ガイア教の天使クジラ43 ロバート・A・ハインライン『異星の客』 2/2

第42回】 【目次】 【第44回

 しかし、同じものを仮託されていても、『失われた地平線』に比べて、マイクがコンウェイやシャングリラのラマ僧と比べて、大きく変わった部分もある。

 すでに公民権運動の時代でもあり、マイクが「白人」である*1ということをいったん置けば*2あからさまな白人優越の意識は、もはや見られない*3

 キリスト教より異教が優れているのではないかという意識は、その場だけの単なるネタ*4から、本気に変わりつつある。

 中でも最も目立つ違いは、性に対する意識だろう。マイクのそれは、理想的なイギリス紳士(独身)で、性的なことなど終始おくびにも出さなかったコンウェイとは、全く異なる。

 後半ではこれらの差異に注意して見ていこう。

宗教に対する意識

 ジュバルらの支援によって、最低限の常識を身につけたマイクは、全ての財産と法的権利を自ら放棄することによって混乱を収束させる。さらに地球と地球人について学び、後に「フォスタライト派」の影響を受けて、自ら「世界の全ての教会 (Church of All World)」なる新宗教を創設する。

 以下は、マイクがフォスタライト派を知るきっかけとなったテレビ放送*5の場面。

「精霊行動青年隊はデモをおこなう。だから、早くきて、派手にやろう! 青年隊コーチのブラザー・ホーンスビーから、諸君にはへルメットと手袋と角材だけをもってくるように伝えるようたのまれた――こんどは罪人たちを追うことはしない。しかし、小天童たちは、熱意過剰な場合にそなえて、救急箱を用意すること」牧師はひと息ついて、顔一面に微笑を浮かべた。「それから、こんどはすばらしいニュースです。わが子たちよ! ラムザイ天使から、ブラザー・アーサー・レンウィックとそのよき妻ドロシーへの知らせ。あなたがたの祈りは聞きとどけられ、木曜日の夜明けにあなたがたは天国に召されます。立ちなさい、アーサー! 立ちなさい、ドロシー! お辞儀をして!」
 カメラは逆にカットし、会衆とそのまんなかにレンウィック夫妻を写しだした。割れるような拍手と「ハレルヤ!」の叫び。ブラザー・レンウィックはボクサーのように頭上で両手を組みあわせて答え、その妻は赤くなって微笑しながら、夫のわきで目頭をおさえていた。
 カメラがもどると、牧師が手を上げて静粛を求めているところだった。彼はきびきびと言葉をつづける。「送別パーティは真夜中にはじまり、同時に戸口には鍵がかけられます。だから、早目に集まって、われわれが見たこともないような最高の楽しい宴にするように。われわれはみな、アーサーとドロシーを誇りにしています。葬儀は夜明の三十分後で、早く勤めにいかなければならないひとびとのため、朝食はすぐそのあとです」牧師の表情が急に厳しくなり、カメラはその顔が映像タンクいっばいになるくらい、ズーム・レンズで接写していく。「このまえの送別パーティのあと、幸福の間のひとつで役僧が空のパイント・ビンを一本発見した。罪人のつくった銘柄の酒ビンです。これはすぎてしまったことで、こっそりそれをはこびこんだブラザーも罪を悔し、七倍の罰金をいつもの現金割引きの恩典も辞退しておさめましたから、彼が信仰の道を逆もどりをするようなことはなかったと思います。しかし、ひるがえって考えてみなさい、わが子たちよ――俗世の商品を買うことによって数ペニーを節約することが、永遠の至福を危険にさらすだけの値打があることだろうか? 常にかの浄福のディグビー司教の笑顔の承認シールがはってあるものを求めなさい。“同じようなものだ”という罪人たちの甘言にのってはいけませんぞ。われわれのスポンサーがわれらをささえ、彼らはまたみなさんの支持に値するのです。ブラザー・アーサー、こんな至福のときに、こんな話をもちだして申しわけないが――」(P231-233)

 このディグビー司教は、金と権力を独占するため、創始者のフォスターを毒殺したことになっているわ、後にマイクに近づき、「悪」と認識され四次元の彼方に消されてしまう*6わで、言うまでもなく馬鹿にされきっている。

 現代日本人読者には、もはや何かのギャグにしか見えないと思う。もちろんそれでいい。著者も明らかに冗談めかして書いている。

 しかし、ここで意識しなければならないことは、この描写は、アメリカの宗教事情の一面のみをさらに誇張した戯画ではあっても、全く架空の存在・全くの絵空事では決してないということだ。

(本当はここで、アメリカの宗教事情についていくらか補足がほしいが、長くなりすぎるのでいったん諦める。自分で読む気がある人には、適切な参考文献として『宗教からよむ「アメリカ」』を薦める。)

 フォスタライト派はキリスト教というよりはキリスト教系新宗教であるなどと、どれほど割り引いても、当時のハインラインや読者がキリスト教に好意的でなかった――少なくともアメリカにおけるその一側面に満足していなかった――ことは明らかだ。

 同時に、マイクに関する描写は、明らかにイエス・キリストを意識した、少なくともそのオマージュである部分をいくつも含む。*7自分で本を読んだ読者には「ハインラインはキリスト教的なのか?」という疑問が生じるかもしれない。

 これは今後何度も繰り返し出てくる論点であるので、一度簡単にまとめておきたいのだが、この疑問は「名古屋は西にあるか東にあるか?」と問うのに似ている。

 東京から見れば西にあるし、大阪から見れば東にある。それ以上に正しい答えはない。より本質的な唯一の絶対的回答というものは存在しない。相対的にしか答えられない問題というものはあるのだ。どこから見てか次第だ。それを指定せずに問うても意味がない。

 アメリカは過去も当時も現在もはっきりキリスト教国であり、日本人から見てキリスト教的に見える部分があるのは当然である。ここでのハインラインは、日本人から見ればキリスト教的で、従来のキリスト教徒から見ればキリスト教的でない。それ以上の答えはない。

 ヒルトンやハインライン、今後見てもらういくつかの作品の宗教的態度についても、あくまでその文化自身の前段階との比較で考えるべきである。つまりここでは、少なくとも当面、イエスのイメージに影響された面よりも、アンチキリスト教・異教趣味の側面に注目すべきである。

性に対する意識

 マイクは地球の常識を知らないのをいいことに、今でいうラッキースケベに近い経験もするし、ジルをはじめ大勢の女性と関係するし、話が前後するが、自分の教団でも独身どころかフリーセックスを推奨するようになる。

 そこでマイクだが、彼はいっている。“わたしの妻を欲しがる必要はない……彼女を愛せ! 彼女の愛には限度がないし、われわれは欲しいものはすべてもっているし、失うものも不安とうしろめたさ、憎悪と嫉妬以外にはなにもない”とね。この申し出は、信じられんようなものだよ。わしの記憶にあるかぎりでは、文明化されるまえのエスキモーだけが、それほど素朴だった。しかも、彼らは火星からきた男たちといってもいいくらい、まわりと隔絶していたんだ。しかし、われわれがわれわれの美徳をおしつけてしまったので、いまでは彼らも、ほかのわれわれと同じように、貞節と姦通をもっている。べン、彼らはそれによってなにを得た?(中略)わしが生まれた家は、エスキモーの天幕小屋と大差ないくらいの、上下水道の設備も悪い家だった。わしはいまのほうがいいよ。それにもかかわらず、エスキモーは明らかに地球でいちばん幸福な種族だったといわれている。彼らの味わったどんな不幸も、嫉妬からではなかった。嫉妬という言葉をもっていないんだ。彼らは必要に応じて、またおもしろ半分に、配偶者を借りる。それが彼らを不幸にはしなかったのだ。だから、狂っているのはだれなんだ? きみのまわりの陰険な世間を見まわして、わしに教えてくれ。(P648)

 この部分はフリーセックスへの傾倒以外にも、複数の重要な論点を含む。

 まずは当然、自分は今の(≒「西洋化」された)豊かな暮らしの方がいいと言いながら、貧しい他の誰かの方が素朴・純粋で幸せなのではないかと思う、典型的なオリエンタリズムの視線。

 そのオリエンタリズムの対象が、地球上の異文化から宇宙に移される過程の最後にあたる「現行犯」場面を捕らえた、いわばミッシングリンク(中間型化石・移行化石)であること。

 そしてフェミニズム(≒反男尊女卑)の進歩は、いま着目している多文化主義(≒反西洋優越)・宗教的多元性(≒反キリスト教優越)・人種平等(≒反白人優越)の機運に比べて――どう比べてなのかはともかく――ワンテンポ遅れたように見えるということだ。

 フェミニズムの歴史についてはそこまで自信がないが、少なくとも今日のフェミニストで、この妻の提供の習慣を好意的に評価する者は絶無だろう。*8単に男性(同士の同盟)が女性を搾取する形式(のうちかなりマイナーなもの)のひとつ、としか見なさないはずだ。

 まだ先の話になるが、この女性視点の欠如ないし遅れは、捕鯨問題に密接に関わる特定鯨種が今日持っている精神的地位に、微妙な影響を与えたように思われる。

女神崇拝・女性性に対する意識

 次は、マイクを病院から連れ出す際も協力した新聞記者のベン・カクストンがマイクの教団を見に行く場面。

 ジルは場ちがいな衣装をつけてましたよ。マイクが抑揚をつけてなにかいいはじめる。英語もまざって、万物の母とか多数の合一とかいうようなことを歌うようにいって、一連の名前をいいはじめたんです……しかも、その名前といっしょに、彼女の衣裳が変わって……」

(中略)

「母神(シビリー)!」
 ジルの衣裳がいきなり変わった。
「豊穂の女神(アイシス)!」
 また変わる。
「結婚女神(フリッグ)!」
ジェーデヴィ*9イシタールマリアム
マザー・イヴ マーテル・ディウム・マグナ! 愛し愛される不滅の生の――」
 カクストンは聞いてはいなかった。ジルは栄光だけを衣裳にした、マザー・イヴ。光がひろがり楽園の彼女が見える。そばの木には大きな蛇がからまっていた。
 ジルがにっこりして手をのばし、蛇の頭をなぜる――くるりと向きなおり、両腕をひろげる。

(中略)

 カクストンはその場に残って、ジルの輝く幻に包まれていたいと思った。みんなの列に加わりたかった。だが、彼は立ってその場を去った。ふりかえると、マイクが列の先頭の女を両腕で抱くのが見えた。パトリシアにつづこうと向きなおったので、彼はマイクの接吻を受けた女のローブが消えるところは見のがしてしまったし、ジルが最初の男に接吻するのも、その男のローブが消えるのも、見てはいなかった。(P604-606)

 異教の女神がごちゃ混ぜに出てくるゲームが珍しくもなんともない今日視点だと、アホみたいに見えるだろう。このストリップショーあるいはそれ以上の何かを、好意的に見る女性もまずいないと思う。

 しかしこれは、あからさまに男尊女卑的・唯一神教的だった旧来のキリスト教(文化)との差分で見るべきところだ。この女神崇拝・多神崇拝の趣向は、当時は確かに革新的で新鮮なことだったのだ。

 旧約聖書を意識した(肯定的にではないが)部分については、さっきしたばかりの「名古屋は西にあるか東にあるか?」の話を適用してもらいたい。

 あと、今は重要でないので追及しないが、シリーズタイトルに含まれながら、ろくに言及されてこなかったガイアの名前が、ついに登場していることに着目。

同性愛に対する意識

 今日視点で見た場合、もうひとつ特に目立つのは、同性愛に関する記述だろう。ジルの台詞としてではあるが、

 同性愛のことは、マイクが本で読んで認識できなかったので、彼女は説明してやったし、そう思われないようにするルールのいくつかを教えたのだった。こんなに好男子のマイクがそういう連中をひきつけることは、彼女にもわかっていたからだ。彼はジルの忠告にしたがい、それまでの中性的な美しさのかわりに、もっと男らしい顔になった。(中略)しかしマイクの男の水兄弟が、女の水兄弟がいたって女らしいのと同様、はっきりと男性的なのはさいわいだった。いずれにしてもマイクは、哀れな中性的存在には悪を認識するだろうとジルは考えていた。そんな連中に水兄弟になろうというはずがない(P535-536)

 と、男性同士の同性愛をはっきり悪とする一方、10ページも離れていない箇所で、同じジルに、

 しかし、彼の目をとおして*10ほかの女たちを見ているうちに、自分の興奮が高まってくるのに気がついて、彼女はびっくりした。

(中略)

 マイクが見ていると、彼女は色っぽい喜びから完全な発情まで、彼と気分をともにした。しかし、マイクの関心が浮わついていると、モデル、ダンサー、ストリッパーもただの別の女にすぎなくなる。彼女はこれはさいわいだったと思った。自分に同性愛(レスビアン)の傾向もあるのを発見しただけでも充分すぎる。
 しかし、おもしろかった。彼の目をとおして女たちを見るのは、とてもよいことだったし、彼が彼女のことも同じような見かたをしているとやっと知ることができたのは、陶然とするほどいいことだった。(P542-543)

 と女性同士の同性愛はまんざらでもないようなことを言わせている。*11

 何をどうしたらこんなことが可能なんだと、笑えてくるのを堪えるのに苦労するレベルであるが、おそらく何か真剣に考えてそうしたわけではない。

 このあたりは単にマイクが地球文化をいろいろ体験するという背景描写に過ぎず、(おそらく異性愛者の)男性である著者の性的嗜好が、そのまま出たに過ぎないように思われる。

 だからどうだと言っているのではない。私自身異性愛男性で、男女の同性愛コンテンツに対する直感的嗜好も、著者と大して違うわけではない。単に時代錯誤的な優越感で、ハインラインをあげつらって言っているのではない。

 このシリーズの観点から特に重要なポイントとは言えない同性愛を取り上げるのは、時代精神が、その時々の当たり前が、どこまで変わりうるかを示す好例としてだ。

 過去のある部分が、現在と比べて遅れていない、それどころか行きすぎてさえいる、ということの意義を本当に認識するには、同じ時点で、ある意味予想通りに遅れている部分も、同時に知っておかなければならないのだ。

マイクの最期とその後

 超能力ショーで信者を獲得したり、超能力チートでラスベガスで稼いだり、なんだかんだして教団を広げるマイクだが、反発も増していき、教会に放火された事件をきっかけに、ついにカタストロフが発生する。

 テレポートで脱出→誤解(?)から投獄→超能力で留置所の鍵や警官の武器を消してしまい脱獄→町を去ろうとするついでにいっそ大掃除だと町中の悪人数百人を消してしまう……等々の流れで暴動が起きる。

 マイクは自ら暴徒の元へ赴き、リンチされ惨殺される。遺体は当然残った皆で尊敬を込めて喰われる。「分裂」したマイクは、天国のスタジオで*12フォスターやディグビーと会って仕事にかかり、これから変えていきたい点が山ほどあるな、と考える。

 おそらく現代日本人読者が初めてこの作品を読んだなら、似たり寄ったりの感想を抱くと思うが、マイクの教団は全然魅力的なものには見えまい。

 ゲバ棒・テレビ・商売の代わりを全部超能力で済ませているだけで、フォスタライト派と、どれほど差があるか、甚だ疑問である。フォスターやディグビーと違って自覚がない分、考えようによってはもっと悪質にさえ思える。

 私の見る限り、ハインライン自身は、すでにその視座も十分持っているように見える。彼は、他の作品については右派と批判されることもよくあるほどで、少なくとも単純なヒッピーなどではありえない。

 本気でマイクが絶対的に正しく優れていると思っているなら、そもそもフォスタライト派に影響を受けた設定にはしないし、作品のラストの場面にフォスターやディグビーを出してきたりしないだろう。

 しかし、読者がそのようには受け取らなかったことは明らかだ。*13この作品はヒッピーの経典とあがめられ、現実にも大きな影響を与えた。そこまで重要なものとは思えないが、一例として、実際に設立された同名の教団は現在も活動しているそうな。

 一方で、私は、葬式で遺体を食べるように薦められたこともなければ、友人を訪ねてその妻と性交するように薦められたこともない。私の人付き合いが悪いだけ、という可能性を考慮する必要はなかろう。

 すでに21世紀の未来から振り返っている我々には、起きたことは明白だ。この本に示されたような世界観は、主流になっていないのはもちろん、ありうる選択肢のひとつにさえなっていない。間接的な影響は残るものの、一部の人たちの間だけの一時的なブームで終わったのだ。

 そうなった理由を追い、理解(グロク)することは、このシリーズの本筋そのものであるので、今ここで全部はやらないし、量的にも不可能だ。

 今後本筋で詳しくは取り上げ「ない」が重要であろうことだけあげておけば、単純に*14ムーブメントの担い手であったアメリカのベビーブーマーが若くなくなったこと、耳目を集めるいくつかの大事件、

 など*15によって、日本ではやや遅れてオウム真理教事件(1995)ひとつに集約されたような時代精神の転換が起きて、いわゆるカルト宗教・オカルト的なるものの印象が悪くなったこと、がある。

おまけ

 最後に一箇所だけ印象深い箇所を引用して終わりにしたい。マイクが自ら殺されに出ようとする直前、ジュバルに対して弱音を吐く――結局結論を出すにはまだ早い的な励ましを受けて立ち直るのだが――場面。

 先に言っておくが、ハインラインがこの部分をそんなに重要視して書いたとは思えない。私はたぶん、後知恵によって、著者が意図した以上の意味を読み取りすぎている。

 しかし、そう自覚してもなお、私は感動を抑えられない。マイクはここで、クソ下らない超能力なんぞではなく真に神の域に手を掛け、人類思想の半世紀先を、それどころか今日ですら未だ到達しきってはいない未来を、幻視したように、私には見える。

 ところがジュバル、わたしはかんじんなことをひとつ忘れていました。
 人間は火星人ではないということです。 わたしはこの誤りを何回もくりかえし、そのつど、自分で正し、しかもまだまちがえるんです。火星人に対して効くことは、必ずしも人間に効くとはかぎりません。もちろん、火星語でしか表現できない概念的論理は、たしかに人類にも役にたちます。論理は不変です……しかし、条件は変わります。だから、結果も変わります。 *16(P750-751)

 このシリーズのこれから先は、ある意味このマイクの境地に追いつくための旅とも言えよう。

 初っ端からSFの最悪と最良の部分をともに体現する特濃作品でとても疲れた。次回は、質・量ともにもうちょっとさらっと行きたいと思う。

*1:マイクの人種が殊更に話題になる場面はないが、最後のリンチの場面で『あん畜生に、黒ん坊の首吊縄をかけてやれ!』(P762)という群衆の台詞があり、少なくともアフリカ系ではない。小説自体に挿絵はないが、ペーパーバックの表紙などでは「白人」に見えるように描かれている。
*2:オリエンタリズムの糸の最後でまとめて話題にする。
*3:というより、人種に関する話題が全くない。前回冒頭の電子新聞のようなちょっとした背景部分を除けば。
*4:『失われた地平線』の影響でチベット仏教に改宗した「西洋人」がいたとは思われない。どこまでを影響と見なすかにもよるが、少なくともリアルタイムに、直接的に、社会的に意味のある数では。
*5:このシリーズの観点から特に重要なことではないが、テレビが一般に普及して間もない時代であることにも留意。
*6:具体的な場面は描かれないので、直接のきっかけがなんだったのかは不明。
*7:長くなるし、見ればわかるレベルなので、ここで詳細には取り上げない。
*8:あなたが男性で、嘘だと思ったら、母親でも妻でも彼女でも誰でも女性に聞いてみるといい。聞けないと思うなら、たぶんそれが答えだ。
*9:なぜか原文の方ではGeの次がIshtarで、このデヴィに対応する語はない。確かにインドの女神も入っていた方がそれっぽいが、いつどこで付け加わった? 底本のバージョン違い? それとも翻訳段階で? 今のところ不明。
*10:もののたとえではなく、前述の視点共有の超能力を使っている。
*11:ジルは終始善玉の副主人公格であり、これらが反語的に言われている可能性はまったくない。
*12:テレビがまだ新鮮なものだったことを思い出さないと、ここは意味不明だろう。
*13:この落差、著者と読者の温度差とでも言うべきものは、優れた著者が、時代に先んじ先導する者である以上、必然的に生じるものだ。今後このシリーズで見てもらう作品でも、何度となく問題になる。
*14:実はそれほど単純とは言えない。人口動態が文化に与える影響というものが当たり前に考えられるようになったのは割と最近になってからだ。なぜだと思う?
*15:後ろふたつの概要は上で紹介した『宗教からよむ「アメリカ」』でも読める。
*16:たとえば、今年のノーベル経済学賞はリチャード・セイラー行動経済学研究に与えられたが、火星人≒経済人と考えれば、この一文は行動経済学の神髄を要約するものと言っても過言ではないと思う。

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