、未だ存在するのだ。やたらとあるものではないとはいえ、日常から少し手を延ばせば届く範囲にも。

 誰でも自分自身の現在は知っている(自分の現在だから)。自分自身の過去も(自分だから)、相手方の現在も(現在だから)、普通ある程度は知っている。普通知らないのは、相手方の過去(図で言えば向かいの一階)と、大地の部分だ。

 ある意味このシリーズ前半のほぼ全ては、今回の図でいう西の一階の存在に気づき、それに馴染んでもらうためのものだったとも言える。

 クラークが「一秒後、それは惰性で前進をつづける、かさばった物塊でしかなかった。」と書いて、後の解体描写にも何ら抵抗を感じていない*22風なのも、クレアさんが、知能(≒魂のランク)が低い(と見なした)アザラシを動く肉塊のごとく扱ってはばからない*23のも、皆同根である。

やっと本題:東視点

 ここまでの議論をベースに、ようやく今回の本題と言える部分に入れる。実際の社会問題に適用してみよう。

 ここまではずっと、いわば神視点で俯瞰していたが、どちらも相手方の一階と大地が見えなくなっているという話を意識した上で、モデルの中の人間の視点でどう見えるかも考えてみよう。まだしもわかりやすいだろうという理由で、今回は東から先に。

 たとえばつい最近のこのニュース。読者の多くは、「CNN」や「仏」という文字を見なくても、「菜食主義者が肉屋襲撃」と聞けば、たぶん「欧米」――北米・ヨーロッパ・オーストラリア・ニュージーランドなど――の話だろうな、と予想がつくと思う。

 しかし、現代のニュースだということや「菜食主義」という単語すらいったん忘れて、単に「肉屋が肉屋だというただそれだけで襲撃される」だったら、いつどこの話だと思うだろう。歴史上の「西洋」・キリスト教文化圏よりも「東洋」・日本などの方で、遥かにありそうな話じゃないかね?

 この一点に限って言えば、現代の「欧米」の一部の人間は、現代の日本人の平均よりもずっと「屠畜者蔑視」的である。少なくともそう見えることは否定できない。

 これが「動物蔑視の否定」が行きすぎた*24結果であり、日本人がその言葉から通常連想する「屠畜者蔑視」とは違うことを、表面的には一見そっくりでも中身は「別の生き物」であることを、たぶん私たちはもう理解できる。

 そもそもの矛盾を含む大地、一階の違いを作る原因であったトレードオフは、未だに少しも変わってはおらず、「動物蔑視の否定」を突き詰めていくと「屠畜者蔑視」に抵触する部分が出てくるのは避けられないからだ。

 しかし、ほとんどの読者にとって、今それがわかるのは、ここまでの経緯を最初から通しで見てきたからだろう。

 この状況は、向かいの一階と大地が見えていない「普通」の日本人にはどう見えるだろう。

 単純に、相手の二階が自分の一階とそっくりに見えてしまう、つまり相手が、自分達のすでに否定した、遅れた状態にいるように見えるのではないだろうか。

(図の赤字の部分は、今までと違って、全体の趨勢の適切なモデル化ではなく、一部の者の行きすぎと、それへの誤解に基づく錯覚であることを強調するため、色を変えてある。)

ようやく本題:西視点

 逆もまたしかりである。思わず笑ってしまうほどそっくりな構図が西視点でも成り立つ。

 今日、捕鯨・イルカ漁のことは言うに及ばず、小は単なるネット上の小競り合いから、大は本物の国際問題まで、動物愛護関係の国際摩擦は、大概「欧米」の国が批判する側である。*25

 今日「動物の権利が軽視されている」*26と聞けば、たぶん「欧米」発の主張であり、天与の人権を盾に、動物の痛み苦しみを無視ないしは軽視する方向で防衛に回っているのが、日本や「東洋」の非「欧米」の国*27だろうなと予想がつくと思う。

 しかし、おそらく「欧米」の動物愛護的な人が真っ先に賛成してくれるであろうが、人間には神に与えられた特別な権利があるとか、動物には魂はないとかいって、動物差別を徹底してきたのは、歴史上の「東洋」・日本などよりも、むしろ「西洋」・キリスト教文化圏の方じゃなかったかね?

 この一点に限って言えば、現代の「東洋」の一部の人間は、現代の「西洋」人の平均よりもずっと「動物蔑視」的である。少なくともそう見えることは否定できない。

 これが「屠畜者*28蔑視の否定」の結果であり、「欧米人」が通常考えている「動物蔑視」とは違うことを、表面的には一見そっくりでも中身は「別の生き物」であることを、私たち自身は知っている。

 そもそもの矛盾を含む大地、一階の違いを作る原因であったトレードオフは、未だに少しも変わってはおらず、「屠畜者蔑視の否定」を突き詰めていくと「動物蔑視」に抵触する部分が出てくるのは避けられないからだ。

 しかし、そんな経緯を知らず、向かいの一階と大地が見えていない「普通」の「欧米人」には、この状況がどう見えるだろう。

 単純に、相手の二階が自分の一階とそっくりに見えてしまう、つまり相手が、自分達のすでに否定した、遅れた状態にいるように見えるのではないだろうか。

(図の赤字の部分は、全体の趨勢の適切なモデル化ではなく、一部の者の行きすぎと、それへの誤解に基づく錯覚であることを強調するため、色を変えてある。)

まとめ:再び神視点

 最後に、東西の一部の行きすぎとそれへの誤解の部分を残したまま、内部の人視点を解いて、俯瞰視点の一枚に戻してみよう。

 東西から歩み寄った結果、一部の先進的な人同士が気づかずにすれ違い、互いに振り返って「まだそんなところにいるのか遅れた奴だなあ」と馬鹿にしあっている、実に滑稽な構図が直感的に理解できると思うのだが。

 少なくとも前回の解体描写とフランクリンの態度の意味は理解できるようになったと思うし、『ザ・コーヴ』を観たことがある人は、今回の知識をベースに見直してみると、かなり印象が変わるのではないかと思う。

予想される反応と予告

 この回を読んだ人――特にシリーズをずっと読んできたのではなく今回をいきなり読んだ人――の平均的な感想は、おそらくこんなものになると思っている。

 確かに、近年の欧米発の菜食主義論争の背景や、反捕鯨・イルカ漁活動家とそれに反発する日本人の意識の説明としては、一定の説得力のあるものだとは感じる。

 でも、いくら複雑といっても、ブログエントリひとつに詰め込める程度の分量で、中学生でも理解できそうな程度の理屈だろう。

 これが本当なら、なぜ私はこういう話を中学高校で習ってないんだ? 捕鯨問題やイルカ漁問題を扱うテレビ番組で解説してくれようとする学者がなぜいないのだ? お前が表面上筋が通るように作っただけのデタラメなんじゃないのか?

 それにこの構図は、明治維新からとは言わずとも、少なくとも戦後からは、ずっと同じじゃないか?

 この程度の話なんだったら、なんで捕鯨問題なんて発生して、しかも30年とか40年とかいう単位でこじれたりするんだ。とっくに落としどころぐらい見つかっていてもおかしくないように思えるが。

 そうなってないということは、やっぱりそれだけじゃなくて闇の勢力の陰謀とか政府の利権とかなんかあるんじゃないか?

 ……とまあ、このぐらいのことは考えてほしい。私の希望が入っているので、実際の感想も教えてもらえると嬉しいが。

 では、(自作自演ではあるが、)今後のシリーズの予告を兼ねて、これらの疑問にお答えしよう。

 この程度の話なのか? といえば、この程度の話であってこの程度の話ではない、としか言えない。

 これははぐらかしているわけではなくて、間違いなく「この程度の話」である。しかし「この程度の話」と思えるようになったことは、とてもこの程度の話では済まない、すごいことなのだ。

 特に今回の話のごく初期、あなたが当たり前だと思って――少なくとも議論になるポイントだとは思わずに――通り過ぎたであろう箇所で出てきたいくつかの概念は、かなり最近まで使用することができなかった。むしろ積極的にその存在を否定されてきたものまである。*29

 もちろん細かい年代の数字は解釈次第になってしまうが、少なくとも商業捕鯨が本当の国際問題だった*30時期に、この図が存在していたら間違いなくオーパーツだ。

 そうは見えないだろうが、その程度にはすごいものなのだ。もちろん私がすごいんじゃない。すごいのはその間に、意識すらされないうちに大きく進歩した人類文明だ。これはある意味シリーズ後半戦の真のテーマである。

 そして、シリーズ通して読んで来た人には明らかだろうが、イルカ・クジラに関しては、いくつかの特殊事情――その重要要素のひとつはもちろん高知能説――が積み重なっていて、実際に「この程度の話」では済まない部分がある。

 イルカ・クジラも、その特殊事情によって極端にブーストされただけであって、この構図のベースに乗っていないというわけではないが、今回の話はあくまで「この程度の話」、牛・豚・馬・犬などでも同じになる部分だけを扱っていると考えた方がわかりやすいと思われる。

 次回は戻って『海底牧場』の最終回。オリエンタリズムの「糸」もまとめに入る。

*1:『ディアブロ3』(2012)にも登場し、デザインも細部のアップデート以外ほぼ同じ。
*2:そうなっている直接の原因である日本の特殊事情については、読者にとって既知のものとして扱い、このシリーズ内部では扱わない。私はそれについて特に詳しいわけではないし、現在日本で一般的・支配的な意見に異論があるわけでもない。万一全く知らない場合はwikipediaに張られたリンクの先だけでも読んでおくことを勧める。
*3:一度やってみたかった。フォントは『851手書き雑フォント』を使わせていただいた。
*4:北半球偏重主義かもしれないが、このシリーズの興味の対象ではないので、わかりやすさを優先する。
*5第39回でも言ったが、このくくりが乱暴であることは重々承知であり、後でそのこと自体をテーマとして取り上げる。今の文脈では必要かつ適切な簡略化であると考えてあえてそうしている。
*6:細かい数字はどうでもいい。この回では最後まで同じ。
*7:そもそも肉食動物・捕食者というニッチが成立しうるのはそのためだ。
*8:今回の範囲では、基本的な科学的事実に対する説明はしないし、異論も受け付けない。
*9:ホモサピエンスが、純粋なヴィーガン食のみで健康に成長・繁殖してライフサイクルを完結させることは、現代文明の力をフル動員してさえ困難であり、農業・牧畜以前にはまったく不可能だったと思われる。
*10:ただの四角なのは模式図だからであって、私がMinecraftでも豆腐ハウスしか作れないデザインセンスの持ち主であることとは無関係である。
*11:字数の都合上キリスト教で代表させるが、ユダヤ教・イスラム教でもほとんど同じである。
*12:同じく字数の都合上日本で代表するが、非唯一神教文化全般と言った方が適当であろう。中国でもインドでもほとんど同じである。
*13君子遠庖厨也
*14第46回
*15:日常的なことでたとえるならば、誰でも腹が減ったら食べる必要がある。マクドナルドとケンタッキーのどちらに行っても腹は満たせる。しかし、一食で両方に行く必要はないし、実際上不可能でもある。
*16:意見はあってかまわない――私にもある――が、ちょっと後にしてほしい。
*17:読者もおそらく、全能神や輪廻転生を本気で信じている――少なくとも中世ぐらいまでの人間と同じ意味で――わけではないだろう?
*18:直接交流の結果である部分もあるし、科学的・論理的必然の結果である部分もある。とりあえず似た理由は今回は重要ではない。
*19:むしろ犬猫を好んで殺す悪魔という設定だったら無理だったのではないかと思われる。ハリウッド映画などでも、最近は一般に、動物が死ぬ描写は人間が死ぬ描写よりもセンシティブと判断されるようだ。
*20:そういえば昔アブドーラ・ザ・ブッチャーってプロレスラーもいたなあ。そちらはあまり知らないが、そういうリングネームが可能である背景は同じであろう。
*21:ファンタジーRPGでポピュラーな「悪魔」は西洋文化由来だというのは別の話として。
*22第45回
*23第12回
*24:価値判断を含めると論点先取になってしまうので、ここでは単に「その社会の標準よりも」という意味だとしておこう。肉屋が政府に保護を求める(ことができている)のが、攻撃者が主流ではない――少なくとも今はまだ――証拠である。
*25:批判される側も「欧米」の国であることはあるが。
*26:やはり論点先取を防ぐため、その主張の正否・是非はとりあえず問わないとしても。
*27:まあ先のフランスの肉屋もほぼ同じ立場なのだが、それはいったん置いて。
*28:字数の都合で代表するが、肉屋・水族館職員・動物実験を行う研究者・フォアグラ生産者等々でもほぼ同じ。
*29:学校やテレビで教わらない理由もそれに関係している。
*30:すでに誰も本気で大規模な商業捕鯨を行おうとはしておらず、動物愛護問題の側面の強い昨今の反捕鯨問題と異なり、というぐらいの意味。

第46回】 【目次】 【第48回

by 木戸孝紀 tags:

2018 8/28

第45回】 【目次】 【第47回

仏教と菜食主義

 仏教の原則の一つに(中略)森羅万象に慈悲をたれよ、というのがある。これを忠実に守った仏徒はほとんどいない、有名無実の掟だ。彼らは、他人の殺した四つ足の肉を食べれば同じことだと、詭弁を弄して従わないのだ。しかし、近年、この戒律を強化しようとする試みがしばしば行われ、偏狭な菜食主義者と肉食主義者との間で、論争が絶えなかった。これらの議論の余波が、世界連邦食糧機構になんらかの実際的影響を及ぼそうとは、フランクリンは一度も考えたことがなかった。

 最後の文以外は、今日の現実の話だと言われても、それほど違和感はないだろう。実際、多くの「欧米」の菜食主義者が、自分の意見は仏教あるいは「東洋」のもの、ないしはそこから学んだものであると主張する。

 私はそれが嘘だと言っているのではない。しかし、実際の経緯は、本人達が自覚し自己申告するものよりも複雑で、何らかの役に立つ洞察に繋がるのは、むしろ自己申告に含まれ「ない」部分であると考えている。

 とりあえず、主人公フランクリンは――ひいてはおそらくクラークも――単なる仏教的な戒律(に基づく菜食主義)には、特にシンパシーを抱いてはいないことを憶えておこう。

マハ・テーロ

 ある仏教指導者を中心とする反対運動が起こる。ちなみに、ここでのフランクリンの会話相手は「世界連邦食糧機構のセイロン島駐在官」(西欧人)である。

「ぼくを引き合わせようという、そのテーロというのは、どんな人物なんだね」
「テーロというのは、彼の肩書きでして、いわば大司教といったものです。本名は、アレグザンダー・ボイスといって、六十年前に、スコットランドで生まれたんです」
「スコットランド?」
「ええ――西洋人で、仏教の聖職階級の最高位に昇った、最初の人間です。いろいろ反対を押し切らねばならなかったようです。わたしの友人の比丘、つまり修験者ですが、こぼしていたことがあります。あの男はスコットランド教会の典型的な長老タイプで、二、三百年遅く生まれすぎた――それで彼は、スコットランド教会の代わりに、仏教を改革したのだ、と言っていました」
「最初、どんなふうにして、セイロンへ来たんだね?」
「本気になさらないでしょうが、彼は映画会社の、下っ端の技師として来たのです。当時二十歳前後でした。ダンブーラの岩窟の寺院にある、仏陀寂滅の像を撮影に行って、改宗したという話です。その後、二十年かかって最高位に昇ったのですが、それ以来、今日までに行なわれた改革の大部分は、彼の力によるのです。

(中略)

 政治とは無関係であるようなふりをしていますが、これまでに、指一本動かすだけで、二つも政府を倒していて、東洋に非常に多くの信徒を持っています。彼の、“仏陀の声”、という番組は、五、六百万の視聴者があり、少なくとも十億の者が、全面的には彼の意見を支持しないまでも、共感を示しているものと推定されています。

(中略)

 彼は意外なほどおだやかな、大変、人当たりのいい小男です(中略)話のわかる、親しみのある人物です。(中略)誰でも菜食主義になれるものではない、ということはちゃんと理解していて、わたしたちが最初もくろんだ、聖地に処理工場を新設する計画は撤回するという条件で、彼と妥協しました」
「それでは、彼が牧鯨局に、急に関心を持ち出したのは、おかしいじゃないか?」
「おそらく、どこかで、抵抗しようと考えたのでしょう。それに――鯨は、ほかの動物とは種類が違うと、お考えになりませんか?」
 その評言は、否定か嘲笑を予期しているかのように、半ば弁解的になされた。

 さて、ここでも私が何を言いたいか、わからない人はいないだろう。このマハ・テーロもまた、ペロー神父のミーム的子孫*1であるということが。

 もうひとつ興味深いポイントは、クラークの描く21世紀以降の未来世界で、ある人物が「クジラは他の動物とは違う」という考えを「否定か嘲笑を予期して」「半ば弁解的に」示すということだ。

 現に21世紀の未来世界に生きていて、このシリーズをここまで読み通すほど捕鯨問題に興味がある読者は、実在の人間が、現実にこうした言葉を、実際にこうした態度で発する場面に、おそらく遭遇したことがあるはずだ。

 この空想の一場面が、一見そのまま現実になるまでの半世紀の間に、起きたこと・起きなかったことは何だろう? 何が変わり・何が変わらなかったのだろう? この「糸」では答えを出すには至らないだろうが、一度考えておく価値がある。

屠殺・血肉・映像・悪臭

 フランクリンはテーロたちの視察を受け入れ、鯨の屠殺(なぜか変換できない)・解体処理場へ案内する。

「B五二一一一が入ってきます」
 と、監視室に揃って立ちながら、フランクリンはテーロに言った。
「七十一フィートの牝で、これまでに五頭の子供を生んだことがわかっています――繁殖の最適齢期を過ぎましたので」
 彼の背後には、数台のカメラがあって、音もなくこの光景を撮っていることを、彼は知っている。それを操作する丸坊主の、鬱金の衣を着た技師たちが、職業的な腕を持っているのに彼は驚いたが、やがて彼らがみな、ハリウッド仕込みであることを知った。
 (中略)一瞬、それは処理場の柵にそって、静かに泳いでいた。一秒後、それは惰性で前進をつづける、かさばった物塊でしかなかった。電光のようにその心臓を貫く、五万アンペアの電流は、死痙攣の起こる時間さえ許さなかったのだ。

(中略)

 ボイス尊師は(中略)八十一トンの肉と骨が、遠くへ運ばれていくのを、感慨深げに眺めていた。
「車へもどりましょうか? 向こうの様子を拝見したい」
 そしてぼくも、きみときみの随員諸君が、どんな反応を示すか、拝見するのが楽しみだよ、とフランクリンは肚の中ですごんだ。加工場の見学者は、たいてい青くなって、震えてくるし、卒倒する者も少なくない。局内でよく言われる冗談に、この食糧生産の授業を受けると、その後数時間は、みんな食欲がなくなってしまう、というのがある。
 彼らがまだ百ヤードも手前にいるうちから、悪臭がおそってきた。横眼で見ていると、録音機を携帯している若い比丘が、早くもたまらなさそうな様子を見せはじめた。しかし、マハ・テー口は少しも動じる様子がない。五分後、大きな死骸が、肉と骨と臓物の山に切り離される、悪臭ふんぷんたる地獄をのぞきこんだときも、彼は依然として冷静で、平然としていた。

(中略)

 その巨体は、すでに電送写真カメラに走査され、その大きさの寸法が、作業を制御しているコンピュータに記録された。この手順がわかってからでも、伸縮自在な腕につけられたナイフと鋸が、動いてきて、規格どおりの形に切り、またもどっていく正確さを見守るのは、薄気味悪かった。巨大なつかみが、一フィートもある厚い皮をつかみ、人間がバナナの皮をむくように剥がした。あとには生剥げの、血がしたたる死骸が残り、コンベアーに乗って、解体を行なう第一段階へ流れていった。
 鯨は、人間がのんびり歩いているほどの早さで移動し、見学者がそれについて歩いていく眼の前で、解体された。象ほどの大きさの肉の塊が、細かく切りきざまれて、かたわらのシュートを滑り落ちていった。円鋸が回って、骨屑のほこりをたてながら、肋骨の骨組みに切りこんでいった。鯨が最後に食ベた、たぶん一トンもの小エビとプランクトンが詰まっている腸をおさめた、一連のプラスチック容器が、悪臭を放ち山と積まれて、運び去られた。
 海獣の王を、専門家以外には見わけのつかない、血だらけのばらばら死体に変えるのに二分とかからなかった。骨一本も無駄にはならない。コンベアー・ベルトの尽きるところで、分解された骸骨は、一つの穴に落ちこみ、ここで粉にひかれて、肥料になるのだ。

 「いかにもSF」な解体機械がややシュールに見えるという表面的な話を別とすれば、おそらく標準的な日本人読者がこの部分にまず感じるのは、解体描写の容赦のなさだろう。

 これを単に、屠鯨(?)反対運動が起こるというストーリー上の都合に基づく偏向と考えるのは、おそらく間違っている。

 これが日本人作家の手により日本で出版されるSF小説だったとしたら、たとえ作家がはっきり捕鯨反対の意見を持っていたとしても、「悪臭ふんぷんたる地獄」だの「生剥げの、血がしたたる死骸」だのという表現はありえないだろう。

 主人公が「どんな反応を示すか、拝見するのが楽しみだよ」「肚の中ですごん」で見せることもありえない。どれほど強硬な反捕鯨派の日本人でも、そこは同意せざるをえないだろう。

 私の考えでは、この屠畜意識の落差と、それに対する誤解は、国内外の反捕鯨・反イルカ漁問題の議論に深刻な影響を与えており、その重要性は前回取り上げたカニバリズム感についての誤解に勝るとも劣らない。これも次回で集中して取り上げたいと思う。

「これが、二十年間の献身的な公務員勤めにたいする酬いなのか」
 と、フランクリンはぼやいた。
「自分の家族にまで、血まみれの殺し屋と見られるとはね」
「でも、今のは本当のことでしょ?」
 アンが、TVスクリーンを指さして言った。そこにはつい今しがたまで、血がしたたっていたのだ。
「もちろん、本当のことさ。しかし、非常にうまく構成された宣伝でもあるんだ。お父さんだって、こちら側の言い分を、同じくらいうまく作ろうと思えば作れるよ」

 少し飛んで、視察の映像が反対運動に使われる場面。2008年以降の反捕鯨・反イルカ漁騒動を、まさに見てきたかのような描写がなされていて、とても興味深い。

*1:クラークが『失われた地平線』を知らないとは考えづらいので、おそらく直接の「子」だろうが、仮にそうでなくても別に構わない。

第45回】 【目次】 【第47回

by 木戸孝紀 tags:

2018 4/22

『Goならわかるシステムプログラミング』★

 渋川よしき著。最初の一冊には向かないけど、いい。

『消費資本主義!: 見せびらかしの進化心理学』★★★★★

 ジェフリー・ミラー著。素晴らしい。shorebird先生のところで大まかな内容を知っていたにも関わらず詳細も大変面白かった。

『気づきのセラピー―はじめてのゲシュタルト療法』★

 百武正嗣著。『キレる私をやめたい』で知った。若干スピリチュアルというかオカルティックな領域に踏み込んでるような気もして100%首肯はできないが、面白い。

 私にはこれも自己欺瞞の話に見えてくる。自己欺瞞という概念が確立していない時代から経験的に積み重ねられた、自己欺瞞を脱するためのテクニック集、というか。

『夫に死んでほしい妻たち』★

 小林美希著。夫婦で読んだ。

『かさぶたくん』★★★★★

 やぎゅう げんいちろう著。子供がなぜか無茶苦茶ハマって一ヶ月近く毎晩読んでた。

『おへそのひみつ』★★★

 やぎゅう げんいちろう著。こっちもかなり。

『文明の接近』★★★

 エマニュエル・トッド著。識字率やその他のデータから判断すれば、イスラム特殊論には根拠がないという話。なかなか面白い。ビント・アンム婚という概念を初めて知った。

『帝国以後 〔アメリカ・システムの崩壊〕』★

 エマニュエル・トッド著。こちらもそれなりに。アメリカに悲観的すぎ中国やロシアに甘すぎるように思えるが、フランスの左派としては普通なのか。

by 木戸孝紀 tags:

2018 3/9

『ゼロ・トゥ・ワン 君はゼロから何を生み出せるか』★

 ピーター・ティール著、ブレイク・マスターズ著。ちょっと面白い。

『外来種は本当に悪者か?: 新しい野生 THE NEW WILD』★★

 フレッド・ピアス著。前から興味ある人にとっては当たり前というか、もはや藁人形叩きの領域に達しているところもあると思われるが、基本いいと思う。

『経済学をまる裸にする 本当はこんなに面白い』★★★★

 チャールズ・ウィーラン著。原著は2002年と大分前のもののようだが、それだけに奇をてらってなくて、普通に良い経済学啓蒙書。

『命の価値: 規制国家に人間味を』★

 キャス・サンスティーン著。悪くはないけど『シンプルな政府』とかなり重複。普通はそちらだけでいいかも。

『幸福の「資本」論―――あなたの未来を決める「3つの資本」と「8つの人生パターン」』★

 橘玲著。売らんかなで煽り気味だったり、ややいい加減だったりするところも目立つが、ひとつの観点として見ておいてもいいのでは。

『完全無欠の賭け―科学がギャンブルを征服する』★★★

 アダム・クチャルスキー著。ギャンブルの歴史系の本ではもっといい本もあった気がするが、比較的最新の話題も載っているのが良い。

『UNIXという考え方―その設計思想と哲学』★★★

 Mike Gancarz著。2001年の本。そこそこ有名なはずだけどなぜか読んでなかった。流石に今改めてこれはというものはないけど、哲学というだけあって時の流れに耐える普遍的な内容。もっと早く読んでおけばよかった。

『数字の国のミステリー』★★★

 マーカス デュ・ソートイ著。こちらは普通に数学啓蒙書。かなり良いと思う。

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2018 2/1

『ビジュアル 数学全史――人類誕生前から多次元宇宙まで』★

 クリフォード・ピックオーバー著。「ビジュアル」に関してはもちろんおまけ程度だけど、数学ネタ集としては十分いい。

『残酷すぎる成功法則 9割まちがえる「その常識」を科学する』★★

 エリック・バーカー著。原題”BARKING UP THE WRONG TREE The Surprising Science Behind Why Everything You Know About Success Is (Mostly) Wrong”。邦題は変。エビデンス重視を標榜するものの、単なる自己啓発書まとめにしか見えない。内容がおかしいとは思わないが。

『脳の意識機械の意識』★

 渡辺正峰著。学説史や実験の詳細は面白かったけど。「意識を生みうる最小限の神経系」を特定しようというアプローチは、無意味とは言わないが、なんか違う気がする。そんなの瞬間ごとに違うに決まってるじゃん、と思ってしまうのだが。

『セレンゲティ・ルール――生命はいかに調節されるか』★★

 ショーン・B. キャロル著。まあまあ面白い。内容はshorebird先生にお任せ。

『人類はなぜ肉食をやめられないのか: 250万年の愛と妄想のはてに』★★

 マルタ・ザラスカ著。タイトル通り、菜食主義が正しいという確固たる立場だが、面白いことに最低限の理性はちゃんと保っているように見える。自分は、もはや極限のバイアスをかけても「環境にいいですよ」(せやな)ぐらいしか言えることはないのか、と逆説的に読んだ。

『ZERO BUGS シリコンバレープログラマの教え』★

 ケイト・トンプソン著。プログラマとしてはちゃんと役に立つ話もあるが、ちょっと凝り過ぎというか衒学的というか、肌に合わない感覚も。また、内容以外の部分、装丁・デザイン・翻訳もろもろがいまいち。

『モンテ・クリスト伯爵』★★★

 森山絵凪著。アレクサンドル・デュマ原作。は? いわゆる『巌窟王』のこと? マンガで全一巻? なんかのギャグ? ……いや待て普通にちゃんと全部入ってる(少なくともそう思わせる)しちゃんと面白いじゃねえか! なんだこれ!?

『米中戦争前夜――新旧大国を衝突させる歴史の法則と回避のシナリオ』★

 グレアム・アリソン著。とても重要な話題ではあるけど、過去についてはアネクドータルだし、未来については中学生でも言えそうなことしか言ってないし、微妙。自分には(米国視点で)やや悲観的すぎるように思える。

『娘が可愛すぎるんじゃ〜!』★★

 きくまき著。本当に同じぐらいの子供がいて、リアルタイムで苦労している人が読むより、イヤイヤ期ぐらいは終わったぐらいの人が振り返って読むといいかも。

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