ガイア教の天使クジラ42 ロバート・A・ハインライン『異星の客』 1/2

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 また1年以上間が開いてしまった。このまま年に1回のようなペースだと、100歳まで長生きしても未完に終わってしまいそうなので、なんとしてでもペースを上げようと考えている。

 今回取り上げるのは、今度こそ、押しも押されもせぬSF作家の正真正銘SF小説、ロバート・A・ハインライン異星の客』(1961)である。

 前回同様、いま読んで面白い小説だとは言いがたいので、長くなりすぎるのを防ぐため、大胆に要約・省略しながら行く。

 ネタバレも気にしないので、自分で読む気がない人は、先にあらすじと基本設定ぐらいはWikipedia等で予習してもらいたい。特にハインラインの項目は詳しく、このシリーズの観点からも有益な記述をいくつも含む。

 主人公のヴァレンタイン・マイケル・スミス(マイク)は、第一次有人火星探査のクルーが消息を絶った25年後、第二次探査によって発見された彼らの遺児であり、遺伝的には地球人だが、誕生直後から火星人に育てられ、地球や人間を一度も見たことがなかった。

 第一次クルー達のものだった莫大な株と特許を相続し、さらに法のいたずらで火星全土の所有権を持つことにさえなるかも知れないマイクが、赤ん坊よりも何も知らないと来れば、トラブルが起きないはずはない。このマイクが辿る生涯が、小説の本筋だ。

小説の世界観と時代精神

 まず以下は『自由諸国の世界連邦の事務総長という最高の地位にあるジョセフ・E・ダグラス閣下』(P127)が朝食をとりながら読んでいる電子新聞、という設定。風刺小説としての世界観がよく凝縮されていると思うので、ここは直接引用する。

 太陽の第三惑星は、今日は昨日より二十三万人多くの人間をかかえていた。五十億の地球人口のなかで、このくらいの増加は目だたない。連邦の協力者である南アフリカ帝国は、またしても少数民族の白人を圧迫したと、最高裁に召喚されていた。ファッション界の大御所たちがリオに集まり、スカートの裾が下がるだろうし、へそはかくすようになると発表した。連邦防衛ステーションが空中で動きを見せて、この惑星の平和を乱すものはなんであろうと殺してみせると約束した。コマーシャル宇宙ステーションが、無数の商標の商品の無限につづく騒音で平和を乱している。ハドソン湾岸には昨年の同じ日に移住してきた数より五十万も多い移動住宅が落ちついた。中国の米作地帯は連邦会議で緊急対策を要する栄養失調地区と発表された。世界一の金持ち女性として知られるシンシア・ダッチスは、六人目の夫に慰籍料を払って離婚した。
 新啓示派(フォスタライト派)教会の最高大司教ダニエル・ディグビー博士は、連邦上院議員トーマス・ブーンを導くためにエンゼル・アズリールを指名し、今日中に天の承認が下るであろうと発表。各通信社はそれをまともなニュースとして送った。過去に、フォスタライト派が何軒もの新聞社を打ちこわしたことがあるからだ。ハリソン・キャンべル六世夫妻は、シンシナチ小児科病院で仮親からただひとりの男の嗣子を得たが、幸福なこの両親はペルーで休暇を楽しんでいる。イェール神学大学の余暇芸術教授ホレース・クァッケンブッシュ博士は、信仰にもどり精神価値をつちかえと呼びかけている。ウェスト・ポイントのフットボール・チームのプロ選手の半分が、賭け競技の醜聞に巻きこまれた。細菌戦化学者三人が、トロントで、情緒不安定ということで休職になった。彼らはこの事件を最高裁にもっていっても争うと発表している。連邦最高裁は、合衆国最高裁判所の、ラインバーグ対ミズーリ州の連邦州議員がからむ党大会予選会の件に関する判決を破棄した。(P126-127)

 話の筋に絡んでくるのは「フォスタライト派」だけであり、細かい内容にいちいち論評しないが、人口問題・人種・ファッション・軍事・商業主義・性・宗教・生命倫理・政治、と様々なトピックに対して、作者の抱いている時代精神が垣間見えて面白いだろう。

 このダグラスが、マイクの財産と権利を押さえ政治的混乱を避けるため、彼を替玉の役者とすり替えて、その存在を抹殺しようとするところを、善玉サイドの看護婦ジリアン(ジル)が救出して、アナーキスト気質*1の老学者ジュバル*2の家へ駆け込むのが序盤のプロットである。

火星人とその考え方

今日の一コマ

 マイクを保護したジュバルらは、マイクを通して、火星人について詳しく知ることになる。火星人のキャラが直接本編に登場することはないが、小説全体を通して最重要要素である。

 今日の私達にとっては、「火星人」という単語がギャグやたとえ話以外の文脈で出てくる、ということだけでも、まず驚きだろう。

 意外と最近まで、太陽系の惑星のことですらよくわかっていなかったのだ、と理解するのは、それはそれで面白いことだが、今回の主題とはあまり関係ない。問題はこの火星人がいかなるものとして設定されているかだ。

 卵で生まれ、ニンフと呼ばれる毛羽だらけの球体状の幼生を経て、やがて帆を張った氷上船を思わせる巨大さの成人となる。雌雄同体で、ニンフのうちは全て女性で、成人後は全て男性に変化し、人間的な意味での性の意識はない。

 ニンフは物理的には活発だが精神はごく鈍い。大量にいて大事にはされず8/9*3までは最初の年に死ぬ。たまたま生き延びたニンフは成人に保護され、受胎・産卵を終えると成人に変わるよう指導される。成人は物理的には不活発だが、精神的には能動的である。(P160-161)

 まあこのあたりまではいい。今日たとえばハリウッドでリメイク映画化されるとしたら、火星人の雌雄はほぼ確実に逆の設定にされるだろうし、それも時代精神の興味深い変化のひとつを示唆しているが、今は置いておこう。本当に興味深いのはその先だ。

 数分、あるいは数年間の思索を必要とする火星人は、ただそのまま思索にはいる。もし友だちのひとりが彼に話しかけたいと思っても、その友だちは待つだろう。永遠の流れのなかで、急ぐ理由はありえないし、急ぐということは火星人の概念にはなかった。スピード、速力、同時性、加速、その他の永遠性のパターンの抽象概念は、火星人の数学の一部としてあっても、火星人の感情としてはなかった。反対に人類のたえまのないあせりは、数学的な時間の必要からではなく、人間の性的両極性につきもののいきりたった性急さからきているのだった。(P227)

 成人は長命で急ぐということを知らず、決して争わない。「死ぬ」ことはなく、適切な時が来たら自らの意志で「分裂」(discorporate*4して霊的存在となるだけで、事実上不死である。不要になった肉体は皆で尊敬を込めて喰われる。(P224)

 霊はごく当たり前の存在であり、肉体的に生きている成人より多い。古くからいる上級霊は「長老」(Old One)と呼ばれ、ほとんど全能である。一例として、第五惑星*5は、大昔に、長年かけて住民を悪と完全に「理解」した火星人の長老によって破壊されたことになっている。(P163)*6

 火星には病気も暴力も殺人も犯罪もなく、金銭も財産も政府も税金もない(P251)。長老の教えが完全なため、「宗教」「哲学」「科学」は火星語では不可分で「研究」とか「疑う」という概念もない。(P242)。「創作」という概念もない*7。おそらく「嘘」や「欺瞞」もない。「笑い」もない。(P252)

 生まれたときから火星人に育てられたマイクも、少なくとも当初は地球の常識を一切理解せず、火星人には遠く及ばないものの、多彩な超能力を持っている。

 念動力や空中浮揚は当然できるし、幽体離脱もできる。「悪」と認識したものを四次元の彼方に一瞬で消し去ってしまうこともできる。*8肉体を自由に操作し、脈拍や呼吸をコントロールして仮死状態になったり、感覚を遮断したり、太ったり痩せたり顔つきを変えたりできる。

 他人の視点から見る――考え方のたとえではなく実際に――ことができたり、他人にまた別の他人の視点を見せることもできる。宇宙の法則についても人間の科学者に説明することすら不可能なところまで理解している。

 「なんぼなんでも盛りすぎやろ!」……とツッコまずにはいられないのだが、それもいったん置いといて、『失われた地平線』と続けて読んでもらった*9ので、私が何が言いたいか、わかるね?

 設定の違いのために一見派手になってはいても、ハインラインとその読者達が、火星・火星人・長老に仮託しているものが、ヒルトンとその読者達が、シャングリラ・ラマ僧・大ラマに仮託していたものと、実質的に全く同じだということが。

 そしてもちろん、単に似ているとか、たまたま同じであるのではなくて、ミーム的な意味で前者が後者の子孫である*10ことが。

 もはや地上では見つけられなくなった神秘の逃げ場が、忙しい自分達「西洋人」を省みるための道具が、当時まだフロンティアだった宇宙に見いだされるようになったのだということが。

 最後におまけ的に一箇所引用。

 人間とはなんだ? 羽毛のない二足獣か? 神の姿をうつしたものか? それとも、循環のなかで「適者生存」の偶然の結果なのか? 死と税の相続人か? 火星人は死に打ち勝っているらしいし、人間的な意味での金も財産も政府ももっていないらしい。彼らにどうして税金がありうるだろう。

(中略)

 しかし、火星人の見かたからすると、人間とほかの動物を区別するのはなんだろう? 宙を飛べる種族が(そのほかになにがあるかだれにもわからないが)機械工学なんかに感心するだろうか? そうだとしたら、いちばん高く買われるのはアスワンダムだろうか、千マイルにもおよぶ珊瑚礁だろうか? 人間の自意識? ただのうぬぼれで、抹香鯨*11やセコイア樹がどんな人間にも劣らぬ哲学者で詩人ではないと証明する手だてはないのだ。
 ただひとつだけ、人間がほかに負けない領域がある。殺し、奴隷にし、いじめ、あらゆる方法でたがいに自分たちを耐えられないくらい迷惑な存在にすることに、ますます大きくさらに多くの有能な方法を発明する無限の才能を人間が示していることだ。人間は自分自身に対するいちばん意地悪い冗談なのだ。ユーモアの土台そのものが、そこに――(P251)

 これはジュバルの内省ではあるが、小説全体のトーン、ひいては著者の人間観・時代精神の一面を代弁するものと考えて間違いない。

 この本でクジラが出てくるのはこの一言のみで、他には一切絡んでは来ないものの、高知能説が、謙虚に考えるためのネタのひとつに過ぎずとも、少なくとも真面目に受け取る余地のあるものだったことがわかる。

*1:『彼はときの権力の邪魔をしてやると思うと、わくわくしてくるのだった。彼もアメリカ人すべてが生得の権利とともにもつ無政府主義的傾向を、人なみ以上にもっていた。惑星政府に体あたりすることに、彼はこの世紀にどんなものに対していだいたよりも鋭い熱情を感じるのだった。』(P159)
*2:『弁護士にして 医師、理学博士、善人で美食家、逸楽の徒にしてなによりも人気作家、しかも超厭世派哲学者であるジュバル・E・ハーショー』(P142)
*3:「十中八九」あるいは「大半」の意。中途半端な数なのは火星では3進法らしいため。
*4:まとまった複数部分に分かれるニュアンスが強い「分裂」よりも、「分解」の方が適切に思われる。おそらく(原文の時点で)意識して避けていると思われる既存の宗教用語を含めれば「入滅」が一番妥当か。さらに意味もずらしてよければ「解脱」でもいいかも。
*5:現実の太陽系第5惑星:木星のことではなく、火星と木星の間の小惑星帯が、かつてひとつの惑星であったとする(おそらく正しくない)仮説上の惑星。仮説自体は実際あったもので、この小説独自のものではない。たとえば『星を継ぐもの』でも重要な要素として登場する。参考:仮説上の天体
*6最強議論スレ――厨設定が集まることで有名――でもそこそこ上位に入れそうだ。
*7:『マイクがロメオは実在した人物だと信じているのがわかったし、マイクが彼に期待しているのは、ロメオの幽霊を呼びだして、現世でのその行動の説明を求めることらしいと、どうやらつかめた。(中略)創作の概念がマイクの経験の埒外にあるのだった。』(P192)
*8:実際に追っ手の警官隊やその武器・乗り物を次々消してしまう。
*9:現実時間では1年以上経ってるが……。
*10:ここで都合がいいのは、火星人が実在しないのは、少なくとも今日時点では明白で、このイメージは地球のどこかからきたものでしかあり得ない、ということだ。
*11:今はそれほど重要でないので追及しないが、ひとつ宿題。ここで鯨類代表として出てくるのがマッコウクジラであるのはなぜだろう? それは何を意味しているのだろう?

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