グレッグ・イーガン『順列都市』から、後々話に使いたいと思っているところ2点を、最低限の説明をつけて抜粋。
《なにも変えない神の教会》
マリアは話しつづける。「『神はなんの違いももたらさない……なぜなら、神こそは万物がいまある姿をとっている理由だからだ』、ですっけ? だから、あたしたちはみんな、宇宙を心静かにうけいれられるってわけね?」
フランチェスカは首を横にふった。「心静かに? いいや。そう考えれば、神の介入だのなんだのいう古い考えを、きれいさっぱり一掃できるだけの話さ。それに、神を信じるための、証しや、信念でさえ不要になる」
「じゃあ、いま母さんにはなにが必要なの? そして、神を信じてないわたしには、なにが欠けてるの?」
「信仰だろうかね?」
「同語反復はきらいよ」
「トートロジーを悪くいっちゃいけない。宗教を築くなら、ファンタジイよりはトートロジーの上にしたほうがましだ」
「だけど、これはトートロジーよりもひどいわ。単に……言葉を恣意的に再定義しただけ。ルイス・キャロルの小説じゃないんだから。でなければ、ジョージ・オーウェルの。『神は万物の根拠である……その根拠がなんであれ』それは、正気の人間が単に物理法則と呼ぶものを、母さんたちは神と改名したにすぎない……それも、その単語のほうが、ありとあらゆる歴史的な響きを――人を勘違いさせやすい、ありとあらゆる言外の意味を含んでるからというだけの理由で。自分たちが古い宗教とは無関係だと主張するなら――なぜ宗教の用語を使いつづけるの?」
フランチェスカは答えた。「わたしらは、その単語の歴史を否定はしないよ。多くの点で過去と訣別したけれど、自分たちの出自も認めている。神は、人々が何千年も使いつづけてきた概念だ。わたしらがその概念を、幼稚な迷信や願望充足以上のものに洗練させたのは事実だけれど、だからといって、同じ伝統に属していないことにはならないさ」
「でも母さんたちは、その概念を洗練させたんじゃない、無意味にしたのよ! 必然的に。母さんたちは、そこに気づいてないようだけど。神にまつわる、火を見るよりあきらかなたわごとを、全部剥ぎとったんですもの。擬人化も、奇蹟も、かなえられた祈りも、なにもかも。ただ、いちどそれをやってしまったら、宗教と呼ぶ必要があるものはなにも残らないことを、母さんたちはわかってなかったようね。物理学は神学ではない。倫理学も神学ではない。なのに、なぜそれが神学だというふりをするの?」
「わからないかねえ? それでもわたしらが神について口にするのは、ただ単にそうしたいからさ。人の心には、その言葉を、その概念を使いたいという衝動が――捨て去るより、磨きをかけつづけたいという思いが――根深くしみこんでいるんだ。その言葉が意味するものは、五千年前と違ってしまっていてもね」
「でも、その衝動がどこから来るのか、しっかりわかってるでしょう! 聖なる存在が実在するわけじゃない。文化と神経生物学の――進化と歴史の、いくつかの偶然の産物にすぎないわ」
「あたりまえじゃないか。そうでない人間の特性があるのかね?」
「だったら、なぜそんなものに従うのよ?」
フランチェスカは笑った。「なにかに従うのはなぜだい? 宗教的な衝動は……宇宙から来た精神ウイルスの類じゃないよ。有形無形の意味づけをすべてとり去った、純粋なかたちでの宗教的衝動は、洗脳の結果でもない。それは、わたしという人間の一部なんだ」
マリアは両手で顔を覆った。「そうかしら? そんなことをいうなんて、ちっとも母さんらしくない」
「ものごとが思いどおりにいったとき、神に感謝したくなったことはないのかい? 力が必要なとき、神にそれを願いたくなったことは?」
「全然」
「わたしは、あるんだよ。神はなにも変えないと、知ってはいてもね。そして、神が万物の根拠なら、神という言葉を使いたいという衝動も、神の中にあることになる。だから、わたしがその衝動から力やなぐさめや意味を得るなら、その力やなぐさめや意味の根源が、神なのさ。そして、自分の身に起ころうとしていることをわたしがうけいれるのを、神が――なにも変えなくても――助けてくれるなら、そのなにが、おまえを悲しませるんだい?」
(『順列都市』上巻P138-P144)
SF作家として最新の科学知識を身につけて、政治的には当然リベラルなグレッグ・イーガンの宗教観は、『神はなぜいるのか?』のようなものにならざるをえない。
ここで作者自身の考え方を代弁しているのは明らかにフランチェスカの方で、主人公のマリアはそれを理解できない未熟な者として描かれている。
《唯我論者国家》
《唯我論者国家》の創始者ダニエル・ルベーグはこう書いた。『わたしの目標は、人間の真髄として尊ばれるありとあらゆるものを手にいれることだ――そしてそれを、すりつぶして塵にするのだ』
(『順列都市』上巻 P124)
(伝統的な意味では)神に何らの自明な価値も認めず、人間性のひとつとしてしか見ないイーガンが、それでも目標として認めうるのは、人間性のあらゆる可能性を試し尽くすことだ。
作品が違うが『ディアスポラ』のトランスミューターは、おそらくこのルベーグの目標を達成したものと考えられているのだと思う。
おまけ
そういえば最近ドナルド見ないな。三大宗教とかどこ行った。
by 木戸孝紀
tags:グレッグ・イーガン 宗教 小説 神 人間
最近読んだ本、またはずっと紹介したいと思っていた本の中から、個別エントリにするタイミングがなさそうなものを、まとめて一挙紹介。
★は1-5個でオススメ度。人に薦める価値がまったくないと思うものはそもそも取り上げないので、1個でもつまらないという意味ではない。
『キサラギ』★★★
D.IKUSHIMAさん経由。確かになかなか面白い脚本だ。映画も機会があったら見たい。まあ見たいとか言ってる程度だとたぶん見ないが。
『ソフトウェア開発者採用ガイド』★★
Joel Spolsky著。これまでのJoel本とほとんど重複。それでもよいという人か、または本当に採用ガイドとして使用するような人にはオススメ。
『異端の数ゼロ―数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念』★★
チャールズ・サイフェ著。数学教養初心者向きとして、いい感じ。私は同著者の『宇宙を復号する』の方が好きだけど。
『イスラムの怒り』★
内藤正典著。正月にイスタンブール行ったとき家にあったので。賛成できない意見も多いのだが、今日的な一般常識として押さえておいて損はない内容。
『クォーク―素粒子物理はどこまで進んできたか』★★
南部陽一郎著。今更ながらノーベル賞つながり。
『東方儚月抄 〜Cage in Lunatic Runagate.』★
ZUN著。儚月抄漫画版の合間を小説で説明するような感じなので、漫画版を先に読んでないと全く意味不明なので注意。漫画版を読んでても面白いかは微妙。少なくとも入門には向かない。
『まんが道』★★★★★
藤子不二雄(A)著。言わずと知れた傑作。引っ越しのために部屋を探してたら、2人で2畳に住んでたとか、4畳半が広く感じたとかいうエピソードが頭に浮かんだので。
『投資信託にだまされるな!本当に正しい投信の使い方』★★
竹川美奈子著。まあ常識的にいい。
『社会生物学論争史―誰もが真理を擁護していた』★★★★
ウリカ・セーゲルストローレ著。どこの大魔導師かエルフ王かという名前に圧倒されそうになるけど中身も重い。本当に興味のある人にしかおすすめしない。
『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』★★★★
マックス・ヴェーバー著。説明不要なほど超有名。
おまけ
これ見て「解せぬ」以上の何かしらの感想を持てる人は、たぶんJoelの言うポインタが理解できる程度の能力を持つ人。ホントこの人のTASは異次元だな。
by 木戸孝紀
tags:IT 宗教 書評 小説 数学 東方
ニューエイジが日本人にとって極めて理解しにくい理由は、それが基本的に西洋思想、とりわけキリスト教と近代科学に対するアンチテーゼだからだ。
ある程度まで当たり前で、仕方のないことだが、日本人はキリスト教についてよく知らない。「○○」をろくに知らないのに「○○への反発」を正確に理解できるはずがない。
そこを上手いこと補うために推薦できるいい本がないかとずっと探していたのだが、
経由で知ってついに発見した。これは素晴らしい。まさか教会そのものが出しているとは思わなかった。灯台下暗しとはこのことだ。
全体で170ページしかない薄さに、ニューエイジの基礎に加えて、「キリスト教とニューエイジそれぞれが、互いをどのように見ているのか」という、日本人にとって最もわかりにくく、かつ重要な部分が濃縮されている。
ニューエイジ関係の話題――うちでもガイア教シリーズがもろに関わる――ちょっとでも興味がある人には最適の本だ。断然おすすめする。というかもはや必読。
ただし、聖書に対する最低限の知識は前提として必要。たとえば「旧約聖書と新約聖書って何が違うんだっけ?」とか「ピラトって誰?」とか思うようなら、阿刀田高の「知っていますか」シリーズぐらいでもいいので、一通り予習してからにした方がいいと思う。
また、教皇庁の手になるものなので当然立場はカトリックであるが、プロテスタントとの違いが重要になる局面はこのレベルではないので、あまり気にしなくていい。
おまけ
つながりわかる人いますか?
by 木戸孝紀
tags:ガイア教 キリスト教 ニューエイジ 宗教 書評 文化
昔見たあるコマを利用したくて再読したついでに。
禅問答というのは、通俗的には訳のわからん問答の代名詞的に使われていますが、実際にもやっぱり訳のわからん問答です。
いくら「二元論的な思考を乗り越えるための」とかなんとか理屈をつけてみても、結局やってることは
「全然違う! まったく逆! お前は何も悟ってない!」
とお互い言い合って、気圧された方が負けというだけなのです。
……あれ? 意外と現代も変わらないかも。まあとにかく、現代人的な意味での「議論」や「問題」ではないのだということを、ちゃんと理解して楽しむ分には、いいものだと思います。
おまけ
by 木戸孝紀
tags:コミック 宗教 禅 仏教
はーい皆さん、グールド亡き今世界一有名な進化論啓蒙者であり、エマ・ワトソンに瓜二つのイケメンであり、人格的には割とクソ野郎なドーキンスの兄貴の新刊のお時間です。
今回のテーマは非常に明解。進化は事実だということ。
「……それはギャグで言ってるのか?」と思うでしょうが、旧約聖書の創造論をまんま事実として信じている人間が今でも大勢いて、一定の政治力を保っている欧米の読者を主な対象としているので、そこは割り引いて考えて下さい。
個人的には、あまり新しい話はなく、いつもと比べると不満なのですが、むしろ『利己的な遺伝子』もまだ読んだことがないというドーキンス初心者に、1冊目の本としておすすめできるのではないかと思います。
内容とは関係ないですが、6章のタイトルが『失われた環境』となってしまっています。急いで翻訳・出版したので校正ミスしたのでしょうが、ちょっとかっこ悪いです。
『失われた環(ミッシング・リンク)』と書こうとしたが“環”が単漢字変換できなかったので、“かんきょう”を変換して後で“境”を消そうとしたが、消し損なった。……という経緯が丸わかりです。
参考リンク
関連図書
おまけ
by 木戸孝紀
tags:IME リチャード・ドーキンス 宗教 書評 進化
私にとって、両親が全知全能の存在ではないと気づいた日の衝撃は、自分がいつまでも生きていられるわけではないと気づいた日の衝撃よりも大きかった。
こうした親に対する全能感は、ほぼ間違いなく、幼い頃には大抵の人間が持っているものだろう。
生まれたときから宗教教育を受けている人の中には、この全能感が消えるよりも早く、その対象が神に置き換えられ、生涯その衝撃なしで生きてきた人がいるのではないかと思う。
そういう人間の精神状態は、想像を絶するほど自分とは違ったものでありうるかもしれない。生みの親を知らずに一人(一匹)きりで育つ魚の精神状態を想像することが不可能なのと同じように。
おまけ
by 木戸孝紀
tags:宗教 心理 神 生物
最近読んだ本、またはずっと紹介したいと思っていた本の中から、個別エントリにするタイミングがなさそうなものを、まとめて一挙紹介。
★は1-5個でオススメ度。人に薦める価値がまったくないと思うものはそもそも取り上げないので、1個でもつまらないという意味ではない。
『クトゥルフ神話ガイドブック―20世紀の恐怖神話』★★
朱鷺田祐介著。クトゥルフ神話は今見ると非常に陳腐というか普通だけど、それはこれを皆がフォローしたからそう見えるようになったわけで、やはり必修だと思うのです。
『新・現代の軍艦―その技術と運用』★
江畑謙介著。江畑謙介つながり。古い本だが、原潜とか原子力空母がどういうもんかぐらいは知っておいた方がいいのでは。まあ、そのぐらいならwikipediaで十分か。
『匂いの人類学 鼻は知っている』★★★★
エイヴリー・ギルバート著。嗅覚全般の話。やや話が広すぎる印象だがとても面白い
『新ネットワーク思考―世界のしくみを読み解く』★★
アルバート・ラズロ・バラバシ著。ダンバー数云々の話で思い出した。スケールフリーネットワーク周辺の話題でそこそこいい本だったと記憶している。
『日本人の英語』★★★★★
マーク・ピーターセン著。どっかで見かけて借りたが、すごくよかった。
『イノベーションのジレンマ 技術革新が巨大企業を滅ぼすとき』★★★
クレイトン・クリステンセン著。なぜかちゃんと取り上げたことがなかった。就職する前後にすごく話題になってたのを覚えてる。
『ザ・リンク ヒトとサルをつなぐ最古の生物の発見』★
コリン・タッジ著。霊長類のミッシングリンク。この化石と発見の経緯は大変興味深いのだが、本としてはいまいち。最初の章だけ面白い。
『農耕起源の人類史』★★★★
ピーター・ベルウッド著。これはすごい。ただ、元からこういう話にある程度の興味と知識を持っている人でないと読めないかも。
『蟻の自然誌』★★★★★
バート・ヘルドブラー、エドワード・O・ウィルソン著。蟻サイコー! ウィルソンの蟻の研究と社会生物学は、20世紀を通じた生物観・進化観に大きな影響を与えているので、蟻スキーならずとも是非に。
『天才数学者、株にハマる 数字オンチのための投資の考え方 』★
ジョン・アレン・パウロス著。彼の本はどれも面白い。その中では一枚劣る感じだけど、十分面白い。
『バフェットの株主総会』★★★
ジェフ・マシューズ著。ううむ、ウォーレン・バフェットというのは賢い人なのだなあ。投資家としてすごいのはもちろんとして、意外な質問に対するちょっとした受け答えの方にそれを感じるわ。
『神々の捏造 イエスの弟をめぐる「世紀の大事件」』★
ニナ・バーリー著。本としては今ひとつだが、やっぱあの辺の地域はいろいろと大変なんだなあ……という知識として。
おまけ
by 木戸孝紀
tags:英語 軍事 経済 宗教 書評 進化 生物 農耕
『社会生物学』で有名なエドワード・オズボーン・ウィルソンの本。
読んだのは大分前だが、下のシロアリの倫理のくだりをメモしたくてもう一度借りてきた。
人間が自明と思っている様々な倫理・道徳が、高い知能・複雑な社会から直接に出てくるわけではなく、進化や遺伝と不可分なのだということを言った、有名なたとえ話。
シロアリが現生種の社会レベルから文明を発展させたとしよう。たとえばオオキノコシロアリという、蟻塚をつくるアフリカのシロアリをとりあげてみよう。このアリが地面の下につくる都市に似た巣には、それぞれ何百万という数の住民がいる。このシロアリの現在の昆虫としての社会組織の基本的性質を、人間の文化と同様の、遺伝を基盤とした後生則で導かれる文化に高めてみる。この昆虫文明の根底にある「シロアリの本性」には、働きアリは独身で生殖をしない、おたがいの糞を食べて共生細菌を交換する、化学物質(フェロモン)の分泌によるコミュニケーション、仲間の脱皮したぬけ殻や、死んだ仲間や傷ついた仲間を食べる日常的な共食い、などがある。ここで、スーパー・シロアリの倫理規範を強化しようとするシロアリの指導者のために、一般大衆に向けた年頭教書のスピーチを作成してみた。
私たちの祖先であるオオキノコシロアリが、新生代第三紀後期の急速な進化で一〇キログラムの体重と大きな脳を獲得し、フェロモン文字で書くことを習得して以来、シロアリの学術界は倫理哲学を高め、緻密にしてきた。そしていま、道徳的行動の規範を正確に表記することが可能になった。これらの規範は自明であり、普遍的である。それはまさにシロアリの真髄である。そこには次のようなものがある。暗闇への愛。腐生植物や担子菌にみちた奥深い地中への愛。他のコロニーとのさかんな戦争や交易のただなかにおけるコロニー生活の重要性。生理的カースト制度の神聖さ。個人の権利という悪(コロニーこそすべてだ!)。生殖を許された高貴な同胞への深い愛。化学の歌の喜び。脱皮ののちに、同じ巣の仲間の肛門からでた糞を食べる感覚的喜びと深い社会的満足。共食いの恍惚と、病や怪我をおったわが身を提供する恍惚(食べるより、食べられるほうが尊い)。
細かく見ると気にくわないところもたくさんあるのだが、科学と宗教とか、人間の本性とか、そういう分野に興味がある人は、誰でも必読の本ではあると思う。
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おまけ
化学の歌の喜び。
by 木戸孝紀
tags:科学 宗教 書評 進化 生物 倫理